158 実はちょっとだけ苦手です
「祝うものなのか。誕生日とやらは」
ほんの一瞬だけ不思議に思う。
けれど、そう問い掛けられたのは、アルノルトにとって馴染みがないものだからなのだと気が付いた。
「アルノルト殿下のお誕生日には、何もなさらないのですね?」
「毎年その日に夜会が開かれているが。まともに参加したことは一度もないな」
アルノルトは心底どうでも良さそうだ。無表情に近い冷めた表情でも、その顔立ちは美しい。
(ガルクハイン皇族の方々は、皇帝陛下を除いて、国民の前に出る祭典にも参列なさらないというお話だったわよね……)
つまり、国を挙げての祝い事なども、現皇帝のものしか行わないということなのだろう。
「では、オリヴァーさまからは?」
「何故オリヴァーが出てくる? ……あれには、たとえどんな日であろうと、いつもと違う振る舞いはしないように命じてある」
話を聞いている限り、彼は家族との縁も薄い。父帝とは険悪であり、実の母からは憎まれていたと言っていた。
妹姫たちは離れた場所で暮らしており、テオドールと和解したのはつい最近だ。
オリヴァーも何もするなと命じられているのであれば、アルノルトにとって、『誕生日の祝い事』は未知のものに近いのだろう。
「必ず祝うものかと言われれば、そうとは限らないのですが……少なくとも私は、周りの方のお誕生日はお祝いしたいです」
「そうか」
「だから、次の殿下のお誕生日……十二の月二十八日には、いっぱいお祝いをしてもいいですか?」
アルノルトを見上げ、リーシェはふわりと微笑んだ。
「そのころにはもう、私たちは夫婦になっているはずですし。夜会はなしで、内々にいたしましょう。オリヴァーさまやテオドール殿下もお誘いして、美味しいものをたくさん食べて――……」
そんなことを想像して、わくわくする。
せっかくならば、アルノルトにとって良い日になればいい。もちろんそれは誕生日に限らないのだが、祝いごとのための素晴らしい口実は、多い方が良いのだ。
「お前のやりたいことをすればいい。だが」
アルノルトは小さく息を吐く。
「俺よりも、先に誕生日を迎えるのはお前だろう」
「……あ。そうでした」
少しだけ呆れたその声は、それでもやさしくリーシェに尋ねた。
「祝うべきものなのであれば、お前が望むだけの祝賀を。……何が欲しい?」
「…………」
そう言われて、リーシェは一瞬だけ固まってしまう。
けれどもそれは、欲しいものが思いつかないからではない。
アルノルトも、そのことに気が付いたのだろう。
「リーシェ?」
「……実は。他の方をお祝いするのは大好きなのですが、自分の誕生日には若干の苦手意識があり……」
アルノルトが、不可解そうな表情を見せた。
(もちろん、『二十歳の誕生日を迎えたら、その後いつ死んじゃうか分からない』というのもあるのだけれど)
リーシェはいつも二十歳で死に、十五歳の婚約破棄に戻る。
命を落とす日は、その人生によって違っていた。だが、二十歳という年齢は共通だ。
そんなリーシェにとって、誕生日を迎えるということは、どうしても『その人生の残り時間』を意識する形になるのだった。
けれど、誕生日が苦手な理由は他にある。
「私も、家族に誕生日を祝われた経験がなくて」
「……」
本当は、アルノルトに色々と教えられる立場でもないのだ。
「幼いころは、とにかくお勉強が忙しかったのです。予定をぎゅうぎゅうに詰めてしまうと、そんなことをする時間もなく……あ! もちろん、社交の場としてのパーティが開かれることは何度もあったのですけれど!」
しかし、それも目が回るほどに忙しいものだ。
パーティ中の食事はおろか、飲み物すら口に出来ず、様々な人に挨拶をして回るのである。
『どれだけお前が優秀でも、女に生まれてはすべて無意味なのだ。お前は王太子殿下をお助けするため、それだけのために生きていればいい』
『世間に認められる相手との結婚。女の本当の幸せとは、そんな相手と結ばれて子を産むことだけなのです』
『今日があなたの誕生日? ――知っていますよ。母親ですから』
両親の言葉は、いまでもはっきりと思い出せる。
『そんなことより、今日のお勉強はどこまで進んだのですか?』
(…………)
おかしな表情になってしまわないよう、自分の頬を両手でぐにぐにと押しながら、リーシェは続けた。
「なのでなんとなく、自分の誕生日というと、どうしたらいいのか分からない心境になるというか……」
過去の人生において、国を出て色んな人たちと交流を始めてからも、リーシェ自身の誕生日はあまり教えたことがない。
その代わり、他人の誕生日を盛大にお祝いして、その幸せを分けてもらっていた。
(こんな話、アルノルト殿下はどう思うかしら)
自分の頬をぎゅっと押さえたまま、ちらりとアルノルトを窺うと、彼はリーシェの答えを待つように尋ねてくれる。
「なら、何もしない方がいいか?」
「――……」
その言葉に、俯いてから考えた。
アルノルトは、やはりリーシェの意思を尊重しようとしてくれているのだ。
それが分かるからこそ、数秒ほど十分に考えた上で、ゆっくりと首を横に振る。
「……お祝い、していただきたいです。アルノルト殿下に」
そう答えるのは、幼い子供のようで少しだけ恥ずかしい。
けれどもアルノルトは、それがなんでもないことのように、大きな手で一度だけリーシェの頭を撫でた。
「分かった」
「……」
なんとなく安堵して、ほっと息を吐く。
「な……なんだか不思議な心地がします。こういう話を誰かにするのは、初めてなので」
「お前は案外、自分の内面を他人に話さないからな」
「そうですか?」
「そうだ」
言われてみれば、そんな気もする。
それもこれも、リーシェには『繰り返し』に伴う秘密が多いからなのだが、アルノルトに指摘されるまで気付かなかった。
「ふふ」
「……どうした?」
「ひょっとすると、私よりも殿下の方が、私のことにお詳しいのかもと思いまして」
それがなんだか面白い。アルノルトは何も言わなかったが、代わりにもう一度リーシェの頭を撫でた。
(ディートリヒ殿下に宣言した通り、アルノルト殿下は夫として素晴らしいお方だけど……私もしっかりしなくちゃ。ヴィンリースの浜辺で、私からも殿下に求婚したんだもの)
そんな風に思いながら、改めて気合を入れる。
(アルノルト殿下の未来の妻として、頑張らなきゃ! ひとまずディートリヒ殿下に『証明』をしつつ、グートハイルさまのことを調べて。シルヴィアさんのことも心配だし、明日また様子を聞いてみたいわ。何より私の大仕事は、婚姻の儀の準備もあって……)
その瞬間、先ほどの歌劇を思い出す。
(婚姻の儀)
そしてリーシェは、隣のアルノルトをじっと見上げた。
「……なんだ?」
(この方と)
アルノルトのくちびるを見つめ、こくり、と喉を鳴らしてしまう。
(婚姻の儀に、改めてキスを――……)
「……?」
顔が赤くなってしまう直前に、リーシェは慌てて窓を見る。
アルノルトには気付かれなかったようだが、これはどうにも一大事だ。だって、心の準備が出来そうもない。
(ど、どうしよう…………)
内心で途方に暮れつつ、リーシェは皇城に戻るまでの時間、これまでの人生で最大の難関について頭を悩ませるのだった。
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