156 ふたりきりの馬車が気まずいです
「本当に……。本当に、申し訳ございませんでした……」
「……いや…………」
劇場から城へ戻る馬車の中で、リーシェは深々と頭を下げた。
向かいに座っているアルノルトの方を、見ることも出来ない。ぷるぷると震えつつ、必死に謝罪を繰り返す。
(か、顔から火が出そう…!!)
車内は先ほどから、どことなく気まずい雰囲気になっていた。それを意識すると、頬どころか耳まで熱くなり、更に恥ずかしさが増してしまう。
それもこれも、先ほど取ってしまった行動の所為だ。
リーシェはディートリヒに対し、アルノルトがやさしい人であることを証明すると言い切った。
結果として、ディートリヒはしばらくの間、ガルクハインに留まることになったのである。だが、馬車の中がこんな空気になっているのは、リーシェがアルノルトに触れてしまったことが原因だ。
(ううう、私はなんということを……!! ディートリヒ殿下に反論したいあまり、妙な宣戦布告をしてしまった挙句、アルノルト殿下に抱き着いてしまうなんて……)
あんなものは、人前で腰を抱くどころの騒ぎではない。
しがみついた瞬間、アルノルトが驚いていたことを思い出し、両手で顔を覆いたくなる。アルノルトの言葉数も少ないような気がして、沈黙が居た堪れなかった。
「そもそもが、ディートリヒ殿下とお話しする場を設けていただいたことも含め、多大なご迷惑とお手数をおかけして……」
リーシェが重ねて謝罪をすると、アルノルトが小さく息をつく。
「俺は、お前の行動を制約するつもりはない。お前は会いたい人間に会い、話したい相手と話せばいい」
「殿下……」
本来であれば、リーシェにそんな自由が許されることはない。
ディートリヒの方が普通で、リーシェの母が当たり前なのであり、アルノルトが変わっているのだ。貴族家の娘や、皇族の妻という立場は、本来そういうものである。
「……やっぱりディートリヒ殿下には、アルノルト殿下がすごくやさしい方だということを、分かっていただきたいです」
拗ねた気持ちでそう言うと、アルノルトは皮肉っぽい笑みを浮かべて言う。
「あの男が言うことは事実だ。お前の発言の方が甘い」
「……そんなはず、ありません」
「そんなことよりも。この都にあの男を留まらせるのであれば、お前にくだらない罪を着せた償いの方をさせるべきだろう」
アルノルトはそう言うが、ディートリヒに婚約破棄されたことについては、むしろ有り難いと思っているくらいなのだ。
「私に何をされるよりも、アルノルト殿下にひどいことを言われる方が、私はずっと嫌です」
「俺だって、あんな人間に何を言われたところで何も感じない。小物がいくら吠えようと、好きに言わせておけばいい。――だが」
涼しい顔をして言ったあと、アルノルトは少しだけ低い声音で紡ぐ。
「お前が軽んじられるのを、許容するつもりはないからな」
リーシェは、再び心臓がどきりと跳ねるのを感じた。
(……私のために、ここまで言って下さっているのに……)
アルノルトの、どこが冷酷で残虐だというのだろうか。
そう思うけれど、口に出せばきっと否定されるのだろう。ディートリヒに、そしてアルノルト自身に分かってもらうためには、言葉以外で伝える必要があるようだ。
「とはいえ先ほどの一件には、驚いたのも確かだが」
「!!」
話が元に戻った気配に、リーシェはびくりと肩を跳ねさせた。
「お前があんな態度を取るのは、珍しいな」
「で……殿下に思いっきり抱き着いてしまった件は、心からお詫びしたく……」
「…………そのことではない」
何故か渋面でそう言われて、首を傾げる。
「お前はあの男に対して、他の人間と接するときよりも、あけすけに見える」
「むぐ……」
確かにアルノルトの指摘通り、ディートリヒにはついつい言い過ぎてしまう自覚があった。
「それは、私がディートリヒ殿下のお目付け役を兼ねていて、しょっちゅうお叱りしていたからです。あの方に対してだけは、うっかり辛辣になってしまうというか……私たちは、幼馴染でもあるので」
「……」
そのとき、馬車の窓枠に頬杖をついたアルノルトが、リーシェにじっと視線を向けた。
「リーシェ」
「?」
アルノルトが、隣の座席をぽんぽんと叩く。
彼がこうしてみせるのは、ここに座れという合図なのだ。リーシェは不思議に思いつつも、呼ばれたからには立ち上がり、アルノルトの横にぽすんと座った。
そうして彼を見上げると、アルノルトはこちらを見据えながら言う。
「俺のことは叱らないのか」
「へっ」
思いも寄らない問い掛けに、リーシェは目を丸くした。
無表情のままであるアルノルトは、こちらが答えるのを待っているかのようだ。
(それは、公務などに関して、ということなのかしら……?)
リーシェは戸惑いつつ、率直な意見を口にした。
「私がアルノルト殿下をお叱り申し上げるなんて、滅相もございません」
「へえ?」
「たとえばディートリヒ殿下に関しては、『私が言わないとどうしようもない』という焦りもありましたが……」
「……」
リーシェが話すのを聞きながら、アルノルトが手を伸ばしてくる。
リーシェの横髪を耳に掛けるような、そんな触れ方だ。次いで、先ほど劇場に着いたときのように、しゃらしゃら揺れる耳飾りを指で撫でる。
「アルノルト殿下は、私がいなくても大丈夫ですし……んん」
くすぐったくて首を竦めたあと、リーシェはおずおずとアルノルトを見上げた。リーシェを見つめるアルノルトは、その青い目を少しだけ伏せてから言う。
「どうだろうな」
「……?」
不思議に思いつつも、リーシェは不意に思い至る。
「もしかして、たまには誰かに叱られてみたいですか?」
「……」
アルノルトは少し物言いたげな表情をした。肯定された訳ではないが、何も反論されなかったため、何かないかと考えてみる。
「では、『毎晩遅くまでお仕事をなさってはいけません』とか」
「……それはお前にそのまま返そう」
「『もっと休憩や休養を取ってください』とか」
「それも同様にお前に返す」
「ううん……『ご自身のお仕事を、他の方にもっと分配した方が』とか……」
「…………リーシェ」
多大な本音に、ほんの僅かな冗談を混ぜていたリーシェは、そこでアルノルトに告げてみる。
「では。『誰かのことを警戒しているなら、私にも教えてくださいね』というのは?」
「――……」
すると、アルノルトが面白がるように、暗い瞳で小さく笑った。




