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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜5章〜

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150 緊急事態なのですが!








 アルノルトは、リーシェとアルノルトの間に挟まれたクッションに肘を掛けている。


 体重は殆どそこに乗せているらしく、リーシェにとって重すぎるということはない。

 けれども左肩には、確かな重みが感じられるのだ。


 体同士の距離だけではなく、感情や心のようなものまでもが近しい気がして、リーシェは頬が火照るのを感じた。


 ここは劇場内だ。大きな声を出しすぎないよう、なるべく抑えながら、ひそやかに尋ねる。


「っ、あの、殿下……?」

「……なんだ」


 アルノルトの声音は、いつもとそれほど変わらない。

 この状況が当然であるかのような、なんの変哲もない事態であるような、そんな雰囲気を帯びている。


 それでいて、やはり何処か倦怠的でもあるのだった。

 リーシェはどきどきしつつ、アルノルトの方を見ながら尋ねてみる。


「も……もしかして、おねむですか?」

「……」


 尋ねると、アルノルトは視線だけでこちらを見上げた。


 いつもはリーシェが見上げる側だから、こうしてアルノルトに上目遣いをされるのは初めてだ。海色の綺麗な瞳に見つめられて、どうしてか心臓が跳ねてしまう。


「眠くはない」

(眠く『は』……?)


 リーシェの動揺を知りもせず、アルノルトははっきりと言った。


「俺の問いに、お前が答えてくれるのだろう?」

(そうですが、何故この体勢で!!)


 そう思ったが、とても直接突っ込む勇気はなかった。


 リーシェが驚いていることも、頬が赤くなっていることも、きっとアルノルトは分かっている。


 それなのに、リーシェのそんな様子を観察して、彼は少しだけ満足そうにしたようだ。

 そのくせ、ここから離れてくれるようなことはせず、再びパンフレットの方に視線を落として言う。


「そもそも、歌劇とはどういうものなんだ」

「っ、それは」


 アルノルトがすぐ傍で紡ぐ声は、リーシェの耳をくすぐった。


 音響の良い劇場だからなのか、いつもよりも低音に聞こえるその声音に、左胸の鼓動がますます早くなったような気がする。

 けれども質問をされた以上は、誠心誠意応えたい。


「普通の演劇は、お芝居のみで表現されるものですが……。歌劇となると、その表現方法に、歌が合わさるのです」

「ふうん」


 相槌を打ったアルノルトが身じろぐと、くしゃりと髪の擦れる音がする。肩越しに体温が伝わってくるお陰で、改めてこの距離の近さを感じた。


 アルノルトが、右手の黒手袋をするりと外す。

 どこか怠惰なその仕草が、妙に絵になるので息を呑んだ。そうして露わになった大きな手が、リーシェの膝へと伸ばされる。


 アルノルトは、そこに乗せたパンフレットのページを、ゆっくりと捲ってみせるのだ。


「これから始まる演目は、お前の好きなものなのか?」

「そ、それが……この劇団は、事前に演目を公表しないのです。始まってみるまで、どんな物語を演じて下さるのか分からないのが、楽しみのひとつで」


 以前の婚約者だったディートリヒは当初、それに対する不満を口にしていたことを思い出す。

 その記憶が過ぎったのと、アルノルトが再びこちらを見上げたのは、何故かほとんど同時だった。


「お前が以前観たのは、どのような内容だった」


 そんなことを尋ねる理由は、今夜の演目を予想するための参考にしたいのだろうか。

 リーシェは、動揺を落ち着かせるための深呼吸をしながら、アルノルトを見下ろして答えた。


「魔法が存在する設定の世界で、婚姻を主題にしたものです」

「へえ?」

「お姫さまが政略結婚をするのですが、その婚儀の際に行われる、誓いのキスを巡る物語と――……」


 そこまで説明したところで、リーシェは口をつぐむ。


 見つめるのはアルノルトの青い瞳だ。

 双眸を縁取る睫毛は長く、特別席に揺れる蝋燭の灯りを受けて、白い頰に影が落ちている。この薄明かりの中でも、青い瞳は宝石のようだった。


 リーシェは、その瞳から目を逸らせないまま、とある事柄に思い至る。


(婚姻の、儀式……?)


 リーシェはあと一ヶ月もしないうち、アルノルトと結婚することになっている。


 そのことはもちろん分かっているし、そのための準備で日々動き回っているのだ。当日の大まかな流れについては、リーシェの故国とそれほど変わらない。


 だからこそ、現時点では軽く目を通すだけに留め、アルノルトの戦争阻止に繋がる動きの方を優先してきた。

 けれどもこの瞬間、リーシェは改めて思い至る。


(…………婚姻の儀で、キスをするのは……)


 それは、リーシェとアルノルトも同様ではなかっただろうか。


「――――――……」

「……リーシェ?」


 ぴしりと固まったリーシェのことを、アルノルトが怪訝そうに見上げた。


(……婚姻の儀は、女神さまの前で婚姻を誓い、夫婦となる儀式。……城内の神殿で誓約を交わして、そのあとに…………)


 そこで、口付けを交わすのだ。

 改めてその事実を認識し、ぱちぱちと瞬きをする。


(――誓いのキスを? アルノルト殿下と? 参列者の人たちの前で?)

「……おい、どうした」


 アルノルトが身を起こし、リーシェの顔を覗き込んできた。

 肩の重みからは解放されたが、結局至近距離であることに変わりはない。その上にお互いの顔が近付いてしまったせいで、二ヶ月ほど前のことを思い出す。


 テオドールに呼び出された礼拝堂で、リーシェはアルノルトと言葉を交わした。

 その末に、アルノルトの指におとがいを捕らえられ、そのままキスをされたのである。


「〜〜〜〜……っ」


 その瞬間、ただでさえ火照っていた顔が、一気に熱くなったのを感じた。


 あのときのことについて、リーシェはなるべく考えないようにしている。

 アルノルトに何か思惑があったのは明白で、それなのにこちらは翻弄されてしまうから、考えては駄目だと自分を諌めてきたのだ。


「なんだ? まさか、熱でも……」

「で、殿下……!」


 アルノルトが、リーシェの頰に触れようと手を伸ばしてきた。


 リーシェは慌ててその手首を掴むと、ドレスの膝上に彼の手を置き、閉じ込めるように両手でぎゅうっとくるむ。

 結局触れ合ってしまうことには変わりないが、アルノルトに触られるよりも、自分からこうしていた方がずっと心臓にやさしい。


「大丈夫です。……問題、ありませんから……」

「……」


 だが、アルノルトの方はといえば、なんだか複雑そうな顔で眉根を寄せるのだ。


 アルノルトは剣士だから、両手が不自由なのを厭うのだろう。落ち着かない状況にさせてしまうのを申し訳ないと思いつつも、いまアルノルトに触れられるのは避けたい。


 こんなに近くにいる状況で、またあの時のキスを思い出したら、泣きそうになってしまう自信があった。

 そこに、開幕のベルが鳴り響く。リーシェは必死に平常心を取り繕い、何事もないかのように振る舞った。


「あ……! は、始まりますね……!」

「……」


 劇場係員によって、客席内のあちこちに灯されていた蝋燭が消されていく。


 辺りが暗くなるのに反比例して、客席がにわかに騒がしくなる。それはきっと、幕が上がる直前の高揚感によるものだろう。


 そうして一拍置いたのち、今度は示し合わせたかのように、劇場内はそうっと静まり返った。

 だが、いつもならわくわくする静寂も、いまのリーシェにとっては不都合だ。


(……心臓の音が、殿下に聴こえちゃう……!!)


 観劇前だというのに、舞台に集中できないなんて由々しき事態だった。

 アルノルトの表情を窺いたいが、彼と目を合わせる勇気がない。思考がぐるぐると回っている間に、赤い緞帳が上がり始める。


(――あ)


 シャンデリアに照らされた舞台の上に、ひとりの女性が立っていた。


 ここは四階席のため、オペラグラスを使わずには、はっきりとその顔を見ることは出来ない。

 それでも美しさが伝わってくるのは、彼女の立ち姿が咲き誇る花のようだからだ。


 さらさらとした長い髪は深紅に近く、そのドレスも鮮やかな赤色をしている。舞台の前方に歩み出た彼女は、客席の方に向け、妖艶な仕草でその手を伸ばした。


 けれどもその瞬間、リーシェは何か、違和感を覚える。


「……アルノルト殿下」

「ああ」


 隣にいたアルノルトも、同じものを感じ取ったのだろう。リーシェは先ほどまでの動揺を一旦振り払い、彼女を注視する。


(なにか、様子がおかしいような……)


 リーシェがオペラグラスを手に取り、異変の状況を確認しようとしたそのときだ。


「!」


 歌姫シルヴィアが、舞台の上に倒れ込んだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 声を抑えないといけない場面+嫉妬+上目遣い=効果抜群
[良い点] 楽しみに待っていた 新章!! まさにピッタリの始まりでした。 続きが待ち遠しい
[良い点] 甘さと辛さが絶妙にブレンドされていて、毎回続きが気になります。 今回も波乱の幕開けで、楽しみです。 [気になる点] 前章の終わりにアルノルト殿下が含みのある影を出していたので、その先が気に…
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