リーシェの新しい宝物の話
※7/30がリーシェ誕生日のため、2021年7月30日にTwitterと活動報告に載せたお話です。
六度目の人生の最期のとき、リーシェの左胸を貫いたのは、黒色の刃を持った長剣だった。
細身の造りで、見た目にも美しい剣だ。
リーシェにとっては長すぎるものの、持ち主の長身にはぴったりだろう。攻撃の威力を確保するためにか、適度な重さはしっかりとある。それでいて、繊細な剣捌きを損なうほどではない。
そのことを知れたのは、今世で実物を握ることが出来たからだ。
朝方、身支度を終えたリーシェは、同じく身支度を済ませたアルノルトにそれを差し出した。
「こちらの剣をお返しします、アルノルト殿下」
「……ああ」
それは、彼に借りていた剣である。
リーシェは昨日、シグウェル国の王女ハリエットを護衛するために、アルノルトが予備で持っていた剣を腰に提げたのだ。
リーシェが振るうには重く、長さもある剣だったが、丸腰では護衛も務まらない。
そのため有り難く借り受けて、大いに活用させてもらった。
路地裏でラウルと対峙できたのも、手元にこの剣があってこそだ。
騎士としての人生では、自分に与えられた剣を大事に扱ってきた。
そして、この七度目の人生でしっかりと長剣を使ったのは、今回が初めてのことである。だからこそ余計に、奇妙な愛着が湧いてしまったのかもしれない。
「使っていて、不都合や怪我などはなかったか」
「はい。なにしろずっと提げていただけで、一度も使用していないので。なんにも問題はありませんでした!」
「……」
にこやかに嘘をついたあと、正面に立ったアルノルトに一歩近付く。
けれどもアルノルトが手を伸ばし、その剣を受け取ろうとした瞬間に、リーシェは思わず口にしていた。
「――――それにしたって、美しい剣……」
「……」
彼の手が、ぴたりと止まる。
「予備の剣とのことでしたが、殿下が普段お使いのものと同じ造りですよね? 鞘や柄は気品のある装飾なのに、シンプルで扱いやすくて。きっとお手入れも簡単で」
「……」
「少しだけ鞘から抜きましたが、この造りは見事としか言いようがありません。ガルクハインの鍛冶職人は優秀と聞いていましたが、見るほどにそれを痛感します」
「…………」
「これほど丹念に鍛えられた刃先は、きっと切れ味も鋭いのでしょうね」
その切れ味の良さというのは、リーシェが身をもって実感している。
あのときは、心臓が肋骨に護られている意味なんて、まるで感じられないほどだった。
「黒色で、滑らかで、まるで濡れた氷みたいに透き通って見える刃……」
「――……」
両手で持ったその剣を、リーシェはほうっと見つめてしまう。
すると、何かを考えるような沈黙のあと、無表情のアルノルトがこんな風に口を開いた。
「………………欲しいのか?」
「!!」
リーシェはぱっと顔を上げ、大慌てでアルノルトに問い掛ける。
「どうして私の心情がお分かりに!?」
「これまでの何をねだられた時より、明らかに物欲しそうな顔をしている」
「……!」
そんなに分かりやすかったかと驚くが、アルノルトの指摘した通りだった。
(だって、こんなに見事な造りの剣、騎士人生ですら見たことがないんだもの……!)
けれどもそれは当然かもしれない。
ガルクハインは軍事大国である。その土壌によって育まれた鍛冶職人が、剣術の天才である皇太子のために作った剣なのだ。
「ご、ごめんなさい。素敵な剣で見惚れていたのは確かですが、おねだりするつもりはないのです」
「なぜ? 欲しいものがあるならば、俺にいくらでもねだれと言った」
「だって、どう考えても高価なものですし……」
アルノルトは平然と貸してくれたが、本来は気軽に扱える品ではないはずだ。以前の懐中時計といい、今回の剣といい、借りるこちらがそわそわしてしまう。
けれどもアルノルトにとって、そんなものは重要ではないのだろう。
「お前に物を贈るのは、いつも苦労するからな」
「う……」
にやりと笑ったアルノルトに顔を覗き込まれ、リーシェはちょっとだけ身を引いた。
「欲しいものを言えと尋ねて、『畑』と返ってくるなら良い方だ。お前は悩みに悩んでいるようだが、その末に出てくるものがささやかすぎる」
「……侍女のみんなと食べるお菓子も、お部屋に飾るお花も、立派な贅沢品ですから……!」
アルノルトの言う通り、リーシェが何かを買ってもらうことは非常に少ない。
それなのに、度々「何か欲しいものは」と訊かれてしまうので、リーシェは懸命に考える羽目になるのだった。
だって、理由もなく贈り物をされるのは落ち着かないのだから、仕方なく安価なものをねだるしかないのだ。
「もう一度聞くぞ。……お前は、俺のものと同じ剣が欲しいのか?」
「ううう……!」
その美しい顔を近づけて、楽しそうに訊くのはずるいと思う。
リーシェは困ってしまうものの、あらゆる意味で抗えず、最後には頷くしかなかった。
「欲しいです……」
「ふ」
満足そうに笑ったあと、アルノルトがリーシェの持っていた剣を手に取る。
「分かった。作らせよう」
「え……!」
「一流の鍛冶師を指定して、お前の腕力と背丈に合ったものを用意する。皇都に戻ってからにはなるが、それまでは――」
「……」
アルノルトの話を聞きながら、リーシェは自分の足元を見た。
それから思わず手を伸ばし、アルノルトの袖を小さく掴む。
「新しい、剣じゃなくて」
呟いた声は、我ながら我が儘な子供のようだ。
「アルノルト殿下がお持ちの剣を、そのままお下がりで使いたいです……」
「……………………」
その瞬間、室内はしいんと静まり返った。
リーシェが俯いているために、アルノルトの表情は分からない。
けれども数秒の間を置いて、リーシェははっと息を呑む。
(…………いま、ものすごく恥ずかしい駄々を捏ねてしまったような……!!)
それに気付き、耳の先まで熱くなった。
「ち……、ちがっ、違うのです!! 変な意味ではなく、アルノルト殿下が実際にお使いの剣だからこそ、私にとっても特別に感じるというだけで……!」
「……」
「幸運が宿っていそうな気がするし、力が湧きそうに思えるので! なんというか、そう、お守り! お守りです!!」
「…………」
詳細を説明すればするほど、訳の分からないことを言っているような気がする。
リーシェを見下ろすアルノルトは、感情の読めない無表情だ。
けれども彼は、やがて静かにこう言った。
「……分かった」
「!」
大きな手が、ぽんっとリーシェの頭に乗せられる。
頭を撫でられて、リーシェはぱちぱちと瞬きをした。
「よ……よろしいのですか?」
「お前が欲しいと言うのなら、それをやらない理由はない。……こちらの剣でいいのか?」
「は……はい! 予備と仰っていた、剣の方で……」
使用した痕跡は見受けられるので、新品という訳ではないのだろう。恐らくは、アルノルトがいま使っている剣の前に使用していた、正真正銘のお下がりなのだ。
「ほら」
「……!」
アルノルトに渡された剣を、リーシェはぎゅうっと抱き締めた。
(不思議)
咄嗟に口走った説明だったが、本当に力が湧くような気がする。
最強の剣士が使っていた剣を、こうして手元に置けるというだけで、あらゆる幸運が降り注いでくるような心地がした。
「ありがとうございます、アルノルト殿下……!」
「……」
幸せいっぱいに笑ってそう告げると、アルノルトは何故か少しだけ目をみはった。
けれどもその後で息を吐き、リーシェの頭を撫でながら言う。
「……実際に使用するのは許可しないからな。お前の体格に合わない剣だ、あくまで飾りとして手元に置け」
「それに関しては大丈夫です。怠惰な暮らしを送るにあたって、剣が必要になることなんてそうそうありませんし!」
「…………」
「な、なんですかその胡乱げなお顔は!?」
信用されていない予感に慌てるものの、リーシェの目標は『のんびりゴロゴロと怠惰な生活』だ。そんな人生には当然ながら、剣なんて登場しないものである。
(……だとしても)
リーシェはわくわくした気持ちで、大切なその剣をきらきらと見つめた。
(これは、私にとっての宝物だわ)
そのあとに、今世で最初の宝物である指輪を眺め、どちらもアルノルトから貰ったものであることにくすぐったくなるのだった。




