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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜4章〜

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143 ガルクハインの不幸な花嫁

 その小さな廃教会は、街の中央に大きな教会が建てられたことにより、人々の記憶から忘れ去られたかのようだった。


 女神像が撤去され、がらんどうになった講堂の会衆席には、うっすらとした埃が積もっている。

 ラウルは、その背凭れに腰掛けて、膝の上に頬杖をついた。


 ファブラニアの女騎士たちはラウルに背を向け、お互いだけで準備を進めている。ラウルはその光景を眺めながら、のんびりとした口調で茶々を入れた。


「おたくら、ちょっと集まってくるのが遅いんじゃない?」


 狙い通り、女騎士たちはラウルを睨んでくる。


「黙りなさい。あなたと違って、こちらは陛下のご命令を遵守せねばならないのです」

「ピリピリしてるなあ。ま、そりゃそうか」


 ラウルは笑い、ちらりと後ろを振り返る。


「……ハリエットを上手く殺さないと、ガルクハインに罪をおっかぶせるのに不都合だし?」


 講壇には、後ろ手に縛られたハリエットが、力なく項垂れるように座っていた。


 騎士たちは不愉快そうに、ラウルのことをきつく睨んだままだ。


「言葉が過ぎますよ。あなたがどうしてもと頭を下げるから、計画の一員に加えてやったことを忘れないように」

「お言葉だな。そっちこそ、俺がカーティスの偽物だってことに気付かなかったくせに? 俺がファブラニアの味方だったから良かったものの、もしシグウェル国からハリエットを助けに来た立場だったら……」

「黙れ、と言ったはずです」


 彼女たちにとっても、失態だったという自覚はあるらしい。ラウルは笑い、廃教会の中を見回した。


「なんでもいいけど、さっさとファブラニアの騎士全員ここに連れて来いよ」


 ここにいるファブラニアの女騎士は、全部で二十人だ。

 集まっていないのは、残り十人ほどだろうか。ラウルはこきりと首を回しつつ、冗談めかして言う。


「なにせ、ガルクハインの皇太子さまに喧嘩売ってきちゃったからな。俺がファブラニアに逃げ切るまで、おたくらに守ってもらわなきゃ困る」

「……ふん。卑怯者の、狩人風情が」

「その言い方はひどいだろ。ハリエット誘拐の功労者に向かってさ」


 とはいえ勿論ラウルにも、細かいことを言うつもりはない。じとりとした視線を浴びながら、ラウルは椅子の背凭れから降りる。

 そして、軽い足取りでハリエットに近付くと、彼女の前にしゃがみ込んだ。


「ハーリエット。泣いてんの?」

「……ラウル。どうして、こんなことを……」


 ハリエットが震えながら顔を上げ、ラウルは意外に思う。

 彼女は怯えてはいるものの、どうやら、涙を流して泣いていたわけではないらしい。


(驚いたな。こいつのことだから、絶対に青褪めて混乱して、泣き続けてるって決めつけてたけど……)


 そう思いつつも、冷めた表情をハリエットに向ける。


「『どうして』はこっちの台詞だよ、ハリエット。お前、どうしてファブラニアを裏切るような真似をした?」

「……っ」

「ウォルター陛下から預かった金貨を、あのお嬢さんに渡しちゃったりしてさ。……あのお嬢さんなら、あれが贋金なのを見抜いて、助けてくれるかもしれないって期待したみたいだけど」


 実際にあのリーシェという少女は、その事実を探り当ててしまったのだ。

 あれには、さすがのラウルも驚いた。


「王女の癖に悪い子だ、ハリエット。そんなことしたら、ファブラニアに守ってもらえなくなって、シグウェル国が困るって分かってたよなあ」

「う、うう……っ」

「だってシグウェル国には、せいぜい造本技術しか得意なことがない。同盟国と助け合わなきゃいけなくて、同盟の代表であるファブラニアに睨まれたらお終いだ。……俺たち『狩人』は、あくまで金で雇われた傭兵集団で、お前たちに忠誠を誓った騎士でもないんだから」


 ファブラニアの女騎士たちが、ラウルの言葉へ便乗するように、侮蔑の視線をハリエットに向ける。


 一介の騎士ですら、王族であるはずのハリエットを見下しているのだ。

 ファブラニアという国の王室が、シグウェル国のことをどれほど見下しているのか、騎士を見るだけでもはっきりと分かる。


 その国へ花嫁修業に行き、不当な扱いを受けてきたであろうハリエットは、しばらく会わないうちに痩せていた。


 ラウルは、蒼褪めたハリエットを眺めながら、ひどくつまらない気持ちで続ける。


「お前が気弱なのは分かるけど、ガルクハインを騙すなんて簡単だっただろ? 罪悪感を我慢して、適当に買い物でもしとけばよかったんだよ。たったそれだけで、お前はファブラニアの王妃として、きっと認めてもらえたんだぜ?」

「……っ」


 ハリエットが息を詰めた気配がする。

 そして彼女は、ふるふると首を横に振った。


「つ……使わない」

「……」


 彼女は、何かを覚悟したように、拙くともゆっくりと話し始める。


「偽の金貨を使えば、私の『欲しかったもの』が手に入るって分かってた。きっと、ウォルター陛下に、よくやったと褒めていただける。『利用価値がある』って、そう思っていただける……でも、それは駄目」


 震える声が、怯えながらも紡ぐ。


「買い物なんか、出来ない。……偽の金貨は、一枚でも市場に出てしまったら、終わりだもの」

「……へえ?」

「それだけで……その国に流通する全部の金貨が、信じられなくなっちゃう。たった一枚でも、金貨の信用が失われて、経済が駄目になって……」


 ラウルは口を噤み、ハリエットの小さなつむじを見下ろした。


「り……リーシェさまに、助けてもらいたくて、あの金貨をお渡ししたんじゃない。だって、私なんか、助けていただく資格ない……!」


 そしてハリエットは、覚悟を決めたように、拙くとも紡いでゆく。


「そんな私を、リーシェさまは、お友達だと言って下さったの」

「……」


 あの少女であれば、確かに言いそうな言葉だった。


 人を見る目はありそうなのに、人を疑うことを知らなさそうな、矛盾した性質を持ち合わせた少女なのだ。


 出会ってほんの数日だが、観察していればすぐに分かる。


「ファブラニアのことは、絶対に、ガルクハインに伝えないと。……作ろうとしているのは、ガルクハインの金貨だけじゃない。他にも、たくさん」

(……知ってるよ)


 あの国が目論んでいることくらい、ラウルだっておおよそ把握している。


「それでもお前さえ黙っていれば、ファブラニアは贋金で豊かになって、シグウェル国も恩恵にあやかれた」

「そんなわけないって、たくさんの本に書いてある……! 他の国に迷惑をかけて手に入れた豊かさなんて、すぐさま消えてしまう……その苦しみを最初に背負わされるのは、国民たちで」


 震える声が、それでもはっきりと言う。


「ガルクハインに迷惑を掛けないためにも、無辜の国民を守るためにも。私は、ファブラニアには、従えない……」


 ファブラニアの女騎士たちが、ハリエットを忌々しげに睨みつける。

 ハリエットの肩がびくりと跳ねた。だが、オリーブ色をした彼女の瞳は、真っ直ぐにラウルを見上げている。


「王女に生まれたんだから、思い通りに生きられる訳はないって、分かってるの。だけど」


 勇気を振り絞るような声が、はっきりと言った。


「罪のない国民を苦しめるようなことだけは、たとえ殺されても、しないって決めた……!!」


 怯えてばかりだったはずのハリエットが、いつのまにそんな決断をしたのだろう。


 考えてみたけれど、きっかけとなった存在は明白だ。


 ハリエットに自信を与え、誇りを取り戻させ、前を向かせた少女の存在が脳裏に浮かぶ。


「……考え無しの、馬鹿なお姫さま」


 ラウルは、心の底から溜め息をついた。


 ここにいるハリエットは、丘の上にある城で起きていることを知らない。

 あのリーシェという少女が、すぐさま贋金について見抜いたことや、ハリエットを救いたいと言っていたことを。


 そして、ラウルが彼女に痺れ薬を飲ませたこともだ。


 自嘲めいた気持ちになりながら、意地悪くハリエットに問い掛けた。


「その結果、いまの状況はどうなってる?」

「……っ」

「ファブラニアの騎士たちに事が知れて、計画はお前の殺害に変更された。――それが遂行されれば、お前を死なせたガルクハインは、ファブラニアやいろんな国から糾弾されるだろうな」


 もちろん、状況をきちんと見定めようとする国だってあるだろう。


 しかし、この出来事は間違いなく、ガルクハインの汚点となる。


 国内で他国の王族が殺されたあとに、皇太子夫妻の婚儀なんて行えるはずもない。

 彼らの婚姻は延期となり、賓客も守れなかった国として、各国は噂を交わすはずだ。


 その未来を想像しながらも、ラウルはぼんやりと思い出した。


『いつだって嘘を吐き続けろ』


 幼かったころ、ラウルは何度もこう言い聞かせられたのだ。


『いまのうちに、自分自身の望みや希望なんか捨てておけ。……いいな、ラウル』


 白髪の老人は、狩人集団の先代頭首を務めていた人物だった。


『自分の心は邪魔になる。真実の感情は足を鈍らせる。完璧な影に化けるには、そうやって嘘を飼い慣らすことだ』

『うん。分かってるよ、爺さん』


 それをきちんと理解していたから、ラウルは素直に頷いた。


 なにしろ老人に拾われるまで、自分ひとりで生きてきたのだ。


 ラウルの一番古い記憶といえば、路地の隅で亡くなった母親の、汚れた指先を見つめていた夜のことである。

 それ以来、生きるために必死で覚えたのは、大人を観察することだった。


 食べるものや小銭を乞おうとしても、見込みのない相手にねだっては意味がない。

 だからラウルはじっとして、道行く人々のことを眺めたのだ。


 彼らの懐に余裕はあるか。

 いまはどういう気分でいるか。


 どのような振る舞いが好きそうで、何をすればラウルを救ってくれるか。


 毎日それを調べながら、様々な振る舞いを試行錯誤した。


 そうすると、色んなことが分かってくる。

 その大人が欲しいものや、願いそうなこと。どんな媚び方に弱くて、何をすれば断れないのか。


(嬉しくなくても笑え。悲しくなくても、涙を流して泣きじゃくれ)


 幼いラウルは、自分に言い聞かせ続けていたのだ。


(……そうやって嘘をついてれば、とりあえず明日もパンが食える……)


 きっと、そんな生き方が性に合っていたのだろう。


 あるとき出会った先代頭首は、ラウルの嘘を見抜いた上に、引き取って自分が育ててやると言った。


 代わりに、狩人としての技術を身につけて後を継げと、そんな風に命じられたのだ。


『ありがとう。俺のこと、気に入ってくれて嬉しい。俺、精一杯頑張るから』


 ラウルはそう言って、先代頭首に笑顔を見せた。

 けれども別に、本当は、まったく嬉しくなんてなかったのだ。


(これからは嘘をついて、笑って爺さんについていけば、毎日飯が食えるんだ。……ああ、本当によかった……)


 あのときの安堵を、ラウルはいまでも覚えている。


 嘘をつき、自分を偽り、気に入られるように振る舞っていれば飢えることがない。

 重要なのはそれだけだったから、先代頭首の元に行ってからも、言われるがままに鍛錬をこなした。


 褒められたら嬉しそうなふりをし、叱られたら反省したふりをする。


 大人のことを必死に観察し続けてきたお陰で、護衛対象そっくりに振る舞う『身代わり』も、どんどん上達していった。


(でも)


 背丈が伸びていくにつれ、時々ふっと疑問がよぎるのだ。


(……俺って、どういうことを嬉しいって感じるんだっけ……?)


 それがよく分からなくなってきたころ、ラウルはとある国で、王女の護衛をすることになった。


 期間にすれば一年ほどに過ぎない、ほんのひとときの短い間だ。


 ラウルはそのとき十一歳ほどで、あの姫は確か、十六になったばかりだったと思う。


『ラウル。ラウルはどんなことを幸せだって感じる?』


 屈託なく笑い、そんな風に問い掛けて来る王女を、ラウルは煩わしく思っていた。


(幸せなんて、『影』である狩人に必要ない)

『それと、どんなものが好きかしら? ラウルが食べたいものを、料理人に言って作らせたいの』

(好きなものだっていらない。……そんなものを自覚したら、嫌いなものまで自覚しちゃうだろ)

『ね、ラウル? 私、もうすぐ政略結婚で他国へお嫁に行くのよ。この国であなたたちと過ごせるのも、ほんのちょっとの期間なの』


 金色の髪をなびかせた王女は、その髪を耳にかきあげながら、寂しげに微笑んだ。


『それまでに、あなたの本当の笑顔が見られるといいのだけれど』

『……お優しい姫さま。あなたはどうして、俺なんかにそんなことを望むんですか?』


 へらへらと笑いながら尋ねれば、彼女はラウルの頭を撫でた。


『それはね。嫁ぎ先で、少しでも幸せでいたいから』

『……?』

『私が政略結婚をしたことで、この国のラウルみたいな子供たちが、幸せになれたって信じていたいから』


 彼女の微笑みには、ほんの少しの翳りがあったように思う。


『そう信じていられれば、私はきっと、嫁ぎ先でも幸せを感じていられるはずなの』


 あのときのラウルは、王女がどうしてそんなことを言うのか、まったく分からなかったのだ。


 観察していても正体が分からないなんて、その王女が初めてだった。

 そのことが、最初は嫌で仕方がなかった。それなのに、やがて「知りたい」と思うようにもなったのである。


 随分と久し振りに実感した、『自分自身の感情』だ。


 誰かに気に入られるためでもなく、誰かのふりをするために抱いたのでもない、そんな純粋な気持ちだった。


 だから必死に観察した。彼女の傍にいるため、護衛を外されたりしないよう、狩人としての鍛錬をそれまで以上に行いながら。


 彼女の願ってくれていた、『ラウルの本当の笑顔を見せること』だなんて、まったく眼中になかったのだ。


(俺が笑うかどうかなんて、あの人の幸せに関係ないだろ?)


 だが、主君を幸せにしたいというそんな願いも、大それたことだと理解していた。


(あの人を幸せにするのは、あの人の夫になる男だ。……だから、あの人が嫁いで行く日まで、命をかけて守らないと)


 そして一年後、彼女は嫁いで行ったのである。


 嫁ぎ先は大国で、王女との婚姻を望んできたのは、相手国の皇帝だと聞いていた。


 望まれて花嫁になったのであれば、きっと幸せになれるのだろう。

 たとえ政略結婚であろうと、彼女が望んだ通りにきっと笑っていられる。


 そんな風に、信じていたのだ。

 けれど、そんな考えは甘かったのだと、ラウルはすぐさま思い知ることになる。



『――あの方が、自ら命を絶たれたらしい』



 頭首から訃報を聴いたのは、それからたった一年後のことだった。


『狩人のひとりに探らせた。相手国からは病だと知らされていたが、それは偽りだ』

『どうして自害など。ひょっとしたら、死産でお生まれになったという御子のことで、お心を痛めた末に……?』

『いいや、ご出産前からひどく痩せほそり、弱っていらしたという情報もある。嫁ぎ先で何か辛い思いを……』


 頭首を含めた狩人たちは、ひそひそと互いに囁き合う。

 聴覚に優れたラウルの耳は、すべてを余さず拾っていた。


『この国が攻め込まれずに済んだのは、あの方が政略結婚をし、すべての不幸を背負って下さったからだぞ』

『……』


 どうやら王女が嫁いだのは、人質に選ばれたからだったらしい。


 望まれて花嫁になっただなんて、そんな幸福な話ではなかった。


 だからこそ彼女は、嫁ぎ先で気丈に振る舞うための希望として、ささやかな願いを集めていたのだろう。


『おいたわしい。……きっと、あの方にとっては、死よりも辛い環境だったのだろうな』


 頭首はぽつりと口にした。


『――嫁ぎ先の、ガルクハインという国は』







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― 新着の感想 ―
[一言] 生まれた子が黒髪でなかったと言うだけで 目の前で剣で刺し殺された赤子の母親の一人だったんだろうな
[良い点] 「罪のない国民を苦しめるようなことだけは、たとえ殺されても、しないって決めた……!!」 ハリエット、立派です!! 普段気弱な人が勇気を振り絞って正しいことをしようとするのは感動しました。…
[一言] > (……俺って、どういうことを嬉しいって感じるんだっけ……?) そうそう、そうなっちゃう。 親の顔色伺ってばかりだと、自分の本当の気持ちが分からなくなってしまう。後から気づいて愕然としま…
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