141 狩人は獲物を欺く
「うそうそ。本当は、嫌な予感はしてたんだよなあ! あんな愚鈍な姫さまを相手に、あんたは随分とお優しかったから。ハリエットがすっかり懐いてしまって、全部打ち明けてもおかしくはない」
「……」
ラウルは膝の上に頬杖をつくと、にやにやとリーシェを眺め始めた。
「俺はあんたの言う通り、贋金の情報を掴んでた。それだけじゃなく、ファブラニア国王のウォルターが、ハリエットの騎士に命じた内容もな」
(……やっぱりシグウェル国の王室は、ファブラニアの調査を『狩人』たちに命じていたのね)
けれども五度目の人生で、贋金の話なんか聞いたことはない。
ラウルは知り得た情報を、きっと王室に報告していなかった。
「あの騎士たちは当然、ハリエットに他人を近付けるなという命令を受けていた。兄のカーティスが許されるのは、贋金のことを知ったところで動けないからだ。ファブラニアに差し出した王女が人質にされる以上、シグウェル王室は口をつぐむしかない」
「シグウェル王室には何も出来ないから、贋金のことを報告しなかったというの?」
「どうかなあ。……それと、他にも面白い命令があってさ」
ラウルは言い、顔の横で二本の指を立てる。
「ハリエットが贋金をちゃんと使うよう、ちゃんと行動を見張ること。部屋に忘れたふりって手段でも、二度目は見逃されなかっただろうな」
「……」
「それからもうひとつ。これからの話には、こっちの方が重要だ」
赤色の目に、鋭い光がちりっと揺れた。
「贋金の存在が、ガルクハインに知られたら。――そのときは、ハリエットのことを殺してしまえ、ってさ」
「……!?」
その言葉に、リーシェとオリヴァーは息を呑む。
「どうして、ハリエットさまの殺害なんて……」
「もちろん口封じだけじゃない。ハリエットの護衛を買って出たあんたなら、その理由も想像つくんじゃない?」
リーシェは眉根を寄せ、想像した内容を口にした。
「……ハリエットさまがガルクハイン領で殺されれば、当然ガルクハイン側も責任を問われるわ」
「その通り! 哀れ、愛する婚約者を失った国王ウォルターは、嘆き悲しんでガルクハインを糾弾するだろう。……その賠償として、莫大な金額を要求したり、代わりの花嫁を差し出すように詰め寄っても来るかもね」
たとえそういった事態になっても、皇帝やアルノルトが応じるとは思えない。
「――ひどい浅知恵だな」
ぽつりと声を零したのは、リーシェの傍に立つオリヴァーだ。
穏やかなのに、ひどく冷め切った声音だった。ラウルは面白そうに、くつくつと喉を鳴らして笑う。
「まあ、どれだけ俺が語ったところで、こんなのは『カーティスの偽者』による与太話だ。こんな馬鹿げた計画、ファブラニア王室が考えていたなんて、国際社会じゃあ信じてもらえないだろうなあ」
「……ラウル、あなた……」
リーシェは言葉を発しかけたあと、ゆっくりと右手で口元を覆った。
「リーシェさま?」
オリヴァーの強張った声がする。
リーシェはそれに返事をすることなく、口元を押さえたままぎゅうっと目を瞑った。
「お。そろそろ薬が効いてきたか?」
「……貴様。リーシェさまに何を飲ませた?」
オリヴァーの放った殺気により、頰にぴりぴりと痛みを感じた。
「オリヴァー、さま」
「!」
リーシェは手を伸ばし、オリヴァーの着ている上着をぐっと握り込む。
すると、彼が驚く気配が伝わってきた。
「あんたはこれから意識を失う。そろそろ手足も痺れてきて、まともに話せなくなる頃合いだろ」
「……っ、ラウル、あなた……」
「いまごろハリエットは、ファブラニアの騎士と、シグウェルの騎士……つまりは俺の部下によって、城外に連れ出されてる」
リーシェがぐっとラウルを睨むと、彼は軽やかに肩を竦めた。
「俺がハリエットを救い出そうとしているだって? 買い被りもいいところだ。俺はハリエットの首を手土産に、ファブラニアへ転職するつもりだったってわけ」
「……っ」
「俺とあんたが話しているあいだ、ファブラニアの騎士からハリエットを守るために、シグウェル国の騎士を見張りにつけさせたんだろ? ――でも残念。俺はシグウェル国を裏切った身であり、ファブラニアとグルなのでした、と」
ラウルが立ち上がり、大きく伸びをする。
リーシェは浅い息をつきながら、言葉でラウルに追い縋った。
「やっぱり、侍女たちが見た『幽霊』は……」
「俺の部下だよ。城で不審者が目撃されれば、街中の警備を城内に回すだろ? お陰でヴィンリースの街にはいま、そっちの騎士なんざ殆どいない」
「……」
リーシェがぎゅうっと身を丸めたのを見て、ラウルは小さく息を吐く。
「随分と体調も悪そうだ。……これで、アルノルト・ハインの動きを混乱させるくらいは出来るかな」
「待て。貴様をこの部屋から出すわけにはいかない」
「やなこった」
ラウルは再び舌を出す。
けれども彼が向かうのは、廊下に出る扉などではない。迷わず窓辺に歩み寄ると、開け放して窓枠に足を掛ける。
「楽しかったぜ、お嬢さん。また会える日が来たのなら、そのときは可愛く笑った顔を見せてほしいもんだ」
「ラウル……!」
「じゃあな。ばいばい」
そう言ってラウルは、三階の窓から飛び降りた。
「くそ――」
オリヴァーが舌打ちし、項垂れたリーシェの前に膝をつく。
「リーシェさま。……リーシェさま、お加減は……!」
「はい、大丈夫です!」
「!!」
リーシェはぱっと顔を上げると、けろりとした顔でオリヴァーを見上げた。
「私の演技に合わせていただき、ありがとうございました。事前にお話した手筈通り、少し泳がせた後でラウルを追いましょう」
「で、ですが、リーシェさま」
明らかに戸惑った顔のオリヴァーが、信じられないという顔でリーシェを見る。
「本当に問題ないのですか? あの男の言い分では、薬の類を盛られたと……」
「ええ。恐らくそう来ると想定して、事前に解毒剤を飲みましたので」
リーシェはにこっと微笑んで立ち上がり、ドレスの裾をひらりと摘む。
まったく不調はなく、異変も起きていないことが、これで少しでも伝わるだろうか。
(こんなとき、ラウルが使ってきそうな手段は熟知しているもの)
方法そのものだけではない。
用意するであろう薬の種類や、その用量。『効いたふり』をするにはいつくらいが信用されるかも、罠の類も。
(五度目の人生における五年間。……誰より近くで、ラウルによる『狩り』を学んで来たわ)
リーシェは、呆気に取られているオリヴァーに告げた。
「効いた演技をした結果、ラウルは私を封じられたと思っているでしょう。……それと何故か、アルノルト殿下の動きについても」
油断している隙に詰めるべく、わざと薬入りのお茶を飲んだのだ。
小さなバッグから地図を取り出し、ヴィンリースの港町を俯瞰して眺める。
「オリヴァーさま。騎士の配置をお任せしてしまいましたが、仔細をお伺いしてもよろしいですか?」
「え、ええ……。ここ数日、城内に偏って配置されていた騎士たちを分散させております。ヴィンリース内の各所に騎士がおりますので、不審な動きがあれば狼煙での報告が上がるかと。起点となる場所に印をつけます」
「さすがです。この数と位置であれば、大抵の異変には気付けますね」
現在の状況は、ラウルの言っていた『城内の警備を優先し、街中が手薄な状況』とは異なる。
それもこれも、リーシェの無茶な要望を汲み、アルノルトの代理で騎士を動かしてくれたオリヴァーのお陰だ。
「私を信じて下さって、ありがとうございます。オリヴァーさま」
そう言って深く頭を下げると、オリヴァーはやはり驚いたようだった。
「……リーシェさま。あなたは、あのラウルという男と話す前には、すでにハリエット殿下のご不在を確かめていらっしゃいましたよね」
オリヴァーの言う通りである。
実のところ、リーシェは贋金のことに気が付いた直後、真っ先にハリエットの部屋を探りに行ったのだ。
扉から近付くのは怪しまれるので、四階に用意したリーシェたちの部屋の窓から、ロープを使って壁を降りた。
そして、三階にあるハリエットの部屋に、彼女の気配がないことを確認したのだ。
その時点で、取るべき手段をハリエットの保護ではなく、救出の方に切り替えた。
ハリエットの居場所を探るには、ラウルを逃がすことが必要だ。それを手伝ってくれたオリヴァーは、リーシェに尋ねてくる。
「あの男にハリエット殿下の護衛強化を依頼したのは、殿下誘拐に気付いていないふりをし、油断させる作戦ですか?」
「作戦というより、ほとんどおまじないのようなものですが。彼の配下に同席されるよりは、無人の部屋を守っていてもらった方が都合も良いので」
そう言って、リーシェはにこっと微笑んだ。
「……あなたは……」
「な……なんでしょう?」
リーシェが瞬きをすると、オリヴァーは柔らかな笑みを浮かべる。
「……いいえ。ただ、リーシェさまと我が君のご結婚が、今後ますます楽しみだなと」
「!?」
この流れで、一体どうしてそんな流れになるのだろうか。
リーシェは内心で慌てつつ、表面上はなんでもない風を取り繕った。




