140 悪女と呼ばれる王妃の思惑
やはり、ラウルもこのことに気が付いていたのだ。
金貨が新しすぎること自体は、これが偽物である根拠にはならない。
しかし、アルノルトにもらった両替所の記録を見れば、この金貨の存在はやはり不自然だった。
この情報は元々、両替記録から貿易の状況を知ることで、ガルクハインと各国の取引動向が探れないかと思って依頼したものだ。
それを見ると、ガルクハインの金貨が一定額以上のファブラニア金貨と交換された記録は、ここ数年では存在しない。
大きな貿易を行っておらず、最も近い港においてまとまった両替の記録もない相手国が、新品の金貨を麻袋いっぱいに保持しているのは不自然だ。
疑いさえ持てば、鑑定することで本物かどうかを見極めることが出来る。リーシェは過去の人生で、商人として何度も物の真贋を確かめて来た。
ここにあるのは間違いなく、法定の黄金量を含有していない、安価に作られた贋金だ。
「この金貨の作成には、ファブラニア国が関わっているはずよ。ハリエットさまの意思で用意できたとは、到底思えない」
なにしろハリエットは、読む本の種類すら制限されているのだ。
ささやかな自由すら許されない彼女に、独断で贋金を作ることは出来ない。
ラウルはぞんざいに足を組み、その上に頬杖をついて笑った。
「まったく不思議だなあ。ファブラニア国が、なんのためにガルクハイン金貨を作るんだ?」
分かっているのに尋ねてくるのは、リーシェを試すためなのだろうか。
「贋金を作る原料は、その貨幣の額面価格よりも安価に抑えられるわ。つまりは安い素材を使って、高価な品が手に入れられる」
「ふむふむ。つまりファブラニア国は、ガルクハインでお金持ちになりたくてこんなことをしたと」
「……国家が他国の贋金を作る場合、狙える効果はいくつかあるわね」
未来のことを思い出し、リーシェは顔を顰めながら言った。
「贋金の流通は、相手国の経済的な消耗を招く」
「……」
贋金が流通してしまうと、経済は非常に混乱するのだ。
未来でも、ちょうどそんなことが起きていた。いくつかの国で贋金が発見され、貨幣そのものへの信頼度が下がってしまい、些細な金銭のやり取りでも真贋の確認が必要になったのである。
その国々の経済は、あっという間に鈍化した。
他ならぬファブラニアの国内にも、贋金の流通が確認されていたはずだ。
これまでの人生では、『悪しき王妃ハリエットは、贋金を作らなければならないほどに民を困窮させた』という風説が語られていた。
(……きっと、ハリエットさまが『諸外国から宝石類を買っていた』という行為そのものは、事実だった)
リーシェはぎゅっとドレスの裾を握り締めた。
(けれども正しくは、『そうしろと国王に命じられていた』のではないかしら。決して贅沢をしていたのではなく、『相手国の贋金を使って、相手国の所有する財産をファブラニアのものにするため』に……)
現にファブラニア国王は、ガルクハインへ向かうハリエットに贋金を渡し、『存分に買い物をしてくるよう』と伝えている。
(かつての人生で耳にしたハリエットさまの噂では、国内でなく、国外の品々ばかりを買っていたと聞くもの。宝石もドレスも、国内からだって手に入るはずなのに)
その理由こそ、他国に贋金を流し、その贋金で財を奪うためなのだろう。
(ファブラニア王室による、ファブラニアを豊かにするための、他国の贋金。……あまりにも、目先の利益しか考えられていない)
アルノルトは、ガルクハインの経済を守るための策として、金銀の不足による他国の困窮が起きない方法を取ろうとしている。
自国が豊かでいるためには、取引相手となる他国も豊かでなくてはならないのだ。
それに対し、ファブラニア側が取ろうとしているのは、いずれ自国をも追い詰めかねない悪手だった。
(事実、ファブラニアの経済は、五年後には完全に破綻してしまっている)
ファブラニアはそれを、『王妃ハリエットが散財し、国庫を潰した為』だと罪を着せて、国民の悪感情を処理するための生贄にした。
(ハリエットさまが処刑されたのには、口封じの意味もあったように思えるわ。……『罪人』であれば、ハリエットさまが贋金のことを告発しようとしても、その信憑性が薄れるもの)
これまでの人生の彼女を思い、胸が締め付けられる。
(国民が飢える中でも、ファブラニア王室にはたくさんの財が集められていた。……だからこそ五年後、シグウェル国などを傘下に加えた上で、ガルクハインとの戦争に参加することが出来ている)
そのことを思えば、やはりファブラニア王室の本懐は、国民の飢えを解消させることよりもガルクハインへの戦勝だったのだろう。
「商人を呼んでの買い物の際、ハリエットさまはずっと怯えたご様子だった」
「……」
「けれどもそれは、侍女長さまに叱られたからでも、高価な買い物が怖かったからでもない。……恐らくは、『婚約者の命令通り、贋金を使わなくてはならない』という恐怖心」
そう考えると、彼女が昨日犯した『失敗』にも納得がいく。
「昨日の夕刻、街へ買い物に出た際に、ハリエットさまは『自室にガルクハイン金貨を忘れた』と仰ったの。取りに戻るのも時間が掛かるから、そのときはお手持ちのファブラニア金貨と両替することになったわ」
「……ふうん」
「けれどもあれはきっと、本当に忘れたのではなくて。……たとえご自身が叱られようとも、ガルクハインの贋金を使用しないために、咄嗟に取った行動だったのではないかしら」
ハリエットはあの買い物の前、侍女に用意させるのではなく、自分で支度することを申し出ていた。
その結果に金貨を忘れたということで、侍女長に呆れられていたのだが、実際はわざとそうしたように思えるのだ。
「きっとハリエットさまは、私に罪を着せようとしたのではない」
目の前のラウルに、はっきりと告げる。
「むしろあの方は、告発しようとなさったはず。ファブラニアと……そして、ご自身がしようとしていることを」
「――……」
その告発を決意したのは、昨晩のことなのだろう。
けれどもファブラニアの騎士たちが入室し、リーシェに打ち明けることは出来なくなった。
「ファブラニアの騎士たちは、『騎士の立ち会いなく、兄君と侍女以外の他人と会わないように』とハリエットさまに告げたわ。だからハリエットさまは、これが最後の機会だと思い、この麻袋を私のバッグに入れたのかもしれない」
そして、ファブラニアがそこまでハリエットから他人を遠ざけようとするのも、ハリエットが秘密を話してしまわないようにという危惧からではないだろうか。
「オリヴァーさま。ファブラニア国王陛下は、アルノルト殿下の妹君との婚姻を望まれていたものの、その婚約は叶わなかったのですよね?」
「ええ。以降も何度かガルクハイン側との交友を望んで来てはいますが、皇帝陛下は興味がないご様子です」
未来のファブラニアは、ハリエットの罪状を盾にシグウェル国を従わせ、ガルクハインと戦争をするための兵力に加えている。
かの国の動機には、自国の利益だけでなく、ガルクハインへの敵意もあるようだ。
アルノルトの妹姫との婚約を断られたことへの逆恨みや、プライドを傷付けられたということもあるのかもしれない。
(過去の人生では、ガルクハインとファブラニアの関係はそれほど友好ではないままだった。貿易もそれほど盛んではないから、ファブラニアの贋金がガルクハインに流れることは少なかったはず)
しかし今回は、ハリエットがシグウェル国の王女としてガルクハインにやってきた。
「オリヴァーさま。ファブラニアがガルクハインとの友好関係を望むのは、ガルクハインがもっとも近隣にある大国であることも影響しているかもしれませんよね?」
その問いに、オリヴァーは頷いてくれる。
「贋金の件が事実であれば、他国の財を略取し、困窮させることが目的でしょうから。大きな貿易が出来る大国相手なら、贋金による利益も増えます」
ガルクハインの金貨は現状、真似るのにさほど技術は必要のない意匠だ。
これまでも、幾人かの人間が偽造を目論み、それによって贋金が出回ったこともあるだろう。
しかし今回は、他国が国家規模でその犯罪を目論んでいる。
「ラウル。……あなたは、この贋金に気が付いたのよね?」
リーシェは、彼の赤い瞳を正面から見据えた。
「ハリエットさまが婚家の犯罪に巻き込まれてしまえば、ハリエットさま個人が不幸になるだけではないわ。そのうちに、きっとシグウェル国をも巻き込んで、国際的な大問題に発展する……」
事実、これまでの人生ではそうなった。
ハリエットの処刑後、ファブラニアは無茶な理論でシグウェル国に賠償を求めている。
書物以外の特産物がなく、同盟国に守られる形で国家を運営してきたシグウェルは、ファブラニアの要求に従うしかなかった。
賠償金が払えない代わりに、無謀ともいえるガルクハインとの戦争に参加させられるのだ。
あの戦争で多くが死んだし、ラウルも無事ではいないだろう。
シグウェル国の結末は分からない。だってリーシェは、そこで命を落としたからだ。
「だからあなたは、いまのうちにハリエットさまを救おうとしたのではないの? ……たとえ、王家の命令でなくたって」
「……」
ハリエットは、花嫁修行のためファブラニアに向かって以来、一度も自国に帰れていないと話していた。
彼女がこの国に来られたのは、『リーシェとアルノルトの婚儀』という祝い事のためだ。
この機会がなければ、ハリエットは自身の婚姻まで、兄のカーティスやラウルに会えていない。
つまりはこれまでの人生において、ラウルはハリエットの婚姻前に、救出が間に合わなかったのだ。
「ファブラニア国がハリエットさまの外出を許したのは、『ガルクハイン皇太子の婚儀のため』という名目があったから。この機会に、ガルクハイン金貨の贋金を流通させるよう、ハリエットさまに指示をしたはず」
ハリエットの参列は、ファブラニア国にとってまたとない機会だった。
そしてそれは、ラウルにとっても同様だ。
(この婚儀がなければ……私とアルノルト殿下が結婚しなければ、ラウルがこうしてハリエットさまに近付くことは出来なかった。これまでの人生のうち、この七回目にして初めて起きた、ハリエットさま救出の機会なのだわ)
そう考えれば、ラウルがこの機会を逃すことなく、カーティスに化けてまで近づいてきた理由も分かる気がするのだ。
「……ああ、なんてことだ」
組んでいた足を正したラウルは、前のめりになって顔を覆った。
「信じられないな。まさかあのハリエットが、あんたに贋金の存在を明かしていたなんて……」
「ラウル……」
見上げたオリヴァーと目が合って、頷いてもらう。
リーシェはそれに背中を押され、項垂れたラウルに声を掛けた。
「アルノルト殿下にお力を借りることは、現時点では難しいかもしれないわ」
アルノルトがやさしい人であることを、リーシェはもちろん知っている。
けれども同じくらい、彼が非常に合理的であることや、父帝を警戒していることも分かっている。
コヨル国の時と同様、無条件に他国を助けるような選択はしないはずだ。
「それでも、なにか私に手伝えることがあれば、是非とも協力させてほしいの」
「……」
ラウルは大きな深呼吸をする。
かと思えば、その肩が僅かに震え始めた。それを不思議に思う前に、ラウルがぱっと顔を上げた。
「ふ、はは!」
楽しそうな笑い声を上げたあと、彼はリーシェを見て笑う。
「――――なあんてな!」
「……!?」
べえっと赤い舌を出して、嘲笑う視線を向けてくるのだ。




