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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜4章〜

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137 彼の望んだもの







 すぐ傍で、アルノルトが息を呑んだ気配がする。


 手首を離してくれたお陰で、こうしてアルノルトを抱き締めることが出来た。

 リーシェは左手をアルノルトの背に、右手を彼の頭に回して、その黒髪を柔らかく撫でる。


「怖い夢を、ご覧になったのですか?」

「……」


 我ながら、幼子にするような問い掛けだ。


 けれども確信めいた予感のお陰で、どうしてもこうせずにいられなかった。

 不躾でも、勇気のいる行いであろうとも、アルノルトを抱き締めたかったのだ。


 この問いは、アルノルトによって否定されるだろう。

 そう覚悟していたはずなのに、リーシェにされるがままのアルノルトは、視線を少し下に落としてから返事をする。


「――……昔の夢だ」


 アルノルトの手が、リーシェの背へと回された。


「お前のお陰で、すべてが消えた」


 抱き返すほどの力でなく、ほとんど添えているだけの触れ方だ。

 しかし、こうしているのを許されたような気持ちになって、リーシェは腕の力を強くした。


「……ごめんなさい、殿下」


 左手はぎゅうぎゅうとアルノルトを抱き締めながら、右手はそうっと後ろ頭を撫で続ける。


「私が傍に居て、眠りにくかったからですよね」


 するとアルノルトは、短く息を吐き出して言う。


「これは別段、珍しいことではない」


 そのあとで、やさしい声音が教えてくれた。


「だから、お前の所為でもない」

「……」


 その言葉に、先日のことを思い出す。


 大神殿を訪れ、そこで負傷をした際に、リーシェはアルノルトと同じ寝台で一緒に眠ったのだ。

 そのあとで、妙な夢を見なかったと告げられた。


(アルノルト殿下にとっての、恐ろしい『昔の夢』)


 彼に語られた過去を思い、リーシェは胸が締め付けられる。


(たくさんのご兄弟が、殿下の前で殺められたこと?)


 想像するだけでも痛ましい光景を、アルノルトは実際に目にしている。


(それとも、殿下を憎んでいらしたという、母君のこと……)


 首の傷は、アルノルトが幼い頃に負ったものだ。リーシェが知っている以外にも、きっとたくさんの過去があるのだろう。


(けれど、そこに私が触れることは出来ない)


 室内には、穏やかな波の音が響いている。


 まったく無音の部屋よりも、この方が一層静かなように思えた。

 リーシェはするりと身を離し、アルノルトのことを見つめる。


 無表情に近いアルノルトの瞳が、リーシェのことを真っ直ぐに見下ろした。


 いつもより茫洋としているその目には、たくさんの想いが宿っているようにも、ひどく空っぽなようにも見える。

 底が知れない青色の双眸は、窓から差し込む月光を受けて、淡く透き通っているのだった。


 その青を見上げながら、リーシェは口を開く。


「――……海」


 先ほどまでと同じように、アルノルトの頭をそうっと撫でた。


「いっぱい遊んで、楽しかったですね」

「……」


 脈絡の感じられない話であると、彼には不可解に映ったかもしれない。


(いまの私に出来ることなんか、本当に少ない)


 アルノルトの『夢』を知ることはもちろん、そこに踏み込むことだって、その資格たるものを持ち合わせていないのだ。

 それでもせめて、アルノルトの手を取って、その夢から遠いところに歩いて行きたかった。


(アルノルト殿下にとって、忌むべき記憶が消えないなら)


 少しでもいいから、異なる感情で掻き消したい。


 これから先に見る夢が、ひとつでも恐ろしくないものになればいい。

 昼間の海辺をよすがにして、リーシェは彼にそう願う。


 すると、表情を変えないままのアルノルトが、ぽつりと口を開いた。


「……あの浜の存在を、思い出したとき」


 リーシェが首を傾げると、無表情のアルノルトがこう告げる。

 

「お前が好むかもしれないと、そう浮かんだ」

「……!」


 リーシェは思わず瞬きをした。


「俺にとっては、ただの景色だが」


 アルノルトの声音は淡々としている。

 なんでもないことを紡ぐように、それでいてはっきりと、思いを口にしてくれるのだ。


「お前であれば、きっとあの海を美しいと言うのだろうと、そう感じたんだ」

「……アルノルト殿下……」

「たとえ、俺自身には分からなくとも」


 アルノルトの手が、リーシェの頬をするりと撫でた。


「……『お前が喜ぶもの』という見方であれば、少しは理解できたような気がした」


 信じがたいことが起きたような気持ちになって、リーシェはひとつ、瞬きをする。


「お前が行きたいと言っていた、ただそれだけが理由ではない」


 昼間に尋ねたことの答えを、月光の中で告げられた。


「俺が、お前に見せたいと感じたから、あの海にお前を連れ出したんだ」

「……っ」


 アルノルトは以前、言っていたのである。


 リーシェが尊ぶものを、同じように感じることは出来ないと。

 蛍火は戦火に見え、皇都の景色は忌々しいものに感じられると、そう話してくれた。


 そんな彼が、リーシェに海を見せようと、そう思ってくれたのなら。


「――連れて行っていただけて、嬉しかったです」


 思わず震えそうになる声で、彼に向けてひとつずつ告げてゆく。


「本当に、とても、ものすごく」


 伝えられる言葉が見つからないのに、差し出したくて必死に探した。

 それでも結局は伝え切れず、拙い言葉を繰り返すだけだ。


「……いまも、泣きたいくらいに嬉しい……」

「……」


 向かい合って見上げるアルノルトを、もう一度抱き締めたくて仕方なかった。


 けれどもそれは阻まれる。

 彼に腕を回す前に、アルノルトがリーシェのことを抱き寄せて、腕の中に閉じ込めたからだ。


「アルノルト殿下」


 リーシェはもちろん驚くものの、彼を押し退けるようなことはしない。

 すると、アルノルトはぐっと腕に力を入れたあとに俯いて、リーシェの耳元でこんなことを言った。


「……意に沿わず押し倒されたり、抱き締められたりしたときは、もう少し抵抗するものだ」

「……」


 むしろ負けじと抱き締め返して、アルノルトの背中に腕を回す。


「殿下がご無体をなさるはずはないと、私は信じていますから」


 すると、アルノルトからは自嘲めいた笑みが溢れた。


「やはり、どこまでも俺を信じようとするんだな」

「もちろんですよ。……『形のないものの実体を信じられる人間などいない』と、あなたは、そんな風に仰っていたけれど」


 リーシェはやはり、そう思わない。


「私は幽霊が怖いのです。たとえ形が無くとも、その存在を信じているし、だからこそ本気で怯えもする」


 アルノルトにだけは打ち明けられる弱みを、恥ずかしいけれども口にした。

 それから、と続ける。


「先日のドマナ聖王国で目にしたように、クルシェード教に属する人々にとっても、その信仰は揺るぎ無いものでしょう?」

「……」


 クルシェード教が崇める存在、女神の血を引くとされるアルノルトは、何かを考えるように沈黙した。


「そして、あなたが私に『海を見せたい』と思ってくださった御心は、形が無くとも確かなものです」


 あやすようにその頭を撫でながら、彼にそうっと言葉を継ぐ。


「私はそのお気持ちを信じていますよ。……そして、だからこそ何度でもお伝えします。あなたの望みを、私だって叶えて差し上げたいのだと」


 そんな誓いを立てるだけで、相手の支えになれることもある。

 ハリエットの教えてくれたことを、リーシェは真っ直ぐにアルノルトへ告げた。


「そうすれば、いつかは信じて下さいますか?」

「……お前のことをか?」

「いいえ」


 リーシェのことを信じてくれなくても、構わない。

 そんなことよりもリーシェには、アルノルトに分かっていてほしいことがある。


「アルノルト殿下ご自身が、誰かに何かを願っても良いのだということをです」

「――……」

 

 アルノルトは小さく息を吐く。

 そして、リーシェに回した腕の力を、ほんの少しだけ強くした。


「……誰かに何かを願ったことなんて、一度もなかった」


 耳元で紡がれる彼の声は、ほんの僅かに掠れている。


「手元に届きようがないものを引き寄せ、留めておこうと動いたのは、お前が唯一でひとつだけだ」

「……アルノルト殿下」


 左胸が、軋むようにきゅうっと疼いて苦しい。

 アルノルトは、そんなリーシェの胸中も知らずに、こんな言葉を囁いてみせる。


「俺の妻になれ」


 リーシェの耳へ口付けるようにして、囁くのだ。


「――今はそれ以上、何も望まない」

「……っ」


 苦しくて、泣きたくなったのを必死に堪えた。





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― 新着の感想 ―
殿下の破壊力が凄い… この場で再プロポーズとは… 尊過ぎて死にそう…
[一言] アルノルトの過去の出来事と、自分を肯定しない言葉たち、滅多に感情を表に出さないアルノルトの、それらにまつわる感情の露見が出てくると、いつもぼろっぽろに泣いてしまう…。まじで幸せになって…。
[一言] この悲しいまでの自己肯定感の低さは根が深いですね……
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