130 私が信じているひと
※本日(7月3日)の、3度目の更新となります。15時ごろに更新した前話をご覧でない方は、ひとつ前のお話からご覧ください。
「我が君と自分から、リーシェさまにお願いしたいことがございまして」
目の前のオリヴァーが、そんな風に切り出した。
「アリア商会の、ケイン・タリー殿に取り次ぎをお願いしたく」
「タリー会長に?」
オリヴァーは頷いて、テーブルの上に一枚の紙を広げた。
それは、リーシェが先ほどアルノルトに渡した金銀の相場表だ。
「こちらの情報について、我が君と自分で検討をさせていただきました。恐らくは単純な情報収集のみならず、さまざまな世界情勢を鑑みたものとお見受けします」
(……さすがだわ。おふたりは決して商人でないのに、この情報を集めるための労力がお分かりだなんて)
穏やかな紫色をしたオリヴァーの瞳が、リーシェを見つめてにこりと微笑む。
「貨幣改鋳の計画については、リーシェさまも既にご存知とのこと。……我が君」
その合図に、アルノルトがまなざしで許可を出す。
オリヴァーは、テーブルの端で丸まっていた書簡を手に取ると、リーシェの前でそれを広げた。
「わあ……」
現れた美しいその図柄に、リーシェは思わず声を漏らす。
描かれているのは一羽の鷲だ。翼は大きく広げられて、細やかな羽の模様がある。その上には数枚の花びらが散らされて、二本の剣が交差していた。
「とても綺麗な絵ですね。華やかな上に威厳があって、それでいて繊細で……」
思わず見惚れてしまうほどだが、これは一体なんの絵だろう。
疑問を抱いた瞬間に、リーシェははっとする。
「ひょっとして……」
話の流れを鑑みれば、恐らくは間違っていないだろう。
「この複雑な図柄を、新しい貨幣の意匠になさるおつもりですか?」
「ご名答です」
オリヴァーが爽やかに言い切るが、これはとんでもないことだった。
「やはり、さすがのリーシェさまも驚かれますよね。なにしろ貨幣とは、大量生産が必要かつ、一切の不備がない状態のものを作らねばならないのですから」
「オリヴァーさまの仰る通りです。原型を彫り、鋳型を作って流し込んでも、これほど緻密なデザインでは抜ききれないのでは? 鋳造にあたって、よほど高い技術を使わなければ……」
そこまで言って、リーシェはようやく理解する。
傍らのアルノルトを見上げると、最初からこちらを見ていたアルノルトと目が合った。
(……昨日、私の指輪に触れたアルノルト殿下が、コヨル国の名前を出した理由……!)
その理由が、コヨル国の金銀枯渇によるものだという推定も、恐らくそれ自体は外れていない。
しかし、あのときアルノルトがコヨルの名前を出したのには、もうひとつの意味があったのだ。
「――改鋳に、コヨル国との技術提携を使ってくださるのですか!?」
「……」
隣のアルノルトに確かめると、アルノルトは楽しそうに目を細めた。
「やはり、俺が想像していた通りの表情をしたな」
「っ、え!」
一体どんな顔をしてしまったのか不安になって、思わず両手で頬を押さえる。
恐らくは、嬉しさを感じたのが顔に出てしまった。気恥ずかしくなってしまうものの、これは仕方がないと思う。
(あのアルノルト殿下が、コヨル国を……カイル王子を頼ろうとしてくださったなんて)
リーシェの嬉しさを分かってくれたのだろう。オリヴァーにちらりと視線を向ければ、彼は頷きながら教えてくれる。
「ご参考までに。……コヨルの名前を出されたのは、自分ではなく我が君ですよ」
「!」
「使えるものを使う。それだけの話だろう」
素っ気ない言い方ではあるものの、嬉しいものは嬉しいのだ。
(……だけど、違和感があるような気もするわ)
リーシェの胸中を知らないまま、オリヴァーはこう続ける。
「定期的な改鋳の目的は、贋金の流通を防ぐためです。せっかく作り直すのであれば、贋金自体を作りにくくしたいもの。細やかな金細工を作ることに特化したコヨルの技術なら、贋金作りを目論む人たちが模倣するのも難しいので」
「……」
「アリア商会には、改鋳後に他国へどのように金銀を流すかといった相談や、改鋳に必要な仕入れの話をさせていただきたいと思うのです。いかがでしょう? リーシェさま」
「もちろん、私にお手伝い出来ることであれば協力は惜しみません。タリー会長にも、さっそくお声掛けしたいところですが……」
リーシェはアルノルトの瞳を見上げ、先ほどの違和感についてを口にする。
「おふたりは、迷っていらっしゃいますよね?」
「…………」
指摘したその瞬間に、アルノルトが小さく眉根を寄せた。
向かい席のオリヴァーは、驚いたように目を丸くしている。その反応を見るに、リーシェの推測は当たっていたようだ。
「何故、そのように感じられたのですか?」
少し慌てた様子のオリヴァーに対して、アルノルトは黙ったままリーシェを観察している。
ふたりの視線を向けられながら、リーシェは言った。
「こちらの緻密な意匠を持つ金貨は、コヨル国から提供される技術があれば製造出来るでしょう。……ですが、たとえ技術的に製造が可能だったとしても、製造の費用が掛かりすぎます」
物の価格とは、原料の価値で決まるものではない。
それを作るための設備、人材、原価の輸送や仕入れ、出来上がった品の流通に掛かる金額も含まれるものだ。
それは、金貨や銀貨だって同じことである。
金貨一枚を発行するにあたり、金貨一枚以上の費用が掛かるのであれば、発行すればするほど国が貧しくなってしまうのだった。
「タリー会長へのご相談も、その費用を抑えるためにご所望なのでは? つまり、アリア商会を交えた計算結果によっては、こちらの改鋳案も無かったことになるような……」
「……これはこれは……」
「それに、アルノルト殿下が」
リーシェが再び隣を見上げると、アルノルトは僅かに目を伏せてこちらを見た。
「私は、殿下から改鋳のお話を聞いた際、『ガルクハインの通貨を、金銀含有量が少ないものに作り替えるご予定なのですか?』と質問いたしました。ですが……」
それに対する返事は、『そうだな』という、どこかアルノルトらしからぬものだった。
「いただいたのは、どこか曖昧なお答えです。あのときは私に隠し事をなさっているのかとも思いましたが、アルノルト殿下であればもっと完璧に隠されるかと。……あるいは、明らかに嘘と分かる冗談を仰るはずです」
「……」
「ですので、もしかしてアルノルト殿下には、隠し事ではなくお悩みがあるのではないかと感じたのです」
それが、アルノルトらしからぬ返事に繋がったのではないだろうか。
オリヴァーは、ふっと柔らかい笑みを浮かべてアルノルトを見る。
「さあ我が君。婚約者さまは、どうやらお見通しのようですよ?」
「……」
「いい加減、お心の内をお話くださったらいかがでしょう。自分もお力になれるかもしれません」
その言葉に、リーシェは意外な気持ちになった。
「殿下がお悩みの内容について、オリヴァーさまもご存知ないのですか?」
「普段なら、もう少しご相談していただけるのですがね。この件に関して、我が君は一度、『別案』を検討なさったようなのですが……」
しかし、長椅子の肘掛けに頬杖をついたアルノルトは、つまらなさそうな表情で言うばかりだ。
「……あれは、どうあっても現実味のない策だ」
またしても、アルノルトらしからぬ言葉だった。
アルノルトはいつだって現実的だ。そんな彼から、『現実味のない策』が出てきたこと自体、アルノルトにとっても不本意らしい。
「夢物語に近い案で、馬鹿げていると言ってもいい。だから、その別案は検討するまでもなく、すでに切り捨てている愚策に過ぎん」
「……まあ、我が君がそこまで仰るのでしたら……」
「ですが、アルノルト殿下」
リーシェは真っ直ぐにアルノルトを見上げ、口を開いた。
「あなたが本気で願うなら、実現可能な夢ではありませんか?」
「…………なに?」
アルノルトが、驚いたようにリーシェを見る。
けれどもリーシェは信じているので、真顔でそのまま説明を続けた。
「夢物語を現実に近付ける。アルノルト殿下の頭脳や手腕は、それだけの力をお持ちだと思いますよ? その上、コヨル国やアリア商会のように、他者と協力し合う姿勢までお持ちになったのです」
「……お前は」
眉根を寄せたアルノルトが、リーシェに尋ねる。
「本当に、どこまでも俺を信じるつもりか」
「はい。出会ってから今日までの二ヶ月間、殿下はずうっと証明して下さいましたから」
「……」
リーシェがアルノルトの力を信じるのは、未来を知っているからではない。
こうしてすぐ近くで、彼の行動を見てきたからなのだ。
「アルノルト殿下は、ご自身のお力が信じられませんか?」
その問い掛けに、アルノルトは眉根を寄せる。
「殿下が夢物語だと感じられたものでも、他の誰かにとっては違うかもしれませんよ? 第三者の技術や知識があれば、それは実現可能な夢にも成り得ます。同じ夢を見るひとが集まれば、その輪郭が見えてくるかも」
「……そんな人間は存在しない」
「どうでしょうか。だってそれは、……っ」
アルノルトの手が、リーシェのおとがいに触れた。
その指に上を向かされて、アルノルトと真っ向から視線が重なる。
「リーシェ」
そんなことをしなくても逃げないのに、アルノルトはいつもより僅かに低い声で、リーシェに言い聞かせるように口にした。
「形のないものの実態を信じられる人間など、いるものか」
「……」
アルノルトは、どうしてそんなに寂しい目をしているのだろう。
口を開こうとして、リーシェは何も言えなくなる。こちらを見下ろすアルノルトの瞳が、リーシェの言葉を拒んでいるように見えたからだ。
「――我が君」
オリヴァーの声に、リーシェはびくりと肩を跳ねさせた。
アルノルトは小さく舌打ちをしたあと、リーシェからするりと手を離す。ちょうどそのとき、扉からノックの音がした。
「アルノルト殿下。オリヴァーさま。明日の警備の件で、お時間をいただきたく」
「……」
騎士の声に、リーシェは長椅子から立ち上がる。
「では、私は一度失礼します。アリア商会には、話を通しておくようにいたしますので」
「リーシェさま。申し訳ございません」
「お役に立てることがあれば、またお申し付けください。……アルノルト殿下、後ほどまた夕食で」
「……ああ」
アルノルトは、立ち上がったリーシェの手を取ると、するりと指を絡めるようにしながら言った。
「あとでな」
「……っ」
そう言った彼からは、先ほどの空気が消えている。
ひどく寂しい目もしていないし、それでいてリーシェの言葉を抑えつけるような素振りもない。リーシェは困惑しながらも、小さな声で返事をした。
「……はい……」
そして、騎士たちに挨拶をしたあとで部屋を出る。
(ご機嫌を、損ねてしまったのかと思ったけれど……)
どうやら、そういうわけではないらしい。
(もしかして……あれは、何かに葛藤していらした?)
だとしたら、それは何に対してなのだろう。
そんなことを考えていると、頭の中がアルノルトでいっぱいになってくる。彼が何を考え、どのようなことを懸念しているのか、それらを出来るだけ知りたいと感じた。
そのせいで、気配を殺した人物が、すぐ傍にいたことに気付けない。
「!!」
「よお」
腕を掴まれ、柱の影に引っ張り込まれて、リーシェはぱちりと瞬きをした。
リーシェの背中を壁に押し付け、手のひらで口元を塞いだラウルが、カーティスの姿で笑っている。
「いまなら晴れてふたりっきりだな、お嬢さん」
「……まむぐ」
大きな手に口を塞がれたまま、リーシェはもごもごと彼を睨んだ。




