128 変化を望んでいる限り
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「まったく。ハリエット殿下と来たら……!」
「ハリエットさまをお叱りにならないでください、侍女長さま」
リーシェは苦笑しながら、城内を歩いていた。
数歩後ろについてくるのは、ハリエット付きの侍女長だ。
髪をきっちりと後ろにまとめ、真っ直ぐ伸ばした背筋で歩く彼女は、憤慨しながら言った。
「そういう訳には参りません。まさか、私を呼びに来てくださるのを、リーシェさまにお任せなさるとは……!」
「いいえ。お迎えに行かせてくださいと、私からハリエットさまにお願いしたのです。侍女たちの様子を、こっそり覗いてみたかったので」
苦笑しながら言うと、侍女長は驚いたような顔をしたあと、こほんと咳払いをする。
「そ、そういうことでしたら……それにしてもリーシェさまの侍女たちは、まだまだ未熟そうではあるものの、みな意欲が高く素晴らしいですね」
「はい! 私の大切な、誇らしい侍女たちです」
嬉しい言葉ににこにこしながら、改めて侍女長にお礼を言った。
「御指南いただき、ありがとうございました」
「……リーシェさまに、ハリエット殿下の護衛などをさせてしまったのですから、これくらいは当然のことです」
侍女長は神妙な面持ちだ。
護衛に関しては、むしろリーシェが「やりたい」と申し出たことなのに、一種の責任のようなものを感じているらしい。
「シグウェル国の女性騎士も合流しましたし、ファブラニアの騎士たちは体調も回復してきたようです。全員とは参りませんが、明日には数名がハリエット殿下の護衛に復帰するかと」
本当は、体調が安定したとしても、体力が回復するまでは休養するのを勧めたいところだ。
しかし、他国の警備に口を出すことも出来ず、進言程度に留めておくしかない。
リーシェは仕方なく、世間話を切り出すことにする。
「侍女長さまは、シグウェル国のご出身ですよね?」
ハリエットとの会話のためにも、シグウェル国の話を聞いてみたい。
そう思っていたのだが、侍女長は意外そうな表情でリーシェを見つめる。
「……どうして、私がシグウェルの人間だと?」
「もしや、秘密になさっていたでしょうか」
「いいえ、そういうわけではありませんが……特にご説明をしていなければ、皆さま私のことを、元よりファブラニアに仕える侍女だと感じられるようでしたから」
侍女長はそう言って、どこか冷たい印象の目を伏せた。
「恐らく、私がハリエット殿下に接する様子を見て、そう判断なさるのでしょうね」
「……」
リーシェがぱちぱちと瞬きをすると、侍女長はこんな風に話してくれた。
「私は、亡くなられた王妃殿下……つまるところ、ハリエット殿下のお母君であるお方のご実家にお仕えしておりました。王妃殿下が輿入れなさるまでお世話をし、あの方が王室に入られたあとは、ご実家の公爵家に残ったのです」
「では、ハリエットさまやカーティス殿下とのご面識は……」
「ハリエット殿下には、ファブラニアに嫁がれることが決まった際、花嫁修行のお供としてお選びいただいたときにご挨拶を。カーティス殿下には、この度初めてお目に掛かっております」
そうなれば侍女長も、ここにいるカーティスが偽物だとは知らないだろう。
リーシェが『繰り返し』を経験していなければ、カーティスの正体に気づき得るのは、妹のハリエットのみだったということになる。
「――正直言ってわたくしは、ハリエット殿下に初めてお会いしたとき、絶望に近い感情をいだきました」
「……」
主君に向けるには強すぎる言葉に、リーシェは黙って侍女長を見遣る。
「シグウェル国は、それほど強い力を持ち合わせてはおりません。書物は豊富にあるものの、他国と渡り合うための武器のない国。ファブラニアとの婚姻が結ばれなければ、王室の方々が、こうして大国ガルクハインにご招待いただけることもなかったでしょう」
侍女長は眉根を寄せ、厳格な表情で言った。
「シグウェル国にとって、ファブラニアとの関係は重要なもの。しかし、その要となるハリエット殿下があのように頼りないご様子では、友好関係を築くどころかシグウェルの評判を落としかねません」
「ですが、ハリエットさまは変わりたいと仰っていましたよ」
「あの方がそんなことを? ……とはいえ、難しいでしょうね。ハリエット殿下は、非常にお心の弱い方ですから」
廊下の途中で、そんな言葉が落とされる。
「いまのままでは、シグウェル国の恥をファブラニア国に晒すだけになってしまいます」
「……侍女長さま」
「私以外の侍女たちは、ファブラニア王室より賜った者。ハリエット殿下との信頼関係は築けておらず、事務的な態度しか取りません。それも当然で、侍女たちだって、あのハリエット殿下にお仕えしたいとは思えないはずですから」
リーシェはぴたりと立ち止まった。
そこはちょうど、ハリエットの部屋の前になる。大きな扉の前で、リーシェは侍女長を振り返った。
「侍女長さま」
そして、にっこりと笑いかける。
「『変わりたい』と思うことこそ、すでに変化が始まっている証です」
「……それは……」
扉に向き直り、こんこんとノックを重ねるも、中から返事は返ってこない。
その代わりに、複数人の話し声が聞こえてくる。侍女長もそれに気が付いたのか、顰めっ面で扉を睨み付けた。
「……なんでございましょう。なんだか、妙に騒がしいような……」
「ふふ。……ハリエットさま、開けますね」
リーシェがそうっと扉を開けた瞬間、中から明るい声がする。
「ああ、本当にお綺麗ですわ!」
そんな少女の声に、侍女長の眉がぴくりと跳ねた。
「お肌も白くて、本当に綺麗」
「お化粧荒れもしていませんね……」
「ドレスもとてもお似合いです。夏らしくて、爽やかで!」
聞こえてくるのは侍女たちの声だ。
侍女長は、その異変にすぐさま気が付いたのだろう。数秒ほど沈黙を置いたあと、はっとしたような顔をし、慌てて部屋に飛び込んだ。
「これは一体……」
限界まで両目を見開いて、侍女長が窓辺の女性を見遣る。
「は、ハリエット殿下……!?」
そこには、すっかりと装いを変えたハリエットが立っていた。
前髪を編み込みにし、サイドにまとめて額を出したハリエットは、オリーブ色の瞳を恥ずかしそうに伏せている。
若草色をした涼しげなドレスは、全体的に細身のシルエットで、ハリエットの持つ上品さを引き立てていた。
「あのう、これはその、あの……」
落ち着きのない瞬きを繰り返す瞳を見て、侍女長が呆然と彼女を見つめる。
ボリュームを抑えながら梳かした金髪は、大きめのコテを使って緩やかに巻かれていた。ハーフアップにし、下ろした部分の髪は曲線の動きをつけることで、ふわふわと軽やかな印象になっている。
ハリエットが深く俯くと、甘い香りの香油をつけた髪がふわりと揺れた。
周りを囲んでいるハリエット付きの侍女が、にこにこしながら口を開く。
「こちらのドレス、最近流行の形ですよね。とても清楚な印象で、おやさしそうな雰囲気のハリエット殿下にお似合いですわ」
「う、あ……! あり、ありがとう、ございます……」
ハリエットはもじもじしながらも、侍女に対して丁寧に頭を下げた。
そのあとで、ほっとしたようにリーシェの方を見る。
そんなハリエットに微笑みながら、リーシェはひとつ頷いた。
ハリエットのかんばせに、やさしそうな雰囲気のお化粧を施したのは、リーシェである。
薄く白粉をはたき、ほんの少しだけ眉を整えて、彼女のくちびるを薔薇色に塗った。
目元以外はそれだけだが、瞼や目のラインには、いくつかの工夫を施している。
それは、ハリエットが長年悩んでいた吊り目の形を、柔らかい印象に変えるものだ。
化粧筆で何箇所かを書き足して、影に見える部分を作り、反対に光を集めるような色を置いた。
先程、リーシェがそうしてゆくうちに、ハリエットの表情はどんどん明るくなっていったのだ。
『――自分の顔の中で、嫌いな部分を隠すことが出来るのも、お化粧の効力のひとつです』
鏡の中の自分へ釘付けになっているハリエットに、リーシェはそのことを説明した。
本当は、別の効力についても知ってもらいたい気持ちもある。けれど、いまのハリエットに受け入れてもらいやすいのは、『隠す』方の化粧だろう。
侍女長は、目の前にいるハリエットのことを、難しい顔で見つめている。
「ハリエット殿下、そのお姿は……」
「ご、ごごご、ごめんなさい……!!」
一方のハリエットは、居た堪れなさそうに俯きつつも、懸命に言葉を紡ごうとした。
「あのっ、ええとっ、その! 変っ、でしょうか……!?」
「!」
侍女長がその目を丸くする。
彼女が驚いた理由について、リーシェもなんとなく分かる気がした。
きっと、この姿になるまでのハリエットであれば、『変ですよね』と断定していただろう。
けれど、いまのハリエットは違っていた。
一番近くにいる侍女長こそが、その変化をもっとも理解しているはずだ。俯いたまま、怯えるように肩を震わせているハリエットは、それでも上目遣いに侍女長を見ている。
オリーブ色をしたその双眸は、分厚い前髪に隠れていない。
それを真っ直ぐに見下ろして、侍女長はゆっくりと口を開いた。
「…………お綺麗ですわ。ハリエット殿下」
「!!」
ハリエットの顔が、泣きそうに歪む。
それは、恥ずかしそうな想いの滲み出た表情だ。
けれど、それ以上にはっきりとしているのは、大きな安堵の感情だった。
見ていたリーシェも嬉しくなって、ハリエットに言う。
「申した通りでしょう? ハリエットさま。きっと侍女長さまも、ハリエットさまをお褒めになると……」
「です、が!!」
「!!」
ぴしゃりと叱り付けるその声音に、ハリエットの肩がびくりと跳ねる。
「ハリエット殿下、一体なんなのですその姿勢は!? 何度も申し上げているでしょう、猫背にはお気を付けくださいと!」
「はっ、はいいい!!」
「背筋を伸ばす、胸を張る! そうでなければ、せっかくの装いも台無しですわよ!」
ハリエットはあわあわと動揺しながら、慌てて背筋を伸ばそうとしている。
そのやりとりがなんとなく微笑ましくて、リーシェはくすくすと笑うのだった。
まさか、こうしてはにかんだハリエットの顔が、すぐさま曇ることになるとは思わない。
次話は本日15時ごろに更新です。




