124 抱えた秘密は言えません
※前日にも更新しています。前話をお読みでない方は、そちらからご覧ください。
「別に、咎めはしない」
「え……」
「先ほどのは、俺も構わずに反撃した。それで相殺だ」
リーシェはぱちぱち瞬きをする。
そのあとで、困ったような気持ちになって口を開いた。
「……やっぱり、私に甘すぎるのでは……」
「今更だろう」
まったく当たり前ではないことを、当たり前のように言い切られる。
だが、それではまずいのだ。
「たまには叱って下さらないと、私がますます増長しますよ」
「増長?」
「アルノルト殿下が、そうやって私にやさしくなさるから」
ぎゅっと眉根を寄せたまま、両手で口元を隠してもごもごと告げる。
「このままだと、もっとたくさん我が儘を言ってしまいます……」
「っ、ふ」
アルノルトはおかしそうに笑い、珍しく年相応の表情をした。
そしてリーシェを見ると、柔らかい声音で言う。
「聞きたい」
「……っ」
その言い方があんまりにも穏やかで、何故だか耳が熱くなるのを感じた。
「お前のやることはいつも突飛で、想像がつかないからな」
「ま、また面白がっていらっしゃる……!」
悔しくてぐぬぬと顔を顰めると、アルノルトは緩やかに目を伏せた。
「……それに、俺がお前に叶えてやれることは、それほど多くない」
「?」
「そうでないときは、多少甘やかしても問題ないだろう」
リーシェの認識とは異なる言葉に、首を傾げる。
「殿下はすでに、たくさんのお願いを聞いて下さっていますが……」
「それは、お前の願いが他愛もないものばかりだからだ」
そう言われて、不思議な気持ちになった。
(私の基準では、それなりに無茶を言っているつもりなのだけれど……)
『人質』である婚約者のために、離宮を用意させ、城の片隅に畑まで作らせてもらっている。
侍女は全員自分の裁量で決めているし、商会との商いも自由にさせてもらった。これだけでも、かなりの我が儘ではないだろうか。
そんな思いが顔に出たのか、アルノルトは言う。
「俺にはどうしても、優先しなければならないことがある」
まなざしが、海の方へと向けられた。
「お前の望みがその優先事項に反すれば、聞いてやるわけにはいかない」
「……」
アルノルトの求婚を受けた際、リーシェは『なんでも我が儘を聞いてくれますか』と条件を出している。
その際のアルノルトは、『「叶えてやれる限り」を叶える』と言ったのだ。つまり、内容によっては応えられないと、そのときにはっきり示されていた。
「立場上、国や公務を優先しなくてはならないことも出てくるだろう」
「もちろん、そんなのは承知の上です」
「それだけではなく」
青い瞳が、再びリーシェのことを真っ直ぐに見た。
「……お前がこの婚姻を厭おうとも、俺の元から離してはやれない」
「……」
心臓の辺りが、ずきりと淡い痛みを覚える。
「アルノルト殿下が、私に求婚なさった目的のために、ですか?」
アルノルトは僅かに目をすがめ、それでもはっきりと口にした。
「そうだ」
「……」
気付かれないようにさりげなく、リーシェは左胸をぎゅうっと押さえた。
ここで寂しい気持ちになるのは、間違ったことなのだ。
(私だって、本当の願いを言えていない)
目を伏せて少し俯けば、白い帽子が表情を隠してくれる。
それに縋り、柔らかな砂をそうっと指でなぞった。
(『お父君を殺さないでほしい』も。『あなたが起こすつもりの戦争を、諦めて欲しい』というものも。……最大の望みを隠しているんだから、今更だわ)
けれど、それは容易に見せられない。
(言えない。……殿下が私を自由にさせてくれるのは、私の目的が『戦争阻止』であることをご存知ないからだもの)
今世のリーシェが取っている行動は、すべてがアルノルトの妨害のためだ。
彼の起こす戦争を回避したくて、それを動機に動いている。
(きっとあの戦争は、アルノルト殿下にとっての強い意思。そうでなければ、こんなにやさしい方が侵略戦争なんて起こすはずがない)
先ほどアルノルトが言った『優先事項』とは、恐らく未来での戦争のことだ。
(……だから、私が、それを阻むと知れれば)
リーシェは、アルノルトの敵になる。
(殿下の計画を阻むのは、簡単じゃない。そんな中で、私が唯一アルノルト殿下の裏をかける要素があるとしたら、『未来を知っている』という一点だけ)
だからこそ、それを保つため、未来を知ることを知られてはならない。
(私にだって秘密がある。殿下の隠し事を、教えて欲しいと願う資格なんてないのに)
けれど、やっぱり心臓が痛むままだ。
「……アルノルト、殿下は」
リーシェはこれまでに何度も、求婚の理由を尋ねてきた。
だというのに、いまはその問い掛けが言葉に出来ない。代わりに少しだけ視線を上げ、帽子の影からアルノルトを見る。
「あなたの妻となった私に、どんなことをさせたいですか?」
「……」
すると、アルノルトは不意を突かれたような表情をした。
そのあとで、興味深いものを見るように笑う。
「問い掛けの趣向を変えて来たな」
「いつもの質問は、答えて下さらないと分かっているので」
そんな嘘をついて、アルノルトを見つめた。
するとアルノルトは、平然と答える。
「お前にやらせたいことは決まっている。――『ぐうたらして、怠けて、働かない暮らし』だったか?」
「!!」
その言葉には覚えがあった。
『私、絶対にお城ではゴロゴロしますから! ぐうたらして、怠けて、働きません!』
これは、アルノルトに求婚された際、リーシェが彼に言い放ったことなのだ。
「そ、それは殿下のお望みではなく、私自身のやりたいことで……!」
「とはいえ、どう考えてもお前には無理だとは思うが」
「えっ、無理ってなんですか!? 私は絶対この先、ゴロゴロ生活を勝ち取るんですから!」
「勝ち取る意味がないだろう。なにせそもそもが向いていない」
向いていないとはどういうことだろう。リーシェが不本意な気持ちでいると、アルノルトの方も尋ねてくる。
「だが、どうしてそんなことを聞く?」
「……ハリエットさまが、花嫁修行を頑張り過ぎのように見えたので。こういうときの男性のお考えが、気になって」
こちらも嘘ではない。
せっかくなので、アルノルトの考えも聞いてみたいところだ。
「ファブラニアは、殿下から見てどのような国ですか?」
過去の人生で行った国だが、そんな素振りは見せないままで質問をする。
「西の大陸で、もっともガルクハインに積極的な国交を持ち掛けてきている国、という感想だな」
「……面倒臭そうなお顔ですが」
「西の大陸との外交は、現時点でさほど利点がない。後々使えないこともないだろうが、他に優先事項は山ほどある」
「つまりは面倒臭いんですね……」
そういえば、ハリエットの連れている侍女長が言っていた。
この機会に、ガルクハインとファブラニアの友好を築くことが、ファブラニア国王の悲願だという話だ。
「とはいえ、西の大陸は小国揃いだ。あの中で強いて付き合いをするとすれば、あの一帯の同盟を率いているファブラニアだろうな」
つまり、シグウェル国をはじめとする他の国々は、アルノルトにとってはファブラニア以下の存在感ということなのだろう。
「……ガルクハインから見れば小さな国でも、西の諸国にとってのファブラニアはきっと、逆らえない存在ですよね」
「まあ、そうだろうな」
リーシェにはひとつ、疑問がある。
(アルノルト殿下が、弱小国の公爵令嬢である私に求婚なさった理由は分からない。――そして、それと同じように)
思い出すのは、狩人人生での未来のことだ。
(シグウェル国とファブラニアの政略結婚で、ファブラニア側に、どんな利益が生まれるのかが見えてこないわ)
それがどうにも据わりが悪く、顔を顰めてしまう。
(ハリエットさまは政略結婚を義務として受け止めているけれど、それも当然。私だって、ディートリヒ殿下に婚約破棄されるまでは、果たさなければならない役目だと思っていた)
けれども商人としての人生を選んだあと、自分の人生を生きるのが楽しくて、目の前の日々に夢中になったのだ。
おかげで今までの人生では、誰かとの結婚なんて考える気にもならなかったほどだ。
(でも、今世は違う)
顔を上げると、こちらを見下ろしていたアルノルトと視線が重なった。
「――……」
この人が、リーシェの夫になるのだ。
そう考えた瞬間、以前告げられた言葉が蘇る。
『俺の妻になる覚悟など、しなくていい』
「……っ」
再び左胸が軋むのを、小さく息を吐いて誤魔化した。
「アルノルト殿下。……早速ではありますが、またおねだりしたいことがあります」
「なんだ。言ってみろ」
「両替所の、とある記録を確認させてください」
そう告げると、アルノルトは意外そうな目を向けてくる。
リーシェはバスケットを引き寄せると、丸めておいた書類の筒を取り出した。
「代わりと言っては何ですが、私からも殿下にご報告を」
「これは……」




