121 かつての頭首と対峙します
「城内に、音の鳴る仕掛けをしたのってあんただろ?」
猫のような仕草で首を傾げながら、ラウルが言った。
「ご令嬢のふりした同業者かと思ったけど、そんなことはなさそうだ。偽物にしちゃあ、皇太子さまが俺に向けた牽制が本気だったし」
「……」
「なあ。あれ、俺が一番嫌いなタイプの罠なんだけど」
狩人にとって、狩りの最中に気配を消すことは最重要項目だ。当然、大きな音を立てるようなことは避けたいと感じる。
リーシェを『同業者』だと感じたラウルの判断も、もちろん外れているわけではない。
「昨日の昼間、城に侵入してきたのはあなたの仲間ね」
そう尋ねると、ラウルはひょいと肩を竦めた。
「知らない。そんなやつ居たんだ」
「侍女が人影を目撃したらしいわ。窓から入ってきて、音もなく消えたのだとか」
「なるほどなるほど。それなら俺たちかもしれないし、まったく言いがかりかもしれない。どっちだろうね」
揶揄うような言い方にむっとくちびるを曲げると、ラウルは笑った。
「かーわいいなぁ」
するりと滑るように枝を降り、足音も立てずにリーシェの前へ立つ。
木の影になり、丘の下にいるハリエットたちからは見えない位置で、赤い瞳はこちらを見つめた。
「皇太子サマじゃなくて、俺の奥さんにしたいくらいだ」
「冗談ばかり言っていないで、本題をどうぞ」
「本題も何もないよ。ただ、あんたに会いたかっただけ」
どう考えても本音ではない台詞を吐きながら、男は言った。
「俺の名前はラウルだ。俺の国の言葉で、『助けに導く狼』って意味」
(……その名前も、表向きの出身国も、全部嘘だと知っているけれど……)
それでも懐かしさを感じる名乗りに、リーシェはかつてを思い出す。
五度目の人生で、『狩人』を名乗る集団に出会ったのは、シグウェル国の森の片隅だった。
リーシェはそこで、ひどい怪我を負ったラウルに遭遇し、薬師の知識で治療をしたのだ。
『あんたのお陰で助かったぜ、命の恩人。行くところがないんだったら、しばらくはここで過ごしてくれ』
随分と軽い言い方だったが、その小屋には十数人の狩人たちが暮らしていて、みんな気の良い人たちだった。
リーシェはそこで過ごし、ラウルの治療をする傍らで、弓の使い方を教わったのだ。
一通りのことを覚えると、ラウルはリーシェを森に連れて行ってくれた。
『……うん、お前は筋が良い。俺が本気で教えてやるから、ちょっとだけ頑張ってみるか?』
そうしてリーシェは、狩人としての人生を送ることになった。
森での暮らしは面白く、動物の生態は興味深い。虫や鳥の飛び方で天候を読み、獣の足跡で行動を推測して、自身の作った仕掛けで猟をするのだ。
森の中、獲物を狙って弓を構え、微動だにしないまま何時間も待つことだってあった。
極寒の中、雪の上で腹ばいになって獲物を待ち続けたときは、かじかむ指の感覚すら無くなったこともある。それでも、震えて歯など鳴らしては、その物音で気付かれてしまうのだ。
そうして日々の糧を得ながら、弓矢の腕を磨いていたけれど、ラウルたちが普通の『狩人』ではないという事実には気付いていた。
そのことをはっきりと聞かされたのは、シグウェル王家から下された命令によって、とある領地への狩りに出掛けたときのことだ。
『――要するに俺たちは、狩人のふりをした諜報役さ』
木の枝に腰を下ろし、あのときのラウルは教えてくれた。
『諜報活動の偽装には、狩人の皮をかぶるのがちょうどいいんだ。「狩りの下見」って名目があれば、国のあちこちまで自由に出かけて、違和感なく貴族たちの領地を調べられるだろ?』
ラウルが話したその事実は、リーシェがおおよそ想像していた通りだ。
『悪政の兆候や、税の誤魔化しがないかの証拠を、警戒されずに調べられるのね』
『そ。まあ、たまーに狩りの最中に森に迷って、他国まで入っちまう「事故」もあるわけだが』
彼はそう言いながら、少し先の狩り場を見下ろした。
『じーさん……先代頭首のいた東の国じゃ、俺たちみたいなのは「鳥見役」って呼ばれていたらしい』
『とりみ役……』
リーシェはぱちぱちと瞬きをした。
『それは、「忍者」っていうのとは違うのかしら』
『まあ、そっちも似たようなもんじゃねえの? あっちは普段、農家や商人のふりをしてるらしい。俺たちも基本的には「狩人」で、普段はお前も知っての通り、森で平和に暮らしてる』
歌うようにすらすらと述べたラウルを、リーシェはそっと振り返る。
狭い木の上だが、こういうときの体運びについては、ラウルのお陰で身に着いていた。そのため、ここでバランスを崩すようなことはない。
『でも、有事のときはこうした任務を行うのね』
『――まあ、獲物を狩るという意味では間違ってない』
赤い瞳を細め、狙いを定めるように笑ったラウルは、視線の先に居る男を眺めた。
『ちょっと待っててな、リーシェ。あいつは殺すなって言われてるから、慎重に狩る』
言葉ではそう言うものの、弓を構える仕草に緊張はない。
ラウルは矢をつがえると、乗っている木の枝を一切揺らすことなく、標的に狙いを定めたのだった。
(気配の消し方も、気配の読み方も、全部ラウルに教わったわ。あの人生のお陰で、狩人としてそれなりに動けるつもりではいるけれど……)
リーシェは目の前のラウルを見ながら、今朝の『カーティス』を思い出す。
(ラウルは別格。誰かに変装して、振る舞いや自分の声すら別人に変えることが出来るのは、ラウルだけだったもの)
そんなことを考えながら向けたこちらの視線を、ラウルはどんな風に捉えただろうか。
「カーティス殿下のふりをしているのは何故?」
「んー……」
ラウルは考えるような素振りをして、リーシェの顔を間近に覗き込む。
人懐っこい雰囲気を帯びているが、実際は誰のことにも関心がない。
そういうまなざしが注がれて、リーシェは内心呆れてしまう。
(狩人仲間には、みんなの兄みたいに振る舞っていたのに。……赤の他人には、ここまで軽薄な興味を向けていたのね)
これはもう、彼に恋をした女性たちが泣かされるわけだ。
ラウルの顔立ちは整っているし、表向きはやさしくて愛嬌があるので、なおさら問題なのだろう。
「俺がこんなに近づいても、まったく顔色変えないね。皇太子サマに触られると、すーぐ真っ赤になってたのに」
「……とりあえず、私の質問に答える気がないのは分かったわ」
「教えたら何か、ご褒美くれる?」
「だめ。あげない」
狩人人生のような調子で答えると、ラウルはくくっと喉を鳴らす。
「俺のことが不気味かもしれないけど、まあ許せよ。あんただって、カーティスの中身に気付いても何も言ってないんだから、こっちからしたら同じくらい不気味だぜ?」
「……」
「まあいいや、そろそろ帰るか。午後は大人しくしてるよ、なんだか雨も降りそうだし」
彼は言い、丘の下へと視線を向けると、侍女たちに合流したハリエットの姿を眺めた。
「よかったら、ハリエットとも仲良くしてやってくれよ」
遠くのハリエットを見つめていたリーシェは、静かにラウルへと視線を戻す。
しかし、そこにはもう誰もおらず、岬に立ち並ぶ木々が揺れているだけだ。
夏の眩い日差しの中、蝉の声が辺りに響き渡るが、外に動物の気配はない。
(……確かに、一雨来そうな状況ね)
侍女たちに、洗濯物を取り込むように教えなければならない。
リーシェは小さく息をつくと、枝に結んでいた手綱を解き、馬を連れて城へと戻ったのだった。
***
そのあとで、一時間ほどして雨が降り始めた。
恐らくは通り雨の類であり、待っていればすぐに止む類のものだろう。
けれども雨の勢いは強く、地面から白い飛沫が上がるほどで、侍女たちは大忙しだった。
夏に特有の短い雨は、激しい生命力を帯びている。
雨粒が窓を叩く、心地よいその音を聞いていると、アルノルトが街から戻ったという報せを受けた。
「おかえりなさい。……わあ」
「……」
玄関まで迎えに行ったリーシェは、アルノルトを見て目を丸くする。
そこには、全身ずぶ濡れになり、どこか拗ねたような表情をしたアルノルトが立っていた。




