118 未来の夫の想定は
「お前の傍に、新しい侍女を増やした方がいいか」
それは、思いもよらない問い掛けだった。
リーシェが瞬きをすると、アルノルトはこう続ける。
「侍女候補を集める際、オリヴァーから進言されていた。庶民から年若い候補を集めるのではなく、貴族出身の年長者を選んだ方が、お前の為になるはずだと」
(そういえば……)
リーシェの侍女であるエルゼたちは、リーシェ自身が採用を決めた。
しかし、そもそも彼女たちが集められたのは、アルノルトの指示によるものだったと聞いている。
「アルノルト殿下は、どうしてあの子たちをお城に呼んだのですか?」
天井の方を向いたアルノルトが、ゆっくりと目を瞑った。
「……あの城で、お前が孤立しかねないと思っていた」
「孤立?」
リーシェが再び瞬きをすると、穏やかな声は言う。
「本来ならば皇太子妃には、しかるべき血筋の侍女をつけるべきだろう。だが、下手な貴族令嬢を手配すれば、小国から嫁いできたお前を軽んじる可能性がある」
ガルクハインから見れば、リーシェの故国はとても小さい。
そしてリーシェは名目上、人質も同然の婚約者としてここに来たのだ。最初の夜会でも、リーシェを敵対視してくる令嬢は多かった。だから、アルノルトの言う通りかもしれない。
「それならば、権力を持たない一般国民を集めた方が安全だ。幸い皇城では、没落した家の娘たちを侍女に雇い入れてもいた。庶民でもよく働くという実績があったから、そう難しい話ではない」
(……ディアナたちのことね。あの子たちの頑張りがあったからこそ、エルゼたちを候補者として呼ぶことが出来たんだわ)
城に帰ったら改めて、ディアナたちの努力を労ってあげたい。そんな風に考えながらも、アルノルトの話を聞く。
「お前なら、身の回りに置く者の身分は問わないだろうとも感じた。であれば経験が浅くとも、年齢が近く、気兼ねもしないであろう人間を集めさせたが……」
アルノルトは静かに目を開き、もう一度リーシェを見た。
「そういった人間はお前にとって、自分が守るべき対象になるらしい」
「う……」
侍女たちの前で、幽霊が怖くないふりをしてしまったことを指すのだろう。それがどうにも気恥ずかしくて、少しだけ眉根を寄せる。
「だから、『侍女を増やした方がいいか』というお話に?」
「そうだ。せめて何人かは、お前より年長の者を用意してやるべきだった」
どこか詫びるような意味合いの言葉だ。
寝台にふたつある枕のうち、使っていない方を抱き締めてから、リーシェは告げる。
「たとえ、私の侍女に年上のお姉さんがいたとしても、殿下はこのお部屋で寝る羽目になっていたと思いますよ」
「……なぜ」
「だって」
そう問われ、抱き締めた枕に口元を埋めながら、もごもごと言った。
「……こんなところ、アルノルト殿下以外の人に、見せられるわけがないからです……」
「――……」
驚いたような顔をされ、慌てて上半身を起こす。
「あ! だからといって、アルノルト殿下以外の人を信用できないという訳ではないですよ!? 侍女たちも、騎士の方々もオリヴァーさまも、とても心強いと思っています。テオドール殿下だって手を貸して下さいますし! でも、だけど……」
言いながら、ぽすんと寝台の海に沈んだ。
「……私がこういうことをお願いしたいのは、何故か、アルノルト殿下だけで……」
「……」
どうしてそんな風に感じるのか、上手く説明できそうにない。
リーシェが助けを求めれば、きっとみんなが手を取ってくれる。そのことは分かっているのだけれど、見せる勇気があるかどうかは別だ。
けれど先ほどは、アルノルトが帰ってきてくれたなら、リーシェが怖かったことを聞いてほしいと思っていた。
「……多分。多分ですけど、アルノルト殿下の剣が、この世界の誰よりも強いから……」
「っ、は」
おかしそうに笑う声がする。
「追加の侍女探しよりも、お前につけている騎士たちの剣術を鍛える方が先だったか」
「そ、そう言われると剣の強さは関係ない気もしてきましたけど!!」
言いながらも、リーシェははっとした。
「……騎士を私につけてくださるのは、本当に護衛のためだったのですか?」
リーシェの護衛はいつもふたり、全部で六人のローテーションが組まれている。
本来はアルノルトの近衛騎士で、リーシェが来る前は別の職務があったはずだ。その上にここ最近は、コヨル国へアルノルトの騎士を貸し出す話が進んでいる。
近衛騎士は五十人ほどと聞いていて、大国の皇太子にしては非常に少ない。
人員に余裕はないはずだが、リーシェ付きの騎士が減らされないのを不思議に思っていたのだ。
アルノルトは、揶揄うような目を向けてくる。
「なんだ。本当はお前を監視するためにつけているとでも思っていたか?」
「……はい。その割には、私が騎士たちの目を逃れて動いていることに、なんのお咎めもないなとすら……」
だって普通は、城内に居る人間に対し、わざわざ専属の騎士などつけない。
だからこそリーシェは、騎士たちが自分を守るためではなく、その行動をアルノルトに報告するためつけられているのだと考えていた。
けれど、そうではないと気が付いたのだ。
なにしろ先ほどのアルノルトは、『あの城で、お前が孤立しかねないと思っていた』と口にした。そして弟のテオドールからも、『城内に兄上の敵は多い』と聞いている。
「アルノルト殿下。そんな風にお気遣いいただかなくとも……」
「お前が、自分の身を自分で守れることは分かっている」
リーシェの言葉を汲み取った上で、アルノルトは言った。
「――あれは、『俺が自分の近衛騎士をつけてまで、お前を守ろうとしている』ことを、周囲に示すためにやっているんだ」
「……」
とても静かな物言いだ。
それでいて、はっきりとした言葉だった。
その奥底には、あの城がアルノルトにとっての敵地であるという響きが感じられる。
「そういえば、騎士に警備の強化を指示していたそうだな」
「!」
不意に話を変えられて、ぎくりとした。
「『廊下の各所に糸を張り、その糸に鈴をつける仕掛け』だったか。侵入者があれば引っ掛かり、鈴が鳴る。怯えていた割に、冷静な行動を取っているじゃないか」
「ううう……」
アルノルトの言う通り、リーシェは黙って怯えていた訳ではない。
具体的に言えば、騎士たちに頼みごとをしながら怯えていた。ごくごく冷静に考えれば、侍女たちが見たのは生きた人間である可能性が高いのだ。
だけど、それでも。
「け、結果は私に教えないでくださいね」
「……知りたくないのか?」
「だって、罠を仕掛けたのに鈴が鳴らなければ、幽霊の可能性が上がっちゃうじゃないですか……!!」
アルノルトが目を細め、不思議そうにリーシェを見る。
「人間が引っ掛かったときの報告くらいは、別に受けてもいいだろうに」
「だってそれじゃあ、人間だったって報告が来るまでは、やっぱり幽霊かもって思いながら過ごすことになっちゃう……」
それならば、『どんな結果であろうとも、リーシェには連絡がこない』と思えている方がいい。
(それに、あの子たちが見た『人』が幽霊でも普通の人間でもなかったら、どちらにせよ鈴は鳴らないのよね……)
アルノルトは怪訝そうな顔をしたものの、やがてふっと息を吐いた。
「まあいい。有事については、俺が対応するだけだ」
(……アルノルト殿下は、幽霊なんて信じていないのに)
彼の言動からも、そのことは明らかだ。
(それでも、私が怖がるのを無下にせず、ちゃんと話を聞いて下さる)
その振る舞いが、どれほど心強いことだろうか。
「ありがとうございます。殿下」
「……」
「私も、何か、少しでも。……お役に立つことが、出来たら良いのですが」
そう告げながら、ハリエットの言葉を思い出す。
『国のために役に立たなければ、生きている意味どころか、生まれた意味もありません』
けれど、リーシェに返されたアルノルトの声は、穏やかでやさしいものだった。
「別に構わない。月が雲で隠れて暗くなる前に、早く眠れ」
「……はい」
「波音は、怖くはないか?」
「殿下が、いてくださるので……」
そんな風に答える傍らで、緩やかな眠気がリーシェの背を撫でる。
(いまここにいるアルノルト殿下は、未来の皇帝アルノルト・ハインとまったく違う。……そして、いまのハリエットさまも……)
思考をゆっくりと煮詰めながらも、リーシェは眠りに落ちて行った。
***
そして翌日、リーシェとアルノルトはそれぞれに身支度をしたあとに、改めてカーティスと顔合わせをすることになった。
朝食のあと、アルノルトにエスコートされながら貴賓室へと向かい、椅子から立ち上がった『カーティス』と顔を合わせる。
「おはようございます。昨晩は遅くの到着となってしまったにもかかわらず、丁重なお出迎えをありがとうございました」
「無事に到着しただけで何よりだ。狭い城ではあるが、出立まで不自由なく過ごせるように便宜を計らう」
「お気遣い、痛み入ります。アルノルト殿のご配慮に、心よりの感謝を」
そつのない挨拶を述べた彼は、短めの金髪をほんの少しの整髪剤で撫でつけている。
まっすぐ伸びた背筋に、穏やかそうな立ち振る舞い。笑うとき、少し困ったような印象になる微笑み方まで、本物のカーティスそっくりだ。
とはいえ、瞳の色までは誤魔化せない。
(ハリエットさまもお気付きのはず、だけれど……)
ちらりと目をやれば、ハリエットはやっぱり今日も深く俯いていた。
「ところで。聞けば、未来の妃殿下に大変なご迷惑をおかけしたとか」
カーティスのふりをしたラウルが、リーシェを見下ろして苦笑する。
「我が国から女性騎士を連れてきておりますので、これ以降の護衛は必要ありません。妹を守っていただきありがとうございました、リーシェ殿」
「滅相もございません。ハリエットさまと一緒に過ごすことが出来ましたので、とても楽しかったです」
「しかし、危険な役目を担っていただいたのは間違いなく。あなたの御身に、危険なことがなかったのであれば良いのですが」
危険ならあった。それも、他ならぬ目の前のラウルによって。
ラウルはそれを分かっていて、知らないふりをしているのだ。とびっきりの微笑みを浮かべ、リーシェは言った。
「何の問題もございませんでしたわ。カーティス殿下」
「……」
すると、興味深そうな視線が向けられた。
穏やかな表情でありながら、はっきりとした関心が窺える表情だ。本物のカーティスそっくりで、リーシェは内心驚いた。
「……それにしても、感服いたしました。リーシェ殿は公爵令嬢でありながら、剣術の心得がおありだとは」
「滅相もない。まだまだ修行中の未熟者ですから」
「ご謙遜を。敬意を表し、跪いてのご挨拶をさせていただいても?」
その要望に、ラウルの目論見を想像する。
跪いての挨拶ということは、手の甲に口付けのふりをする形式だ。
先日もカイルにそうされたが、あれはコヨル国の文化によるものだった。シグウェル国では、日常的にそんな挨拶をすることはないはずだ。
(私の手に触れて、剣の熟練度を観察しようとしているわね)
ひょっとしたら先日のレオのように、皇太子妃の影武者を疑われているのかもしれない。
正直なところ、ラウルにはあまり情報を渡したくないのが本音だ。とはいえ『王子』からの申し出を、リーシェの身分では断れない。
リーシェが頷きかけた、そのときだった。
(ひゃ)
するりと腰に手が回され、くすぐったさに声が出そうになる。
リーシェは両手で口を塞いだあと、隣に立ったアルノルトを見上げた。
「……アルノルト殿下」
リーシェを引き寄せたアルノルトは、どこか冷たい目をしている。
その表情のままラウルを見遣り、口を開いた。




