近衛騎士と、従者オリヴァーのお話
近衛騎士であるカミルにとって、その日は本当に散々だったのだ。
昼間に大きな失敗をしてしまい、主君であるアルノルトに咎められた。
落ち込んで消沈する情けないところを、幼馴染であるエルゼに目撃されてしまう。なんでもないと誤魔化し、彼女の仕事を手伝おうとしたところで、洗濯物を落としてしまった。
極め付けが、エルゼへのお詫びを買いに町に出たところで、うっかりとんでもないところを目撃したことだ。
(どうしてこんな、間の悪いことに……)
近道に通った路地裏で、男女が口づけを交わしていた。
まずいところに出くわしたと思ったら、銀髪の男性がこちらを見て、平然と声を掛けてきたのだ。
「おや、カミル」
「オリヴァーさん!?」
あろうことか、男女のうちの片割れが知り合いだった。
そうしてさらに悪いのは、彼とキスをしていた金髪の女性が、まったくカミルの知らない人間だったことだ。
艶っぽい視線をカミルに向け、女性はオリヴァーにこう尋ねる。
「オリヴァー。この男の子、知ってるの?」
「ああ。職場の関係でね」
「ふうん」
女性はオリヴァーから離れると、カミルににこっと笑いかけた。
たじろいだカミルを見て、女性はくすくすと含み笑いをする。そして、オリヴァーにひらりと手を振った。
「それじゃあ私、そろそろ行くわ。またねオリヴァー」
「夜道は危ない。送っていくよ」
「いらないわよ。あんたと歩いてるとこ見られると、誰に刺されるか分かったもんじゃないから」
「はは。手厳しいな」
オリヴァーは肩を竦めるが、女性の言葉自体はなんとも思っていなさそうだ。
女性とすれ違った瞬間に、ふわりと香水の香りがした。カミルにも「ばいばい」と手を振ってくれた女性に、思わず背筋を正して礼をする。
そのあとで、どぎまぎしながらオリヴァーに尋ねた。
「おっ、お、オリヴァーさん!! いまの方、前に街でお会いした際の女性とは違うお方では!?」
「先日……」
オリヴァーは、心底不思議そうな顔で首をかしげる。
「って、誰だったっけ?」
「栗毛のロングヘアで、赤いドレスを着た美女ですよ!」
「ああ! 彼女のことか」
ようやく思い当たった様子だが、普通そこまで時間が掛かるだろうか。
オリヴァーといえば、アルノルトの従者としていつも完璧な仕事をこなし、近衛騎士である自分たちにも気さくに接してくれる人物だ。
先日オリヴァーが連れていた女性も、カミルは当然のように恋人だと思い込んでいた。しかしそれなら、今ここにいた金髪の女性は何なのだという話になる。
(そ、そういえば先輩たちが、『オリヴァーさんはああ見えて女性の敵だからな』って……。それってモテ過ぎるって意味じゃなく、もしかしてこういうことだったのか!?)
「とぼけた回答をしてしまったね。ここ最近、色々な友人たちと出掛けていたものだから、どの女性のことかすぐに思い出せなくて」
(……そういうことだったらしい……)
女性に縁遠く、一緒に出掛けたことなど数えるほどしかないカミルにとっては考えられないことだ。仮にもし、万が一エルゼと出かけることが出来たなら、それは絶対に忘れるはずもない。
そこまで考えたところで、今日の失態を思い出して顔が曇る。
「……」
「浮かない顔だな。……ああ、そういえば」
オリヴァーはふと思いついたような顔のあと、にこりと爽やかな笑みを浮かべた。
「カミル。このあと少し、時間はあるかい?」
「私ですか? はい、外出届は出していますから」
「よかった。では、差し支えなければ一杯付き合ってくれないかな?」
「え……」
思わぬ誘いに驚いたが、敢えて断る理由もない。
戸惑っているうちに、路地裏を抜けた先にある酒場に案内され、まさかの一対一で酒を飲むことになった。
庶民がぎゅうぎゅうに詰め込まれ、大声を上げて浮かれ騒ぐ、大衆的な酒場だ。
その隅のテーブルに座ったカミルは、麦酒の杯に口をつけつつも、場慣れした空気のオリヴァーをちらりと見やる。
「意外でした。オリヴァーさんが、こういう酒場で酒を飲むなんて」
「そうかな? 俺も昔は騎士候補生だったから。訓練後は、先輩に引っ張り出されてよく来たよ」
「……ご自身のこと、『俺』っておっしゃるんですね」
「ああ。仕事中以外はね」
爽やかな笑みと共にそう言われて、あまりの美形っぷりに目が眩んだ。
男のカミルから見ても、信じられないくらいに整った顔立ちだ。だが、それもそうかと納得する。
何しろオリヴァーは、あのアルノルトの隣に居たって見劣りしないのだ。
いつも笑顔を浮かべ、そつなく仕事をこなす姿勢から、女性からの人気も絶大である。
アルノルトの近衛騎士をしていると女性に知られた場合、「アルノルト殿下の情報を教えて」と言われる回数が十回だとしたら、「従者のオリヴァーさまについて聞きたい」という質問も三回くらいある。
そうこうしている間にも、酒場の女性が近付いてきて、オリヴァーににっこりと笑い掛けた。
オリヴァーも柔らかな微笑みを返し、何かが成立した空気が流れる。だが、オリヴァーはすぐにカミルの方を見た。
「そんなことより本題だ。カミル、今日のことはどうか気に病まないでほしい」
「……今日っていうと、さっきの美女の……」
「そうではなくて。アルノルト殿下の叱責があった件で、君は落ち込んでいたんだろう?」
その言葉に、カミルは目を丸くした。
「それは……」
「隠さなくても構わない。訓練中、明らかにあの瞬間から元気がなくなったようだったから」
そこまで見られていたのかと思い、恥ずかしくなった。
先日は、第二皇子であるテオドールからもこう言われたのだ。『カミル、お前は顔に出やすいんだよねえ。エルゼのことが好きなのだって、多分本人と義姉上以外の全員にバレてるよ』と。
「でも、それほど消沈しないでほしくて。アルノルト殿下は、伸び代がある人間にしか指摘をしないんだ」
「……そ、そうなのですか?」
「ああ。それに、そもそもあの方が認めた人間でないと、近衛騎士に選ばれるはずもない」
もしやオリヴァーは、カミルを励ますために誘ってくれたのだろうか。
「じ、自分はいつまで経っても未熟で、アルノルト殿下のお役に立つことが出来ていません……」
「そんなことはないよ。リーシェさまの護衛だって、信頼している人間にしか命じない。大切な婚約者さまの御身を、カミルたちならば護れると判断なさったからこそ、その任をお与えになったんだろう」
「……!!」
そんなことをいま言われたら、あっさり泣いてしまいそうだ。
オリヴァーは、葡萄酒の入ったグラスを揺らしながら苦笑した。
「とはいえ、きつい言い方をされると傷付くよね。アルノルト殿下には、俺から進言して……」
「いえ!!」
誤解されていると気が付いて、カミルは慌てて首を横に振る。
「そうではないのです! 落ち込んでいるのは、アルノルト殿下に叱られたからと言うわけではなくて」
「ああ、そうなの?」
「はい。これはすべて、自分の問題なんです……」
麦酒の杯を両手で包み込み、ぎゅっと握りながらこう答えた。
「今日の訓練は、高い集中力を持って取り組む必要がありました。ですが自分は、訓練が終わりを告げるその直前、少し早く気を抜いてしまい」
その瞬間を、アルノルトは見逃さなかったのだ。
「『訓練であろうとも、その心構えでは怪我をする』とのご叱責だったのです。『戦場であれば死んでいた』とのお言葉に、自分の甘さを痛感しました。やはりどこか、訓練だからという慢心があったのでしょう」
「……訓練での怪我、か」
「アルノルト殿下は、訓練はとても厳しいものの、訓練中の怪我に対してはいつも特段の配慮をして下さいますから」
オリヴァーがどうしてか苦笑する。その理由は分からなかったが、カミルは視線を落とした。
「落ち込んでいるのは、自分の不甲斐なさと……その落ち込みを引きずって、幼馴染に迷惑をかけてしまったことへの情けなさというか」
「まあ、それなら問題ないんじゃないかな」
「どういうことですか?」
葡萄酒を飲みながら、オリヴァーが言う。
「叱られたことそのものに落ち込むのではなく、叱られた内容について考えられる人間は成長する。――その変化が見えれば、アルノルト殿下はご納得されるだろう」
「……オリヴァーさん……」
じん、と胸の奥が熱くなった。
そんなカミルに追い討ちをかけるように、オリヴァーはにこりと微笑む。
「それに、幼馴染というのはエルゼさんだろう? 君に掛けられた迷惑ぐらい、彼女は許してくれそうだし」
「……」
そう言われ、今一度先ほどのエルゼについて思い出す。
『洗濯物を運ぶ』とのたまい、まんまとシーツを地面に落としてしまったカミルを見て、エルゼは心配そうな無表情で言ったのだ。
『カミル、平気? 具合が悪いなら、いっぱい食べて寝た方がいい。……肉、魚、豆』
「エルゼは……」
がっくりとテーブルに突っ伏して、酔ってもいないのに酔っ払いのようなことを喋る。
「……エルゼは、天使なんですよ……」
「ははは。それは大いに羨ましいな」
それから一時間ほどのあいだ、カミルはオリヴァーと話しをしながら、三杯の麦酒を飲み干したのだった。
やがて会計の頃合いとなり、オリヴァーが「ここは払うよ」と言ってくれる。
全力で辞退し、むしろ相談を聞いてくれたオリヴァーにご馳走したかったのだが、「俺には払わなくていいよ。それよりも、他の近衛騎士が悩んでいたら、その相手にお酒を奢りながら話を聞いてあげてほしい」と言われてしまった。本当に、感謝しかない。
「……それにしても、オリヴァーさんはすごいですよね」
「うん? なにが?」
「仕事も出来るし、自分のような下っ端の近衛騎士にまで配慮してくださるし」
「ははは。ありがとう」
なんて優しい人なのだろうか。女性には少し軽薄なのかもしれないが、それ以外はまるで聖人のようだ。
カミルは心からそう思い、酒場を出ながら言い募る。
「……それに、アルノルト殿下に対して、まったく臆さずに進言されますし」
「ああー……」
財布を上着に仕舞いながら、酒で少し顔を赤くしたオリヴァーは言う。
「それについては、そんなに難しい話ではないから」
「え!? そうなんですか? だって、あのアルノルト殿下にですよ?」
「ああ。本当に、大したことじゃないんだ」
そしてオリヴァーは、いつも通りの爽やかな笑みを浮かべたまま、はっきりと言い切るのだ。
「俺は、アルノルト殿下になら殺されてもいいだけだよ」
「――――――は……」
冬でもないのに、空気がしんと冷えたような心地がした。
けれども当のオリヴァーは、そんなこと全く気にしていない。
「それじゃ、君は真っ直ぐ兵舎へ帰るようにね。俺はこのあと約束があるから、ここでお別れだ」
「は、はい……」
ひらりと手を振って、歩き始めたオリヴァーを見送る。
(やはり、あのアルノルト殿下の腹心に選ばれるような人は、只者ではないんだな……)
そんな事実を噛み締めつつ、自分もより一層の精進をしようと心に誓う。
そして数日後、アルノルトに剣捌きを褒められた際、オリヴァーはその後ろで小さく拍手をしてくれたのだった。




