107 喝采と注目
「あ……」
リーシェはぽかんとしてしまう。
正直なところ、このあとの状況は、危うくもあったのだ。
なにしろミリアは気絶し、大司教は茫然自失としている。
そしてアルノルトは、襲ってきた修道士に剣を向け、昏倒させながらここまで来た。
(ミリアお嬢さまを助けようとしたことが信用されず、教団を敵に回してしまう可能性もあったわ。だけど、シュナイダーさまのおかげで……)
修道士たちが駆け寄ってきて、大司教を拘束する。
一方で彼らはアルノルトを見上げ、口々に感謝の意を述べた。
「アルノルト・ハイン殿下! あなたさまのお陰で、ミリアさまのお命を救うことが出来ました」
「本当に、なんとお礼を申し上げて良いか……!!」
「……」
アルノルトは、心底不快そうに眉根を寄せたあと、黙って視線をシュナイダーに向ける。
シュナイダーの隣には、リーシェの縄から抜け出したらしきレオが立っていて、複雑そうにこちらを見ていた。
(……シュナイダーさまは、ミリアさまにレオという護衛をつけた、張本人なのだわ)
リーシェはほっと息をつく。
そこに、血相を変えた男性が転がり込んできた。
「ミリア!!」
「お待ちを、ジョーナル閣下」
シュナイダーが、ミリアの養父である公爵の腕を掴む。
「大司教の手先が、まだ潜んでいるかもしれません。ミリアさまはお連れします、あなたはここで……」
「すまない、離してくれ!」
「!!」
シュナイダーの手を振り払い、公爵がミリアの元に走った。
その視界には、アルノルトやリーシェの姿すら入っていない。彼は、修道士たちが抱き上げていたミリアの元に駆けつけて、きつく抱きしめる。
「ミリア……!!」
「……っ、パパ……?」
ゆっくりと目を覚ましたミリアが、公爵の顔を見てまばたきをした。
数秒のあと、茫洋としていた瞳が焦点を結び、公爵に向かって手を伸ばす。
「パパ!!」
「ああ……!! 可哀想に、怖かっただろう、どこか痛いところはないか……!?」
ミリアを抱きかかえたまま、公爵は涙声で何度も謝罪を述べた。
「私は大馬鹿者だ、本当の敵が誰かも分からず!! 大司教の言葉を信じ込み、結果としてお前を渡してしまった。命よりも大切なお前を、守ってやれなくてすまなかった……!!」
「ふっ、ふえ、うええ……」
「私は父親失格だ……こんなことではもう、お前と一緒にいることが許されるはずも……」
「ちがうもん。ちがう、ちがう……!!」
ぶんぶんとかぶりを振るミリアの言葉に、公爵が戸惑った様子を見せる。
「私、大司教さまにお薬を飲まされたあとに、ずうっと夢を見ていたの! 大神殿にいて、上から危ないものがたくさん降ってきたときに、パパが助けてくれた夢よ」
「……私が……?」
「パパはそのせいで具合が悪くなったのに、私のためにずっと、『昔からの病気のせいだ』って嘘をついてくれた。ね? パパは私の夢の中でも、私を守ってくれていたの!」
ミリアはぎゅうっと公爵にしがみつき、泣きじゃくりながら言う。
「パパの夢を見ていたから、私は絶対に助けてもらえるって思ってた。だから、だからパパ、そんな風に泣かないで」
「……ミリア……」
「……心配かけてごめんなさい、パパ。でも、でも、だけど」
紡がれたのは、とても小さくて心細そうな声音だった。
「……良い子になるから、ずうっとミリアのパパでいて……」
「っ、当たり前だ……!!」
娘の不安を掻き消すかのように、公爵が叫ぶ。
「……忘れないでくれ。お前がどれだけ悪い子になっても、パパは一生お前が大好きで、お前の味方だということを……」
「っ、パパあ……!」
わあわあと、ミリアの声が響き渡る。
侍女人生のリーシェは、彼女の泣き声を聞かないためにも頑張ってきた。だが、いまだけは、彼女の泣き顔を見てほっとする。
そして、隣のアルノルトを見上げた。
「……難しいお顔をしていらっしゃいますね?」
「公爵とあの巫女は、血縁ですらないのだろう」
ほかならぬミリアの血縁者は、眉根を寄せたままだ。
「それなのに、何故あそこまで巫女の身を案じているのか。まったく理解できないな」
「あら。大神殿に来る道中、アルノルト殿下がおっしゃったんですよ。『血の繋がりは、良好な関係性を築けるかどうかには、一切影響しないものだ』って」
すると、それがなんだという表情をされる。
アルノルトはあのとき、『血が繋がっているからといって、互いに仲良くできる訳ではない』と言いたかったはずだ。しかしリーシェは、その台詞を逆手に取ってこう告げた。
「つまり、アルノルト殿下の仰る通り。――『仲良くなれるかどうかに、血の繋がりなんて一切関係ない』ということです」
「…………」
「きっと関係ないんですよ。血が繋がっていなくても、あのおふたりは紛れもない親子なのでしょう」
アルノルトは、しばらく不本意そうにしたあとで、数秒置いてから溜め息をついた。
「まあいい。オリヴァー」
「はい殿下。お叱りを受ける準備は出来ておりますよ」
こちらに歩いてきた銀髪の従者オリヴァーが、にこりと爽やかな笑みを浮かべる。オリヴァーがアルノルトを『我が君』と呼ぶのは、基本的に第三者の目がないときだけだ。
「引き留めておくようご命令を賜っておきながら、リーシェさまを行かせてしまって申し訳ございませんでした。とはいえ恐れながら、自分の判断は正解だったかと」
「……」
「まさかリーシェさまが、あんな方法で殿下を止めて下さろうとは……ふふっ、くくく……」
「…………」
「いやはや残念でしたよ! 勿体ない、是非ともあのときの殿下の表情を拝見したかっ……痛あ!!」
(蹴った!!)
脛を押さえて蹲ったオリヴァーを前に、リーシェは目を丸くした。
アルノルトが、無言でオリヴァーの脛を蹴飛ばしたのだ。やはり以前から思っていたが、オリヴァーに対するアルノルトは、十九歳という年齢相応の振る舞いを見せることが多いような気がする。
「だ、大丈夫ですかオリヴァーさま!?」
「行くぞリーシェ。なんでもいいから、お前はいますぐ休養を取るべきだ」
「え。でもあの、オリヴァーさまが苦しんでいらっしゃいますが」
「放っておけ。ついてこないなら抱え上げて移動する」
「ひえ……」
心の中でオリヴァーに謝罪し、リーシェはアルノルトと一緒に歩き出そうとした。
だが、ふらりと足元が歪んでしまう。床に座り込んだリーシェを見て、アルノルトは迷わずに身を屈めた。
「あ!!」
この状況には覚えがある。
だからこそ、リーシェは慌てて声を上げた。
「お、お姫さま抱っこはお許しください!!」
「……ほう」
手のひらをアルノルトに向け、静止を要求する。
「自分で歩けますから、大丈夫! ちょっと休めば……って、ひゃあ!!」
その瞬間、ふわりと体を持ち上げられて絶句した。
(で、で、殿下――――――っ!!)
「横抱きじゃなければいいんだろう?」
叫ばなかっただけ褒められたい。
以前にされた抱え方とは違い、縦に抱えるような体勢だ。アルノルトの左腕にお尻を乗せ、右腕で背中を支えられて、こちらは彼の肩に腕を回す。
そうすることで、かろうじてバランスを保てるような状態だった。
(細身なほうに見えるのに、どうしてこれほどの腕力が!? というかこれ、下手にお姫さま抱っこされるより、くっつかなきゃいけない部分が多くて恥ずかしいような……!!)
修道士たちがざわざわと動揺し、驚愕の目でこちらを見上げている。必然的に頬が熱くなり、アルノルトに懇願した。
抱き上げられているため、アルノルトを見下ろす形になるのが新鮮だが、それを楽しんでいる暇はない。
「アルノルト殿下! 私は問題ありませんから、ひとまずここは一旦っ! あの」
「降ろさない」
「ふぐぅ……!!」
困り果てるが、絶対に降ろしてもらえないのは知っている。誰か助けてくれないかと見渡すも、唯一発言してくれそうなオリヴァーは蹲ったままだ。
こんなことならば、彼を見捨てるのではなかった。
リーシェが後悔しているあいだにも、アルノルトは構わずに歩き始める。しかも、その声はいささか不機嫌そうだ。
「体力が戻っていないのに、動き回るからだ。お前はいつも無茶をする」
「こ、今回に限ってはどなたの所為だと……!」
すると、アルノルトはふっと息を吐き、少し自嘲めいた響きを漏らすのだ。
「俺だな」
「……」
左の胸が、ずきりと淡い痛みを覚える。
そこに、司教のシュナイダーが進み出て来た。
「アルノルト殿下。お時間をよろしいですか」
「見ての通り、妻が急病だ。面倒な話は後にしてもらう」
(見ての通りとは!?)
アルノルトは真っ直ぐに、大広間の出口へと向かっている。立ち止まる気がないのを悟ったのか、シュナイダーは追ってこなかった。
その代わりに、冷静そうな瞳でリーシェを見上げる。
思い出したのは、シュナイダーに告げられた警告のことだ。
『アルノルト・ハインと結婚してはなりません』
「……」
リーシェは、アルノルトの首にぎゅうっと抱き着いた。
その上で、強い決意を込めてシュナイダーを見据える。するとシュナイダーは、心底驚いたように目を丸くするのだ。
そして、リーシェに深く一礼する。
「……どうした」
顔が見えなくなったアルノルトに尋ねられ、リーシェはそのままの体勢で答える。
「私がぎゅうってしてないと、殿下が階段でバランスを崩して危ないので……」
「は」
ひょっとして、嘘をついたのが気付かれただろうか。
だが、アルノルトの声音は不思議と楽しそうだった。まるで子供をあやすかのように、リーシェの背中を支えていた手で、とんっと撫でてくれる。
「何があっても、お前に怪我はさせないから心配するな」
「ご、ご自身のお体も大事にしてください……!」
そう言うと、「お前に言われたくはない」と反論された。
不本意だったが、この体勢ではあまり強く言い返せそうもない。何しろ心臓はどきどきして、頬がいつまでも火照ってしまうのだ。
「……」
リーシェはさりげないふりをして、先ほど自分が噛みついたアルノルトの首筋を撫でる。
そのあとできつく目を瞑り、「早く殿下が降ろしてくれますように」と、長い階段のさなかで祈るのだった。




