11 全部まとめて大掃除しましょう
解毒剤の一件以降、これまで何処かリーシェを遠巻きにしていた騎士たちの警戒心が、少し和らいできた気がする。
当初は傷ついた仲間を任せたがらなかった彼らだが、残りの道中では積極的に怪我人の状況を報告し、リーシェに処置を相談した。
そしてそのお礼と言わんばかりに、休憩中は森の中を散策し、リーシェの欲しがる薬草を集めておいてくれるのだ。
治療のお礼なんかいらないのだが、その気遣いは正直嬉しい。
薬師人生を経験して以降、隙あらば薬の原料を採集しているリーシェだが、これらは色んな場面で役に立つのだ。
そして、盗賊の襲撃があった日から数日後。
馬車はいよいよ、ガルクハイン国の皇都に到着した。
「ここが……」
馬車門をくぐったあと、リーシェは思わず声を漏らす。
白い壁の建物が立ち並ぶ、整然とした街並みだ。一階には様々な商店が並んでおり、見上げる二階の窓辺には花が飾られている。
整備された煉瓦道を行き交う人々は笑っていて、美しい街の中心部には、荘厳な城が聳え立っていた。
「皇都シーエンジスだ。この国で最も大きな街で、交易拠点のひとつにもなっている」
アルノルトの説明を聞きながらも、リーシェは内心そわそわしていた。
街に入ってきた豪奢な馬車を見物するため、あっという間に人々が集まってくる。
彼らは両腕に買い物袋を抱え、あるいは子供たちと手を繋ぎ、なにか素晴らしいものを迎えるような表情で手を振ってくれた。
街の様子は賑やかで、この国の豊かさを窺わせる。きらきらした表情で見つめてくる子供たちが可愛くて、リーシェは思わず微笑んだ。幼い頬が薔薇色に染まり、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ね回る。
馬車はそのまま街並みを進み、城の正門をくぐって城内に入る。道の左右には騎士たちが整列し、皇太子とその婚約者を出迎えた。
先に馬車を降りたアルノルトが、リーシェに手を差し伸べる。ごく自然な動作だったため、思わずその手を取って降り立つと、騎士たちが少し動揺したようだ。
(……?)
「長旅お疲れ様でした、殿下、リーシェさま」
先頭の馬車に乗っていた従者のオリヴァーが、出迎えの騎士に交じって頭を下げる。そのあとで、物珍しそうにアルノルトを見た。
「殿下が女性に手を貸すなど、珍しいこともあるものですな」
(……ハッ!!)
その指摘を聞いて、アルノルトに出した『指一本触らない』という条件を、リーシェから破ってしまったことに気が付いた。先に手を差し伸べたのは彼だったが、それを借りたのはこちらの方だ。
「くっ、くく……」
策略の成功したアルノルトが笑い始めたので、素直に悔しく思う。オリヴァーは不思議そうにしていたあと、アルノルトに何か耳打ちした。
その報告を受けたアルノルトが、面倒くさそうに溜め息をつく。
「どうかなさいましたか?」
「……皇城内の離宮を手配させていたが、手違いで準備が遅れているらしい。悪いがお前には数日ほど、城内の賓客室で過ごしてもらうことになりそうだ」
そう告げられて、驚いた。
結婚の条件のひとつとして、『ご両親との別居』を挙げたのはリーシェだ。しかし、それは実際簡単なことではない。準備には軽く数か月は掛かると想像していたのに、たった数日でなんとかするつもりなのか。
「あの。お気遣いいただかなくとも、私は今日からそちらの離宮で結構です」
「なに? ……だが、離宮は長らく使っていない。埃だらけでひどい有様だぞ」
「言ったでしょう? 古くても汚くても構いませんと。もちろん殿下は準備が整うまで、いままで通りに暮らしてください」
本当は『今後もひとりで住みます』と言いたいところだが、そもそも別居を願い出たのは、アルノルトを皇帝から引き離すためだ。
「それに私、人質ですから!」
「……なぜ誇らしそうなんだ……」
リーシェは胸を張り、にこりと笑った。
***
案内されたのは、広大な皇城敷地内の片隅にある離宮だった。
全部で四階建ての、小規模な城だ。長年使用されていなかったというそこは、確かに埃だらけである。
(でも、そんなにひどい状態じゃないわ)
もっと物置然としたところを想像していたが、城内はむしろ物がなく、整頓されている印象だ。埃がものすごいだけで、放置されていたゆえの劣化などもない。
使わない城に掃除の手を回さないのは、至って堅実だ。
『お前が離宮にいたいというなら、好きにすればいい。俺はこれから数日立て込むだろうが、賓客室はいつでも使えるようにしておく』
アルノルトはそう言い残し、オリヴァーと共に消えた。
オリヴァーいわく、ここ二週間城を空けていたことにより、数日徹夜しても終わるか分からない公務が残っているのだという。
(皇帝アルノルト・ハイン……いまはまだ皇太子殿下。彼が何を考えているかは気になるけれど、取り急ぎは自分の寝床作りね)
リーシェは、持ってきた着替えの中で一番簡素なドレスに着替え、腕まくりをした。
まずは護衛の騎士たちに見守られながら、あらゆる場所の窓を開け放つ。
幸い今日はいい天気で、この城の日当たりは良好だ。
カーテンも絨毯もないため、がらんどうのさびしい城に見えるものの、調度品が揃えば立派な空間になるだろう。
換気手段を確保したリーシェは、次に地下への階段を探す。
重たい木戸を押し開けると、足元をすばしっこいネズミが走り抜けた。同行していた騎士が「うわっ」と悲鳴を上げるが、平気な顔で地下室に入る。
「り、リーシェさま。このようなところで何を?」
「侍女たちの使っている道具は、大抵こういった地下に保管しているのです。ほら」
物置からハタキとほうきとチリトリ、新品の雑巾を手に入れる。
桶も見つかり、水を汲んできて、リーシェは城の大掃除を始めた。
巻きつけたハンカチで口元を覆い、窓枠のへりなど、高い場所の埃をはたきで落とす。それが終わったら、床に落ちた埃の掃き掃除だ。
(これだけ目に見えて埃だらけだと、やりがいがあるわね!)
リーシェは張り切って、ずり落ちてきた袖を再びまくる。
雪のように積もっている綿埃が舞わないよう、最初はほうきを押し付けるようにして動かした。こんもりした埃を一か所に集め、それを捨てたら掃き掃除に移行する。
あらかた掃き終わったら、今度は雑巾がけだ。本当はモップが欲しいところだが、物置には見当たらなかったのである。
「リーシェさま。なにか、お手伝いできることは?」
見兼ねた騎士が、そう声を掛けてくれた。離宮といえど皇族の使う城は、一室一室が広大だ。
しかし、リーシェは首を横に振る。
「護衛として傍にいてくださる騎士の皆さんに、掃除をお願いするわけにはいきません」
「しかし……殿下の婚約者たるリーシェさまが、わざわざこのようなことをなさる理由もございません。どうぞ主城の賓客室をお使いください」
「いえ。私、こちらのお城がとっても気に入りましたので」
リーシェが固辞するのは、ひとつの理由があった。
賓客室の支度というのは、本当に大変なのだ。侍女人生、そこにたった一泊お客さまが入るというだけで、侍女たちは朝から晩まで休憩なしの準備に追われる。
髪の毛一本や埃はもちろん、シーツの皺すら許されないのだ。労働の過酷さはもちろん、失敗は許されないという緊張感で、くたくたになってしまう。
リーシェがたった数日過ごす部屋のために、そんな苦労を負わせたくない。この城の侍女たちは数が少ないそうで、主城の仕事を回すだけでも大変だろう。
「それに、ほら」
雑巾がけの終わった辺りを振り返り、騎士に示す。
すっかり綺麗になり、明るい日差しの差し込む部屋を見て、騎士は驚いたように目を丸くした。
「自分でこんな風に綺麗にしたと思ったら、これからの暮らしももっと楽しくなるでしょう?」
そう言って笑うと、騎士たちもなんだかおかしそうに笑い、なるほどと同意してくれたのだった。