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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜3章〜

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99 はらはら零れる

 







「――最初に見たのは、妹が父に殺される場面だった」

「!」


 アルノルトが静かに告げた事実を、瞬時に飲むことは出来なかった。


(殿下の妹君を、お父君が?)


 言葉の意味は分かるのに、頭が理解を拒むのだ。

 絶句したリーシェを見下ろして、表情を変えないアルノルトが続けた。


「父帝が妃のひとりに産ませた赤子だ。生まれてまだ数日ほどで、妃が必死の思いで守ろうとしていたものを父帝が奪い取り、その剣で貫いた」

「そんな……」


 光景が脳裏に浮かびかけ、反射的にやめてしまう。


(確か殿下のお父君は、世界各国と戦争をして、いろんな国から王族の女性を献上させたって)


 寝台に横たわるリーシェは、震えそうになる声を叱咤してこう尋ねた。


「何故、そのようなことを?」

「あの男は、自分の血を色濃く受け継いでいる子供だけに存在を許す。……妃の前で殺すのは、『そうではない赤子』を産んだ罰だと言った」


 赤子を殺すだけでも信じられないのに、ますます混乱が深くなる。


 生まれたての赤子を前にして、どのようにそれを判断するというのだろう。

 リーシェが分からないでいることを、アルノルトはすでに察していたようだ。


「――父帝と同じ、『黒髪と青い瞳を持っていること』」


 アルノルトは、彼が言った通りの青色をした双眸でリーシェを眺める。


「それが、生き延びる赤子の条件だ」

「……!」


 あまりの事実に、リーシェはぐっと眉根を寄せた。

 アルノルトのみならず、彼の異母弟であるテオドールだって黒髪と青い瞳を持っている。四人の妹姫たちも同様なのだろうが、そんな条件が課せられていたとは思いもよらなかった。


(だから殿下は、ご自身の瞳の色が忌まわしいと仰っていたの?)


 思い出されるのは、以前離宮のバルコニーで交わした会話だ。


 アルノルトの瞳が綺麗だと告げたとき、アルノルトは話してくれたのである。

 青い瞳は父親と同じもので、それを抉り出したいほどに嫌っているのだと。けれどもその理由は、単なる父への嫌悪だけではなかったのだ。


「青い瞳というものは、子供に受け継がれにくい性質のはずです」


 そこに『黒髪』という条件まで加わっては、当て嵌まる場合などごく僅かだろう。


「お前の言う通りだ」

「……お父君に、認められなかった赤ちゃんは……?」

「その赤子を産んだ妃の前で、例外なく全員殺された」


 告げられたことに、言葉を失う。


(……どうして、そんな所業が出来るの)


 薬師として生きた人生で、幾度か出産の手伝いをしたことがあった。


 母子ともに健康な産後というのは、決して当たり前のことではない。彼女たちは十ヶ月ものあいだ変調に耐え、不安と痛みを抱えながら、命懸けで子供を産むのだ。


 それなのに、子供の父親であるはずの人物が、生まれた命を掻き消してきたというのだろうか。


「幼かったアルノルト殿下が、その場に同席させられたのですか」

「……」


 沈黙という名の肯定に、ますます胸が苦しくなる。


「殿下のことを、どなたか気に掛けて下さった方は? お妃さまたちはきっと、あなたに向けて……」

「――生き延びた俺に怨嗟を向け、憎しみを注ぐ者たちばかりだったが」


 次いでぽつりと零されたのは、ほとんど独白めいた言葉だった。


「……俺を一番憎んでいたのは、俺を産んだ母后だろうな」

「っ?」


 呼吸を詰めたリーシェの指に、アルノルトの指が絡められる。

 彼の声はいっそ穏やかで、当たり前の事実を確かめるかのようだ。


「赤子を殺す傍らで、あの男はいつも俺に言っていた。『お前の体には、他の人間より優れた血が受け継がれている』と」


 美しい指が、リーシェの嵌めている指輪をゆっくりとなぞった。


「だが、そんなはずはない。あの男の血を継いでいるというだけの血統に、一体どんな価値がある?」

「……殿下」

「お前も十分に理解しておけ。俺が皇族であろうとも、たとえ誰の血を引いていようとも、他者より尊重される理由には成り得ないと」


 アルノルトは、真摯な目をしてこう告げる。


「お前の命よりも、俺の身が優先されるべきなどということは、二度と言うな」

「……っ」


 左胸が、ずきりと鈍い痛みを覚えた。


「それは……」


 本当なら、『それは出来ません』と返事をしたかったのだ。


 だというのに、なかなか言葉が出てこない。

 寝台からアルノルトを見上げ、彼の瞳を見つめたリーシェは、ゆっくりと慎重にまばたきをする。

 そして、次の瞬間。


「――……!」


 両目から、堪えていた涙がぽたりと零れた。


「っ、おい」


 アルノルトが顔を顰め、リーシェからぱっと手を離す。

 代わりに首筋の包帯へと触れて、渋面のまま見下ろしてきた。困惑をはっきりと表情に映した、とても珍しい表情だ。


「やはり、何処かが痛むのか」

「やっ、ちがいます……!」


 慌てて否定しようとするも、声音が不安定に揺れてしまう。手の甲を瞼に押し付けても、雫がとめどなく溢れてきた。

 次から次へと溢れるさまを見下ろして、アルノルトが途方に暮れた声で言う。


「……何故、ここで泣く」

「ご、ごめんなさい」


 リーシェ自身も困り果て、隠したいのに上手くいかない。

 誰かの前で泣くなんて、物心ついてから一度もなかったのに。


「あなたが、あんまりにも、やさしいから」

「……?」


 リーシェは気が付いてしまったのだ。


 危険な戦場から生還した騎士の中には、命を顧みない戦い方をする者がいる。


 彼らに理由を聞いてみたところによると、それは『生き延びた罰』だと言うのだ。

 仲間たちが死に、自分だけが生還したことに罪悪感を覚え、その償いをしなくてはならないのだと戦場に立ち続ける。


 でも、生き延びた罪などあるわけがない。


「……幼かった殿下はなんにも、悪いことなんて、していないのに……」

「……」


 だが、アルノルトはそのように振る舞っているのではないだろうか。


 以前盗賊に襲撃された際、騎士を下がらせてひとりで剣を抜いたのも。

 フリッツが話していたシウテナ戦や、リーシェが対峙した六度目の人生のように、戦場で最前線に立とうとするのも全部。


 それが、彼の中における罪滅ぼしなのだとしたら。


(きっと、小さな子供の頃から……)


 そう思うだけで、リーシェは泣きたくなってしまう。


 目の奥がじくじくと熱くなって、本当に胸が苦しかった。それが痛みの所為でないことは、アルノルトにも伝わったのだろう。


「……あまり、目を擦るな」

「ひ、う」


 そんな言葉のあと、両手がアルノルトに捕まった。

 視界を遮るものが消え、ぼやぼやと滲んだ世界が見える。瞬きをするたびに明瞭になっては、すぐさま再び霞んでいった。


 そうして映し出されたアルノルトが、困ったような表情を浮かべる。


「なあ」


 リーシェの涙を指ですくいながら、アルノルトは渋面のまま尋ねてきた。


「……どうしたら泣き止むんだ」

「〜〜〜〜っ」


 そう言われ、ますます涙が溢れてしまう。アルノルトはそれを見て、責めるような声を漏らした。


「……リーシェ……」

「だって、だって」


 リーシェのことばかり慮って、彼は自分を顧みない。


 そのことに対するままならない気持ちが、毒を受けた熱によってぐらぐらと煮える。

 そのお陰で、我ながらよく分からないことを口走ってしまった。


「あ、あたま」

「頭?」

「アルノルト殿下の、頭、撫でたいです……」


 そう告げると、アルノルトは眉間の皺を深くするのだ。


「あのな」


 突拍子もない言葉だとは自覚している。成人男性を相手に、どう考えたって的外れな願い事だ。


 けれども今はどうしても、アルノルトの頭を撫でたいと思った。


 幼かったころの彼には届かないが、目の前にいるアルノルトに触れたかったのだ。

 だから、ねだるような気持ちで見上げる。


「殿下……」

「…………」


 アルノルトは深く溜め息をつくと、寝台に膝で乗り上げた。


 ぎしりと軋む音がして、シーツの衣擦れが伝わってくる。


 リーシェの顔の横に両手をついたアルノルトが、真上から覆い被さるように見下ろしてきた。

 彼との距離が近くなり、これならリーシェも触れられる。


 少し掠れた声が、リーシェの我が儘を許してくれた。


「好きにしろ」

「は、はい……」


 ぐすぐすと泣きながら手を伸ばし、アルノルトの頭にゆっくりと触れる。


 なんだか不思議な感覚だ。アルノルトは慣れなさそうな顔をするが、リーシェだって上手に出来はしない。

 それでも彼の黒髪を、そうっと撫でてみた。


 軽く毛先の跳ねたアルノルトの髪は、触れると案外柔らかい。

 何故だかたまらない気持ちになって、やっぱり涙が溢れてしまう。


「っ、……」

「……おい」


 アルノルトが、話が違うと言いたげな顔をした。彼を困らせているのはわかっているのに、どうにもならない。


「リーシェ」

「ごめん、なさ……」

「……くそ」


 覆い被さっていたアルノルトが身を屈め、リーシェと自分の額を緩やかに重ねる。互いの前髪が絡まって、くしゃりと音を立てた。

 そうして彼は、瞑目するのだ。


「頼むから、もう泣くな」


 懇願の言葉が、苦しげな声で紡がれる。



「――お前が泣いているのを見ると、頭がどうにかなりそうだ……」

「……っ」



 アルノルトが辛そうにしているのを見るのは、こちらだって辛い。


 泣き止まなくてはとひどく慌てた。けれどもリーシェは結局のところ、子供みたいに泣きじゃくってしまうのだ。


 両親の前で泣くことを許されなかったリーシェにとって、それは初めての経験だった。


 アルノルトはやはり困り果てた様子だったが、リーシェが泣き疲れて眠るまで、いつまでも涙を掬ってくれたのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] こうして二人は、お互いになくてはならない存在になっていったのですね。
[一言] 女神教の敬虔な信者とはいったい・・・ 皇帝のせいで「黒髪は忌まわしい」とならねば良いが
[良い点] 本当に神回 [一言] アルノルトにこんなに悲惨な過去があったなんて。本当ならもっと兄弟や姉や妹もいただろうに 想像するだけでうるっときちゃう。 本当に神回!
2022/03/18 21:07 退会済み
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