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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜3章〜

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98 ゆるゆる触れる

 



 ***




 眠っているとき、過去に過ごした人生のことを夢に見る。


 その日にリーシェが眺めたのは、騎士だった人生のときの記憶だ。


 体の痛み。

 流れ落ちる血と震える腕。

 痛いくらいに心が軋み、それでも守るべきものを守ろうとした、『最後』の一日の夢なのだった。


『殿下たちを例の場所へ、一刻も早く!!』

『我らの光、我らの主! 命を懸けて守り切れ、たとえ死んでも道を繋げ!!』


 あちこちに剣戟の音が散り、喊声が響き渡る。火花すら爆ぜるほどの激しい戦いで、仲間たちが次々に死んでゆく。

 この絶望を連れてきたのは、敵軍を率いる人物だ。


(――アルノルト・ハイン)


 血に濡れた剣を握り締め、リーシェはその男を睨みつけた。


 暗く濁った青色の瞳が、ゆらりとこちらに向けられる。それだけで、本能が『逃げろ』と警告を発した。

 恐ろしいほどに整ったその顔立ちは、リーシェが慕った人々の血で汚れている。


 彼は表情のひとつも変えない。


 それなのに、なんの感情も見えない殺気が突き刺さる。だが、その場の空気が支配され、呼吸すら難しいほどの緊張感に痺れても、『あれ』から背を向けるわけにはいかない。


(陛下も隊長も団長も、みんなあの男に殺された。……ヨエル先輩も、私を庇って……)


 短く息を吐き出して、ぎりっと剣を握りしめる。

 たとえ無残に殺されても良い。せめて王子たちを逃さなければと、それだけを願って戦ったのだ。


『……っ』


 彼の時間を奪うため、リーシェは必死に斬り結んだ。


 リーシェ以外の騎士たちも、次々にアルノルトへ攻撃を仕掛ける。

 それらは容易く薙ぎ払われ、亡骸の山が増えていって、生き残った人はいなくなって。アルノルト・ハインの切っ先は、やがてリーシェの心臓をも貫いた。


 そこで終わった人生の、最後のほんの一時の夢だ。


 けれど、意識が崩れて溶ける瞬間、アルノルト・ハインが耳元で囁いたことを思い出す。



『――――――――』

(……ああ)



 曖昧な記憶だったその部分が、一瞬だけ鮮やかに蘇った。


(彼はあのとき、確かにこう口にしたのだわ)


 理解した瞬間に、この夢で見たすべてを忘れ、記憶がゆるゆると解けていく。


 誰かが、頰を撫でてくれたのだ。

 その感覚と引き換えに、リーシェはゆっくりと浮上した。




 ***




 その手は、リーシェを眠りから揺り起こすように、それでいてやさしく頰に触れていた。


 熱の有無を確かめているかのように、丁寧に丁寧に頬を撫でられる。誰の手なのかは分からないけれど、随分と心地の良い触れ方だ。

 それが離れてしまう感覚と共に、ゆるゆると目を開く。


「……?」


 夜の闇と静寂に満ちた部屋の中で、リーシェはぼんやりとそちらを見上げた。


「……アルノルト、殿下……」

「……」


 リーシェが寝かされていた寝台の傍らに、アルノルトが座っている。


 彼の名前を呼んだのだが、アルノルトは何も言わないままだ。その整った顔立ちは、眉根を寄せていても美しい。


 眠っているリーシェを起こしたのは、間違いなく彼の手なのだった。だが、ここが大神殿の客室なのは分かるとして、何故アルノルトが傍にいるのだろう。

 そこまで考えてみたところで、ようやく先ほどの現実を思い出した。


「殿下、具合は……?」


 掠れる声で尋ねると、アルノルトは眉間の皺を深くする。


「起きてすぐ、俺の心配をしている場合か」

「だって……」


 言葉を紡ごうとするのだが、体が火照って怠かった。高い熱が出ているときのように、どこもかしこも熱くて重い。

 アルノルトは溜め息をひとつ零し、リーシェの背中に腕を回す。


「う……」


 起き上がるように促されているのだが、どうにも力が入らない。結局ほとんどアルノルトに支えられる形になりながら、寝台の上で身を起こす。

 リーシェの背中に片腕を回したアルノルトは、もう片方の手でサイドボードに手を伸ばした。


 蓋が空いたままの小さな瓶は、もちろん見覚えのあるものだ。

 アルノルトはその瓶を持つと、飲み口をリーシェのくちびるに、ふにっと当てる。


「たったいま戻ってきたものだ。飲め」

「……」


 きゅっと口を閉じ、自分の口元を手のひらで覆えば、アルノルトがますます渋面を作った。


「飲めと言っている」

「……いけません。この解毒剤は、アルノルト殿下が飲んでください」


 青色の瞳を見上げ、必死の思いで懇願する。


「私より、アルノルト殿下の御身の方が大事です」

「…………」


 その瞬間、彼の双眸が冷ややかな光を帯びた。

 アルノルトはリーシェから瓶を遠ざけると、黙って解毒剤の瓶を呷る。その様子を見て、リーシェは素直に息をついた。


(よかった。これを飲んで下されば、殿下は大丈夫)


 アルノルトは、五本作った解毒剤のうち一本を戻してくれたのだろう。

 残る四本を受け取ったお針子たちのほうは、大丈夫だったろうか。高い熱が出て辛かっただろうが、後遺症などが残らないと良い。


 そんなことを考えながら、ぼんやりとアルノルトのことを眺める。しかし、形の良い喉仏は、嚥下に動く気配がない。

 回らない頭で不思議に思った瞬間、アルノルトに突然おとがいを掴まれ、彼の方を向かされる。


 そして、いささか強引な口付けをされた。


「んう……っ!?」


 リーシェのくちびるは開かされ、甘ったるい薬が流し込まれる。

 意図に気が付いて抵抗しても、腕に力が入らない。


(駄目! この解毒剤は、アルノルト殿下の……)


 そう思うのに、アルノルトはリーシェを離してくれなかった。

 逃げようとする腰を引き寄せられ、喉を逸らすように顎を上げさせられる。


 そんなことをされてしまっては、本能的な反射で飲み込むしかない。

 抗おうとしたのも虚しく、リーシェはこくんと喉を鳴らした。


「っ、は……」


 飲み込んだのを確かめられた後、ようやく解放される。

 リーシェはくしゃりと顔を歪め、途方に暮れた気持ちでアルノルトを見上げた。


「どう、して」

「……」


 自分の口元を手の甲で拭ったアルノルトは、続いてリーシェのくちびるを親指で拭う。

 そうする手つきはやさしいものの、瞳には苛立ちが燻っていた。


「言っておくが、俺はいま腹を立てている」

「……っ」


 額同士をごつりとぶつけるようにして、アルノルトが至近距離から睨んでくる。


「手荒な真似を謝罪するつもりはない。……今度こそ、殴っても構わないぞ」


 リーシェはきゅうっとくちびるを結び、彼に手を伸ばした。けれどもそれは、アルノルトを殴ったりするためではない。


 泣きたい衝動を堪えながら、彼のくちびるに触れてみる。

 辿るような触れ方をすると、アルノルトは怪訝そうな顔だ。


「……なんだ」

「殿下の、お薬は……?」


 本当に怖くてそう尋ねたのに、アルノルトは何故か一瞬だけ目を丸くする。

 そのあとで、ぐっと渋面を作ってこう言った。


「お前の血はすぐに吐き出した。変調も出ていないし、必要はない」

「でも、あれは猛毒なのです。眠り薬が効いているあいだはともかく、それが吸収されてしまった後は、下手をすると命さえ」

「俺にとって重要なのは、お前がその毒を身に受けた事実の方だ」


 アルノルトの指が、リーシェの首筋に触れる。


 そこには包帯が巻かれていた。

 傷自体は浅いものなのに、大仰すぎるほどに巻き付けられていて、几帳面に留めてあるようだ。


「……危険な真似をするなと、以前も言った」


 静かに紡がれた彼の声には、さまざまな感情が滲んでいるように聞こえる。


「ごめんなさい……」


 リーシェのせいで、アルノルトまで危険に巻き込んでしまったのだ。


 皇族、それも世継ぎである皇太子が毒薬を口にしてしまうなど、下手をすれば一国の命運をも左右する一大事である。

 何よりも、アルノルトに万が一のことがあったらと想像するだけで、身が竦むほどに恐ろしい。


「……」


 アルノルトは物言いたげな表情のあと、リーシェを寝台に寝かせてくれる。

 そうして、尋ねてくるのだ。


「痛むところは」

「あり、ません」


 熱の辛さと体の重さはあるが、拙くとも指先まで動かせる。解毒剤も飲まされたお陰で、この辛さを引き摺ることもないだろう。


 確認するべく開閉した左手に、アルノルトの手が重なる。それがいつもより冷たく感じるのは、リーシェの体温が高い所為だ。

 サイドボードに置かれているランプの光が、青い瞳に映り込んでいる。それはまるで、いつかの人生に眺めたことのある漁火のようだ。


「生きているな」


 当たり前のことを、とても真摯に確かめられた。


 言葉で肯定するだけでは、信じてもらえないような予感がする。

 だからリーシェは、上から重なっている彼の指に、自分の指を絡めてきゅうっと繋いだ。


「……はい」

「…………」


 アルノルトが短く息を吐き出す。

 その様子を見て、思わずこんなことを尋ねてしまった。


「どなたかを、目の前で亡くされたことがあるのですか」


 アルノルトが僅かに目を伏せる。

 その仕草を見て、愚かしい問い掛けだったと気が付いた。


 彼は戦争を経験している。人の死に触れたことはあるだろうし、それを何度も繰り返してきたはずだ。


 けれどもアルノルトは、思わぬことをリーシェに告げる。




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― 新着の感想 ―
[良い点] このところ連日投稿して下さるので、とっても……とっても嬉しいです!アルノルトとリーシェは尊いの一言に尽きますね!! [一言] アルノルトの色んな表情や感情の揺れ動くシーンがたまらないですね…
[良い点] >>リーシェのくちびるに、ふにっと当てる。 「ふにっと」って......!!! 更に顎クイからの強引なチュー!そして手を繋ぐ!全話に続けてこんな最高な...わざとですね?! [気になる点]…
[一言] ついに殿下の過去(1部かもしれないけど)が語られる…!?!? 毒の危険があるアルリシェの今の状況は決して楽観視できるものではないかもしれないけど、その薬の飲ませ方はずるいよ殿下!!!!!!…
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