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【7章連載中】ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する【アニメ化しました!】  作者: 雨川 透子◆ルプななアニメ化
〜3章〜

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97 ぐらぐら混ざる

 








 火を放たれたように感じたけれど、それは反射的な錯覚だ。


 ぐらりと視界が大きく歪み、手をついた地面に爪を立てる。

 ギリギリで躱し切れず、皮膚の表面が裂かれた首筋から、赤い雫がぽたぽたと落ちた。


「リーシェさま!!」


 地面には、リーシェの肌を掠めた矢が突き刺さっている。

 矢尻に塗られている薬の色合いは、リーシェにも見覚えのあるものだ。


(他の罠と同じ、混合毒……!)


 ぎゅうっと奥歯を食いしばり、自分の首筋を確かめる。ぬるりと指先が滑るけれど、


(矢は掠っただけ。首に怪我をしてこの程度の出血なら、傷は大したことがない。問題は)


 入り込んでしまったであろう、混合毒の方だ。


「……っ」


 ぐにゃりと思考が歪み始め、意識の飛びそうな心地がした。

 だが、それが猛烈な眠気であることを理解して、僅かに安堵する。


(いまはまだ、花蜜の毒が作用していない)


 この混合毒には、毒と『拮抗し、相殺しあう』即効性の眠り薬が混ぜられている。


 眠り薬が体内に吸収されるまでのあいだ、毒薬が作用することはないはずだ。


 そして、リーシェに現れた症状は、吐き気や苦しみでなく強い眠気だった。


(拮抗ではなく、眠り薬の方が優勢。……きっとこの混合毒は、花毒よりも、眠り薬が多く含まれた調合で……)


 打開策を導き出したいのに、思考が途中で切断される。それを必死に繋ぎ合わせながら、地面に蹲った。


 血の雫がぱたぱたと落ち葉を叩く。それを見たミリアが震えながら、それでも立ち上がってこう叫んだ。


「り、リーシェさま、待ってて! 私、すぐに誰かを呼んでくるから!」

「っ、いけません……おひとりで、動いては……!」


 息が切れ、大きな声を上げることが出来ない。ミリアの足音が遠ざかるのを聞きながら、必死に自分を叱咤する。


(なんて失態。お嬢さまの前で血を見せて、あんなに心配を掛けて……)


 自分がミリアの憂いになることは、絶対に避けなくてはならない。

 幼い子供の傍にいるなら、その身の安全だけではなく、心まで全部守らなければならないのに。


(眠っては駄目。意識を保って、行動して、少しでも足掻く時間を伸ばすの!!)


 解毒に使える薬草はない。だって、作った解毒剤はいまごろ馬車の中だ。


 針子の四人に送るものの予備として、五本のすべてを運ぶようにしてもらった。


 輸送中の破損や万が一の紛失に備え、余分な量を用意するのが原則だからだ。

 あの人はリーシェが頼んだ通り、運送の手配をしてくれているだろう。


 そこまで考えて、一体誰にそんな手配を頼んだのか分からなくなる。


 だが、そんなことを思い悩むのは後だ。


(傷口。せめて、傷口周辺の皮膚に残っているはずの毒を除去しなきゃ)


 ひりひりと摩擦熱のように痛むのは、皮膚についたままの毒のせいだ。

 花蜜による毒は、皮膚に塗って三十分もすれば体内に吸収される。


 体内に入る毒が増えれば、たとえ解毒が上手くいっても、後遺症に繋がる可能性があった。


(水はない。縛ることも出来ない部位。口で吸い出そうにも届かない。そうなると残りは……)


 額を地面に押し付けて、蹲った姿勢のまま足へと手を伸ばす。


 震える指を使い、太腿にベルトで留めた短剣をどうにか外した。両手を使えそうもなかったので、鞘を口に咥えて刃を引き抜く。


(新しい血液で、洗浄を)


 それしか今は、方法がなかった。


 細心の注意を払いながら、刃先を皮膚に当てようとする。だが、太い血管を避けたいのに、意識が揺らいで目標が定まらない。


「っ!」


 手の力が抜けてしまった瞬間に、握っていた短剣が地面へと落ちた。


(しっかりしないと……! 他に応急処置の方法はないんだから。侍女である私が、お嬢さまの心に傷を作るなんて絶対に駄目――違う、いまの私は侍女じゃないのに! ハクレイ師匠を起こさないと。けれどもこれは、錬金術師としての人生だったはずで……)


 ぐらぐらと『何か』が混濁していく。はあっと息を吐き出して、すぐ傍に落ちた短剣に手を伸ばした。


(お嬢さまが助けを呼びに行って下さったとしても、教団の人は禁足の森に入れない。……自分で処置をしなきゃ、教団を敵に回してでもこの森まで来てくれる人は、誰も……)


 何かに考えを否定されて、蹲ったリーシェは眉を顰める。


(……どうして、アルノルト・ハインの顔が浮かぶの)


 あの皇帝は、リーシェが騎士として仕える国に戦争を仕掛けた男なのだ。


 そんな風に思おうとしたけれど、違和感はどんどん強くなる。早急に『処置』をしないといけないのに、世界がぐらぐらとひどく揺れた。


(皇帝アルノルト・ハインは、ザハド陛下の敵。……コヨル国を滅ぼし、各国の王族を処刑した人。お嬢さまや王子殿下を殺そうとし、隊長やヨエル先輩を殺した暴虐の皇帝。世界戦争を仕掛け、大勢を死なせた冷酷な男で、……意地悪で……)


 傷口がずきずきと脈を打ち、熱を帯びたような感覚が強くなる。

 地面に両手をつき、どうにか上半身を起こそうとしながらも、その人物のことを無意識に脳裏へと描いた。


(……剣術の型が、美しい。姿勢も綺麗で、ご公務を的確にこなしていらっしゃる。人に対して真摯に向き合い、思慮深いのに大胆だけれど、時々とっても怖がりのように見えるわ)


 落ち葉を踏むような音がする。


 けれどもいまのリーシェには、その音が上手く拾えない。

 ほとんど霞みそうな意識の中で、鮮明なことなど、ごく僅かだ。


 たとえば『彼』の黒髪や、海色をした瞳のこと。


 リーシェを呼ぶときの柔らかい声や、このところするようになった髪への触れ方。

 リーシェを見て呆れているときのその顔や、ごくたまに笑うときの表情。


(私自身という存在を、いつも真っ直ぐに見ていて下さる。嘘つきなのに、本当は嘘つきなんかじゃなくて、心の内側はすごくやさしい人。私が結婚する、私の……)


 リーシェはゆっくりと顔を上げる。

 泣きたい気持ちになりながら、目の前に立っていた人物の姿を見つめた。


「……だんなさま……」

「――……っ」


 アルノルトが息を切らしている。


 彼が呼吸を乱すところなど、これまでに一度も見たことがない。

 こちらを見下ろしたアルノルトは、忌々しげな表情で舌打ちをしたあと、座り込んだリーシェの肩を強く掴んだ。


「!」


 無理矢理に引き起こされ、背後にあった木の幹に背中を押し付けられる。


 そうかと思えばアルノルトは、リーシェの肩口を掴んだまま、血の滴る首筋に噛みつくではないか。


「うあ……っ!?」


 じゅくり、と強く吸われた音がする。


 奇妙な感覚に身を竦め、一拍置いて青褪めた。

 アルノルトがリーシェの首筋に噛みついて、毒を吸い出してくれたのだ。


 それを理解して、体が強張る。


「や……っ」


 吸い出した血液を地面に吐き出し、彼は短く息をした。

 再びリーシェの首筋へ口付けようとするアルノルトに、力を振り絞って抵抗する。


「アルノルト殿下、だめ、駄目です……!! そんなこと、したら……!」

「……」


 必死の抗議など聞き入れず、アルノルトはリーシェの傷口を吸う。

 掴まれた手首にアルノルトの指が食い込み、背後の木へと縫い付けられて、リーシェの拒絶は抑え込まれた。


「殿下、おねがい、離して……! 毒だから駄目、あなたの口に入れないで、危ないから……っ」

「うるさい」


 血を吐いたあとの低い声が言い放ち、ぎらぎらした双眸に睨みつけられる。

 アルノルトが、今世のリーシェを本気で睨んだことなんて、今日このときが初めてではないだろうか。


「今回ばかりは、お前の願いも聞いてやれない」


 綺麗な形をしたくちびるが、赤い色の血で濡れている。

 アルノルトはそれをぐっと手の甲で拭うと、掠れた声で囁くのだ。


「言ったはずだ。……お前が死ぬのは許さない、と」

「ひ、う……!」


 噛みつかれ、荒々しく吸われた。


 熱いのか痛いのか分からない感覚と反対に、皮膚に残っていた毒液の痺れがやわらいでゆく。けれども安心なんて出来なくて、心の中がぐちゃぐちゃだ。


(どうして。……あなたに危ないことをしてほしくないのに、嫌なのに。それなのに、こんなことでは)


 泣きたい気持ちになるけれど、それ以上にくらくらと眩暈がする。体の力が入らなくて、何もかもを保っていられなくなった。


(……ああもう、これでは、本当に)


 世界が揺らぐ感覚を受けて、リーシェはゆっくりと目を閉じる。


(まるで、死んでしまったときみたい……)


 覚えのある感覚に意識をさらわれ、温かい海の中に沈んでいった。





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― 新着の感想 ―
[気になる点] 目の前で人の首が切られる、かと思ったら、その女性の首筋吸われてるのを見る(エロい…)とか、ものすごい勢いで人生の経験を積んでる気がします。ミリア嬢が。 [一言] すっごいシリアスなシー…
[良い点] デレ度3.5とは思えない、最高に遠い!! 最高のお話ありがとうございます!!!
[一言] ムラムラしました。
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