10 人質には喜んでなります
リーシェの解毒剤は無事に採用され、それを傷口に塗布した騎士たちの痺れが取れるまでは、その場に留まって馬を休めることになった。
思わぬところで下車できたリーシェは、先ほど馬車の中から見つめていた薬草を摘むことが出来て大満足だ。
炎症を抑える薬草や、胃薬になる花、頭痛薬。ついでに眠り茸などを採集して、ハンカチに包んでいく。
アルノルトは、捕縛した盗賊たちの処遇について、この国の辺境伯に伝令を手配していたようだった。
オリヴァーと共に調整をしていたが、しばらくして、リーシェが作業をしていた湖のほとりにやってくる。
「花を摘む趣味は、観賞用でなく実用だったか」
収穫した草花を並べたリーシェを見て、アルノルトは機嫌が良さそうだった。
傍に腰を下ろすので、リーシェは少しだけ警戒する。だが、特に何かしてくる様子でもなかったので、作業を再開した。
茎が有用な薬草からは、不要な葉をどんどんむしっていく。この葉には薬効がない代わり、スープに入れると風味が出て美味しいのだった。眠り茸は胞子の扱いが厄介で、しっかり日干しで乾燥させなければならない。
(馬車の屋根に括りつけて、茸を乾燥させたら怒るかしら。皇太子の乗る馬車として、見栄えが悪すぎるものね。でも、頼むだけ頼んでみても……?)
真剣に悩みながら作業をしていると、アルノルトの視線に気が付いた。
どうやら、リーシェの手元を観察しているようだ。あぐらをかいた膝の上に頬杖をつき、ぼんやりと、それでいて無心に眺めている。
(蟻の行列を見ている子供……?)
何がそんなに楽しいのだろうか。不思議に思っていると、アルノルトと目が合った。
「すまない。視線が気になったか」
「いえ。何か気になることでもおありですか?」
「他意はない。ただ、お前の底が知れないと思っているだけだ」
アルノルトはにやりと笑う。
「次はどんな手段で俺を楽しませてくれるのか、楽しみで仕方がない」
(人を珍獣か何かのように……)
失礼な話だった。リーシェは人生を七回分生きているだけで、あとは普通の人間なのだ。
「先ほどの調合は、殿下の娯楽のためにやったことではありません」
「分かっている」
アルノルトは、挑発するような笑みを消して、ひとつ呼吸を置いた。
「――お前が脅迫まがいの選択を突きつけた騎士は、元は貧民街の出の者だ」
「きょ、脅迫だなんて心外です。なんのことだか」
「ガルクハイン国は実力主義を謳っているが、出自によって正当に評価されないことは多い。あいつはそれでも外圧に屈さず、努力して騎士となった」
花の種子を取る手を止め、リーシェはアルノルトを見上げる。
「最も痺れが重度だった騎士は、騎士団に配属されてから日が浅く、今回の任務を成功させようと昼夜訓練に励んでいた。お前に頭を下げて感謝していた年嵩の騎士は、その新入りを庇おうとして一緒に負傷した、面倒見のいい男だ」
「騎士たちのことを、よくご存知なのですね」
「俺が選んだ、俺の臣下だからな」
アルノルトはそこで言葉を切ると、姿勢を正し、リーシェに深く頭を下げる。
「救ってくれたこと、礼を言う」
「……」
なにがなんだか、分からなくなってしまう。
これは、リーシェのすべての人生で悪逆非道の皇帝となったアルノルト・ハインの、偽りの顔なのだろうか。それとも、本当の顔なのだろうか。
盗賊に剣を向けていたときは、飽きた玩具を煩わしそうに見る目をしていたのに。
「殿下に頭を下げていただくほど、特別なことはしていません。ただ、持っている知識を使っただけです」
「は。たまたま必要な薬学の知識がある令嬢というのも、そうはいないだろうがな」
「そんなことより! さきほど私が腕を切ったとき、手首を掴もうとなさいましたよね。今度こそ『触らない』という約束を破るおつもりだったでしょう」
「あれは不可抗力だろう」
しばらく言い合ったのち、ふうっとため息をついた。
「そういえば。騎士のみなさんが、私に対して警戒なさっているのは何故です?」
「警戒? ……ああ。お前が婚約破棄されたという話は、護衛として王城に滞在していた騎士が全員耳にしたからな。どんな悪女が嫁いでくるのかと、いらない想像を掻き立てたんだろう」
「なるほど」
確かに、そんな人間がいきなり負傷者への薬を作ったと言い始めても、みんな鵜呑みにはしないだろう。
「それから、ひとつ言っておく。ガルクハイン国では、お前に対して無礼を働く者が出るかもしれない。そうならないよう最大限の手を打つが、万が一のことがあったらすぐに言え」
「なにか、その警告が必要な事情がおありなのですね?」
「妃選びは俺に一任されているが、その相手が他国の王族であることは決定事項だった。お前の公爵家も、王族に連なる家系だろう」
アルノルトの言う通りだ。広い意味で見れば、王族の一員と言えないこともない。
「父帝が俺に、自国の貴族令嬢でなく、他国から妃を取るよう命じた理由は――」
「人質ですね」
ガルクハイン国は、戦争で大きく領土を広げた国だ。
いまは周辺諸国と和平条約を結んでいるものの、その関係は危なっかしいものである。ガルクハインに姫を差し出せと言われたら、断り切れる国はない。
他国の姫君を王家に取り込めば、ガルクハインはその国に対して優位に立てる。極端なことをいえば、「歯向かえば、娘の安全は保障しない」と脅すことも可能だ。
「父帝には、『妃は王族に連なる公爵家の人間で、王太子の婚約者でもあった令嬢だ』と伝令を出してある。俺が気に入って王太子から略奪したが、かの国では最重要人物のひとりであり、王太子は最後まで抵抗したとな」
「りゃくだつ……」
確かに、ディートリヒはいつまでも文句を言って騒ぎ立てていた。彼にリーシェの結婚をどうこう言う権利はないのだが。
「お前は父に認められたが、それは人質としての価値があると判断されたからだ。国では、お前を侮る者も出てくるだろう」
「殿下。それは」
「だが、そういう輩は黙らせる。お前は皇太子妃として、堂々と……」
「人質は、とっても素晴らしいことです!」
思わず前のめりになったリーシェに、アルノルトが顔をしかめる。
「……なに?」
「『実際は人質』という扱いであれば、皇太子妃としての公務に駆り出されることはありませんよね!? お城の一角に住まわされて、必要なときだけ出てくればいいという扱いで、公務や国交に対する発言権もなく!」
「あ、ああ……」
「やった……! これでちゃんと、ごろごろできそう……!」
喜びを噛みしめて、リーシェは震える。
実のところ、その点をかなり心配していたのだ。
皇太子妃なんて、絶対に大変な激務である。そのための教育を受けてきたリーシェは、妃が睡眠もほとんど取れないようなスケジュールで働かされるということを知っていた。
でも、人質の扱いであれば、そんな重要な仕事をさせられることはないはずだ。
「肩の荷が下りました。約束を守ってくださってありがとうございます、殿下」
「……いや……」
「あ、もちろんご安心ください。婚姻の儀が終わるまで忙しいことくらいは、私も承知していますから」
リーシェはほっと安堵しながら、薬草の下処理に戻ったのだった。