魔法石強盗事件①
二話目です。
あの時は仕事もなくて暇をしていたからね。
それに、彼は何かに怯えている様子だった。事務所への道すがらでも、時折、視線を明後日の方角へ向けて、顔を青くしながら睨んだり、歯を食いしばったりしていた。誰かに追われている、とかそう言う具合でもない。
もしかしたら、何か厄介な事件に巻き込まれるかもしれないという危惧はあったけれど、結局は彼を事務所に招き入れた。
少年は事務所を見回して、驚いている様子だった。
私が通じないとわかっていたけれど、冗談交じりに、おんぼろ事務所へようこそって言ってみたら、彼は案の定首を傾げた。
「Marude tantey zimushomi taida」
彼はどこか感心したようにそう口にした。
後でわかったことだけれど、「まるで探偵事務所みたいだ」と感動していたそうだ。ふふっ、まぁ話を続けよう。
お茶を淹れて、買ってきた夕飯のサンドイッチを二人分に切り分けて出したら、思い切り遠慮されてね。食べてもらわないと困るとジェスチャーしてやったら、ようやく口にしてくれた。
一息ついたところで、互いに自己紹介という事になった。と言っても、やることは自分を指差して、名前を口にするだけだったけれどね。
もう察しているとは思うけれど、この少年がサエだ。
彼は私に、何かお礼がしたいと伝えてきたけれど、特に何か頼みたいことはなかった。何もないと返したら、せめて皿洗いだけでも、と熱心に頼み込んできた。
背丈は彼の方が頭半分ほど上なんだけれど、まるで大型犬が散歩に出掛けたいと目を輝かせているように見えて、全然怖くはなかった。
仕方なく了承したら、活き活きとした様子で流しに向かって、ササッと皿とカップを洗ってくれた。随分と手馴れていたから、どこかで下働きをしていたのかもしれない。
とにかく、その日はもう寝ることにして、サエにシャワーやトレイの場所を伝えて、ソファで寝てもらった。
翌朝、いつもよりも大分早く目を覚ましてサエの様子を見に行こうとして、ソーセージの焼ける良い匂いに気が付いた。
うっすらとした応接間は昨日となんら変わった様子はなく、何かを盗られていることもなかった。
四つ折りに畳まれたシーツを乗せ、背もたれにジャケットとネクタイが掛けられたソファからキッチンへ目を向けると、シャツ姿のサエがフライパンと向き合っていた。
「A,ohayogoza imass」
サエは笑って何か言うと、ちぎったレタスと八つ切りにしたトマトを乗せた皿にソーセージを移し、応接間のテーブルの上に置いた。
「Sumi masen,katte nitukutte shimaimasita cade……」
申し訳なさそうに言っていることから、勝手に作ったことを詫びているのだと察して、問題ないと首を振ってやると、彼は肩の力を抜いた。
しかし、こうなるとパンを買いに行っている間にソーセージが冷めてしまう。そう思っていたら、次は焼いた卵の甘く香ばしい匂いと共に、少し焦げ目の着いたふわふわのトーストが乗った皿が運ばれてきた。夕食の余りものだったパンだった。
私はお茶をサエの前に置いて、早速それを齧ろうとしたら、彼は両手を合わせて何かつぶやいてから食べ始めた。
その時は何もまだ知らなかったから、何かしらのお祈りだろうと考えて、早速彼の作った不思議なトーストを齧ってみた。
アルト、君も食べたフレンチトーストだ。あの時はミルクを切らしていたから、その後に食べた者に比べたら味に彩りはなかっし、ふわふわも足りなかったけれど、その時の私は美味しさとふわふわの口触りに感動していたんだ。
そこで、彼にここにいる間は、料理を含めた雑用をしてくれればいいと伝えてみると、彼はまた喜んで引き受けてくれた。
皿洗いを終わらせると、私の指示に従って、彼は部屋の掃除をしてくれた。その間に私は書類や、最近の金銭関係の処理を済ませていたんだが、日が少し昇った頃には、部屋は随分と綺麗になっていた。
その日は結局、サエを連れて行かずに君の下へ訪れたわけだ、アルト。そうそう、君に口頭で人相書きを頼んだ時だよ。君も知っての通り、サエは向こう大陸東部や極東の人種に近い顔立ちをしているけれど、彼らとは雰囲気や衣服もまるで違うし、何かに怯えてはいたけれど密入国している様子でもなかった。
それで、君たちはあの時かなり忙しかったから、私が引き続き観察がてら保護することにしたんだ。
それから数日、私と彼の共同生活が始まった訳だが……彼はその時から不思議な奴だった。まず、とても性格が温厚だ。これは君も知っての通りだね。それとトイレに行かない。何処かで用を足している様子もなかった。私と同じ食事をしているが、腹は膨れていない。もしや幽霊かと思ったけれど、一度何気なしに触れてみた背中はしっかりと触れたし、体温もあった。
そして、時折見せる怯えだ。まるでそこに誰かがいるように視線を向けているけれど、魔力も何も感じなかった。一度マールに見てもらったけれど、幽霊やそう言った姿を消す魔物はいなかった。うん、アルト、君も見てくれたね。
けれど、その怯えも徐々に減って行って、また君の下へ向かう頃にはどこかを見る癖もほとんどなくなった。
後は……そう、君も知っている、彼の知識だ。私の仕事に口を挟むような事はしなかったけれど―まぁ意志疎通もし辛いし―、日常生活でそれらを活用して私を助けてくれた。この時は、古い新聞紙で窓拭きだとか、ローコストでゆで卵を作る方法、後は洗濯物を雨の日でも室内で比較的早く乾かす方法だとか、だね。洗濯物が私の分だけだったあの頃が懐かしいよ。
私はその数日の間に二、三件の簡単なペット探しの依頼を受けていたんだけれど、その時にはあまり彼とコミュニケーションはとらなかった。それでも彼は不平不満を現さずに仕事をしてくれていた。
そんな時に、君たちからあの依頼を受けたわけだ。
そう、全ての始まりである『魔法石強盗事件』だ。
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