とある英竜の家族
私が世界を認識した時に見たのは、白いヒラヒラした皮を纏った姿の生き物たちだった。
彼らは何かを奇妙な鳴き声を交わし合いながら、忙しく動き回っていた。
狭く、暗い、落ち着くような、そうでないような巣の中で、私は日々、彼らに見られ、与えられたご飯を食べて生きていた。たまに巣から連れ出されたかと思うと、動けないように押さえつけられ、鋭い痛みが足に走って悲鳴を上げた。痛いのは嫌だと連れ出されるのを嫌がっていたら、口を何かで封じられて、力づくで連れ出された。よくあったのは、巣のお掃除だった。彼らの態度から、痛いことをしてくるのと、巣の掃除をする時のパターンを学んだ。
私にずっと付き添ってくれる親はいなかった。あの当時は、まだ言葉も知識もなかったから、檻や注射、生物実験なんて言葉も概念もなく、ただ彼らにされるがままだった。
少し大きくなってから、痛いことや掃除以外に外へ連れ出されることが多くなった。
檻を出て、首に苦しい輪っかを通されて連れて行かれるのは、少し大きい四角い場所。入って、真正面の壁に立てられた棒と、先端に着けられた丸いものを指差し、私を引きずっていた生き物たちは何か言った。
この頃になると、私の頭は、彼らの鳴き声と仕草からその意味を理解できるようになってきていた。
また、口から熱い力である、炎のブレスを吐き出せるようになっていた。彼らが的と呼ぶ丸いものに向かって、ブレスを吐き、全部壊して見せると、檻に戻る前に少しだけご飯がもらえた。
注射が嫌で、少し大きくなった体で彼らに抵抗しようすると、彼らも手から熱かったり、寒かったりするブレスを出してきた。痛くはなかったけれど、よく長く細く、柔らかい、音のなる紐のようなもので打ってくる個体もいた。
たまに来る、黒い服を着た、怖い気配を漂わせた生き物が、私を見て笑っていた。ここにいる生き物たちは嫌いだったけれど、そいつはもっと嫌いだった。
この頃までは、注射と、狭く変わり映えのない日々以外に嫌なことや、疑問を覚えることはあまりなかった。
でも、ある時、ご飯を食べ終て休んでいたら、柔らかい匂いのする生き物が檻の前に立っていた。
白いヒラヒラとした衣服を着た生き物は、生まれて初めて見る個体だった。
彼女は名乗った。
「初めまして、私はオリビア。よろしくね」
これまでに聞いたことのない、どこか安心できる声音と匂いに、私は興味を覚えた。立ち上がって檻の前まで歩いて行き、彼女を見上げた。声を出したら、自分でも今までに出たことのない、高い音が出た。
オリビアと名乗った個体は少し驚いていたけれど、恐る恐る、私の頭を撫でてくれた。周りで見ていた、私が生まれた頃からいる生き物たちが止めようとしていた。私はそいつらへやるように威嚇したりせず、彼女の手を受け入れた。
その日から、私は彼女とよくいるようになった。うぅん、彼女が私と一緒にいてくれるようになった。注射の時も彼女が付き添ってくれたから、我慢した。ブレスの実験に行く時、オリビアは私に首輪や拘束具を着けなかった。私は隣を歩き、彼女の指示に従ってブレスを吐いて、一緒に檻まで戻った。
彼女は私によく話しかけ、撫でてくれた。私がそれまでよりも多くの言葉や知識を得られたのは、オリビアのおかげだ。
彼女はどんどん言葉を理解し、反応する私を面白がって、自分の過去を話してくれた。
家は王国の片田舎にある貴族で、三人兄弟の末っ子として生まれたこと。小さい頃はよく領地を駆けまわって、近所の子どもたちと身分関係なく遊んでいたこと。お兄さんが戦争に行って、生きて帰ってきた時に泣いたこと。嫌いなニンジンスープを飲めたのは学院に入ってからで、そのことを大好きな兄たちに笑われて悔しかったこと。生物の進化論に興味を抱いて、やりたいことが見つかった時の喜び。母親と喧嘩して家を飛び出して、科学者への道を歩んで、気が付いたらこんなところまで来ていたこと。
彼女は楽しく、どこか悲しそうに話してくれた。
私は自意識が目覚めた時から、寂しくはなかった。けれど、彼女の話しは、私に親兄弟、という概念を教えてくれた。
私は寂しさを知った。
オリビアは、母親のようだった。でも、彼女は私に一線を引いていた。私では家族にはなれなかった。そのことを理解した時には、一晩中泣いてオリビアを困らせた。
それからまた少しして、私は生まれた時から入っていた檻がとても窮屈に感じるほどに大きく成長していた。
研究所の職員たちが、もう少しだ、研究成果が、と浮かれている中で、オリビアは嬉しそうだったけれど、私を寂しそうに見ていた。
そんなある日のことだ。
何名かの職員が黒い服を着た軍人と私の実験を見終えた後、この施設を出て行った。残った者たちは、実験の後始末や、各々の用事へと向かった。
私はオリビアと一緒に檻へと戻った。その日の檻の掃除は、オリビアが担当だった。
私はいつものようにおとなしく檻の外で座って待っていようとしていた。すると、オリビアは掃除しようとする手を止めた。
「ねぇ、外に出てみたくはない?」
外? 何度か、窓越しや、オリビアが持ってきてくれた絵本で見たことがある。広く、とても自由な場所なんだって、心がうずく世界。
私が頷くと、彼女は深呼吸をした後、いつもの柔らかな雰囲気の中に、堅い何かを感じさせる笑顔を浮かべると、私に着いてきてと言った。
「いい? 今から口を塞ぐけれど、おとなしくしていてね?」
軍人が来た時に、彼女は念のためにと私に着けることがあった。私は彼女の指示に従い、口に拘束具を着けられると、部屋の外へと出された。
それから、実験場とは別の、初めて歩く通路を歩いていくと、頑丈そうな扉が目の前に立っていた。
「少しじっとしていて」
彼女は私から拘束具を外すと、それを白衣から取り出したナイフでボロボロに傷つけ始めた。
それから、ドアに着けられていた鍵や魔法の封印を解いて、力いっぱい開いた。
その瞬間、私の五感は、今までない感覚を受け取った。
眩しい、色々なものが混じった、でも心躍る匂い、涼しい、温かい、風が心地いい。
目を開くと、緑と青と、少しの白の広がる世界が視界いっぱいに現れた。
「今日から、貴女は自由よ」
オリビアは言った。私の傍にしゃがみこみ、私を撫でた。
自由? 私は、自由なの? 首を傾げると、彼女はいつものように笑ってくれた。でも、寂しさはあっても、嬉しさの方が強い、そんな笑顔。
「いい? 人を殺しちゃだめよ。生きるためだけに、必要な分だけ獣を狩りなさい。そうすれば、貴女をすぐに殺そうとする人はいないから」
うん、わかった。
でもまた戻ってくるよ。私は顔をこすり付けたけれど、オリビアは首を横に振った。
「もう貴女は自由なのよ。好きに生きて、どこかで誰にも見つからずに、ひっそりと生きて。できれば、素敵な相手を見つけて、家族を持ちなさい」
オリビアは私の背中を軽く叩いた。
いつもなら親愛を示すそれが、やけに寂しく思える。
一緒に行こうよ、と見上げても、彼女は首を振るだけだった。
私は理解した。オリビアは、私をこの広い世界へ出そうとしてくれていると。あの怖い奴らから、私を逃がそうとしてくれていると。
そう思った途端に、私の体はうずきだした。自由が欲しい。あの世界へ飛び出したいと。
「さぁ、行きなさい!」
私は彼女が指差す、広い世界へと踏み出した。足裏に感じる、不思議で心地よく、柔らかい地面を、一歩、二歩。
一度、オリビアへ振り返ると、彼女は涙を浮かべた顔で手を振ってくれた。
「元気でね!」
「ぐるっ!」
私は駆け出した。実験室でぐるぐると回るだけだった。でも今は、まっすぐ、どこまでも。そして、翼を大きく広げて、風を拾った瞬間に羽ばたいて。
私は、青い空へと浮かび上がった。
風の音が心地よい。ふと、オリビアの声と匂いがした。彼女は泣いていて、私をずっと見ている。
私も寂しく、泣き出しそうだったけれど……。
このうずいた体と心は、あそこへ戻ることを拒んでいた。
さようなら。
言葉にはならないけれど、私は彼女への想いをこめて吠えた。
ありがとう、オリビア。
それからしばらくしてから、色々あって、私はアーサーという名前をもらい、アルフィーナ母さんの家族になった。
お家には、他にもサエお兄ちゃんとソレイユお姉ちゃんがいて、皆私に優しかった。家の近くにいる子どもたちともすぐに仲良くなれた。
幸せな世界で、ふと母さんが、施設にいた職員たちの話をし出した時に、オリビアの事を思い出した。
職員たちは、全員、何かしらの罰を受けるらしい。
私は、母さんにオリビアを助けてあげて欲しいとせがんだ。言葉がわからない母さんだったけれど、サエお兄ちゃんとソレイユお姉ちゃんが色々と気を利かせてくれて、どうにかオリビアの事を伝えることができた。
母さんたちの尽力で、オリビアの罰は少し軽くなった。
後日、私はオリビアと再会した。彼女は、私が自由になったこと、家族ができて、幸せに暮らしていることを知って、喜んでくれた。
「ありがとう」
オリビアが、最後に言ってくれた。
だから、またね、って私が顔をこすりつけたら、少し戸惑っていたけれど、母さんが「頼むよ」って言ったら、ぎゅぅっと抱きしめてくれた。
私は幸せに暮らしている。
今は、母さんが少し寂しそうだから、私が傍にいて、励ましてあげられたら、と思っている。
オリビアと母さんたちがくれた、自由な幸せの場所。
アルフィーナ探偵事務所で。
お読みいただき、ありがとうございます。
<太古の翼>はこれで終了です。