89最後の討掃を、始めます。
きっと、兄も感じていることだろう。
彼女の“拒絶”を。
「フリアちゃんっ!!」
「お、おい、シエル!?」
それでも、僕は無邪気に笑う。
“何も知らない弟”の顔で。
それができるのは、己だけだから。
屋根に佇む彼女にむかって、大きく呼びかけた己に兄は驚きの声をあげる。
その声音には“空気を察しなさい”と、混じっている気がするけれど、“敢えて空気を読まない”事ができるのは、今この場で己だけなのだ。
「あら、シエル。来ていたのね?」
声が聞こえたらしい彼女は、クルリと振り返ると、一呼吸の間に目の前に降り立つ。
そして、“いつもと同じ”笑顔を見せる。
――辛いとき、悲しいとき、苦しいとき……
心の中の負の感情を抑え込むとき、彼女は“いつも同じ”笑顔を見せる。
今だって、そう。
“いつもの笑顔”を見せる彼女が、“泣いている”ように見えるのだ。
「フリア、終わった、のか?」
「えぇ、終わったわ。全て終わって、帰ってきたわ」
微笑みを深くする彼女。
その笑顔は、苦しくなる。
見ているこっちが、苦しくなる。
「終わった……? 約束の期間はまだあと少し残っているのでは? 妃候補が帰郷を許されるのは、きっちり一年後だったと思うのですが」
「えぇ、そうね。けれど私はやらなければならないことがあるから、辞退して帰ってきたのですよ。それに、王太子殿下のお心はもう、決まっているようですし。“本業”の方も向こうでやれることは、完遂してきましたので」
「――そう、なのですね」
フリアちゃんの言葉を聞いて、ふむ、と考え込む様子のリカルダ嬢。
「リカルダ様、なにか、気にかかることでも?」
「あぁ、いえ……。わたくしはてっきり、“あの魔術師”はフリア様の従者だと、勝手に思っていたので……。ですが今、共におらぬということは、彼は王宮に属する者だったのか、と」
「――、そう、ですね。私は、独りであそこに参りましたので。帰るときも、身軽に独りですわ」
リカルダ嬢に微笑みかける、その瞳が凍っている。
感情の欠片も読み取れないその、瞳。
しかし、表情は柔らかく、言葉も落ち着きがある。
彼女をよく知らないリカルダ嬢にとっては、他愛ない会話なのだろう。
そばで聞いている己の身にもなってほしい、と切実に叫びたい。
「リカルダ様、お話中申し訳ありません。少々、よろしいでしょうか」
「うん? あぁ、今行こう」
バイアーノの討伐隊が、指南役であるリカルダ嬢を引き連れて去って行く。
この場に残るのは、兄と、彼女と、己のみ。
――ここは、己が切り込むべき、だろうか。
「ね、ねぇ、フリアちゃ――――」
「――グレン、だったの」
「――え……?」
己の思考などお見通し、とばかりに彼女は口を開く。
しかし、その意味がわからない。
彼女は笑う。
最高の笑顔で。
――僕達を心配させないように、とびっきりの笑顔を、作って。
「王太子殿下だったのよ、グレン」
「―――――!」
「―――……、」
「殿下の、仮の姿が、グレンだったそうよ」
「あぁ、ほんと、私って鈍いのよ」
「ぱっと見たら、見間違えるくらいには、そっくり、なのに」
「たまに、あれ? って、違和感も、あったのに」
「全部、ぜーんぶ、気のせいかな、て」
「――――気のせいだったら、いいのに、て……」
「――フリア……」
「フリアちゃん……」
「ほーんと、バカよねぇ」
笑う、笑う、彼女は笑う。
全てを諦めたように、無邪気に笑う。
「――私の代で、“魔獣”は姿を消すだろうってバイアーノに言われたわ。“私の代”って、あとどれくらいなのかしらね。少しでも早く、魔獣が消滅したらいいわよね」
「フリア、それは……!」
「ダメだよ、フリアちゃん……!」
――フリアちゃんは、長く生きるんだ。どの、バイアーノよりも、長く。
長く、生きて、幸せに……
「“常夜の森”を消しに行くわ」
「え?」
「は?」
「だって、魔獣は瘴気から生れるのだもの。その瘴気を、根こそぎ消滅させることが出来れば“常夜の森”は消える。“奈落の谷”だって、消えたのだもの。その“縮小版”みたいな“常夜の森”だって、消すことが出来るはずよ。それに、“奈落の谷”が消滅したことによって、“常夜の森”は瘴気の供給源を断たれたも同然。消すなら、今だわ」
「違っ、それはっ!!」
「待て、フリアっ!!」
制止の声も虚しく、彼女は姿を消す。
“常夜の森”の奥。
祠のある場所へ向かったに違いない。
「行くぞ、シエル!」
「うん、兄さん。フリアちゃんは、間違ってる」
「俺達で、止めるしかない……」
「うん、そうだよね。――だって……」
もう、“彼女を繋ぎ止める人”という魔術師は、居ないのだから。
転移魔術を駆使しながら、二人で駆ける。
さすがに、彼女のように一発で目的の場所まで辿り着くには無理がある。
“常夜の森”に足を踏み入れて、気付く。
――森の瘴気が、祠の方へと集まっている……
きっと、彼女が行動を開始したのだろう。
なんとしても、止めなければ。
「初代様がフリアちゃんに言ったのは、絶対にそういう意味じゃないと思う!」
「そうだな。“フリアの代”が終わるくらい、長い時間をかけて魔獣を倒し、森の瘴気を薄めていけ、ということだと、俺は思う」
「うん! フリアちゃんの代が長く続くから、終わるころには森の瘴気は消えてるでしょ、って、意味だと思うの!」
駆けながら二人で言い合う、“初代・バイアーノの言葉の意味”。
きっと、彼女もわかっている。
本当は、ちゃんと、わかっている。
けれど、今は、現実を見るのが辛すぎるから、目を背けているだけ。
ここで、止めることができれば、彼女はきっと目を覚ます。
きっと、思い出してくれる。
“己の命を粗末に扱う事”を、心から嘆く人が居ると言うことに。
――きっと、“グレンさん”だって……
王太子殿下の、仮の姿だとしても、“グレンさん”は“グレンさん”だ。
王太子殿下なんて、何をしているかわからないけれど、チラっとでも、ひょっこり、でも、一瞬でもいいから、仮の姿に躯を貸してくれるくらい、願ってもいいはず。
向こうが来れないのなら、こちらから行けばいい。
ほんのひとときでも、時間を作ってくれたっていいじゃないか。
――いや、“グレンさん”ならきっと、フリアちゃんを手放すなんて、しないだろう。
もしかすると、フリアちゃんが話したという現人神は、偽物だったんじゃないだろうか。
だって、グレンさんが、フリアちゃんを諦めるなんて、思えないもの。
あっさりと、ネタばらしして、はい、さようなら、なんてグレンさんがするはずない。
力ずくでも引き留めて、魔術でも脱出できないくらいガッチガチに結界固めて、フリアちゃんが折れるまで、檻に入れて愛でそうだもの。
絶対、ぜつつつつつたいに、グレンさんはフリアちゃんを諦めてくれないと思う!!
「――シエル。その意見に、俺も賛成なんだがな……」
――少しは口を慎め。
そう、隣を駆ける兄に言われてしまった。
――あれ? 全部、口に出していっちゃってた、のかぁ……
でも、なんだかんだ言ってくるわりに、兄さんだって考えてることはおなじじゃないの。
なんて、口が裂けても、言えないけれど。




