70教えてなんか、やらない。
目の前にそびえ立つ朱色の石門に触れると、ゆっくりと扉が開かれる。
一歩踏み入って見渡すと、変わらずそこに建つ“実家”。
未だに石門の通行者登録が変わっていないのは、きっとガロンの心遣いだろう。
「…お嬢様!」
「出迎えご苦労様。久しぶりね。前回に引き続き早速で悪いのだけど、ガロンを呼んできてくれない?」
石門が開いたことに気付いたらしいこの屋敷の最古参の執事が、私を確認して目を丸くする。
――なんだか、懐かしく感じる。
やはり前回同様、驚いたのは一瞬で彼はすぐに一礼して踵を返す。
――この前は“常夜の森”に居たけれど、今日はここに居るのかしら?
目的の人物が現れるまで、少し暇を潰そうと思い石門近くに植わっている大木の根元に腰掛ける。
最早、待合のベンチと化しているその大木は、昔から変わらず私のお気に入りである。
「“姉巫女の欠片”ねぇ……」
言葉に出して呟く。
声に出したところで、だれも答えなど持ち合わせてはいないのだけど。
――バイアーノに伝わる物といえば…これ、だけれど…
一度手を握って再び開くと、掌の上に現れたのは銀製の指輪。
外側には藤のような文様が彫られており、内側にはユキノシタを刻んでいるそれ。
ユキノシタはバイアーノの家紋ともなっている。
しかしなぜ、家紋が内側に隠すように配置されているのかはわからない。
それにこの指輪は先代から受け継がれる物ではなく、産まれたときから持っているものなのだ。
――正確には、産まれたときにはすでに指に嵌まっているらしい。
その指輪を持つ者が、次代の“バイアーノ”となるわけだ。
「――でも、本当に不思議な指輪よねぇ…」
産まれたときから指に嵌まっているそれは、持ち主の成長と共に大きさが変わる。
長期間外していても全く違和感なく綺麗に嵌まる。
おもむろに左手の中指に嵌めてみるが、やはりピッタリである。
このなんの変哲も無い指輪に、なにか意味があるのかも知れない。
むしろ、これでなかったら他に見当もつかない。
だからといって、誰に聞けるわけでも無いし、実際にこの指輪に関する書物が遺っているのかすら怪しい。
「あらぁ、お姉さまじゃないですかぁ。――今度はぁ、なにしに来たんですかぁ?」
「ローズ…。ガロンは居るかしら?」
――既視感
ふと、前回の帰邸を思い出す。
そもそも、どうしてこの異母妹は、態々私に突っかかって来るのだろう。
嫌ならば避ければいいし、怖ろしいなら屋敷に籠もって出てこなければいいのに。
ほんとうに、何がしたいのかわからない。
「また旦那様にようですかぁ?――もぉ、あたしのものにぃ、手出ししないでくださいよぉ」
「――あなた、いい加減その言葉遣いなんとかならないの?」
ローズの鼻にかけたような言葉遣いと抑揚は、貴族社会の中では確実に笑いの種となる。
否、王侯貴族平民全てにおいて好かれるものではないだろう。
一部の特殊趣味を覗いては。
バイアーノの名を汚す行いだけは、しないでほしいものね。
一応というか、家格は公爵家なのだ。
公爵を名乗るのは力を持つ者だけではあるが、公爵家とはその家に関わる全ての者にのしかかってくる。
バイアーノ公爵家の場合、その家に仕える者達にすら、バイアーノ公爵家らしさを求められる。
そのところを、この異母妹は理解しているのだろうか。
……理解など、していないのでしょうね。
そこまで考えて、軽い頭痛を憶える。
「あっー! それっ! どーしてお姉さまっ!」
「っ?! ……何?」
はぁ、と溜め息とともに額に手を当てた瞬間、ローズからその手を掴まれる。
視線の先には、眉を寄せ不機嫌を顕にするローズの顔。
「それぇ、あたしがぁ、旦那様にぃ渡したものですぅ! どぉーしてぇ、お姉さまがつけてるんですかぁ!?」
「なにを言っているの?」
ローズはしきりに私の腕を上下に振り回している。
振れば指輪が外れるとでも思っているのだろうか。
この、持ち主にピッタリと嵌まって、持ち主の意志で無ければ外すことのできない指輪が。
呆れてその手を振り払うと、恨めしげな表情で睨まれる。
「その指輪ですよぉ! なんでお姉さまが付けているのですかぁ? それはぁ、“願いが叶う指輪”でぇ、あたしがぁ、旦那様にあげたものですぅ!」
「――なにを、言っているの。…これは、バイアーノに伝わる指輪よ」
バイアーノの血を引く者以外、この指輪の存在自体知らないはずだ。
だから、この指輪についてローズからとやかく言われる筋合いなどないし、むしろどうしてこの指輪の存在を知っているのか問い詰めたい。
ガロンがわざわざ話すとは思えないし、父は指輪の存在すら知らないだろう。
――なのに、どうして…?
「そんなわけ無いですぅっ! それはぁ、あたしが産まれたときに持っていたものでぇ、“願いが叶う指輪”ですよぉ! 返してくださいー!」
「“願いが叶う”…?それ、誰から聞いたの?」
ローズが手を掴もうとするのを躱しながら、問いかける。
「“誰から”とかぁ、知りませんよぉ。ただ、“知っていた”だけですからぁ。“たとえ、誰かの唯一であっても、必ず手に入れられる指輪”ですよぉ! ――その力でぇ、お姉さまからぁ、旦那様を勝ち取ったんですからぁ、本物ですよぉ!」
“唯一を奪う指輪”…?
それは、バイアーノにとってとても危険な代物だ。
なぜなら、バイアーノの名を継ぐ者は“唯一”を奪われたら、待っているのは“死”、なのだから。
でも私は、“奪われてはいない”。
そもそもガロンは、私の“唯一”ではなかった。
そうならないように、母から言付かっていたし、過ごして来た。
――けれど、今のローズの口振りからすると…。
おかしいわ、話が合わないもの…。
「――すまん、フリア。遅くなった……って、ローズ、なにをしている?」
「旦那様ぁ!」
ローズの手を躱しながら思考に浸っていると、ガロンが急ぎ足でやって来た。
そして私達を見て眉間に皺を寄せつつ、困惑した表情を見せる。
「お姉さまがぁ、あたしが旦那様にぃあげた指輪を取ったんですぅ!」
「―――指輪……。―――これのことか?」
ローズの言葉を聞いて首を傾げたガロンは、首にかけている紐を手繰って先についている物を示す。
「あっ! あたしの! ――あれぇ、どうしてぇ? なんでぇ?」
しきりに首を左右に揺らすローズ。
そんなに揺らしたら、ぽろりと取れてしまうのでは無いかと少々心配になる。
まるで首振り人形のようだ。
それよりも、ローズの困惑の理由は私だって聞きたいわよ。
ぱっと見た感じでは、私のものとその指輪はとても似ている。
“バイアーノ”に伝わる指輪。
その指輪と同じものが、どうして他に存在するの?
「ガロン、それ…その、指輪は……」
「――あぁ、…詳しく話そう。―――シエルを呼んでもいいか?」
ローズに指輪を見せてすぐに仕舞ったガロンだったが、私が指輪について問うと何かを観念したような表情で頷く。
そしてシエルを呼び寄せるために、魔術で鳥を作って飛ばす。
シエルを呼ぶということは、マイアーが関わっているということだろうか。
それとも、家は全然関係なくてただ単に“私たち”に関わることだったりするのだろうか。
「――ローズは、屋敷に入っていなさい」
「そんなぁ、…旦那様ぁ! ――お姉さまと二人にするのはぁ、嫌ですぅ…」
あぁ、再び訪れる既視感。
この異母妹は学習しないのだろうか。
ガロンに対して食い下がったところで、結局は私に追い払われると。
このまま時間を浪費するのは得策では無い。
―――はぁ、また私の出番ですね。
そう思って立ち上がろうと腰を浮かす。
しかし、今回は少し違ったらしい。
ローズに対し、強くはでられず困ったような対応をするガロンが引かなかった。
それどころか、ゆっくりと視線を合わせ一言一言念じるように言葉を発する。
「しょうがない子だねぇ、ローズは。――…ほら、俺の言うことを聞きなさい。屋敷に、戻りなさい」
「―――、は、ぃ。…ガロン、さま―――」
「っ、」
口調はさほど変わらない。
しかし、ローズはあっさりとその言葉に従った。
――その光景に、ぞわり、背筋が凍る。
――なんだ、あの目は…
ローズのガロンを映す瞳はどこか遠くを見ているようで、全く視点が合っていない。
その様がどうしても異様に映る。
あれだけ我儘放題、好き放題のお嬢様が諭されただけであぁもあっさり引くだろうか。
屋敷に向かうローズの足下はどことなく覚束ない。
まるで夢うつつを彷徨っているかのようだ。
「ガロン、今のなに…?」
「――あぁ、…“俺とローズの間のみ使用可能な魔術”とでも、言っておこうか」
詳しく話す気は無いのだろう。
バイアーノの魔力の影響を受けたために染まった、緋色の瞳がス、と細くなる。
その瞳が、彼をとても遠くに感じさせる。
「まさか…、禁術――」
ガロンはあくまでも“マイアー”だ。
マイアーの禁術は、なんだった…?
否、でもどうして?
魔力の無いガロンが、禁術を使える
あれは、マイアーの魔力のある者が使用できるもののはず。
“禁術”というのは、そういうものだと教えられた。
――おかしい、
――おかしい。
――なにかが、決定的におかしい。
――私の知らない何かが、絶対にある。
動揺を隠せない私を他所に、ガロンはゆっくりと私の隣に腰掛ける。
「最近、うまく制御が出来るようになったんだ」
――フリアの魔力のお陰だ。
そう破顔する彼が、酷く遠くに行ってしまったような、気がして。
ガロンは“できることが増えた”と喜んでいるのかもしれない。
それでも私は、素直に喜ぶことができない。
少なくとも、彼を変えて仕舞ったのは“私の魔力”なのだから。
私の魔力は、やはり、消えるべき脅威なのではないだろうか。
そんな考えが頭を過ぎる。
このままでは、“私に関わる全てのひと”に何らかの影響を与えてしまうかもしれない。
主に、悪い影響を。
――それが、とてつもなく、怖ろしい。