63側に居るということの、過剰なる優越感。
空はどんよりと重く垂れ込め、今にも雫を降らせそうだ。
日の光が届きにくいことも相まって、“奈落の谷”の付近はよりいっそう不気味さを増している。
一般の人間がその様子を目にしたら、その光景だけで怯え、竦んでしまうに違いない。
そんな中でも相も変わらず純白を纏うその存在は、人々にどれ程の希望を与えるのだろう。
当人がどんな状態であれ、そこにいるというだけでその存在が価値あるものだと認識される。
人々の希望を担うその重圧は、如何ほどのものなのだろうか。
決して弱さを見せることは許されない。
どんな状態でも、どんな状況でも、そこに輝く光で在り続けることを求められる、そんな役。
純白を纏うそのひとは、集まった人員を見渡して一言告げる。
「―――皆さん、本日の討伐は、くれぐれも、無理だけはなさらぬよう……」
―――その言葉、そっくりそのままお返ししますよ
殿下の言葉に背を押されて士気を高める参加者を傍目に眺めつつそう、思わず心の中で呟いてしまう。
それ程に、殿下の顔色は優れない。
――まぁ、元々、白いのだけど……
それぞれの配置についてから、公爵家の者に声をかける。
「――もしもの時は、無理は禁物よ?」
「「「心得ております」」」
興奮も、高揚も、気負いすら感じさせない声音でただ目の前の敵を見据える屋敷の者達。
彼らにとっては、今回の討伐は特別なことでは無く、日常なのだ。
結界を一枚隔てた向こう側では、今にも溢れかえらんばかりの魔獣が蠢いている。
前回の討伐よりも、格段に、結界付近に到達できる魔獣の数が増えているのが一目でわかる。
屋敷の者達に風の魔術を纏わせ、魔剣を顕現させながら言葉を交わす。
結界の範囲内にさえいれば、この風の魔術は私の意志ではなく、纏っている者の意志で動く。
しかも、非常時には盾にもなる優れもの。
バイアーノ領での討伐時は、常に私が居るとは限らない。
当然、魔剣はあるが、加護はない。
そんな状況で日々魔獣討伐を行っている彼ら・彼女らだ。
今回の討伐は、いつも以上に活躍してくれるに違いない。
できれば、王宮側の負担は最小限に留めたい。
そういった事情を考慮した上で、こちらも臨戦態勢で挑ませてもらう。
招集した全員に魔術を纏わせ、自由に行使させる。
これも、限りない魔力量の為せる技である。
「――フリア様、魔力の容量おかしいでしょう…!」
「――凄い、本物の魔剣……羨ましい、限りです…!」
そんな言葉と、注がれる視線に振り返る。
視線の先にはあんぐりと口を開けるテオ様と、瞳を輝かせて魔剣を見詰めるジェラルド様。
その様を、期待に満ちた目で見詰める各部下達。
ちなみに本日の参加は、各副団長を含め魔術師が十五名、騎士が十五名。
そして、バイアーノからは三十名。
合計六十名ほどで、溢れかえる魔獣と対峙する。
数だけで考えると、確実に蹂躙されるのはこちら側である。
「―――そうね…今日は、非常事態、だものね」
背後の魔獣と、待機する討伐隊を見比べて、肩を竦める。
そして、残り三十名に向かって手を翳す。
「―――汝が求むる得物を、ここへ」
「―――何ものにも耐えうる、風の護りを、彼の者へ」
唱えると同時に、騎士には魔剣が顕現し、魔術師を含めた討伐隊員全員を風の魔術が包み込む。
「……、うっそ、全員を……」
「――これが夢にまで見た、“本物の魔剣”…!」
絶句するテオ様と、魔剣を翳してまじまじと見詰めるジェラルド様。
そして、何故か雄叫びをあげる王宮部隊の精鋭達。
騎士と魔術師は、意外と肉体派なのだろうか?
――何はともあれ、準備は整った。
チラ、と殿下を伺うと一つ頷いて、宣言する。
「―――では、皆さん。―――討伐を始めましょう」
声と共に、結界を越える。
誰よりも早く風を纏い、溢れる魔獣の元へとむかうと、魔力を解放して叩きつける。
「――さぁっ! 消し飛びなさぁいっ!!」
結界を越えてすぐ、一声で付近の魔獣を殲滅する。
――これで、足場は確保できた。
背後を振り返ると、何事も無かったかのように魔獣に向かっていくバイアーノ領の者達と、呆気にとられてこちらを凝視する討伐隊の面々。
その様子がおかしくて、思わず口元が歪む。
「―――あははっ、…この程度のこと、雑作もないことですわよ?」
愉しくて仕方がない、と、私は嗤う。
そして、前回と同じように、奈落の谷の真上に陣取る。
「さぁっ! かかって来なさいな! …裏切りの魔獣、バイアーノがお相手いたしますわよ?」
――気持ちが、昂ぶる。
――心が、震える。
迫り来る魔獣を、片っ端から塵にする。
瘴気の渦巻くこの場所で、バイアーノに敵うモノなどありはしない。
圧倒的な力で、塵に変えられるのがオチである。
奈落の谷の魔獣は、あまり群れないらしい。
というか、群れるほど魔力を分散させないようだ。
群れを作りその群れの大元となるには、魔力を分散させて分身を量産する。
しかし、奈落の谷では結界の影響で、群れを作る程の余裕は無いらしい。
きっと結界を突破した後に、魔力を蓄え群れるのだろう。
群れの大元を見つける必要が無いので、討伐はバイアーノの力を借りずとも、訓練された討伐部隊であれば問題なく戦えるだろう。
それでも、一個体がそこそこ力を蓄えている状態なので、結界の影響が少ない今は戦うのに一苦労を要する、とでも言ったところだろうか。
――まぁ、私には関係ないけれど。
魔獣を消しつつ、そんなことを考える。
我を忘れない程度に魔力を解放するのは、なかなかに骨が折れる作業ではあるが……
もし、我を忘れて“初代・バイアーノ”が出てきてしまったら、厄介なのだ。
おそらく、王太子殿下が万全の状態であれば、無理矢理にでも“初代”を退けて事なきを得るのだろうが……
――今の状態では、無理、よねぇ……
自らも討伐に参加している殿下を見やる。
弱っているとはいえ、さすがは現人神。
神の名を持つに相応しい戦いではあるが、やはり、勢いが無い。
神力という聖なる力で魔獣を殲滅してはいるが、その力自体が不安定なのであろう。
時々、聖域として展開している区間に魔獣の侵入を許している。
それでも、その都度処理できているようなので、心配は要らないのかも知れない。
―――相変わらず、顔色は悪いが。
一方、騎士団はまるで水を得た魚のように、魔剣を楽しそうに振り回しながら、空を縦横無尽に駆け回っている。
時折、笑い声が飛び交っていることから考えても、空を駆けながら魔獣と対峙し殲滅していくことが楽しくて仕方ないらしい。
普段、物腰柔らかく紳士的なジェラルド様ですら、猟奇的な笑みを浮かべて魔獣に斬りかかっている。
――ある意味、私なんかよりもよっぽど戦闘狂だわ……
一瞬、遠い目になりかけたが、気を取り直して魔術師に視線を移す。
―――あ、見るんじゃ無かった。
原理はなんとなくわかるのだが、理解したくない光景が広がっていた。
――何故、龍が駆け巡っているのだ。
天翔る龍が、手当たりしだいに魔獣を引き千切って屠っている。
―――しかも、数匹。
現実逃避ついでに、魔術師の方々の心理を紐解いてみよう。
先程、風の魔術に乗せてほんの少しだけ、魔術師の方々には“魔力強化”と“魔力超回復”の術を掛けたのだが。
使ってもすぐに回復する魔力に、常よりも強大な魔力を得て、魔術師の夢を実現してみたくなったのだろう。
――どうやら私は少しだけ、の範囲を間違ってしまったらしい。
魔術師とは、騎士のように“有”を操るものではなく“無”から創造によって何かを創り出したりするのが仕事のようなものだ。
そこで、今のこの状況で為せる最大限の“創造”をしてみたくなったのだろう。
――伝説の生き物を、この手で創る。という夢を現実に。
それぞれが、得意属性の魔術で思い思いの“伝説の生き物”を創造して戦わせている。
――炎の龍とか、龍という属性を無視している…
頭を抱えたくなるが、まぁ、ひととはそういう生き物なのだろう。
与えられれば、使ってみたくなるのだ。
それで、今回は討伐がはかどっているのだから、良しとしようではないか。
軽く溜め息を吐き、もう少し奥まで討伐に向かおうかと視線をずらしたとき、視界の隅で、白が動く。
「―――っ!! ――殿下っ!!」
咄嗟に、殿下と魔獣の間に転移する。
目前に迫る魔獣に、素早く鞭を振るう。
「―――ッチ、」
間一髪、魔獣の牙にかかることは無かったが、はらりはらりと白が舞う。
「――殿下、怪我はありませんか!?」
「――大丈夫。ちょっと、髪が切れただけ」
チラリと視線を向けると、成る程、確かに少々髪型が変わっている。
常に、たっぷりとした純白の髪を、緩く腰のあたりで束ねていたのだが、背後から狙われ振り向いた時に、少しだけ引っかかってしまったのだろう。
右側の髪が、ひと房ほど肩に着きそうに垂れている。
「――失礼を承知で申し上げます。……結界の外に、出ていた方が良いのでは無いですか?」
「――――、……それは……できないよ」
とてつもなく遠回しになるように気をつけて、戦力外通告をしたのだが受け入れてはもらえなかった。
殿下の言い分はわからなくもない。
この討伐の頭は殿下だ。
先頭に立つ役目を担う殿下が、戦線を離脱しては部下に示しがつかないのだろう。
しかし、頻繁にこういうことが起きていたら、私がおちおち討伐に集中できない。
殿下を背に庇う形で、魔獣と対峙する。
殿下が展開していたらしい聖域も、いまでは最早なんの意味もなしていない。
――それ程までに優れないのなら、……出ていた方がいいのに。
魔力をそこそこ解放しているこの状況で、感情の抑制がうまく出来ないがさすがに、舌打ちは噛み殺す。
「――なにか手立ては無いのですか?」
「―――ないことは、無い」
「じゃぁ、その方法を教えてください! 私はそれに従いましょう」
「―――ほんとうに……?」
次々に接近する魔獣を引き裂きながら、背後の殿下に問いかけるが、躊躇いがちな答えが返ってくる。
―――もう、いっそ結界の外に放り投げてしまおうか。
部下達は危なげも無く――否、むしろ一部は楽しそうに魔獣を殲滅しているというのに、頭二人がこんな状況では効率が悪すぎる。
殿下が大人しく結界の外に出てくれれば、私は討伐に専念できるというのに……!
状況を打開する案をなかなか言葉にしない殿下に、もうそろそろ本当に結界から放り出してやろうかと行動に移そうとしたとき、蚊の鳴くような囁く音量で殿下が声を発した。
「――魔力が、足りない、んだ……」
魔獣の咆哮と、騎士や魔術師たちの高笑いが響くこの戦場で、近くにいるとは言えとてつもなくか細い声を拾うことができた自分を褒めてあげたい。
危うく最初の言葉を聞き漏らすところだった。
「殿下が? 魔力? ―――神力ではなくて、ですか?」
「――うん…。言ったよね?――“バランスが崩れている”と」
あぁ、そう言えばそう言っていた。
てっきり、神の力が消耗しているのかと思っていたが、足りないのは魔力の方だったらしい。
――しかし何故、現人神である殿下が魔力を消耗するのだ。
魔力なんて、消費する以前の問題で神は扱えないだろうに。
もしかすると、“現人神”であるから、なのだろうか。
半分は神の身であり、半分は人間の身であるから、現人神はどちらも扱えると考えた方が自然なのだろうか。
だとしたら、どこでそんなに魔力を消費したというのだ。
ここ最近で、殿下がなにかしら行動を起こしたなんてことは記憶に無い。
それに、大量に魔力が消費されるような出来事があったならば、さすがの私でも気付くだろう。
いくら、魔力の流れを読むのが苦手だとは言え、膨大な魔力が動いたのなら話は別だ。
感じられないわけなど無いのに。
「―――フリア嬢、――ちょう、だい……?」
「――え? …どうしたんですか?」
周囲の喧噪と、考え事をしていたのも加わって今度は殿下の言葉を聞き逃してしまった。
少々雑に聞き返してしまったが、こんな状況だ。
不敬罪には問われないだろう。たぶん、きっと。
――しかし、魔力、ねぇ…
やはりどうやって使ったのかも気になるが、現人神から魔力が枯渇したら、“神”になるのだろうか?
「――フリア嬢、その、ちからを……わたしに……」
「殿下? ――もう少し、声を張って頂けませんか?」
近くに居るというのに、殆ど聞こえない。
物思いに耽っている私にも非があるのかもしれないが……
声もろくに出せない。
それ程までに消耗しているのなら、本当に安全地帯に放り投げてくれようか。
「――その、力を…」
「―――、…?」
「――フリア、俺に、」
「――っ! …っなっ…、」
殿下が唐突に私の腕を掴む。
その瞬間、全身から力が抜ける。
己の意志で解放するのではなく、強制的に魔力を引き摺られる感覚。
――ダメ!
ふらつく足で、しっかりと地面を捉える。
――ここで、膝を着くわけには、いかない。
「―――で、んか…な、に、を…」
「―――……―――」
問いかけるも、返答は無い。
ただ、掴まれたその場所から、急激に魔力が抜かれていることだけは理解した。
そして魔力が殿下へと流れる程、結界が強固になっていき、近付く魔物が弱いものから順に消え去っていく。
そこそこ力のある魔物も、哀れなほどに弱体化する。
目視する限り、大半の魔獣はもはや虫の息である。
―――それに、しても…どれだけ、持っていくのかしら……?
額に汗が滲む。
魔力を消費すればするだけ、補充されるこの体が魔力切れを起こすことは無い。
しかし今日は常に、ある程度消費しながら討伐を行っている。
討伐部隊に掛けた魔術や魔剣の生成などで、いつも以上に魔力を放出していたところに、突然、予想も出来ないくらいの量を持っていかれたものだから、一瞬視界が白く霞んだ。
それでも第一波が過ぎた今では、魔力の量は元通りに近い。
――けっこう大変なのよ、こっちは。
呼吸が荒くなりそうなのを、唇を噛んでやり過ごす。
――ここで、醜態を晒すわけにはいかない。
瘴気があれば無限の魔力を有すると言わしめる“バイアーノ”が、魔力を失って膝を着くなんて事はあり得てはならないのだから。
全身を刺すような痛みに耐えつつ、意識して呼吸を整える。
ここに己一人しか居ないのならば、叫び声をあげながら苛む痛みにのたうちまわっているだろう。
周囲の目がある手前、そんな醜態は晒したくは無い。
暫くすると魔力の吸収が緩やかになる。
あと、もう少しで満ちるのだろう。
――でもまぁ、“バランスをとる”ためには、けっこうな量必要よね。
連続して絶え間ない痛みに、もはや感覚が麻痺してきたらしい。
こんな状況でも、冷静に思案している己に感心する。
神力と釣り合うだけの魔力が必要というのだから、生半可な量では到底足りないはず。
もし今の方法で、私以外が殿下に魔力を“吸われたら”、昏倒どころの騒ぎではないだろう。
下手をすれば、命さえ危ぶまれる。
――ここに居合わせたのが私で良かった、と、思うべき、なのでしょうね…




