56そこに居るきみに、違いは無いけれど。
太陽の巫女との謁見を終えた私は、今後の予定を決めかねてとりあえず神殿を辞した。
シェーグレン国に帰るか、それとも暫く滞在してオズボーン国の観光でもしていこうか。
後宮に帰るとすれば、転移魔術で一息だ。
しかし、いくら招かれて訪れたとはいえ、国家間を行き来する際に気軽に魔術を使ってほいほい国境を渡るのは考え物である。
なにかしらの手続きが必要になってくるとは思うのだが、そのへんのことは私にはわからないので隣を歩くクロエに任せた方がいいだろう。
どちらにしろ、もう日も暮れているし手続き関係各所はきっと店終いをしているはず。
シェーグレン国に帰るのは明日以降となるだろう。
――今の時間でも、まだ宿屋は空いているのかしら
先祖の出身はオズボーン国となっているが、現在の己にはこの国に伝手は無い。
一夜を明かすとするならば街の宿を取るのが一般的だ。
魔獣討伐の際は野宿だってなんともないが、こんなに整った街の一角で野営をするのはさすがに目立ちすぎるだろう。
幸いにも数泊できる程の手持ちはある、が……
果たしてシェーグレン国とオズボーン国の通貨は共通だっただろうか。
こんな時間でなければ、貨幣を両替する店が開いているのだが……
と考えていると、私の考えなどお見通しとばかりにクロエが口を開く。
「フリア様がこちらに滞在中は、わたくしの屋敷でもてなすよう言いつかっておりますので、こちらへ」
「気を遣わせてしまって、悪いわね……」
「フリア様を屋敷に招くことは、この国では最高の誉れとなるのです。お気遣いは無用です」
――私を招くのが誉れだなんて、随分持ち上げてくれるわね。
太陽の巫女もそうだったけれど、この国の人は妙に私を持ちあげる。
そんなことはされ慣れていないぶん、そこはかとなく居心地が悪い。
――なんて言ったら良いのかしら……
こう……、落ち着かないというか……なんと言うか……
「―――ねぇ、クロエ。聞いてもいいかしら?」
「はい、なんなりと」
「太陽の巫女直轄メイドというのは、もの凄く位が高いのかしら?」
「神殿に仕える者としては、それなりに高位ではありますが……」
クロエの返答に少々考え込む。
この国に来てからずっと気になっていたのが、クロエに対する周囲の態度だ。
クロエが全く気にする素振りを見せなかったから、グレンジャー家は相当な地位を認められている、もしくは太陽の巫女のメイドという立場が一等特別なのかと思っていたが……
どうやらそうではないらしい、
それでも、ここに来てからすれ違う人や視界に入る人達は全てこちらに向かって頭を垂れている。
クロエがそれほど高貴でないというのなら、他所の国から来た者への挨拶というわけでもないだろう。
「じゃぁ、あの人たちは誰に頭を垂れているの?」
「それはもちろんフリア様ですよ」
「――どうして?」
私、そんなに高貴な身分ではないのだけど。
一応、公爵としての位を与えられているものの、所詮隣の国での話だ。
オズボーン国の人々にとって、私はなんの身分も無い、強いて言うなら旅行者みたいな者だろう。
そんな人物に、わざわざ遜る必要があるのだろうか。
ただひとつ思い当たることがあるとすれば、初代の血を引いているということくらいか。
初代バイアーノは、太陽の巫女の分身みたいな位置づけだろうから……
しかし、気が遠くなるような昔の話をわざわざ持ち出すほど、オズボーン国の国民にとって、太陽の巫女というのは至高の存在なのだろうか。
考えれば考えるほどわからない。
国が違えば考え方も様々だと痛感せざるを得ない。
「フリア様、あちらをご覧ください」
「――ぇ、なに、あれ……?」
悶々と思考を練っているその合間にクロエがある一点を示して見せた。
神殿の扉に描かれているのは、足下まで伸びる真紅の髪を垂らし、緋色の瞳で人々を見渡す女性の姿。
「我々が崇め奉る太陽神のお姿です。おわかり頂けたと思うのですが、フリア様は太陽神と瓜二つの色をお持ちになっている。ですので、我々オズボーンの国民はフリア様の事を神子様と呼んでいるのですよ」
「――神子? ……巫女では、無くて?」
「はい。仕える巫女ではなく、太陽神の愛し子。神子である、とそう信じて疑わぬのです」
「――、」
あらためて、扉絵をじっくりと眺める。
真紅の髪と、緋色の瞳。
たしかに、色だけ取ってみれば同じに見えなくもない。
シェーグレンで“魔獣の一族”と恐れられるこの色も、隣国に渡れば“神の愛し子”だなんてほんとうに、おかしな話だわ。
「シェーグレンは神子様に冷たい国と、国民は思っております」
「――そうかも、知れないわね」
シェーグレンは常に、魔獣の脅威に晒されている。
魔獣に対して、どうしても恐怖が先に立つ。
たとえ人のカタチをしていようと、元を辿れば魔獣という者達に態々心を砕く必要など無いのだから。
「――それでも……私を受け入れてくれる人は、居るわ」
漆黒の魔術師を思い浮かべ、無意識のうちに口角が上がる。
「小言は多いし、多少俺様で、強引なところはあるけれど、常に私を気遣い、受け入れてくれるのよ」
――そんな人が、居る。
「まぁ、素敵です。――もし、シェーグレンに訪れることがあれば、お目にかかりたいので御名前を教えて頂いても、よろしいですか?」
「ええ、きっと彼も喜ぶと思うわ。――彼の、名は……」
そして、ふと、考える。
この感覚、前に一度体験したような。
――漆黒の青年。
漆黒の魔術師。
小言の多い、あの、世話好きな魔術師は……
「――だれ、だったかしら」
――まただ。
また、私は彼の名を忘れてしまった。
忘れていることを思い出せるのに。
その、姿も、声も、思い出すことが出来るのに。
どうして、名が、出てこない?
「――フリア様は、そのままでいいのです」
――親神様のお心のままに
さぁ、帰りましょう。
クロエの言葉に従って、足を進める。
心の端にもやもやとしたモノが残っているが、歩みを進める度にそのもやもやが薄れていく気がする。
――忘れては、駄目。
心の奥から、私の声でそう呼びかけられる。
「――フリア様、如何致しましたか?」
「――ねぇ、クロエ。私はここに来る前、魔術師団の詰め所に、誰を訪ねたのだっけ?」
このもやもやとした感覚を振り払いたい一心で、共に在ったはずのクロエへと呼びかける。
太陽の巫女直轄のメイドだ。
記憶力などはずば抜けて高いに違いない。
「――副団長……テオ様ではありませんか?」
「――テオ様……。……そう、ね。そうだったわね。ありがとう、思い出したわ」
「いえ、わたくしはなにも」
――彼女は、嗤う。
――そのまま全てを、忘れてしまえ、と。
グレンジャー家に一泊した翌日。
せっかくだからとクロエに案内されて、神都を散策する事にした。
行く先々で跪かれ、頭を垂れる光景を見せつけられると、己が他国に籍を置いていることに申し訳無くなってしまう。
――もし私がオズボーン国の者であれば、この国の人々は喜んでくれるのだろうな、
などと、しょうも無いことを考えてしまう。
――私には、課せられた使命がある。
決して、あの国から去ることはできない。
――あの国、って?
「オズボーン国の神子様!」
「え、あ、あの……」
神都を散策していると、小さな子供たちに囲まれる。
少し神都を歩き回ってわかったのが、出会って最初、まずこの国の人達は私を見ると頭を垂れる。
その後は何事も無かったかのように作業を再開するか、今みたいに子供達がよって来てはしゃぐ様を温かな目で眺めている。
中には、差し入れと称して様々な食べ物などを提供してくれる大人も数多く居るようだ。
皆、口々に私の事を“オズボーン国の神子様”と呼ぶ。
最初は否定していたが、繰り返し、繰り返し、“オズボーン国の神子様”と呼ばれると、否定の言葉を投げようとするものの、徐々にうまく言葉が出てこなくなっていく。
――まるで、言霊によって縛られていくように。
そしてまた、行く先々で人々が頭を垂れる。
「――ねぇ、クロエ」
「はい、如何致しましたか?」
「――私の……私の、名は――なんだったかしら……?」
「“オズボーン国の神子様”でございますよ」
一瞬の間もなく即答する彼女の言葉が、ストンと胸に落ちる。
「――そう、だったわね。――私は――」
「――フリア帰ろう! 迎えに来た!」
声が、聞こえた。
瞬間、なにかが弾けたような感覚に囚われる。
急激に思考がクリアになる。
「――グレン、どうしたの? そんなに慌てて……」
振り向けば漆黒の青年。
ずっと、思い出せなかったその名を紡ぐ。
グレンはこちらに駆け寄って来ると、手を伸ばす。
しかし、触れる瞬間勢いよく手を引いた。
「っ!?」
「グレン……?」
「――何でも無い。……フリア、シェーグレンに帰るぞ」
すこし気まずそうに眉を寄せながらも、しっかりと返される視線に何故か安堵する。
――それにしてもグレンが態々国を渡って迎えに来るなんて、なにがあったのだろうか。
そう思い問いかけるも否定されてしまった。
場所を変えようと提案され、クロエの屋敷に向かう途中、なんだか足取りの覚束ないグレンに向かって手を差し出す。
しかし。
「――否、いい」
「っ! ……、そ、そう。……なら、いいのよ」
――拒まれた。
今まで一度だって、拒まれたことなど無かったのに。
グレンの言葉に思考が揺れる。
思い出したくない過去が溢れ出る。
記憶の奥底に封じたはずの、孤独の記憶。
――“神子様を拒んだ”
――“やはり、シェーグレンは……”
――“神子様は、シェーグレンに帰るべきでは、無い――”
周囲のざわめきが耳を通り過ぎる。
その、囁きが鼓膜を揺らす度に過去の記憶が甦る。
「――フリア――……、」
私を呼ぶ声がする。
それでも、私は振り向けない。
――今、きっと酷い顔を、しているから。
「――いいのよ。気にしないで」
――拒まれることには、慣れているわ。
思っていたよりも、低く、冷たい声音。
――あぁやっぱり、私は独りで在るべきなのね。
思考が覆われる。
思い出した過去が心を冷やしていく。
心が完全に閉じる間際、背後から伸びてきた腕に捕われる。
「グ、グレンっ!?」
驚きのあまり、我に返る。
しっかりと回された両腕は、多少抗おうともびくともしない。
「――フリアは連れて帰る! ――フリアが居ないと、俺が、嫌だからっ!!」
背中に温もりを感じる。
振り向こうとした刹那、グレンの魔力が私の魔力に干渉する。
その感覚に目を見開いたとき視界に揺れる純白に、クロエが眉を寄せる。
――“もう少しだったのに”
「――王宮に、帰ろう」
クロエの口がなにかを呟いたとき、後ろから聞こえてくる声に耳を疑う。
振り向こうと首を巡らすが、強制的に溶け込んだグレンの魔力が私の魔力を遠慮無しに引き摺って解放する。
――これは、転移魔術?
陣が足下に浮かび上がる
あまりの眩さに目を瞑る
「――フリア様……?」
「――え?」
呼びかけられて目を開けると、呆気にとられてこちらを見詰めるテオ様の姿が。
――ここはどこだろう。