53そこに行けばいつも、きみがいた。
「テオ様、フリアが見当たらないのですが。所在をご存じないでしょうか」
フリア様がオズボーン国に発ったその、翌日。
呼び止められて振り返ると魔術師の服に身を包んだグレンの姿が。
ここが魔術師団の詰め所という事もあり、普段よりも割り増しで丁寧な言い回しを心がけているようだ。
そのさまが、地味に笑いを誘う。
己が何を思ったか察したのだろう。
眉間に皺を刻みながらも、口元は笑みで固めている。
――笑顔は、引き攣っているが。
表面上だけでも取り繕おうという心がけができるようになったのは成長したといってもいいだろう。
フリア様と過ごすようになってから、随分と人間らしい表情を浮かべるようになった。
そもそも、”グレン”の姿になることが無かったので今までどうだったのかの比較はできないが、確実に現人神の姿を取っているときよりも”人間らしい”。
「フリア様なら、オズボーン国へと発ったよ」
「――――は? 結界を抜けた気配は無かった、のに」
目を見開きポカンと口まで開けたその表情は中々に珍しい。
常、不機嫌そうな面持ちの彼が、こんなにも表情筋を使うことが出来るとは。
「クロエが使者としてやって来ていたよ。たぶん門を使って直接オズボーン国へ移動したんだろうね」
「…………どう、して……?」
グレンがなにを想像しているか全く予想がつかないが、何やら思い詰めた表情で見詰めてくる。
その瞳には焦りが見てとれる。
こんなにも感情を揺らす姿を見たのは初めてだ。
あまりにも動揺する様子に、わけを聞く気にも、冗談を言って場を和ます気にもなれない。
「――聞いてくる」
そう、一言残して駆けていく。
恐らく、国王陛下の元へと向かったのだろう。
もう、魔術師団副団長と一般魔術師団員という役を演じることすら綺麗さっぱり忘れ去っている様子。
幸い、今この場には誰も居ないし取り繕う必要もないだろう。
「――グレンは今日も”非番”っと」
ズラリと壁に掛かっている魔術師団員一人一人の名が記された札を移動させる。
こうすることで”勤務中”か”非番”かを見分ける事ができる。
ちなみに、ここ最近のグレンの勤務は殆どが”出張”である。
「王! 話がある!」
ばったーん、と勢いよく扉が力業で開け放たれる。
扉は自動で開くというのに、その間さえも惜しいということだろうか。
扉の向こう側から足早に向かってくるのは漆黒の魔術師。
誰であるかを認識すると同時に目を見開く。
グレンの姿で王の自室までやって来たのは、初めてだ。
この場所にやって来る場合は、常にユリエルの姿であったのに。
ツカツカと歩を進めてくる息子の様子に、一瞬思考を他所へと飛ばす。
以前は、ユリエル・グレンどちらの姿であっても内面に差は全くなかったのだが、近頃の報告とこうして己の目で確認した限りでは、随分と内面にズレが生じているようだ。
そもそも、常に現人神の姿しかとらなかった息子。
人間の姿で面と向かってまみえるのは、いつぶりだろう。
フリア嬢が奈落の底に取り残された際の問いかけに対して現れたのはつい数日前だが、それ以前の記憶を掘り起こしてもこれといって思い出せる場面は無い。
強いて言うならば生れてすぐ、まだ嬰児であったときだろうか。
母親譲りの漆黒の髪があまりにも美しくて、思わず現人神としての名ではなく“グレン”とその名を口にしてしまった。
今、目の前に仁王立ちする息子を眺めて、思う。
――ずいぶんと、成長したものだ。
ついつい、己の世界に入り込んでしまう。
そんな父親に対して、気を遣うという心を持ち合わせてはいないらしい。
眉間に皺を寄せて、険しい表情のまま息子は口を開く。
「王、何故、フリアがオズボーンへ向かう許可を?」
「そう慌てふためくな、グレン。ひとまず座りなさい」
距離を詰めて来た息子に椅子を勧めると、眉間の皺を更に深く刻みながらも腰を下ろす。
「――何故、俺への通達が無い? フリアの担当は俺だと、王も知っていたはずだ」
「伝えようにも、昨日はアメーリエ嬢の屋敷に訪れていただろう? さすがに、逢瀬の途中で呼び戻すわけにもいくまいよ」
「――、それは……俺は非番で、」
渋い顔そのままで、視線を逸らされる。
拗ねているのか、若干ではあるが口がへの字に曲がっている。
――昨日の“グレン”は非番だ。
昨日はユリエルの意志で動いていたのだろう。
――躯を共有している以上、内面が今よりも解離してしまうと中々に不味い事になりかねぬ、な……
口には出さず、思案する。
現人神は神にも人にも寄り添える存在。
――しかし神となるには不完全で、人であるには異質過ぎる。
神の思考に傾き過ぎても、人の心に飲まれてもいけない。
とても、中途半端で、危うい存在。
――ただでさえこの、二人は……
そこまで考えて、ハッと我に返る。
再び向けられていた漆黒の瞳は鋭い刃のような光を宿している。
今は、目の前に座るこちらの息子を納得させることを考えなければ。
「太陽神から、太陽の巫女であるシェーラ殿に託宣が降りた」
「――フリアをオズボーン国に連れてこい、と?」
不機嫌を露わにし問い返す息子に、内心苦笑する。
――もし、太陽の巫女からの言伝を、ユリエルを呼んで共に聞いていたとしたら。
ほぼ間違いなく、グレンが現れ猛烈に反対しただろう。
それを思えばあの場にユリエルが立ち会わなかったのは、神の思し召しなのかもしれない。
「太陽神からの託宣は、フリア嬢に向けられたものでは無かったが、フリア嬢で無ければ意味をなさないものでもあったのだ」
「……?」
首を傾げる息子に告げる。
太陽神からの、託宣を。
“悠久の時が巡り、後の憂いを断ち切るまたとない機会が訪れた。鍵を握る、バイアーノを、ここに”
「――バイアーノを? ……フリアでは、無く――?」
「あぁ、太陽神は“バイアーノ”と呼んだそうだ。――お主から聞いた事を踏まえて推測するに……。――フリア嬢の中には初代と呼ばれている“バイアーノ”が存在しているのではないかと思っておるのだが……」
そこまで言うと、グレンは途端にハッとした表情を浮かべる。
「真紅の髪と緋色の瞳は、“初代と同じ魔力を持つ”証……、」
小さく呟く。
常人では聞き取れない程度の音量でも、現人神である己の耳にはしっかりと届いた。
「フリア嬢から、聞いたのか?」
「――まぁ、そんなところ。……ところでフリアの帰国はいつ?」
「――、“フリア嬢が望めば”すぐにでも。と言っていたな。……正確な日数は提示されてはいなかった」
“帰るも帰らぬも彼女次第”と告げると、途端に眉間の皺が深くなる。
「――迎えに行く」
「それはならぬ」
「何故」
立ち上がる息子を制す。
あの時と同様、その瞳には怒りの感情が見てとれる。
――否、焦り、か……?
「グレン、なにを焦る事がある? 公は必ず帰国するであろうよ。――それが、バイアーノに定められた使命なのだから」
「その、使命が果たされるのなら! ――もう“この世界”に存在する必要が無くなるということだ!」
先程よりも更に、焦燥感を露わに吐き捨てる。
「グレン、落ち着きなさい。フリア嬢の……――、バイアーノの使命が果たされる時など決して来ないのだよ。――封じられたモノ達が生を渇望し続ける限り。決して、魔獣が消滅することは無い」
「だからっ! “姉巫女”を鎮めるために、フリアが……、初代バイアーノが呼ばれたんだろう!?」
机に強く両の掌を打ち付け、前傾姿勢のまま裂けそうな程強く唇を噛み締める息子。
そんな彼に己の考えを聞かせる。
少しでも落ち着いてくれればよいのだが……
「――今現在、バイアーノ家にとっての“後の世の憂い”は次代に繋ぐ糸があまりにも細すぎる事であろう。――“バイアーノの呪い”を断つ手立てでも見つけたのやも知れぬしな。」
「己のことだけでフリアが動くはずがない! 絶対に”姉巫女”関係に決まっている!」
「――“姉巫女”? それは、なんだ……?」
――バイアーノの呪いさえ克服できれば、後の世の憂いは克服できるだろう。
シェーグレン国にとっても、オズボーン国にとってももちろん、バイアーノ公爵家にとっても、喜ばしいことである。
しかし、息子が告げた“姉巫女”という単語はよくわからない。
グレンがフリア嬢と過ごす中で、バイアーノ公爵家の歴史に触れる機会があったのかも知れない。
その中で知り得た知識だろうか。
王家としては、意志ある魔獣を先祖に持つバイアーノ公爵家と良好な関係を築くことはとても喜ばしいことではあるが、あまりそちらの思考に傾倒しても困りものではある。
どうしたものか、と思案する己に対し先程の勢いそのまま、息子は強い眼差しでこちらを射貫く。
「巫女は……太陽神は……、フリアを……初代バイアーノを“封じられた故郷”に還すつもりだ! だって、そうすれば……。“姉巫女の言霊”は打ち消すことができる……」
「“封じられた故郷”とは、なんだ? ――それに、“言霊を打ち消す”とは……」
ゆっくりとした動作で首を傾げる王を、呆然と見詰める。
――まさかこの国を支える王が、“封じられた故郷”を知らないとは。
己等が願った事によって封じられていったモノたちの事を、さも当然の如く忘れ去るとは。
――否、忘れているのでは、無い。
……知らないのだ。
知らされていない、のだ。
王が継承するのは王家が絶対正義の歴史であって、それ以外の事実は捨て去られたのだ。
たとえ歴史が歪められていたとしても、その歴史を正すためにバイアーノ側から王家へと歩み寄ることは、決して無かったのだろう。
――ただ、己に課した使命を果たすのみ。
その為だけに、こちらの世界に留まっているのだと、彼女も言っていたではないか。
「――、王。俺の話を聴く気はあるか?」
「聴こう。――グレン、お主が知り得た事を全て」
漆黒の魔術師と、白亜の現人神が真正面から視線を交わし合う。




