47あなたが居る、という日常を。
木漏れ日が部屋を彩る。
換気のために開いた窓から心地よい風が室内を通り抜ける。
ここに来た当初は、春先だった季節も気がつけば秋の足音が聞こえてきそうである。
「それにしても、何もすることが無いわね……」
まだ太陽が真上に位置するこの時間。
ベッドの上で一人暇を持て余す。
刺繍や編み物など大抵の貴族の女性が嗜んでいるような趣味は、私に無い。
幼少期にアメーリエ嬢と共に習いはしたので、出来ないということでも、無いが……
細かく繊細な作業は私には向かないようで、最後まできちんと仕上げる前に収拾がつかなくなって諦めてしまうのが常だった。
そもそも材料も、道具も準備していないこの状況では思いを巡らすだけ時間の無駄である。
そんなどうでもいいことを考えつつ時間を潰していると、なんの前触れも無く転移陣が床に描かれて輝く。
「――フリア、調子は」
「あらいらっしゃい、グレン。暇すぎて生ける屍となりそうよ」
私の言葉を聞いた彼は、眉間に皺をこれでもかと寄せて溜息を吐く。
「――おとなしく、寝ていればいいだろう」
「こんな時間に眠れるわけ無いじゃないの。ただでさえ、ずっと眠っていたというのに」
「――眠っては、いなかったぞ。……少なくとも、フリアの身体は」
呆れたように眉を寄せ、躊躇いも無く手の届く距離に歩みを進め、ス、と背中に手を当て膝裏に腕を差し込まれる。
ここへ運ばれてくる時は、なにも思わなかったが、平常時に抱えられると、その体温と、至近距離でみる顔に鼓動が走る。
「ちょ、グレン! あ、歩けるからっ!」
「――黙って」
抗議など受け入れないとばかりに、いつもの部屋へと運ばれる。
ソファーへと下ろされ、わざわざ目の前にテーブルを据えられる。
ポカンとしていると、反対側には椅子が用意されどこから持ってきたのか、昼食が乗ったトレーが机の上に置かれる。
「フリア嫌いな食べ物とか、ある?」
「いいえ特に食べることの出来ない物は、ないわ……」
「そ。……なら、いい」
言いつつも慣れた手つきで茶を淹れて、こちらに渡してくる。
礼を言って受け取り、一口含む。
――なんだが、いつもと逆ね。
そう思うと、自然と笑みが溢れる。
「―――なに?」
「いいえ、なんでもないわ」
食事を進める傍ら、訝しげな表情で尋ねられるもたいしたことではないので何でもない、と告げる。
カップを置き、差し出された食事に手を付ける。
具材と共に炊いた米に味付けをして、卵で包んだこの料理はとても懐かしい味がする。
昔、母が作ってくれたメニューとよく似ている。
バリエーションが豊富で、中身の具材や卵の火の通り具合、上からかけるソースなど様々組み合わせを楽しめる料理だ。
この料理だけで一冊の書物として、バイアーノの書庫に収められている。
「――どう?」
「……、え?」
昔に思いを馳せつつ料理を堪能していると、なんとなく控えめにかけられた言葉。
「……その……、味は……」
「凄く好きよ。美味しいわ」
「すっ! 、……そう、なら、いい」
どこか照れを含んだその返答に、もしやと思い、問いかける。
「もしかしてこれ、グレンが作ってくれた、の?」
「――――ん」
「ありがとう、グレン」
魔術師団員と言えどそれ相応の身分が保障されるので、きっと料理などは専門の人が付くはず。
彼が料理をするなんて、思っていなかったのだが……
案外家庭的なのかもしれない。
「ねぇ、グレン。――妃選びが終わったら、私と領地に帰らない?」
「――え……、」
気が緩んだ所為だろう。思わず自然に、そんなことを口走っていた。
投げられた言葉に、グレンが固まる。
カップに伸ばされた手がピタリと停止した。
しかし、嫌悪の意を返されない事に気をよくして、更に口は言葉を紡ぐ。
「バイアーノ領はガロンに任せて、まぁ爵位は私に付いてくるんだろうけど……。でもいっそ新しい家でも興す、とか。“常夜の森”近くのバイアーノ領を分割して……。家名はそうね……グレン、貴方の家名で新たに家を興してもいいわね」
「――そ、れ、は……」
こちらに向けられた瞳が揺れる。
「あぁ、そんなに困った顔をしないでちょうだい。ただの思いつきだから。――グレンにはグレンの信念があって、魔術師団に所属しているのでしょう? だから無理矢理それを、奪おうなんて思っていないわ」
――ただ、あなたと居ると楽しく過ごせそうだと、思っただけだから――
“片付けくらい、私にやらせて”
そう言って食器を洗いに行った彼女を、呆然と見送る。
ほんとうは動かすつもりなんて無いのに。
食事を終えたらまた、寝室に連れて行って、そして夢の話を尋ねる予定だった、のに……
フリアの言葉が、頭から離れない。
屋敷に足を運ぶ前は小言の一つや二つ……いや、五つくらいは言ってやろうと思っていたのに
小言なんて全部さっきので吹き飛んでしまった。
今、己の思考を占めるのは彼女の言葉。
その言葉の意味も、意図も全くわからない。
それでも、己を必要としてくれることが、心底嬉しかった。
隣にいてもいいと、告げられたことが。
――それでも。
否、だから、こそ……
“領地に帰る”と聞いて、胸が締め付けられる。
ユリエルもグレンも、等しく己だ。
しかし、所詮、黒は白の仮の姿なのだ。
人としてフリアと共に歩むことも、現人神としてフリアをこの宮に留めることも、出来ないのだ。
フリアが現人神を望まなければ、共に歩む事なんて出来はしないのだ。
いつか話さなければと、思ってはいる。
明かせば、現人神でも受け入れてくれるかも、と。
それでも覚悟が、出来ない。
拒絶されたらと思うと、一歩が踏み出せない。
それに……
フリアの隣に立つのは、己でありたいと願ってしまう。
どちらの姿であっても、己が己である事に変わりなどありはしないのに。
「グレン、待たせたわね」
戻ってきた彼女は、ソファーに座る。
「――夢の話、聞かせて」
「えぇ。――とても、幸せな夢だったの……――」
彼女の隣に腰を下ろすと、少し驚きはしたものの距離をとられる事は無い。
そんな、ちょっとしたことに安堵する。
そして、彼女は語りだす。
幸せだったという、夢での出来事を。
――きみが、隣に居るという、日常を、願う。