34近すぎるから、遠く思うの。
――ごめんなさい、グレン。
――少し、一人にして欲しいの。
そう言われてから既に三日。
正確には、アメーリエという従姉妹がやってきた日から三日。
毎日屋敷へと足を運んでいるものの、彼女は一向に出てこない。
いつもならば、難なく通れる結界が、信じられないくらい強化されている。
無理矢理通れなくもないが、それをしてしまうと一般魔術師団員である事を疑われてしまいかねない。
――グレンで駄目なら、いっそユリエルで呼び出すか?
さすがに、王太子殿下からの招集であれば、そう簡単に引き籠もってもいられないだろう。
かといって、ユリエルの姿で会ったのは、あの夜の一度きり。
そんな状態で、場をもたせるのは至難の業だ。
フリアがグレンに気安く話しかけてくれるのは、グレンが一般の魔術師団員だからだ。
グレンと同じ対応を、ユリエルで望んだとしても、それを得ることはできない。
それは、わかっているのだが……。
「――いっそ、分かれられたら、いいのに……」
現人神の姿であるユリエルと、人の姿であるグレン。
どちらも等しく己であるのだが、こうも立ち位置が違うといっそ、それぞれ別の人格として成り立つのでは無いだろうか……
「……グレン……様? こんなところで、どうした……の、ですか?」
「……あぁ、ジェラルド様。……この姿の時は、様も、敬語も無しですよ」
「――そう、だった、な……。ところで、なにを?」
屋敷の門前で佇んでいると、後ろからやって来たジェラルドから声が掛かる。
テオはいいのだが、少しでも気を抜くと、ジェラルドはグレンに様を付ける。
誰もいない事を確認していはすると思うのだが……。
咄嗟の時、様付けで呼ばれると後で説明がし辛い。
「……フリアが……。三日前から、結界を強化して出てこない。一般の魔術師団員である俺は、この結界を突破できないので」
「なるほど。では、結界を中から解いてもらえば問題は無いな」
ジェラルドは事も無げにそう言うと、門に付いているベルを鳴らす。
「フリア様、ジェラルドです。穀物を受け取りに参りました」
「――あ、はい。少々お待ちを……!」
ベルの部分に、ジェラルドが話しかけるとそこからフリアの声が返ってくる。
なんとも不思議な仕組みだ。
「――申し訳ありません。お待たせしました!」
「いえ、構いませんよ」
声がして少し、門扉からひょっこり顔を覗かせたフリアは、ジェラルドを見て笑う。
そして、ジェラルドの後ろに立っている己と目が合う。
「あ、グレンも来てくれてたのね。どうぞ」
「あぁ」
「では、お邪魔します」
招いてもらったので、遠慮無く入らせてもらう。
三日ぶりに見る部屋は、何が、とハッキリとは言えないが、雰囲気が変わっているような気がした。
「こちらが、ジェラルド様から依頼のあった分です」
「たしかに受け取りました。――では、わたしはこれで」
「ええ、いつもありがとうございます」
目的は終えた、とジェラルドは颯爽と騎士団の兵舎へと戻っていく。
残ったのはフリアと二人。
先日の事があるので、さすがに少し気不味さが胸に残る。
「――本棚……?」
なにか話さなければ。
そう、思って視線をあげると、見知らぬ本棚が視界に入る。
思わず口をついて出た言葉だったが、それを聞いたフリアは少し困ったような表情でこちらを見る。
「ちょっと、気になることがあって、部屋から取り寄せたの」
「領地の?」
「そう。この前、領地に行ったとき、この屋敷にある袋を、向こうで転移できたから、向こうの部屋にあるものをこちらに転移できないかと思ってやってみたら出来たのよ」
――魔力操作って、やっぱり便利だわ。
言いながら、本棚の中から一冊の本を取り出して机の上に置く。
「……これは?」
「――日記よ。私の」
「日記……」
「――そう」
表紙を指でなぞるその表情は、昔を懐かしんでいるのだろうか……。
「……アメーリエ様が言っていたでしょう? 私が何かを忘れている、と」
「あぁ、何やら騒がしく言っていたな」
「いくら思い出そうとしても、やっぱりわからないのよ。で、日記を読み返してみようと思ったのだけど」
そう言って、日記帳を開き、示す。
「……文字が、掠れている……?」
「そう、なの。アメーリエ様が言っていた時期の日記が、不自然に掠れていて、読み返すことができなくなっているの」
――日記を読み返す事なんて無かったから、気がつかなかったわ。
彼女はそう言って、肩を竦める。
思い出そうとしても思い出せない。過去の記録さえも判別不可能にしてしまう。
そんなことができるのは魔術しかありえない。
しかも、強大な魔力を有するフリアですら、解けない魔術。
おそらく、フリア自身が”忘却の魔術”を掛けられているのだろう。
以前、己もフリアに対して使用したが、それとは比べものにならないくらい強力な術を、いったい誰が彼女に掛けたのだろうか。
誰が、掛けることができたのだろうか。
幼かったとはいえ、内包する魔力は並の量では無かったはず。
これは、本格的に何かありそうだ。
「なんだか、マイアーの人達に直接聞くのも、憚られるし、ねぇ」
「……まぁ、そうだな」
どれだけ深い仲だったとしても、さすがに聞きにくいだろう。
もしかしたら、フリアの記憶と記録を改竄したのが、彼等かもしれないのだから……。
「――そう言えば、“奈落の谷”の討伐に参加するらしいな」
「えぇ、少しくらい役に立ちたいもの」
嫌な予感を振り払うように、話題を変えると、フリアもそれに倣ってくれた。
「フリアにとって、“奈落の谷”は安全なのか? あそこは、バイアーノが見張る“常夜の森”よりも更に濃い瘴気が澱んでいると聞いている」
マイアーの兄弟が言っていた。
フリアはこの国で唯一、“瘴気を取り込み、魔力に変換することができる”と。
つまり、瘴気が濃ければ濃いほど、変換する量が増え、身体に負担がかかるということでは無いのか。
「うーん、そうねぇ……。私は“奈落の谷”に行ったことは無いから、なんとも言え無いのだけど……。母が以前、あそこに行った時には、特に問題は無かったみたいだから、大丈夫だと思うわ」
「……共に、行けたら、いいんだけど……」
「グレンが? 無理しては駄目よ。瘴気はひとを蝕むのよ。魔術師の中でも、あそこに行けるのは一握りなのでしょう?」
「それは……そう、だが……」
――実際はその、一握りに入るのだ
しかし、それをここで公言してしまうと、後々の関係に響きかねないので、出掛かった言葉を飲み込む。
「テオ様が教えてくれたわ。“魔獣を倒す事のできる魔術師団員はそれなりに多く居る。でも、瘴気から身を守れるほどの魔力を持った魔術師団員はそう居ない”と」
なおも渋い顔をしている己に向かって、フリアは微笑みながら続ける。
「それに、討伐の陣頭指揮は王太子殿下が執っているそうじゃない。既に、討伐も何度か行っているようだし、心配する方が失礼に当たるわよ。それに……いざとなったら、私がなんとしてでもユリエル様を守るわ。
それくらい出来なきゃ、バイアーノではないわ」
「……無理だけは、するな」
――さすがにここで、“王太子殿下よりもフリア自身を優先しろ”とは言えない。
何せ今の己の身分は、王宮に仕える魔術師団員だから、な。
小さく溜め息をついて、今、彼女のために己ができることを考える。
「――あぁ、そうだ……。フリア、身体の調子は?」
「今のところは落ち着いているわ」
「――落ち着いているのなら、なおさら、試しておくべき、か……?」
荒れた魔力の巡りを整える技を教えられはしたが、実際に行ったことは無い。
必要に迫られたその時に、出来なければいけないということは、比較的穏やかな頃から慣らしていく必要があるだろう。
そして、近日中に”魔力が荒れる”可能性のあるフリアなので、練習するなら今しかないだろう。
「――そうね、じゃぁ、お願いしようかしら?」
「――あぁ。……手を」
「えぇ。……無理は、しないでね」
差し出された手に、そっと手を翳す。
触れるか触れないか、僅かな隙間がもどかしく感じる。
フリアが目を閉じたのを確認して、魔力の流れを掴むべく、意識を集中する。
――っ!!?
魔力が混ざり合う。
途端にどこかへと引きずられる感覚に襲われる。
身体の中を、ナニかが這いずり回る感覚。痛みとは少し違うそれに、黒く染まった視界が歪む。
勢いよく押し寄せてくる魔力の波に、なんとか己の魔力を同調させる。
――試してみて、正解だったな、と思いながら。




