24強がるきみは、大嫌い。
静寂の中、己の鼓動が疾走する音が響く。
こんな夜中に、扉の前で、何を、しようとしていたのか、と問われてしまえば、おそらく詰みだ。
いくら、妃候補付きの魔術師として、屋敷に出入りを許されているていを取り繕ったとしても、こんな時間に、妃候補の屋敷に居ては、怪しまれること間違いなし。
「――帰った、のか」
なんとか、取り繕って、口をついて出たのは、なんとも言えない平凡な言葉。
そもそも、こんな時間に、在宅を確認するためだけに足を運ぶなど、ただの変質者ではなかろうか。
己の言葉に、気配が動く。
恐らく、こちらの方を向いたのだ、と、思う。
「ちゃんと、日付が、変わる前、には戻ったわ。心配、して、くれたの、でしょう?」
――ありがとう。
夜分の訪問に、気分を害した風も無く、己を受け入れてくれるのか、と少しだけ気分が浮上する。
しかし、不自然に切れる言葉に、不安が募る。
「どこか、痛いの」
「……えぇ、まぁ……少し、怪我を、して、しまって……」
話す事すら苦痛を伴うのか、先程よりも言葉の感覚が狭い。
「――入る、」
怪我をしただけなら、治癒の魔術が使えるので、すぐに治すことができる、が、如何せんこの時間だ。
躊躇ったものの、それは一瞬で。
決心が揺れないうちにと、素早く扉を開け放つ。
「――――は……?!」
扉を越えて、室内に目を向けると、眼前に広がる光景に息を飲む。
「それ……、誰に、やられた……!? どこが、少しの怪我だ!!」
「――いろいろ、あったのよ……」
気まずそうに視線を逸らす彼女の元へ、脇目も振らず駆け寄ると、床に広がる朱を避けること無く膝をつく。
「ちょ! 汚れる……」
「うるさい。じっとして」
横にずれようとした彼女の手を取り、少し乱暴とも取れる所作で、その場に縫い付ける。
傷口を見て、目を細める。
一度は何かしらの術で止血が試みられたらしい。
しかし、その術もすっかり効果は消え失せ、後から後から新たな朱で染まっている。
治癒を施しながら、先程までの行動を後悔する。
屋敷に駆けつけた時点で、扉を破壊してでも押し入るべきだった、と。
ここに帰るまでの間、どれ程の血液を失ったのかは計り知れないが、今、この屋敷の床を濡らす量だけでも、かなりの量を失っているのが見てとれる。
触れた指先どころか、掴んでいる腕までひんやりと冷たく、月明かりで照らされているその頬は、暗くてもわかるほどに青白い。
きっと、今、こうして座っているのでさえ、辛かろう。
いきものにとって、身体を巡る血液が、どれほど重要であるかなど、考える事すら馬鹿らしく思える。
一定以上の血液を失うと、身体はその機能を停止することも、知っている。
「なぜ、呼ばなかった」
「--え?」
絞り出すように紡いだ言葉は、思ったよりも低く、掠れていた。
それでも、伝わったのだろう。
彼女は困ったような表情でこちらを伺ってくる。
「なぜ、こんなにも、怪我を負っていながら、俺を、呼ばなかったのかと聞いている!」
「っ、こんな、時間だし……それに……、」
「なんだ」
「……明日に、なれば、会えるから、その時で、いいかな、と……」
彼女の言葉に、心臓が早鐘を打ち鳴らす。
それと同時に、胸の辺りがスーッと冷える。
「ふざけるなよ! フリア、おまえは、治癒の魔術を使えないだろう!? それに、この傷、“対魔獣用”の銃で負ったものだ、違うか?」
「…………そ、れは……」
再び逸らされる瞳に、心は更に冷える。
己は水の魔術が得意であるが、今、この時限りで氷の魔術を簡単に扱えそうな気がする。
「“対魔獣用”の武器は、“魔力”が満ちている限り、塞がることなどあり得ない」
「――っ、」
--知っていたのだ。知っていて、なお――
彼女の反応、その、一つ一つに、言いしれない感情が渦を巻く。
「明日になれば会える!? あぁ、会えるだろうさ! 物言わぬ骸となった、フリアにね! 魔力が満ちていて、治癒は使えない。傷口からは、延々と血液が流れ出る。そんな状態で、朝まで保つなんて、思ってもいないのに、よくもそんなことが言えたな!」
「―――っ、」
口を、引き結んで、歯を食いしばりながら俯くその様は、常の余裕がある態度とはかけ離れている。
しかし、これも彼女の姿なのだと唐突に悟る。
むしろ、周囲からの心無い言葉に、こういう風にして、必死で抗ってきたのかもしれない。
治癒の魔術で漸く塞がった傷口に触れないように、しかし逃がさないとばかりに両肩を掴み、身体ごとこちらを向かせる。
「頼む、フリア。俺の頼みなど、おまえの中で、少しの枷にもならないだろうことは、わかっている。それでも……!! 二度と、命を、棄てるようなことを、しないでくれ……!!」
「…………」
今の今まで激怒し、怒鳴りつけてきた相手からの、必死の懇願。
戸惑い、反応ができないのかもしれない。
それでも、言葉は止まらない。
「フリアが、どうしても……、どうしても、“死”を、求めるなら……。その時は、俺が、贈ってあげる。だから! 誰かの手で、その、命を、失うような事は、しないで。たとえ、フリアが、自ら手をくだそうとも、許さない。何度だって、親神様の元へ、連れ戻しに行く! ……俺の手の届かないところで、独り孤独に死んでいくなんて、させてやらない……!」
「…………」
これだけ訴えても、なんの反応も示さない。
さすがにおかしいと、視線を恐る恐る向けると、力なく瞼を落とす彼女の姿。
――っ!
まさか、と彼女の首筋に手を当て、胸の辺りで耳を澄ます。
そして、聞こえてくる規則正しい鼓動と、指に伝わる脈動に胸を撫で下ろす。
どうやら、限界だったのだろう。
腕にかかる重みを抱き留めながら、寝室へと運ぶ。
もう、この際、場所がどうのこうの言ってはいられない。
どうせ、誰も見ていないのだから。
一刻も早く、彼女を寝かせてやらねば。
そっとベッドに横たえると、側に畳んであった布団を被せる。
「――、今夜のことは、全て、忘れろ――」
眠る彼女の頭を一撫でし、忘却の魔術を掛ける。
目が覚めたら、今夜の出来事を忘れるように。
忘れずとも、はっきりとは思い出すことが出来ないように。
――それが、今は互いの為だ。
己に言い聞かせるように声に出さず独り言ちる。
――明日の朝は、いつもより早くから待機しよう。
己の沈んだ気持ちを払拭するように、屋敷を後にする。
伝える気など無かった事まで、口走ってしまったが、朦朧とした意識の中で、どこまで理解できていたかなどわからない。
それに、どの程度効くかは定かでは無いが、忘却の魔術である程度のことは記憶に残らないはずだ。
下手に本人に尋ねて、要らぬ事に気付かれたくは無いので、今しばらくはこのままで。
いずれ、伝え直す日が来ることを願って。
自室への帰り道。
闇夜を煌々と照らす満月を眺めながら、ふと、漏らす。
「どんなに願われたところで、手放すことなど、あり得ないのだが」
漆黒を纏う青年が、白亜の現人神へと姿を変えながら、そう呟くのを、今まさに天上に差し掛かろうとした月神は聞きとめ、やれやれと微笑むのであった。




