101さようですか、ならばここで別れましょう。
父と母の元から離れ、フリア嬢と向き合うアメーリエ嬢の隣に立つ。
「フリア嬢、重ね重ね申し訳無い」
「……いいえ、ユリエル様が気に病むことではありません」
肩で息をしながらも、己の言葉にしっかりと返してくれる彼女。
アメーリエ嬢には苦笑しつつも己の思いを口にしていたが、こちらに向けられるのは形式ばった言葉のみ。
立場上の問題もあるのだろうが、それを抜きにしても彼女の口調はかたい。
真っ直ぐに己と交わる瞳は揺らぐことは無く。
まるで拒絶されているかのようだ。
――ここで頼ってくれと、縋ってくれと思うのは傲慢以外のなにものでもないのだけれど
“現人神”という立ち位置を考えると、頼られない神など情けないとしか言いようが無いが。
そんなわたしの胸の内など与り知らぬ二人は再び、アメーリエ嬢が一方的に捲し立てるという形で言い合いを始めた。
アメーリエ嬢が問い、フリア嬢が答える。
彼女の答えにアメーリエ嬢はいちいち口を尖らせ、または語気を強めて言い返すものだからなかなか話が纏まらない。
「フリアさま、こんなところではちっとも休めないではないですか。少し、場所を変えた方がよろしいのではなくて?」
「――いいえ、このままここでグレンが目を覚ますのを待ちます」
「グレンさまならフリアさまが何処へ居ようと、すぐさま飛んでいくはずですわ。まずは、ご自分の状況をしっかりと把握するべきではなくて?」
「グレンが目を覚ましたらすぐに、“契約”を交わさなければいけませんので」
「っ!? そんな状態で!? 貴女、本当に自分の状況がわかっていらっしゃらないの!?」
一言で表すと、“ぼろぼろ”だ。
“奈落の谷”での出来事から続けてこの状況なのだから、身を清める時間もゆっくりと休む時間すら無かったのだろうと予想される。
“契約”と聞いて、途端に目を剥くアメーリエ嬢。
フリア嬢の襟元を両手で掴み、前後に揺らしているのは無意識だろうか……
ぐらぐらと揺らされながらも、途切れ途切れに言葉を発するフリア嬢は、なんだか幼く見える。
否、年相応と言うべきか。
改めて考えると二人は同じ歳なのだ。あまりにも二人の印象が違いすぎて意識の端に追いやっていた。
どこか近寄りがたく大人びた印象を持っていたが、あれはただ単に気を張っていたからこそ、だったのかもしれない。
現に、アメーリエ嬢を前にして成されるがまま、どこか懐かしさすら感じているのか纏う空気は柔らかいように思う。
「必要なモノは、“前払い”しているので、あとは契約の“言霊”のみ、です。アメーリエ様の、心配するようなことは、起こりませんので、ご安心を」
「いいですか、フリアさま! “呪い”が消えたからといって、“契約”の負担は変わらないのですわよ!? いくら“前払い”が済んでいたとしても、これ以上、負担をかけるべきでは無いと、何故わからないのです!? そもそも、今結ぼうとしている“契約”は、もちろん“双方向”ですわよね!? まさか、“片側負担”の一方的なものではありませんわよね!?」
「どうして、そんなにも詳しいのですか……?」
「ずっと見てきたからですわ! 何回も何回も、“バイアーノ”が“馬鹿な契約”を平気で結ぶ場面を! フリアさまがそんな愚かな事を為そうとするのならば、わたくしは赦しませんわよ!?」
相変わらず、アメーリエ嬢はフリア嬢を揺すっている。
それはもう、激しく。
アメーリエ嬢の言葉のなかには、とても気になる単語が多々散りばめられているが、あの状態の彼女を止める術をわたしはもたない。
それよりもフリア嬢を揺らしているその状況を、病み上がりなのに、とか手負いの人になんてことを、だとかで止めるべきだと思うのだが、それすらも躊躇ってしまうほどの様相である。
己はどうすべきか、と思案していると視界の隅が、淡い輝きを放ち始めた。
淡い輝きは次第に、薄紅へと変化していく。
次はいったい何が起こったのかと、状況を確認するために体ごと反転して一歩前に踏み出す。
振り返った先の光景は異様だった。
先程までそこに居たはずの人物が居ない。
しかし、薄紅の光はまだあの空間のなかでゆらゆらと漂っている。
いったい、なにが起こっているのか。
こうも理解の範疇を上回る状況が頻発するといっそ笑いがこみあげてきそうだ。実際にそんなことはしないけれど。
目の前にはもぬけの殻となったグレンを護っていた空間。
背後では、手負いの従姉妹にさらに追い打ちをかけていると言われても反論できない程度に心配して詰め寄っている最愛の人。
さらに視線を巡らすと、事の成り行きを見守るに徹したのか、静かにこちらを見遣る両親。
この状況を収集する役目を己は課されたのだろうか。難易度が高すぎるとの苦情はいったい誰に申し立てたらいいのだろうか。
「――そんなにフリアを雑に扱わないでくれない?」
背後から聞こえた声に振り返る。聞き覚えのあり過ぎる声。そこには予想通り漆黒の青年が立っていた。
漆黒の青年は肩越しに振り向いてニヤリと笑う。
「なんか新鮮だね。こうやってお互い向かい合ってるなんてさ」
驚き、なにも言え無い己を気にすることも無く再び彼女に向き合う形で座り込む。
「で、フリア。俺は、何をしたらいいの?」
「特に、なにをするでもないわ。もう少し手の届く距離にきてくれれば」
「そうなの? “契約”っていうくらいだから何かあるのかと思ってたけど」
「フリアさまっ! あなたやっぱり……!!」
アメーリエ嬢が眉を吊り上げる。彼女は知っているのだろう。
“バイアーノ”が歩んできた歴史。
ずっと見守っていたに違いない。
曖昧な記憶しか持っていない己と違って、彼女は記憶の全てを忘れる事無く抱いているのだ。
“生まれ変わり”と“転生”の違いは、きっとそういうことなのだ。
彼女の隣に並び肩に手を置き、宥めるように力を入れる。
彼女のその視線が己に向くことはなく、祈るように二人に向けられている。
唇を強く噛み締めながら、事の成り行きを見守ることにしたようだ。
――まだ、機会はあるわ……
小声で、そんな呟きが聞こえたような気がするけれど。
それをこの場で指摘できるほど、わたしの心は強くない。
「我、フリア・バイアーノは、古の盟約に則り、彼の者を唯一と定め、この命の続く限り、縁を結ぶ契約をここに、誓う」
「っ!」
言葉を紡ぎ終わると、フリア嬢の身体を薄紅の光が囲う。
そして、緩慢な動作でグレンに顔を寄せその額に口づける。
息を呑むグレンの身体を、フリア嬢と同じ色の光が照らす。
その頬が朱に染まったのは纏う光の所為ではないだろう。
躯を共有していたから、グレンのことはだいたい理解しているつもりだ。
“独占欲”は頗る高いが、いざとなると僅かな事でも頬を染める様は見ていてなかなか面白い。
己から触れるのは躊躇わないくせに、実は意外と初心だったりするのである。
まぁ、潜在意識として過ごした時間が長かったので、しょうがないことであるとは思うのだが。
光が徐々に薄れていく。
その瞬間を狙っていたかのように、アメーリエ嬢は叫ぶ。
「まだですわ! グレンさま、今の“言霊”をそのままフリアさまにお返しください!」
「え?」
「アメーリエ様……!」
「グレンさま、早く! “言霊”を紡ぎフリアさまに口づけを! “双方向の契約”は今を逃したら二度と結べませんのよ!」
アメーリエ嬢の剣幕に一瞬、肩を揺らしたグレンだがすぐにフリア嬢へと向き直り、その手を取って口を開く。
「我、グレン・シェーグレンは古の盟約に則り、彼の者を唯一と定めこの命の続く限り縁を結ぶ契約をここに、誓う」
フリア嬢の時と同じようにグレンの身体を光が包む。
その光が僅かに青みがかっているのは、母の魔力を受け継いでいるからなのだろう。
己の纏う魔力を確認して、彼女に顔を寄せる。
フリア嬢の身体が淡い光に包まれる。
“同じように”
グレンは己に向けられた言霊を“同じように”返し、“同じように”契約が結ばれた。
契約が成されたことは喜ばしいことであり、祝うべき場面なのであろう。
しかし、誰ひとりとして動けない。
“同じように”成された契約だが、唯一異なる点があった。
その一点の所為で、この場の誰もが一瞬言葉を失った。
唯一異なった点。それは口づける場所がフリア嬢の額ではなく。
彼女の唇だった。それだけだ。
ただ、それだけ。
「――アメーリエ嬢、口づけの場所は、違っても問題はないのかな?」
「――えぇ、恐らくは問題ないかと。……むしろ“あれ”が正式なものですわ」
僅かに視線を逸らしながら、声を潜めて言葉を交わし合う。
ふ、と視線を感じで振り向くと、顔を真っ赤に染めた母上とにっこりと微笑みながら頷く父上の姿が。
――いぇ、わたしは真似、しませんよ?
そんな期待の籠もった眼差しで見詰められても、困るのですよ、父上。




