99約束の場所へ、もう一度。
ぐにゃり、王宮を包む結界が揺らぐ。
ハッとして周囲の気配を探るも、結界を揺るがす原因をみつけることはできない。
どうしたものかと立ち上がると、慌ただしい足音が聞こえてくる。
この部屋に足を運べるものはごく僅か。
そんな中で、こんなにも荒い足音を立てる者はいただろうか。
「父上っ! グレンがっ!!」
「ユリエル? どうした、そんなに慌てて」
扉を蹴破らんばかりの勢いで駆け込んできたのは白亜の現人神。
常に優雅に振る舞うこの息子が、こうも慌てふためくとはただ事では無いのだろう。
そして、呼ぶことを禁じた名を堂々と口にしている。
――もう一人の息子に、なにかあったのだろうか。
思考を巡らすがこれといって思い当たることはない。
あの子は、ユリエルの中で眠りについているはず。
暫くは……。否、フリア嬢の存在がこの世から消えるまで、眠らせる予定である。
それが、“現人神”にとって最善の選択だから。
神の性質を色濃く受け継ぐユリエルは、ヒトのような心の動きは望めない。
それは時に、守護するべき者を傷つけることに繋がりかねない。
だから、人間として生れたグレンをユリエルの中に宿した。
歪ではあるが、神と人の架け橋であるために手段を選ぶことができなかった。
「父上! グレンが居ないのです!」
「……居ない? お主の中で眠っているであろう?」
慌てふためくユリエルを落ち着けようと肩に手を置き、向かいのソファーに座らせる。
「居ないのです! わたしの中の、何処を探しても、存在を確認出来ません!」
「……、消滅していることは、なかろう」
王宮を囲む結界が機能しているのだから。
そこまで考えたとき、先程の揺らぎを思い出す。
――あれは、もしや……
「ユリエル、付いてきなさい」
息子に一声かけて、歩き出す。
“あの場所”には、己の足で歩いて行かねば辿り着く事はできない。
“転移”を禁じる護りが施されているからだ。
その護りはたとえ己であっても、例外はない。
「父上、どこにいくのですか?」
「お主の母のもとへ行く」
「……母上……?」
後ろを付いてくるユリエルが、驚きの表情を浮かべている。
「居ないと思っていたか?」
「えぇ、わたしは一度も会ったことがありませんので。漆黒の髪に、黄金の瞳をもったとても美しい人だった、とは聞いておりますが……」
「――そうだな……」
息子たちは母の顔を知らない。
物心つく前に彼女はグレンを護るために、眠りについてしまったから。
廊下を歩き、庭に出る。
そこでふと、視界の端に揺れる茶色が見えた。
「ユリエル、あの者はお主を探しておるのでは無いか?」
「アメーリエ嬢! どうしたのです?」
キョロキョロと、忙しく辺りを見渡していた令嬢は、ユリエルの言葉に反応してこちらに視線を向ける。
一瞬、目を見開いたのは国王である己が居るからだろう。
気にすることは無い、と手で示しユリエルからすこし距離を取る。
「どうした、じゃないですわよユリエル様! 目を覚ましたと思ったら急に駆け出すのですもの! 心配するなと言う方が無理ですわ!」
「――それは……。すまない。ちょっと、びっくりしてしまって……」
「驚いたのはこちらですわ! 不審な音がしたと思って引き返してみれば、フリアさまの屋敷があった場所で倒れ込んでいるのですもの!」
鼻息荒くユリエルに詰め寄る令嬢は、なおも言い募る。
「しかも、いつもとは違うお召し物を着て。あれはグレンさまの服ではありませんか。どうして魔術師団員の真似事を!? もしやあの場に倒れていたのも、あの格好に原因があるというのですか!?」
「――アメーリエ嬢、少し落ち着いて欲しいな」
「わたくしは常に冷静ですわ!」
「――――そう……」
僅かに肩を落とすユリエル。
――あの娘が、ユリエルが妃にと選んだ者か。
随分真っ直ぐな物言いをする。
あの裏表の無さは美徳だが、令嬢としては生きにくかろう。
「ユリエル、そこの娘も連れて来なさい」
「父上? よいのですか?」
「あぁ、お主が妃にと選んだ者ならば問題は無い。むしろ知っておいた方がいい」
「承知致しました。と、いうことで一緒に来て欲しいな。アメーリエ嬢」
「えぇ、別に構わなくてよ」
二人を先導して歩く。
後宮と呼ばれる建物の群れを抜け、さらに奥へと進む。
そしてようやく目的の場所へと辿り着く。
「……フリアさまの屋敷があった場所……。ねぇ、ユリエル様、ここになにかありますの?」
「わたしにもわからないんだ。父上に付き従って歩いてきただけだから……」
背後で疑問を投げかけられたユリエルの口からは、なんとも歯切れの悪い回答が。
「ここに、お主が探す者がおるのだ」
「……ここに……」
辺りを見渡しても、目に映るのは特にない。
考え込んでいる様子のユリエルを横目で見ながら屈んで陣を描く。
「“時の宮”よ、今ここに、姿を現わせ」
描いた陣から一歩下がって、言の葉を紡ぐ。
何人たりとも足を踏み入れることを禁じ、存在すら隠したその場所の封印を解く言の葉。
陣は輝きを放ち、ゆっくりと“その場所”は姿を現わす。
「――まぁ! すごいわ! やっぱり、“時の宮”は立派ね」
「アメーリエ嬢、“時の宮”って……?」
“時の宮”を目にし嬉々としてはしゃぐ令嬢。
――何故、この娘が“時の宮”の存在を知っている……?
「ユリエル様は憶えてはいらっしゃらないのでしょうけれど、わたくしは何度も目にしておりますもの。あの宮は、まだ魔術師がたくさん居た時代に王宮の守護の結界を張るための、魔術師の詰め所ですわ。まぁ、とある事情で“奈落の谷”ができてからは、そちらも囲っていたのですけど……」
「あんなに大きな建物が、この場所にあったなんて……」
「あら、“時の宮”はここだけではありませんわよ? 王宮の四隅に聳え立っておりましたわ。……他の三つは崩した跡がありましたのに、この場所だけ他とは違う扱いをされているのは何故かしら、とは思っていましたの」
「アメーリエとやら、お主は随分とこの宮に詳しいのだな」
人にとっては遙か昔の出来事であるというのに、こうもはっきりと語る事ができるとは。
まるで、その時代に生きて記憶をもったまま、再びこの世に生まれてきたかのようだ。
「ぇぇ、遙か昔の出来事ですが、わたくしはこの場所に建つ“時の宮”によく足を踏み入れていましたもの」
そう言ってユリエルに視線を投げるアメーリエ嬢。
対してユリエルはコテン、と首を傾げている。
二人の関係は謎に包まれているようだ。
事が一段落した折りには、この二人のことも詳しく話を聞いた方がいいだろう。
――まずは、目の前の問題に着手すべきだ。
そう、結論付けて“時の宮”へと足を進める。
愛する妻は眠っているのだろうか。
それとも――




