君の歌
「恋の始まりって、好きな人の好きな曲を聴くことだと思う。だけどいつの間にか、そんなきっかけなんて忘れちゃうぐらい彼よりも私がそのアーティストにハマっちゃって。それで失恋した頃にその曲を聴いていると思い出すの。『…あ、そういえばこの曲、彼と話がしたくて聴き始めたんだった』ってね。今はもう話すこともできないのに」
店内が女性客で埋まっている洒落たカフェで、私は冬香の話を聞いていた。こうして二人で会うのは久々で、彼女は以前よりも大人っぽくなった気がする。
「…好きだったなあ、彼のこと」
「…うん」
冬香は自分のコーヒーに砂糖を足して丁寧にかき混ぜた。その所作は綺麗だったが、爪のネイルはところどころ剥がれていた。
「ほんと、好きだった」
「うん…」
彼女が彼のことをどれぐらい好きだったのか、きっと私は分かる。今回は長かったから。前回この店に来た日から季節は三度ぐらい変わって、彼女の髪も随分と伸びている。
「でもさ、冬香ならまた…」
「あ」
また良い人がすぐに見つかるよ、と私が言葉を続ける途中で、冬香はぽつりと呟いて上を見た。つられて私も視線をあげたが、そこには特に何もない。ただ頭上を、私が好きな曲が流れているばかりだった。
「この曲、私が好きなアーティストだ…」
そう言った冬香の瞳からゆっくりと涙が溢れて、彼女の白い頬を濡らした。「好き」と涙のアンバランスさに、私は彼女の心を察した。学生時代に英語の成績が人一倍悪かった彼女が、何ヶ月も前に嬉しそうに私に勧めた洋楽が店内に広がっている。彼の趣味だったんだろう、この曲は。そして冬香に恋の始まりを自覚させた曲だったんだろう。彼がこの曲を好きだと聞いて、それを調べて、何度も聴いて、彼に追いつこうとして…。だから私との通話でこのアーティストの話をしていたとき、冬香の声はとても可愛く聞こえたんだ。
「つらいよね…。私がさ、もっと良い曲教えてあげるから。だからもう彼のことは忘れよう、ね?冬香にはきっとまたすぐに、いい人が見つかるから」
静かに泣き続ける彼女を見るのはこれが初めてじゃない。恋をするたび、恋を失うたびに冬香は私を呼び出してここで話す。機嫌良く笑顔でケーキを食べる冬香と、伏し目でコーヒーをゆっくりと啜る冬香を私は交互に見る。
…でも私は、毎回いつも同じ気持ちでここにいる。
私の携帯に入っている、冬香と同じ洋楽。彼女と違って、私は何度失恋したって好きな人と話ができる。その代わり、私はその人に「好き」を伝えられない。新しく彼氏ができるたびに違う色で染められていく冬香を、ただただ見守っているだけ。
今回の曲は初めて、冬香が私のために勧めてくれたものだと思っていた。でもそうじゃなかった。そうと知らずに何度もリピートして、口ずさんで、私の心を躍らせたそれは、記憶の中にこびりついている。彼女みたいに美化された思い出としてではなく、呪いのようにずっしりと。
私だって、英語は好きじゃないのにさ。