船旅はフェリーで
僕とシーナを乗せたフェリーは南に凡そ2時間の時間をかけて新生アルメルクン共和国の首都、アーリアへと向かう。
だが、その間は2時間という時間がるわけこれまた飛行機と同じく退屈なものだ。
船内には客は殆ど乗っていないし恐らくこのフェリーは貨物船としての役割を果たしているのだろう。
2時間ただ海を眺めるのも良いが到着してからの行動を確認するほうがはるかに懸命だ。
ということで、僕とシーナは誰も利用している者がいない喫煙所でこれからの予定を確認していた。
「つまり……入国審査は問題なく通れるんだな?」
「ええ、基本は私が居るんで通れるはずですよ。ただ、携帯電話などの通信機器は全部、入国前に入国管理局に預けてください」
「通信機器というと……タブレットとかは大丈夫なのか?」
僕は目の前に広げられたリュックサックからタブレットを片手にシーナに見せる。
「ええ、一応大丈夫のはずです。たぶん……」
「お、おい、おい……大丈夫なんだろうなぁ?」
シーナの濁した表現に僕は心配になった。
「仕方ないじゃないですかぁ。旅行客なんて滅多に来ないんですから……まぁ、引っかかった時はその時ってことで。それと、あとはですね、向こうに着いたら基本的には単独行動は禁止です。どこか行きたい所出来たら私に言ってください。滞在期間中は私がお供しますんで。ほら、あれですよ。キタチョウセン?でしたっけ日本の隣の国?その国とおんなじです。国内では基本的に監視されてると思ってください。私は言わばガイドという名の七海先輩の監視員ってところですかねぇ~」
「笑えないけど……まぁ、仕方ないか」
「あとはぁ……そうだ、これも言っておかなきゃ」
苦笑いを浮かべる僕の前でシーナは首をかしげ左手の人差し指で自身の頬をポンポンと数回叩いて考えるそぶりをする。
「七海先輩、いいですか?ホテルなんですけど、絶対に不用意な発言はしないでくださいね。外出してる時ならまだしもホテルとか博物館では絶対にダメです」
「なんか……察しはつくけど、一応聞くよ……なんで?」
「盗聴されてるからですよ」
シーナは真顔で僕の目を見ながら言った。
僕は生唾を飲み込む。
よく独裁国家へ旅行に行くとホテルの部屋が盗聴されてたりホテルの部屋でケーキが食べたいと言うと夕食や次の日のツアーでケーキが出てくるとか、こっそりホテルの部屋から抜け出そうとすると部屋の扉を開けた瞬間、目の前にはガイドの人が怖い顔で「どうしましたか?」と言ってくる話は有名だ。
いざ、自分がその立場になるかと思うと緊張した。
「いいですか七海先輩?先輩なら大丈夫だとは思いますが絶対にそういった施設では政府、党への批判や反政府的な活動と思われるような言動、行動は絶対にやめてください。盗聴は私以外にも他の人たちもしていますからもし不用意な発言をして捕まっても私は助けてげられません……私は七海先輩を逮捕したくありませんから絶対にこれだけは守ってください」
「ああ……分かった。絶対にそんな事はしないよ」
「約束、ですからね」
シーナはそう言うと右手の人差し指を僕の前に出してきた。
「ん?なんだ?」
「指きりげんまんです!」
シーナはグイッと僕の前に身を乗り出してきて僕の目の前に右手の小指を見せ付けた。
シーナの迫力に押された僕も右手の小指を出す。
そして、僕の小指とシーナの小指は絡めあった。
「ゆーびきりげんまん、うーそついたら、はーりせんぼんのーます!ゆびきった!」
シーナはそう指切りげんまんの歌を歌うとゆびを離した。
「はい、これで七海先輩は私との約束を守らないといけませんからね!」
「フッ……そうだな」
僕は指切りげんまんを歌うシーナになんだか無性に笑みがこぼれてしまった。
「ちょっと~何笑ってるんですかぁ!私は真剣に……むぅ、な、なんですか急に……」
頬を膨らませるシーナの頭を僕はなでる。
シーナは恥ずかしそうなそぶりをした。
「そうだな……シーナとの約束は絶対に守るよ」
僕はシーナにやさしくそう言った。
恐らくシーナも心配だったのだろう。
ただでさえ旅行者の少ない国だ。
政治体制的に独裁に近いことで有名なこの国でシーナの言う反政府的な言動をすればただではすまない。
よく北朝鮮に旅行に行って下手な行動を取った結果、逮捕され強制収容所に送られてしまった人をニュースで目にするがそれと同じだ。
シーナはそれを誰よりも詳しく知っているのだ。
僕はフェリーに乗る前のシーナとの会話を思い出す。
フェリーの待合所で僕はシーナから武装親衛隊について聞かされていた。
シーナいわく、武装親衛隊とは党の軍隊なのだそうだ。
武装親衛隊の平時における任務は反政府主義者の監視、討伐だという。
察しの良い人なら武装親衛隊という言葉を聞いた時点で直ぐにわかるだろう。
新生アルメルクン共和国は現代地球国家で唯一、国家社会主義を国策としてスローガンを掲げて進める国家なのだ。
シーナの着ている制服もインターネットや歴史の教科書でよく見ることができるナチスの武装親衛隊の制服と瓜二つのデザインだ。
シーナの武装親衛隊内での役回りはポルトガル語や日本語ができることから外国人観察局に配属されているという。
外国人監察局の任務は主に新生アルメルクン共和国にやって来る外国人を監視する事だ。
つまり、シーナはいわゆる秘密警察の人物なのだ。
その秘密警察の人物が僕にここまで包み隠さず話してくれる。
本当ならばこれはやってはいけない事のはずだ。
少なくともばれたりすればシーナも大変な事になるだろう。
でも、きっと、ここまでしてくれるのは僕とシーナの仲だからだ。
友人だから僕のことが心配なのだろう。
それはさっきのシーナの表情を見ればすぐに分かった。
でも、正直言うと僕は別に新生アルメルクン共和国の悪口を言うつもりはそもそも微塵も無かった。
世界に目を向ければ新生アルメルクン共和国をナチズムだ!と非難している国家はいくつも存在する。
だが、それは僕から言わせるとおかしかった。
シーナ達の国はそもそも僕たちの世界の国家ではない。
異世界からやって来てしまった国なのだ。
その国に僕たちの世界の常識を押し付けようということ事態が愚かなのだ。
「お、おっほん!えーそれじゃあ、次の話に行きますね!次は書籍の持込なんですけど、書籍は基本的にはOKですけど、七海先輩に限ってはないとは思いますけど、いわゆる政治本とか宗教の本とかの本の持ち込みは――」
シーナはわざとっぽい咳き込みをすると次の話に移った。
その後、入国に際して国内での立ち振る舞いや注意事項の説明をシーナから十数分間に渡って受け最後に入国管理局の出入国カードをシーナの助けを借りてポルトガル語で書くと荷物をもう一度、リュックサックに整理してシーナと共に外が見えるデッキへと向かったのだった。
フェリーが出航してから凡そ1時間半。
「うぉおおおおおおおお!!あれが!あれが!」
僕はフェリーのサイドデッキで手すりから身を乗り出して一眼レフのカメラのシャッターを切りまくっていた。
「ちょっと七海先輩~!興奮しすぎですぅ~!」
一方のシーナは身を乗り出す僕の腰に両手を回し必死に落ちないように取り押さえる。
だが、僕の感情は船に乗る前よりもさらに高まっていた。
なぜなら……僕の目線の先にはうっすらと見える島の影と複数の帆船の姿があったからだ。
ここは既に新生アルメルクン共和国の領域だ。
今、僕の目の前に見えている島は新生アルメルクン共和国のサントメ・プリンシペと最も近い島だ。
恐らく反対側のサイドデッキに行けばもう一つ島が船のすこし前方側に見えるはずだ。
ここはもう、異世界の領域なのである。
「なぁ!なぁ!シーナ!あれは、なんって言う島なんだ!?」
僕は興奮したまま見えている島を指差した。
「もう、教えますから落ち着いてくださーーい!!」
◇
「七海先輩、落ち着きましたか?」
「はい、申し訳ございません」
僕はシーナに怒られてしまった。
いくらなんでも興奮しすぎだという事だ。
僕は少し反省する。
「もぅ、先輩ってば……まぁ、良いです。それで?確かさっきの通り過ぎた島の名前でしたよね?」
「は、はい」
「あれは、ハインケル・ディートリッヒ島です」
「ハインケル・ディートリッヒ島か……それ、大学でも聞いた名前だな」
僕は昔大学でシーナに新生アルメルクン共和国の地理について聞いたときの事を思い出す。
「まぁ、新生アルメルクン共和国は19の島から成り立っている国ですからね。先輩には大学でたぶん全部の島の説明をしたと思いますよ?」
「そうだな……覚えてるよ。あの時はシーナの話を聞いて夢をふくらませたっけなぁ」
「まぁ、先輩はヨーロッパに行った事があるみたいですから実際に行っても多分、街の外見とかはあまり変わらないですよ?」
「それは承知さ!その上で僕は異世界をこの身に感じたいんだよ!」
「さすが先輩ですね!」
僕の熱弁にシーナはおかしそうに笑う。
すると、急にシーナは何処か遠くを見るかのような目をして手すりに両肘つきもたれた。
「でも、異世界ですかぁ……」
「……どうしたんだ急に?」
「前にも言ったかもしれないんですけど、私、異界転移……つまり私たちの国がこの世界に転移してきた事件の時まだ9歳だったんですよねぇ……私、自分の国から一回も出た事なかったし物心ついたばかりの時だったからあまり自分の国が異世界にやって来たっていう実感、今でもあまり無いんですよ……私からしたら周りの大人が嘘をついてたんじゃ……鎖国してた、なんて言われても信じちゃ気がします。確かに初めて語学留学に行く為にサントメ・プリンシペに行った時や日本に留学に行った時は人間種に囲まれて文化も文明も私の知っている世界と全然ちがくて圧倒されちゃいましたけど……やっぱり異世界から来たって感覚は私はありませんねぇ……」
「なるほどな……」
僕はシーナの話を腕を組んで聞いていた。
シーナの思っている事はたぶんごもっともな事だと思う。
国外へ出た事のある人間にとっては異世界というのはそのまま異世界という意味になるかもしれないが、そうでない者にとっては海外旅行に行くとその国はまるで異世界のようだったと良く言うようにそんな感じになってしまうのだろうと思った。
すると、その時だった。
「あっもう直ぐつきますね」
シーナはふとそんな事を言った。
そして、フェリーの船内にポルトガル語とアルメルクン語と思われるアナウンスが鳴る。
ポルトガル語は何を言っているかさっぱり分からなかったがアルメルクン語は大学でシーナに教えてもらっていたためなんとなく分かった。
恐らく、まもなく、あと10分程で目的地の新生アルメルクン共和国の首都アーリアへと到着します。ご乗客の方は……みたいなことを言ったのだ。
「七海先輩!ちょっときてください!」
シーナはそう言うと僕の手を掴んで引っ張った。
「な、なんだよシーナ!?急に……」
「良いから良いから!ほらほらぁ~着くまでに見ておかないといけない物があるんですよ!」
そのまま僕はシーナに引っ張られる形でシーナの後をついて行ったのだった。
「ほら!ほら!七海先輩!見てくださいよ!」
「だから何が……うぉおおおおおおおおおお!!」
シーナが連れて来たのはフェリーの前方が見えるデッキの上だった。
そこで見た光景に僕は声を上げる。
いや、声を上げざるおえなかった。
僕の目の前には真っ赤な夕日に包まれた今この船が向かっているであろう島の影と先程よりも遥かに多い帆船の姿があったのだ。
その多くの帆船の向かう方向はみな違えど全てが中央の島を中心に動いていた。
現代社会においてこれだけの帆船を見る事はたとえ海外に行こうともそうそうない。
自分の目の前に広がる、そのまさに絵画の中のような世界。
中世ヨーロッパの絵画に迷い込んだような光景……。
異世界。
まさに、その言葉が僕は似合うと思った。
「七海先輩!」
シーナが僕の前でくるっと一回まわって僕の方を見る。
「ちょっと速いですけど……」
「ようこそ!異世界へ!あれが私たちの国、新生アルメルクン共和国です!」
シーナは両手を大きく広げてそう言った。
シーナのその姿に僕の胸の高鳴りは最高潮に達した。
僕は本当にこの旅行に旅立って良かったと心のそこからそう思ったのだった……。