表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
98/187

98






 カイは隈取を顕さねば、素の力でアドルを超えることはかなわない。それは生まれた種族を同じくするふたりに肉体性能の差はわずかで、両者に差をもたらすのはまさにその宿した神の神格であるといって過言ではなかったからだ。

 むろん体表を覆う肉の厚みや筋肉の質と量、骨格の頑丈さや年齢性別による体格、肉体という器そのものの基礎出力の違いはある。が、それでも人族とその他亜人種との歴然とした差と比べれば、目くじらを立てるほどのものでもない。

 《五齢》と《無紋》……その出力比がどれほどのものになるのかを、客観的に評価する基準などというものはこの世界にはなかった。ただ、経験と知識による個々人の主観的物差しで比べることのみは可能であった。


 (やっぱ、《齢数》は『掛け算』だな)


 カイのなかにも漠然とだが『基準』らしきものは芽生えつつあった。

 指骨がところどころむき出しになった拳を抱え込みつつ、カイは冷静に冷えていく頭のなかで、アドルとの戦いをいかに決着するかを考えていた。辺土伯の長子を殴り殺すわけにはいかないという分別がつくくらいには、カイにも知恵は備わっていた。

 ゆえに、《五齢》の『加護持ち』が発揮しうる能力というものを、殺してしまわぬためにしっかりと把握するのが急務であった。

 むろんこの《五齢》の貴公子との力比べも、一手一手がカイのなかの物差しを形成するための貴重なサンプルのひとつとなっている。

 谷の神様からもたらされる潤沢な霊力のおかげで、カイは《無紋》のままで恐らく《二齢》の中位以上、もしかしたら《三齢》に近い力を出力し得る。そのあたりの客観評価は、先の草試合、筋肉バカどもとの果てしないどつき合いのおかげでおおよそ間違いはないだろうというぐらいには定まっていた。

 そして例の曲芸……魔法を使う要領での霊力局所運用を行って、実戦的レベル……何も考えずに体感的に反復使用するそれで、さらに《一齢》格上の相手に互角以上の打ち合いが可能になるということが分かった。

 ここで『加護持ち』それぞれの出力を数値化しようとするなら、人族という種の平均値が分かっていない現状、加護のないおのれを基準値『1』とすべきであったろう。

 拳の傷が、疼くような痒みとともに急速に修復していく。骨折さえしていなければ傷の治りはかなり速い。


 (『加護持ち』になる前のオレを『1』とすると……《二齢》の白姫様がたぶん『5』、いや、びびって縮こまってるだけで『7』ぐらいか。エダ村の神様が弱ってるのを考慮すると、《二齢》は『10』ぐらいにはなるのかな)


 つまりは土地神の加護を得た瞬間に、人はいきなり10人力の怪力を振るい、同時に神の護り、分厚い革鎧のような頑丈な体皮を獲得するわけである。

 まさに『超人』の誕生である。

 カイはなおもおのれの中の記憶を思い起こしつつ、《三齢》の基準を再検討する。だいたい《一齢》上がるたびに5割増しぐらいなざっくりとした感覚は以前からあったのだが、経験したサンプルが増加したおかげでかなりしっくりとくる基準が見えてきていた。身近ではオルハ様であり、脳筋のヨンナであり、その他多数の辺土領主たちが指標となる。

 直近で殴り合ったヨンナのそれが、一番生々しく具体的であったろう。


 (《二齢》と《三齢》の差は、やっぱり倍とかいうほどでもない。ある程度ばらけて、上に振れても7、8割増しぐらいだな)


 たとえば力が8割増しになれば、単純な力比べで《二齢》が《三齢》に勝てないのは道理であるし、逆に差がその程度であればこそ《二齢》の真理探究官が《三齢》のオルハ様に武技の冴えで上回ることも可能であるのだ。

 そしていままさに敵手として目の前にいるのは、ご当主様をも上回る《五齢(シンクエスタ)》。

 単純に先ほどの計算が当てはまるというのなら、《五齢》の『加護持ち』は《二齢》の1.8の3乗倍に相当する出力がある計算となる。その計算を暗算で行えてしまういまのカイは、たぶんそれだけでこの世界の学識者レベルの知性を示しているのだが、本人にその自覚は皆無である。

 《二齢》と《五齢》の力の差は、約6倍弱。それは単純に筋力だけではなく、供給される霊力量や、体皮の頑健さも伴った向上となるため、一対一ではとうてい抗い得る差ではなくなってくる。過去に死合ったあの豚人の鎧武者も、まさに鋼鉄のような硬さの体皮に鎧われていた。

 その《五齢》とみなせる相手と拳をぶつけ合い、合い打ちになったこと自体がすでにして奇跡的であったのだ。意識して渾身の集中を行った一撃であったればこそ、なんとか互角でありえたに過ぎない。


 (…つまりは、このままではオレには勝ち目がないってことか)


 カイの眼差しを受けて、同じく激痛に顔をしかめていたアドルが動揺したように半歩後ずさった。

 カイはこの一撃でいまのおのれの限界を悟ったが、アドルはまったく別の感想を抱いたようだった。《無紋》が《五齢》であるおのれとまともに打ち合って引き分けたのだ。アドルはカイという人間の『底』を、現時点でまったく見極められてはいなかった。

 文字通りの死線を何度も潜り抜けてきたカイには、戦いの機微、駆け引きというものがどんなものかが分かっていた。激しい生存競争にさらされ続けている辺土の民にとって、亜人との殺し合いの場でどのような差が両者の死を分かつか、殺す側と殺される側が峻別されるのかは知っていて当たり前の世知であったろう。

 気構えで相手の上手に立て。

 そして相手が引いたならば、迷わず押せ。

 カイはほとんど意識することなく、アドルが引いた分の半歩を、前に踏み出した。

 一度『逃げ』に傾いた心は、もうなまなかなことでは押し留められない。

 底知れない力を秘めた《無紋》を恐れるべき敵だと断定してしまったアドルは、さらに一歩、後ろへと下がった。《五齢》というおのれの加護を過信しすぎたために、単身で乗り込んでしまったことをいまさらのように後悔しているのだろう。血の気の失せた顔が引き攣っている。

 その目がちらちらと、来るときに通ってきたのだろう隠し通路のある半開きの壁をうかがっている。おそらくアドルの目には、その隠し通路がとりあえずの安全地帯と映っているのだろう。

 そのように『逃げ道』がちらついてしまうと、殺される側の気持ちはさらに攻撃性を失い弱っていく。


 (…逃がすか。あえて)


 いずれにせよ過度に叩きのめしてよい相手ではないし、逃げるのならば好きにさせても良いのではないかとちらりと考える。

 が、おのれの主筋の姫に手を出そうとした腹立たしい余所者に、一発きれいに入れてやりたいというカイの中の欲求が勝る。明らかに押し気味となったカイが辺土伯家の長子を相手に気炎を吐いている様子に、白姫様は最初目を見開いたまま呆然としていたのだが、いつしか口に空気を含むようにきゅっと唇を引き結んで、戦いの結末に熱心な視線を送るようになっている。

 男同士のむさくるしい戦いとか好きではなさそうであったのに、やはりあのご当主様の血筋を確実に継いでいるということなのかもしれない。普段は血を見るのが嫌いな女性でも、殴り合っているのがおのれを取り合う男たちであるならば本能的に『見』に入る……そういうケースは多々あったりするのだが、むろんカイの知るところではない。

 入り口のほうでも、突破しようとするミュラと立ちふさがるヨンナとの間で激しい攻防が始まっている。『友人』のアドルが追い詰められつつあるのを見て、ミュラが焦るあまりヨンナの思う壺にはまっている感じである。亜人との鬩ぎ合いで鍛えられている境界地帯の辺土領主は、効率の良いハメ手にも慣れているのだろう。ヨンナはちらりちらりと隙を晒しつつ、それを撒き餌に相手を釣り込む流れをうまく作っている。

 それではこっちも気持ちよく一発決めてやるか。

 身構えたカイにアドルも生唾を飲み込み、服の合わせから取り出した懐剣を抜いた。たいした刃渡りもない短い武器であったが、体皮の硬さが接近した同格の者同士ならば、その護りを貫き得るより硬度の高い武器を所持しているほうが比較優位に立てる。

 『加護持ち』の護りは鉄よりは劣る……いろいろな敵手と戦ってきたカイにしても、鍛えた鋼以上の硬さの体皮を持った『加護持ち』はまだ見たことはなかった。あの豚人の鎧武者ですら鉄製の武器ならばかすり傷くらいは付けられたのだ、鉄製武器が神の護りに優越するという条理はいまだたしかなものだった。

 そのわずかな有利を信じて、カイの突撃を迎え撃たんとしたアドルの姿に、カイは過去のおのれを幻視するようだった。


 (あの豚人の大戦士も、バカなオレを見て、こんなふうに感じてたんだろうか)


 鉄製の穂先のついた短槍の攻撃力にすがって、突きかかってきた知恵の足らない人族の『加護持ち』を、あの鎧武者は余裕の様子で待ち構えた。まざまざと思い出されたそのときの光景が転倒して、今度はカイが鉄製の武器による攻撃を受ける立場となった。

 カイ自身が突っかけたこともあり、アドルの構えた切っ先はほとんど一瞬のうちにカイの喉もとへと到達しようとしていた。華美な装飾を施された細身の刃であるとはいえ、実質《三齢》未満の頑丈さしかないカイの体皮ならば、それなりに傷つけられて、最悪貫かれてしまうことだったありえた。

 しかしその攻撃を恐るべき動体視力で見送りつつあるカイには、毛ほどの危機感も芽生えなかった。

 どうとでも対処は可能だ……そう思った。

 カイは一瞬のうちにその懐剣の切っ先を親指と人差し指で摘んでいた。その動きが目で追えていなかったのか、アドルの顔に驚愕が浮かんだ。

 摘んで、ただ外にひねる。

 ただそれだけの動きであったものの、時間が緩慢に感じられるほどのゆるい流れの中で行われたそれは、懐剣の刀身を飴のように歪め、そしてアドルの手からもぎ取るほどの力となって現れた。

 その瞬間、カイの霊力の運用はまさにピンポイントと言っていいぐらいの極端さで行われていた。摘んだ指とその腕の肘と肩部分、ただそこだけを強化して、身体のほかの部分すべてから余計な霊力を引き上げていた。その瞬間だけは、肝心の腕以外はほんとうにただの生身の人間に等しい強度しかなかった。目があまりにも良すぎる谷の神様の恩寵あらばこそのものだった。

 そこで、はたと関係のないことに思い至った。


 (…あの鎧武者も、オレの肉をこうやって摘み千切ったのか)


 そのときにはまるで分からなかった技のからくりが、後になって不意に理解できてしまうことがある。恐らくあの鎧武者は、もっと極端に、指先にだけ力を集めていたのかもしれない。

 呆然と立ち尽くしているアドルはもはや隙だらけだった。

 少しだけ思案して、《五齢》ともなれば少々のことで壊れたりはすまい、と割り切った。「やめてくれ」とだけかが言った気がしたが、気にも留めなかった。

 そのとき奇しくも入口のほうでも決着がついたらしく、アドルの危地に目を奪われたミュラが、いろいろな備品を破壊しながら飛ばされてきた。その音と叫びに思わず目をつむったアドル。

 ほんのわずかな空白を見逃さない。

 カイはヨンナや白姫様からは見えないほうへと顔を背けつつ、正真正銘の渾身の一発(・・・・・・・・・・)をアドルの横っ面に叩き込んだのであった。


発売中の2巻ではすでに言及しているのですが、加護持ちの力の基準みたいなものを遅ればせながら載せてみました。

冷静に評価すると意外と地味? いえいえ、どんどんと馬力だけじゃなく装甲も強化されていき、さらには霊力というチートの源泉も湧出量が増えていきます。歩く『要塞』みたいなものです。


神統記(テオゴニア)』第2巻、好評発売中です!

よろしくお願いいたします(^^)


コミカライズ8話も公開中です!

http://comicpash.jp/teogonia/08/

興味ありましたら是非是非ご一読くださいませ。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 「十人力」って書くと意味は、人並みであるってことになりますよ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ