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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
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 殴って帰ろう。

 カイ自身はそうしてすっぱりと割り切って、目の前の『賊』に対応しようとしていたのだが、そんなふうに簡単に物事を割り切れない人間も世の中には大勢いて、そこにもふたりほどが居合わせていた。

 おのれの行く末もそうだが、実家の浮沈にも関わる決断を強いられたに等しい白姫様は、言葉で命じてはいないもののお付きの者に突っかからせる促しを与えた自覚はあった。無残に破壊された壁の向こうに、緋色の人影が起き上がるのを見て彼女は大きく胸をなでおろしさえしたのだ。

 そして苦々しげに顔をゆがめて、衣服についた木屑を払ったアドルもまた、単純にはなりきれない類の人物のようだった。つい先ほどまでおつむの足らない色狂いにしか見えなかったその面が、おのれに危害を加えた下郎(カイ)にではなく白姫様のほうに向けられて、何かの想いを振り払うように小さく左右に揺れた。

 なおも近づこうとするアドルに、カイが対応すべく身構える。

 数瞬の対峙の後、先に声を発したのはアドルのほうだった。


 「姫よ。わたしの『妻』にならぬか」


 そう言って、緋色の貴公子は片膝をついたのだった。




 何も言い出すことのできない白姫様の代わりに、アドルはおのれが今回の挙に至った理由をつまびらかにすべく、慎重に言葉を選びながら語り始めた。

 アドルにはすでに妻が3人いて、そのどれもが中央の有力貴族の係累の女なのだという。むろん辺土伯の長子として将来を嘱望されたがゆえの、無数の縁談の中から選ばれた相手だった。しがらみと駆け引きの果てに周囲が勝手に人生の型枠を作り上げ、気付けばもうその状況に絡め取られて自由も何もなくなっていた……そのような成り行きでの婚姻であったらしい。

 下の弟たちもまた同様の流れで早々に縁組がなされていったのは、王家を国の礎として篤く奉戴する辺土伯家現当主である父が、中央との血縁を濃くしてゆくことに非常に熱心であったのが大きく影響していた。そしてさる大公家の姫を得たアドルの辺土伯家後継の座は、第三者の目から見ても揺るぎないもののように映っていたのだった。

 だが、最近になって、それが揺らぎ出した。辺土伯家当主である父の言動に、驚くべき変化がみられるようになったのだ。


 「モロクの姫を是が非にでも得ねばならん」


 その当主の一言が、ここに至るすべての混乱の始まりであった。

 半ば決まっていた一族子弟のいくつもの縁談が白紙に戻され、代わりにいままでほとんど顧みられることもなかった、伯家から見れば子でしかない辺土領主家のいくつかから年頃の姫が見繕われ、白姫様のそれと日を合わせて、『冬至の宴』での一斉発表という段取りで進んでいたというのだから驚きである。

 むろん他の縁組は伯家の外戚である7塞市領主家の子弟程度のものであったため、大々的には公知されてはいないものの、辺土伯様は『辺土重視』とも言える突然の方針転換にことのほか熱心に取り組まれていたらしい。

 その『辺土重視』転換の中心に据えられていたのは、伯家直系の男子との唯一の縁組であり、辺土一と評判になっていたモロク家の『美姫』の伯家への輿入れなのだった。

 膝をついて坐っているアドルに対して、白姫様もベッドから這い降りて、同じく床に坐っている。貴族としてかなり上手にある貴公子を前にしても、毅然と背筋を伸ばして目を背けもしない白姫様の心の強さは、父親譲りな部分はあるのだろうが、やはりその身に加護を宿していることが大きく作用しているのだと思う。

 常人を超える力を備えているがゆえの心の安定が、素直に態度にもにじみ出る。そのふたりの脇で同じくかしこまった様子で坐っているカイもまた同じである。さして緊張しているふうでもなく、招かざる客であるのは変わらないアドルの様子を注視しつつ待ち構えている。


 「…父のまともな跡継ぎは、このわたししかおらぬ。アーシェナごとき愚鈍がわが家の祭神を継げば、きっと神格を落として辺土に災いがあろう。ゆえに言う……わが妻になれ、モロクの姫よ」

 「…恐れながら、わたくしはあなた様を知りません。それに、このようなことのあとに信じるすべを知りません」

 「……まあ、そのあたりは反省もいたそう。こちらも聞き分けよく指を咥えているだけでは、そなたのもとにはけっして辿り着けぬからな。…だからこそこうしてわれも夜這おうと」

 「…夜這うなんて……破廉恥な」

 「『加護持ち』の夜這いを嫌がる女はそう多くはないぞ、姫。受け入れた後の恩恵も期待できるし、それ以前に少々抵抗したところでまったくの無駄だからな」


 はっはと笑いかけて、アドルは口をつぐんだ。白姫様にきつく睨みつけられたからだ。

 白姫様は本当にそっち方面はお堅い。カイもエルサとの関係を姫様に知られたとき、まだ早いのなんのと妙に叱られたことを思い出していた。

 まあたしかに、男女の関係の一方が『加護持ち』であるとしたなら、欲しいと思えば相手の気持ちなど顧みもせずおのれのものにしてしまう選択肢は確実にある。強いオスがメスの群れを独占しようとするように、ためらいさえかなぐり捨てれば、強力無比な神の恩寵によってたいていのわがままは通ってしまうだろう。きっと男女が逆であっても、同じようなことは起こりうるのではないかと思う。

 ならば男女両方ともが『加護持ち』であったならばどうなるのか。


 「…父が姫の相手にアーシェナをあてがったのは、まだ『正妻』の座が空いていたからに過ぎん。歳も姫よりは下ぞ。本当にそなたのような姫にふさわしい男とは思えぬ」

 「…あの、近づかないでくださいまし」

 「…わが妻となれ。『正妻』にはしてやれぬが、ほかのふくれイタチどもを放って、姫だけをかわいがってやることならできるぞ。寵妃とかいうやつだ」

 「……遠慮します。だから、近づかないでと」

 「…ふふ、良い匂いがする。化粧の濃い都のふくれイタチどもとは素からして違うな。あの『鉄の牡牛(トール)』からこのようなみばの良い姫が生まれようとは、世の不思議ともいうものだな」

 「………あの、カイッ」


 もしも両方が『加護持ち』であったならば、やはり強いほうがぐいぐいと押すだけの展開になるのがこの場合の道理というものなのだろう。

 立ち上がったカイがアドルに待ったをかけるべく、その腕に手を置いた瞬間だった。油断していたのは間違いなかった。

 胸元に生じた突然の衝撃に、カイは目を剥いた。


 「これはお返しだ」


 アドルは先ほどのカイの投げ飛ばしに恨みを含んで、復讐の機会をうかがっていたのだ。

 白姫様を捕まえるように伸ばされていた右腕は、完全に囮だった。カイに手首近くを掴まれた瞬間にその右腕を引き込み、カイが手を放さないだろうことを見越して囮の腕の下を潜るような左の掌底が襲い掛かってきたのだ。うまく片膝を立てて隠していたが、アドルの腰から下はすでに攻撃の踏ん張りを作るように構えができていた。

 辺土の小領主でしかないモロク家でさえ相当に下手であるのに、その使用人のような子供に投げ飛ばされたことは、それほどアドルにとって耐え難い屈辱であったのだろう。

 もともと小柄で軽量なカイである。すでに隈取も顕しているアドルの強烈な掌底は、カイを身体ごと弾き飛ばすほどの力があり、椅子やテーブルなどを巻き込んで入口近くのヨンナの足元にまで転がらされる羽目となった。


 「アドル様!」


 下級とはいえ客人として招かれているモロク家の部屋に、無断で侵入したばかりかその家人に臆面もなく狼藉を行っているに等しいアドルは、やはり『友人』から見ても非難の対象たりえたのだろう。ともかく『友人』の暴走を止めようと、ミュラは通せんぼしているヨンナの身体を押しのけようとして……唸りを上げるヨンナの拳を無防備な腹に叩き込まれたのだった。


 「入っていいって言われてないだろ」


 ヨンナがにやりと笑い、わずかに上体をかがめたミュラがぎりぎりと歯をきしませながら脳筋の田舎領主を睨みつけた。

 そういえばあの厨房前のいさかいでも、武術に長けたミュラに圧倒されかかっていたヨンナである。部屋への入室許可がどうのとほざいているが、たんに絡むための理由を取って付けただけなのだろう。

 睨め上げながら繰り出してきたミュラの拳を受けつつ、ヨンナが叱咤してきた。足で背中を蹴り飛ばされた。


 「ほらよ、兄弟! あっちをどうにかしてこいや」


 もたつきながらも前へと押し出され、カイはその勢いのままに駆け足となり、身構えているアドルへと飛び掛った。アドルはすで身構えている。

 カイの繰り出した拳に、アドルが敢えて合わせてきた。ぶつかり合う拳と拳……常人であるならば、双方ともに指の骨を砕くなどのひどい結果を招いたことだろう。

 だがしかし、これは『加護持ち』同士の争いである。神格によってその身体の護り、体皮の硬さには差が生まれる。《五齢》のアドルに対して、《無紋》の『殻つき』である。本来ならば身体の頑丈さではアドルが圧勝するはずであった。その単純な条理がおのれに勝利をもたらすことをアドルは確信していたことだろう。

 衝突の衝撃波が微風となって白姫様の長い髪をなびかせた。その一瞬後にひとしぶきの血がその顔にも飛び散り、紅玉の瞳が見開かれた。

 男たちの苦鳴と、歯軋り。


 「ぐ、ううううっ」

 「つぁぁぁッ」


 見た目は《五齢》と《無紋》の力の衝突。

 それはまるで鍛冶場の大槌を空中で叩きつけ合ったようなものであった。

 激痛に腕を引き戻したアドル。

 そして予想外な被害を貰ってしまって、舌打ちをしたカイ。

 両者の血が滴るこぶしは、衝突がほぼ相打ちに終ったことをはっきりと示していた。


1話分完全に没にして書き直しました。あああもどかしい。


今日、『神統記』第2巻が発売になりました。是非是非ご支援くださいますようお願い申し上げますm(- -)m

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http://www.pashplus.jp/blog/pash_books/93088/


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第8話

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