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「…オレらにはあんまり分かんねえが、王都のほうはずいぶんきなくせえことになってるみたいだな」
田舎出しのもの知らずと自分で言っておきながら、ヨンナはそんなことを独り言のように洩らした。人族の国といっても辺土のことしか知らないカイにしたら、当代領主として顔が横に繋がっているヨンナはまだしも物知りの部類に入っているのだろう。
「最近辺土伯様に縁談を持ちかける中央のやつらが多いらしいからな。…知ってっか? 中央平原じゃ近頃とんでもねえ不作が続いてるんだとよ」
「…そうなのか?」
「…ラグもガンドも辺鄙な村だしな、カンケーねえっちゃねえんだけどよ、王様が『お隠れ』になったんじゃねえかってぐらい、麦が採れなくなってんだとさ。辺土伯様は何も言わねえけど、この『冬至の宴』にも、いつもなら王宮から祭りの足しにしてくれと、北の守りに苦労してるオレらを労うために麦や酒が荷馬車何十輌も運ばれてくる慣わしなんだが、おととしと去年に続いて3年連続でケチくせえことにもったいぶった書状が届けられただけらしい。辺土伯様んとこはしっかりしてっから、なんも言わず客のオレらをもてなしてくれてっけどさ」
「…ふーん」
「中央平原は辺土なんか比べ物になんねえくらい豊かな土地だそうだが、その収穫を当たり前にしちまって領民が増えちまってるもんだから、不作が起こるととたんに人の口に入る麦が減っちまう。オレの村に来た探究官とかいうやつがぼやいてたぜ」
「………」
ガンド村にもやはり探究官と名乗る坊さんが訪れていたらしい。もっとも、村があんまりにも辺鄙で何もなさ過ぎて、呆れてすぐに帰ってしまったみたいであるが。
ヨンナは世間話でもしているぐらいの感覚なのだろう。特に面白くもなさそうに、聞き知っていることをつらつらと話し続ける。
作物の不作続きで懐具合の厳しくなった中央の貴族たちとは対照的に、辺土は大勢の領民が死に続けている代わりに農産物の収穫がそれほど落ち込んではいない。養わねばならない人の数が減っている分だけ、相対的にゆとりが増しているという皮肉な状況下にある。
まったく本末転倒というか、決して豊かとは言い難い辺土の土地を抱えた辺土伯家が、人口減少でゆとりを見せていることを以って、飢饉にあえぐ中央貴族のすがる『寄る辺』となっている情勢が話の向うに透けて見えてくる。
そうして第6子アーシェナの縁談もまた、海千山千の中央貴族どもにとってみれば辺土伯家と血を結ぶ好機でしかなく、白姫様は彼らに本来座るべきであった正妻の座を横取りされてしまったのだった。
「…先約があったんだから、辺土伯様がはっきりと断れば問題なかった」
カイが不服そうにぼそりとつぶやくと、ヨンナが兄弟はものを知らねえなあと笑って『世知』というものを説いてくる。
「…あいつらは世の中の仕組みってやつをよく知ってやがるからな。たぶん『断れねえ筋』からのお墨付きでも引っ張ってきたんじゃねえのか」
例えば王宮から出てくるやんごとなき『添え状』が、辺土伯家の思惑などあっさりと吹き飛ばしてしまうこともあるのだという。国王の名で「まことに良縁である」などと祝われてしまえば、守らねばならない面子のために貴族であるからこその自縄自縛に陥ってしまうのだ。
「だったら」
カイが声を荒げた。
結局そういういきさつで話がご破算になったのなら、もうモロク家のことは好きにさせてくれたらいいのにとカイは思うのだが、さっきの話では辺土伯様は白姫様との縁組を諦めるつもりがなさそうである。
ヨンナ曰く、「あんな別嬪なら、息子のほうも絶対欲しいとごねてるんじゃねえのか」だそうである。白姫様が美人であることは間違いはなかったから、その理屈でカイはなんとなく納得してしまった。そんな美人が村の姫様であることを誇らしく思ったぐらいだった。
(…オレも坊さんに目をつけられて、居心地が悪くなっちゃったし。そういうことなら縁談なんか放り出して、さっさと帰っちゃっても…)
カイはそんなことを頭にのぼせて、考え込んでしまう。
『冬至の宴』で振舞われるだろう見たこともないようなご馳走を腹一杯食べることに未練がないはずもないのだが、常に腹を空かせている下っ端兵というわけでもないカイに食に対する執着は、いまはそれほどでもない。
あのラグ村防衛戦の夜に、ご当主様が口にした言葉をカイは思い起こしていた。
超常の力を振い得る『加護持ち』には、常人とは比べるべくもないより多くの『選択肢』がある。何をどうすればモロク家が損をしないか、白姫様が泣かないで済むのかをわがままの許す限り考える。どうしても正妻でないと納まりがつかないというのであれば、あの太っちょの貴族を闇討ちして、娘ともども州都からたたき出すことだって、カイがその気になればけっしてできないことはない。もちろん後先を考えないのなら、辺土伯家の都合など鼻息で吹き飛ばして、さっさと村に帰るという単純明快な選択肢だって確実にある。
もっとも、王様の不興を買ったら土地が不作になるのと同じ理屈で、辺土領主の寄り親である辺土伯家の怒りももしかしたら同様の悪影響を及ぼすというのなら、その短慮はまずいのか?
つらつらと考えるうちに、いけ好かない貴族のボンボンに白姫様をくれてやるのはもったいない、一緒に連れ帰ったほうがいいという方向へと思考が傾斜してくる。
姫様にひそかに憧れる村の男たちにとっても、それはかなりの朗報となるだろう。
(……?)
そうやってぼんやりと考え事をしているうちに、いくらか時間が過ぎていたようだった。
そのとき起こったヨンナの誰何の声に、カイは瞬きして顔を上げた。
衛兵然と立ちふさがっているふたりの目の前に、いつの間にかひとりの青年が立っていた。
「…おめえは、たしか」
「…昨晩はどうも。…って、止めてくださいませんか。そんなふうに睨まれても、もうあの続きはやりませんよ」
「だったら、何の用があってここに来たってんだよ。おおっ?」
迫るヨンナの巨体を避けるように、両のてのひらを突き出して後ずさるようにする青年。
すぐに記憶が刺激されて、その青年の顔に見覚えがあることを思い出した。
昨晩厨房に食べ物を取りに行ったときに、ヨンナと派手に立ち回りを演じていたあの青年だった。
真面目そうな細い面に、縮れ気味の薄金色の髪が跳ねている。目鼻立ちも整っていて、落ち着いていればそれなりに美男子と言っていいのだろうが、がさつなヨンナといい勝負な気の強さが、その温度の低い切れ長のまなざしにきらめいている。青年の値踏みするような眼差しが、無意識におのれの弱点を探っていることに気付いたヨンナは、自身を落ち着かせるように息を吐くように深く笑って、ゆっくりと握りこぶしを固めた。
「…えーっと、わたしはただの遣いに過ぎませんので」
「『加護持ち』がつかいっぱしりか。ずいぶんとお偉いヤツの腰ぎんちゃくみてえだな」
遣い? 訪問客なのか。
モロク家に用があるといってやって来たのなら、それはれっきとした客人である。
オルハ様から不在の間を任されたカイとしては、まずは責任者として来客をの用向きを確認して、場合によっては丁重にもてなさねばならなかった。
ヨンナを手で制し、青年の前に立ったカイは、おのれのなかの『執事』像に最も近いポレック老のしぐさを思い出しながら、芝居がかった身振りで用向きを問い質した。
「こちらにおられる『姫君』に、友が面会をさせていただきたいと……わたしの名はパバルス・ミュラ。…パバルス塞市領主ルフト・ガラの甥に当たります」
「姫様に、面会?」
「左様。けっして怪しい者ではございませんので、そちらの方には『いい顔』は収めていただいて、握りこぶしも下げていただけると助かります。モロク家の姫に逢いたがっているのはわたしの主家筋にあたるさる公子様で…」
「公子…?」
「…名前のほうまでは……その、なんといいますか」
「名前は言えねえけど、逢わせろってか。…バカ言うんじゃねえ」
至極もっともな回答をヨンナが口にしたとき、
(間抜けが!)
突然頭の中で谷の神様が叫び声をあげて、驚きのあまりに一瞬でカイの全身の毛穴が開いた。
悪寒に身を竦ませたカイが、恐るべき速さでその場で反転して、部屋の中へと飛び込んでいった。ヨンナが息を飲んで半身に振り向き、ミュラが目を見開いて片手を伸ばす間に、カイは身を転がしながらも白姫様が横になる寝室へと突入を終えていた。
そうしてそこに通過を許した覚えもない男が、ベッドの上の白姫様ににやけ顔を近づけようとしているところへ間一髪間に合ったのだった。
緋色の瀟洒な服に身を包んだその男は、まだ20代前半ほどの青年だった。
ベッドのほうから起こった取り乱したような衣擦れの音が、白姫様が目を覚ましていることを知らせていた。
未婚の女の寝所に土足で侵入するとは……カイはおのれの迂闊さに一瞬で頭に血が上ってしまった。
(どこから入った!)
絹織りと分かる立派な身なりからして、どこぞの領主……貴族であることだけは歴然としていた。
「公子ッ」
青年の叫びが繰り出しかかったカイの拳を止めた。
眉目を顰めて見下ろすようにカイを見てきたその男は、辺土伯の子のひとりだった。
公子アドル。
辺土伯家の第一公子だった。
暑い日が続いています。熱射病はほんと死んでしまうので、お気をつけください。作者の今日の昼食はポカリとアイスのみ(^^;) 夏だわー。多治見じゅうが茹だってます。
『神統記』第2巻の帯に、光栄にも愛七ひろ先生からお言葉をいただけることになりました。是非そちらのほうも楽しみにしていてくださいませ。ではでは。