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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
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 「…上席である我らのほうからわざわざ足を運んだのだ。示せる敬意は示したと受け取ってもらわねばな」


 中央貴族の名はエアル・ヴァルマ・コルサルージュ。

 田舎者相手だと思ってのことか、同席していた別の男が『ヴァルマ家』がいかに古い歴史を持ち、中央でも大きな影響力を保持しているかをくどくどと説いてくれたので、無知なカイにも目の前の貴族がどのような相手なのかがおおよそ理解できた。

 エアルは貴族位を示す『伯侯(エアル)』を指し、上流の社交ではそう名乗るのが正式な作法であるのだという。3つの市と10の村を領するそれなりに大身の貴族で、人族の国、『統合王国』の階級制度に照らせば、辺土の大半の小領主が名乗る『(バールン)』、過日ラグ村郊外で亜人の手にかかり急逝した(・・・・)あの巡察使が名乗った『土侯(セベイロ)』の上に来る階級が『伯候(エアル)』であるらしい。

 偉いことはなんとなく察せられるのだが、いかんせん貴族界の序列など辺土ではあまりになじみがなくて、そのように名乗られたところで無条件で平伏したくなるようなことは残念ながらなかった。


 「『先約』とやらにどれほどの意味があるのかは知らぬが、このヴァルマ家から娘が輿入れすることとなったうえは、普通は何も言わずとも分際を弁えて自ら辞退するのが通例。…むろん少し前に北辺で貴家が上げたという大功については耳にしている。それに報いようと大伯(辺土伯)様がお心を砕かれているのも理解はしている。ゆえにこのわし自らがわざわざこちらまで出向いたのだ…」


 そうしてなんとなく状況は察せられたのだった。

 これは白姫様の縁談が内々でこじれかかっているということなのだろう。カイはそっと室内を見回して、ご当主様の姿が相変わらずないことを確認する。本奉納が行われたこと、その試合でモロク家当主のヴェジンが大怪我をして、一ノ宮の伯家専従医官らに看護されていることを彼は知らない。

 ご当主様が不在であるというのに、まったくそのことに気を止めていないコルサルージュという太った男の様子が、孤立無援のモロク家の兄妹を権威をかさに一方的に言いくるめようとしているふうに取れて、カイの中で弛緩しかかっていた神経がまた張り詰めてくる。

 そのとき指先でおのれの髪の毛をいじっていた伯侯の娘が口を挟んだ。

 きつく睨みつけられて、身を硬くしていた白姫様の肩が揺れた。


 「…この女、気に入らないわ」

 「フローリス、黙っておれ」

 「…ずいぶんと州都(こちら)のほうでは殿方たちに誉めそやされているみたいじゃない? どうせ自分の見てくれのよさを鼻にかけているんでしょ」

 「フローリ…」

 「お父さま、わたくし絶対にこいつと一緒に輿入れするなんて嫌よ。間をあけて側妃をとられるにしても、絶対に別のを選んでもらうから!」


 厚ぼったい唇を尖らせて、言いたいことをいうと勢いよく席を立ってしまう。

 顔立ちは似ているといっても、父親ほど弛んではいないその顔立ちは、けっして不細工と言うわけではない。しっかりと化粧もしているので、見る者が見たら魅惑されるかもしれないぐらいには肉感的な愛らしさもある。

 場の空気が大体読めてきたあたりから、カイは従者の務めとしていつでも白姫様の前に割って入れる心構えをしていたのだが、まさかその火に油を注ぐ愚行をおのれの同行者がやらかすとは思ってもいなかった。

 オルハ様が気色ばんで何かを言葉にしようとしたその瞬間、持込みの食い物も食べつくして手持ち無沙汰になっていたヨンナが、ぼそりと余計なことを口走ったのだ。


 「…まあたしかに、こっちの姫様のほうが美人だからなー」


 このがさつな大男、つぶやいているつもりで素で声が大きいものだから、それが余すことなく居合わせた者たちの耳に届いてしまった。

 がしゃん、とテーブルの上に並んでいた茶器が音を立てた。思わず跳ねたフローリスの膝がテーブルの端をかちあげたのだ。


 「…なっ」


 言葉を失うと言うのはこのことなのだろう。いろいろと言いたいことはあるだろうにフローリスの口はパクパクと動くだけで、結果の無言。

 変わりに眦を吊り上げて声の出どこを睨みつけたのは、父親のほうであった。


 「先ほどから無作法に目を瞑っておれば……モロク家の下人かは知らぬが」

 「さすがは『辺土一の美姫』っつうだけのことはあるな。ほかの男に取られちまうのは癪だが、後ろからでもなかなか眼福なこった。…なんだよ、おっさん。やんのか」

 「……貴様」

 「伯侯ッ」

 「これだからものを知らぬ田舎者は!」


 次々に起こる非難の声に、鼻でもほじりそうであったヨンナが、なじみのある物騒な眼差しを敵になりそうな相手(・・・・・・・・・)に配ってから、にたりと歯を見せて笑った。


 「田舎者なのはその通りだぜ。辺土(ここいら)じゃお上品なだけじゃ生きていけねえからな! まあ田舎出しの考えなしだから、思ったことがすぐに口から出ちまうのは勘弁してくれ」


 まだ暴れ足りないってのか。この戦闘狂が。

 カイは内心舌打ちしつつも、それでも小さな笑みをこぼしてしまう。もうヨンナの顔にははっきりと隈取が浮かび上がっている。

 『加護持ち』は神の恩寵により人外の力を振るい得る。並外れた巨大な暴力を得た個人が多少『わがまま』になることは仕方のないことで、その腕っ節が与えてくれる多くの『選択肢』が彼らの行動をより自由なものとした。

 おのれが正しいと信じたことにその命をあっさりと投げ出せるのが、亜人と殺し合い続ける生粋の辺土領主というものであったろう。カイ自身も加護を得てからずいぶんと行動が率直になった自覚はあった。

 フローリスのお付きなのだろう侍女たちが絹を裂いたような声で騒ぎ始め、騒ぎが瞬く間に廊下の見物人たちにまで広がった。

 つられるように廊下に控えていたヴァルマ家の護衛兵がなだれ込み、主家の者たちの護りを素早く固めてしまった。与する人間の数だけを取ったなら、もはやここがモロク家の部屋であるなどとはとても思われなかった。


 「…待て、娘の慶事を血で汚すわけにはいかぬ」


 手振りで兵士たちをわずかに下がらせた伯候ヴァルマは、その顔にやはり隈取を浮かび上がらせて立ち上がった。とても大柄とはいえないその背格好であったが、解放されたその加護の力が周囲に溢れて、伯候家家伝の土地神が力ある存在であることを証立てた。

 立ち会っていたほかの郎党たちも立ち上がり、それぞれにやはり隈取を顕した。


 (《五齢(シンクエスタ)》ぐらいか…)


 カイは伯侯ヴァルマの顕した隈取をそう値踏みした。

 《三齢》であるヨンナよりも明らかに上手であり、多少の武技の差ぐらいでは覆すのが難しいほどの力の差があると察した。『加護持ち』同士がまずそれぞれに隈取を示してみせる古来よりの慣習は、無用な争いが起こるのを避ける意味合いもあったに違いない。その格差を目にして、さらに戦意を滾らせるようなのは本当に死にたがりの脳筋馬鹿と言わねばならない。ヨンナはまさにそのクチであった。


 「いずれにせよこのまま話が進んだとて、『正妻』に選ばれるべきは我がヴァルマ家の血となろう。下郎よ、わしはおまえなどとは立ち会わぬ。『草試合』したければ他を当たるがいい。いまやり合えば、わしはきっと貴様を怒りに任せて引き裂いてしまうだろう。遊びは相応の相手を選んでやらねば早死にするぞ。…モロク家の後嗣よ」


 しかし伯侯ヴァルマは下手の挑発には乗らなかった。

 そして中央貴族、伯侯であるという権威を十全に使い、おのれの『わがまま』を通すべくオルハ様に迫った。中央貴族としての権威も元をたどれば父祖の得た土地神の力の賜物であり、それによって得られる選択肢の多さを享受しているのはこっちも変わらないのだとカイは思った。


 「…貴公の父上であられるヴェジン殿は、大伯様に一度辞退を願い出たそうだ。しかし残念なことに大伯様はその申し出に(がえ)んじられなかった。不忠をするかと叱責さえなされたらしい。辺土の寄り子を大切にする大伯様のお心には感銘を受けるが、『側妃』に扱い替えになってもなおそれを強く求めるのは、さすがに寄り子とはいえ不憫に過ぎるだろうと……こたびのことはわしの気遣いから出たことであったが、これ以上不愉快を押し殺してまで説得を続けようとは思わん。…失礼させていただこう」

 「…そのような、話が」

 「一度お父上に確認されてはどうかな。そして家族で納得の行くまで話し合いをすればいい。その上でよいというのならば構わぬが、村落ひとつしか持たぬ辺土の木っ端貴族と両天秤にされた我がヴァルマ家があまり愉快な感情は抱かぬだろうことは、ここではっきりと申しておこう。では、な」


 まさに言いたい放題にして、伯侯ヴァルマは部屋の外へと出て行った。

 《二齢》を顕していた郎党の男たちもその後に続こうと、残っていたフローリスを促し、数人の侍女たちも険悪な空気を恐れるようにそそくさと逃げ出していく。


 「…あんた、邪魔だから」


 白姫様、ついでヨンナをきっと睨みつけてから、フローリスも衣を払って去っていった。なんともいえない重苦しい空気に兄妹が押し黙るなか、ヨンナが「やんねーのかよ」とぼやいて舌打ちする。


 「…腹が立つやつらだな」


 カイがぼそりとつぶやくと、ようやく白姫様が大きく息を吐いて、俯きがちになるや静かに泣き出した。辺土伯家からつけられている侍女たちがどうしてよいのかわからぬげに立ち尽くしたままでいるなか、オルハ様が妹姫を立ち上がらせて、隣の寝室へと連れて行った。


 「…オレは父上のところに行って来る。殻つきは部屋に残ってあいつを護れ。顔を知らぬやつはけっして入れるな」


 そういい残して、オルハ様もまたあわただしく部屋を出て行った。伯侯に言われたとおりに、父であるご当主様のところに向かったのだろうことは明らかだった。

 衣装掛けに大切に掛けられている晴れ着に見下ろされるように、白姫様はベッドに横になって、まだ声もなく泣いていた。

 今度こそ命じられたことをやり遂げようと、カイは鼻息も荒く部屋の入り口に腕組みして立った。その横に何も言っていないのに同じようにヨンナが立ったことで、こいつ実はやることがなくて暇なんだな、とカイはようやくにしてこの男の心底を見抜いたのだった。


コミックス第7話が公開されています。

青山先生の入魂の作画、一見の価値ありです!

http://comicpash.jp/teogonia/07/


コミック第1巻の発売日も決定いたしました。

11月30日発売ですヾ(*~∀~*)ゞ


いろいろとご意見いただき、参考にさせていただいております。

感想よろしくお願いいたします(^^)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ぼかあ頭が悪いから何が起こってるんかよーわからん
[一言] 結局伯候がしたかった説得てのは側室にするようになのか、婚姻それ自体の辞退なのかどっちだったんだ。 多分辞退のほうなんだろうけど。 本筋に関わるところだし明確な一文が欲しい。
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