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逃げ出すこともかなわぬまま飲み込まれた肉弾戦の嵐。
もう四の五の言っているゆとりはなかった。霊力の局所運用もさすがに見られ過ぎた。いまさら隠したところで坊さんが見逃してくれるなどとはとうてい思えないほど、その運用を晒してしまった。こいつらほんとに殺しにきているのだ。うかうかと攻撃を食らおうものなら、よほどうまく受けきらないと簡単に身体を破壊されてしまう。
途中吹っ切れた後はもうカイ自身も相当に頭に血が上ってしまって、隈取を顕さないことだけを念じて殴り合いに没頭した。
(もういい、こいつら全員叩きのめしてやる!)
すさまじく『いい顔』をして迫ってくる肉達磨たちを返り討ちにしながら、肉の間に挟まれないように立ち回って周到に回避する。そういうときに、習い覚えたズーラ流の『円の歩法』が本当に役に立った。直線的に逃げ続けていれば、きっとすぐに広場の隅に追いやられて、袋のねずみになる展開待ったなしであったろう。
広場中央の広い空間で繰り足の円を描きつつ、位置取りを確保し続けられたのは本当に大きかった。
むろんのことながら四方から飛んでくる攻撃を完全に避け続けるなどどだい無理な話で、いいのをいくつか貰ってもうカイの顔はパンパンに晴れ上がっている。殴っても殴られても、楽しそうに笑い続ける肉達磨たちは、本当に頭のおかしなやつらばかりだった。そうして乱戦に飲み込まれるうちに当たり前のようにあの頭巾の坊さんが『見物』している場所近くにも流されて行くわけで、うっとうしい目で眺め続けられるのも癪であったカイは、興奮で全身を真っ赤にしている細長い大男の攻撃をわざと呼び込んで、周辺視しながら敢えて坊さんのほうへと攻防の場を誘導した。
そして細長い男の渾身の一撃を盛大にすかして、後方の坊さんへときれいに流れたその背中をさらに体当たりして全力でダメ押しする。余計な悪巧みで隙を作ってしまい、他のやつからタコ殴りにされたが、そんなことはもはや知ったことではない。いきなり殴りかかられた坊さんが頭巾から見える細い目をかっと見開いて、ぎりぎりで避けたのが見えた。何かの魔法に集中していたので対応が遅れたのだろうが、本当に惜しかった。
しかしカイはそれで終わらせるつもりなど毛頭なかった。掴みかかってきたひとりの男を眼の端でとらえて、その頭を捕まえつつ肩に乗るように組み付いた。そうして『発射台』に乗ったカイはその勢いのままに自らを撃ち出した。男を全力で蹴りつけることで自らを砲弾と化さしめたのだ。
そこには余所見をしつつ回り込んできた坊さんの姿があり、気付いたときには後の祭り、カイの脳天頭突きがその坊さんの鼻っ柱に炸裂したのだった。ぐにゃりと気色悪い感触があって、カイの身体を受け止めるかのような体制で坊さんが後ろ倒しとなった。
鼻血の花が咲き乱れるなか容赦なく肘を立てて、カイは体重を乗せた強烈な一発を坊さんのわき腹に叩き込む。カイと同じで、霊力の運用にかまけていたその坊さんは、おのれの身体にいきわたるべき分まで、おのれの手元に力を集め過ぎてしまっていたのだ。その体皮の防御力は普通の人間に毛が生えた程度であった。
(…ざまあ)
普段ならばけっしてやらないことをしでかして、その背徳感が快感となって突き上げてきたあたり、カイも他の『加護持ち』らと同じ、辺土の男ならではの脳筋さと無縁ではなかったのだろう。
坊さんの仲間たちが仰天して駆け寄ってこようとしているので、カイはそいつらもまとめてどうにかしてやろうと企んだ。そして少し離れたところに塩梅よく倒れ込もうとしている男を見つけて、その地面を突こうと伸ばされた腕を取りにいく。また群ってきたやつらに何発か入れられそうになったが、最小限の動きでその被害を軽微に抑えつつ、乱戦の隙間を縫うように目的の腕を掴み取った。
(おまえらも付き合え!)
身体を流しつつ軸足の踏ん張りをすんでで取り戻したカイは、渾身の力で倒れかけた男を持ち上げて振り回し、周辺の肉達磨ともども吹き飛ばすように投擲したのだった。くるくると回転しながら絶叫する男が、駆け寄る坊さんたちの足元に見事に命中した。
乱れたって転倒する坊さんたちを見て心の底から笑ったカイは、その瞬間に首をアームロックされて、ひげの大男の背中に宙吊りにされた。完全に頚動脈を絞められて、カイの意識はついに暗転したのだった。
どれほどの間意識を失っていたのかは分からない。
しかしその辺は皆『加護持ち』であることもあり、たいした時間ではなかったのではないかと思う。
カイが目を覚まし、身体を起こしたのはあいも変わらず三ノ宮裏の広場だった。どうやら乱闘で失神者が続出したらしく、カイの横にもまだ幾人かが寝かされている。もっとも、失神中というよりも、疲れて寝ているだけという印象で、大いびきを掻いている者が多かった。
カイが頭を起こした瞬間、さっと手を引かれた気配があった。誰かがおのれの呼吸の有無を探っていたかのような印象であった。
半眼になって周りを見回して、すぐにおのれの脇に腰をかがめているあの頭巾の坊さんの姿を発見する。もしかして探られていたのかと無意識に察して、苛立ちが身を震わせた。
一度カイを追い詰めたあのナーダとかいう坊さんも所属していた組織である。『加護持ち』を殺す専用の『密具』があったのだ、同様に『神石』の中に隠されている土地神の真の神格を暴き出す何らかの手段があってもおかしくはなかった。
カイは《無紋》であることを装えたと自負している。その『振り』が成功しているのであれば、いまなお執着されている理由はやはり最初に見せてしまった霊力の運用法であったろう。
試すようにカイは『神石』から溢れてくる霊力を意識の管理下においた。たちまち余剰し始めるその霊力の輝きに、坊さんが反応を示した。
「…青い……やはり聖貴色か」
ポレックと同じように感想をのぼらせて、坊さんは坐ったまま後ずさろうとしていたカイの腕をとらえた。そしてカイが無意識にその腕に霊力を集めようとしたのを、何かの技で吹き散らした。魔法を無力化するなんらかの技だと知って、カイは軽くパニックとなった。集中さえしていればこの頭巾の坊さんも僧会武術の手練であるのだろう。手足を使ってむやみに暴れようとしたカイの動きも、すべてたくみに抑え込まれる。
「落ち着きなさい。取って食おうというわけではありません」
「権僧都! やはりここは力ずくで」
先ほど転がされたのをよく思っていないのだろう、他の坊さんたちが詰め寄ってこようとするのを、上位者らしい頭巾の坊さんが一喝する。ごんのそうず、というのは坊さんの位階であるようであった。
「あの者たちは愚僧の命に従います。まず落ち着きなさい」
「………」
一度同じ坊さんに殺されそうになったカイが、彼らを信じられる道理はなかった。が、辺土の民として、僧侶に対する尊崇と敬意を表すことは常識でもあった。カイは心を落ち着けながら、そのふうを取り繕った。
「…愚僧はセルーガと申します。…貴殿の名をうかがっても?」
「……カイ」
冬至の宴にやってきているというだけで、ほとんどの場合辺土領主かその係累と見たほうがよい。公的には世俗の領主のほうが権威が高いので、坊さんはカイを『貴殿』などと呼んだ。
カイの出自を問うて、ラグ村のしがない領民のひとりにしか過ぎないと分かって、まわりの坊さんたちはすぐに態度を横柄なものに変えたが、セルーガと名乗った頭巾の坊さんだけは、慇懃な態度を崩さなかった。一番手ひどく痛めつけられたというのに、人間ができている。
カイが戦場で亜人たちの『神石』を多食した『成りかけ』であることを知り、力の背景を把握したあたりで坊さんの知的欲求は満たされるのではないかと期待していたのだけれども……やはりそうは簡単にいかなかった。
「貴殿は『御技』を使いますね? その技をどのようにして覚えたのですか?」
「………?」
「いや、ちゃんと見ましたから。ばれてますから」
「………」
くそ。魔法を使うところはもう隠せないか。
ならばどのあたりを落としどころにするかが問題となる。まだ火魔法とか分かりやすいものは見せていないのだから、ある程度のところまでは誤魔化せると思うのだけれども。
谷の神様のことを知って殺しにきた前例を考えれば、そのあたりの事情を知られるわけにはいかない。しかし『成りかけ』だという村での設定まで知られてしまったうえは、むしろ隠すのではなく理解を促進させてしまったほうがいいのではないか。そう算段した。
谷の神様と関連付けられぬよう、ただの『成りかけ』として、筋書きを完成させて、この坊さんのなかのおのれの姿を確定させてやるのだ。
「…いくさ場を逃げ続けてるときに、火を使っている豚人を見た。あとで自分でもやってみて、使えるのが分かった」
カイは戦場で逃げ回っていた臆病な雑兵で、運よく敵の死体から『神石』を多く掠め取ったことから急成長した『成りかけ』で、その際に見た豚人の『御技使い』が火魔法を使うのを目撃した。そして生きて帰った後に、自身でそれを再現してみて、なんとなくできてしまった。その後は村の仲間に隠れて、こっそりと技の練習を続けていた……そんなような供述をした。
根掘り葉掘りされても、あとは頭の悪い村人の振りをする。自己評価的に完璧だった。
が、しかし。
『加護持ち』としてカイが無知であることに変わりはなかった。
「貴殿は気付いてはおられぬようですが……『聖貴色』の恩寵を帯びています」
あのときポレックは、霊力が『聖貴色』である事で、何が違うといったっけか。何か特別な意味合いがあるみたいなことを言っていたような気がする。
「霊力には『質』の違いがあるのです。どこの土地でも井戸を掘れば水は出てきます。しかし出てくる水には差があります。…たいていは飲み水になるかならぬかの濁り水しか出てきません」
「………」
「霊力の質は、その色に出ます。ときおり甘露水がごとき霊水が湧き出す泉が見つかります。その妙なる滋味溢れる水は、尊い青い輝きを含むのです」
頭巾の坊さんが、なぜおのれに執着したのかを悟った。
見る者が見れば分かる事なのだ。
「…その霊水染み出す泉は、いと高きに位する大神の座所なのです」
活動報告に行ってもらうのも手間ですので、ここで公開データ上げちゃいますね(^^)
【エルサ】
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特典ssもいくつか書きましたので、第2巻発売時には配布されますお店をご確認くださいませ。
よろしくお願いいたします。