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(…見られるのはまずい)
危険な傍観者を感じてカイはまともに戦いを組み立てられないでいた。
霊力の運用によって局所の身体強化を行うことが、カイの『無紋』状態での唯一の戦い方だった。『目』のよい観察者の前では、その欺瞞があっさりと丸裸にされる。
(戦え! 見せつけよ!)
カイの切迫に反応したのか、神様がまたぞろ騒ぎ始める。
特におのれの力を隠す意図などない谷の神様にとって、カイの懸念は完全に他人事のようだった。
しかし何だって坊さんたちはいつもオレを気にする?
おのれの『神石』を奪おうとしたあの坊さんも、人族未踏の危険な森の深部まであえて踏み込んで、新たな土地神の存在を探していた。つまりは『谷の神様』を探しているのだと合点していたのだけれども、実際のところご当主様らに伝えられたという《預言》について、現時点でカイも含め具体的に知っている村人などほとんどいなかったりする。
ただはっきりと分かっているのは、力のある『谷の神様』を人族の王国に……おそらくはその天元にある王神に帰依させて、種族の神群に取り込もうとしているということである。あの蛙野郎みたいな力を衰えさせたうそつきばかりがいるのだろう国の中枢はがたがたで、要請を拒否すれば、躊躇なく殺しに来るぐらいには切羽詰っているのも分かっている。
カイはできるだけ怪しい坊さんの視線から逃れるように、大男の身体を遮蔽物として位置取りする。自然と溢れてしまうカイの霊力は、ここに居合わせる若い辺土領主らのなかにあってひときわ大きい。周りを見回してその事実を客観視する。
そうしてカイは気付いた。
(…そうか、使い方の違いなのか)
通常の『加護持ち』は、何らかの形で人生のどこかでなんらかの土地神の加護を得、その瞬間からいきなり『加護持ち』としての特効……人外の身体能力を手に入れてしまう。素の状態では、土地神の加護は憑代を命の危険から守ることを優先しているために、身体強化の状態を取ってしまうのだが、カイのように霊力を魔法として運用することを体得した者にとって、『神石』から供給される力は有効活用すべき『有限な資源』であり、管理すべき対象となってしまうのだ。
無意識に消費を抑え、余剰分をプールしてしまう。
水量が一定の川の流れを、普通の『加護持ち』たちが自然に任せて使用しているのに対して、カイのような『御使い』は二次使用を見越した『ダム』を内側に作ってしまうのだ。
身体強化に垂れ流しで使っていればなくなってしまうものを、無意識に『プール』しようとするからいきおい霊力が溢れてしまう。
(…垂れ流せばいいのか)
カイは呼吸を落ち着かせながら、唇を舐めた。
『魔法』を使おうという欲を捨て去り、身体の力みをほぐしていく。『神石』から発される熱感が身体中に染み渡っていくのを感じる。
そうして改めておのれと周りの者たちの差を見比べる。
(……よし、なくなった)
『加護持ち』としての力の開放……隈取を顕していないカイの霊力総量は、やはりそれなりの量でしかなく、目の前の大男よりもいくぶん弱々しいぐらいだった。よくよく見定めて、ほっとしたカイであったが……そのほんのわずかな心の空白を、戦闘狂の大男は逃しはしなかった。
握り固めた鉄拳が下腹からねじり込むようにカイをとらえ、激痛が電流のように脳天を突き抜けた。体重差が大人と子供なので、そのひと振りであっさりと身体ごと持っていかれた。
多分内臓が悲鳴を上げる。まずい。
(腑抜けが!)
きんきんと耳の奥に神様のかんしゃくが鳴り響いて、痛みとあいまってぎゅっと目を瞑ってしまう。負けるのが大嫌いなのはたぶん土地神すべてにいえることなのに違いない。谷の神様の苛立ちが伝わってきて、身がすくんだ。
勘弁してくれ神様。
いまはまだ谷のことを秘密にしなくちゃならないんだ。
受身を取るつもりで身を丸めようとしたカイであったが、容赦のない大男の追撃が空中のカイに迫ってくる。完全に殺す気だろこの野郎!
そのまま負けた振りを決め込もうとしていたのに、そんな生き死にに関わるような攻撃をされたらやるしかなくなってしまうじゃないか。カイはまだおのれの下半身が坊さんの視界から隠されているのを見て取って、つま先に霊力を集めた。
動体視力は大男の繰り出した蹴り足を直視している。
空中で両手を伸ばし、蹴り足に抗いつつも軽くまとわりついた。そうして丸太のようなその足を小脇に抱えるように下側にもぐりこんで、大男の軸足に向かってまっすぐにかかとを撃ち出した。
そのとき、また視線を感じた。
坊さんの死角を突いて動いているはずなのに、別の誰かに見られている気がする。しかしもう蹴りは放ってしまっていたので、そちらへの対処は手遅れである。
かかとが軸足の膝を、やや側面から打ち抜いた。嫌な感触とともに大男がもんどりうつようにゆっくりと後ろへと倒れてゆく。
そこで視界が開けて、三ノ宮の裏口近くに立っている坊さんの集団が再び目に入った。そちらからの強い視線も相変わらずなのだけれども……やはりどこか違う場所から、強烈に『見られている』感触がある。
(あの偉そうな坊さんだけじゃない)
周りには観戦を決め込んでいる『加護持ち』たちが何十人も居並んでいるのだ。そのなかに『目』の良いやつがひとりやふたりいてもなんらおかしくはなかった。
ともかくいま目の前の問題を片付けてしまおう。この大男はおそらく倒れてもすぐに起き上がってきて、しつこく挑みかかってくるに違いない。ここにいるほかの『加護持ち』たちも似たり寄ったりな雰囲気で、兵士に訓練をつけているときのご当主様のそれに近い。
辺土に生まれ育ち、強力な亜人たちに抗い続けるよう定められた辺土領主とその係累たちは、すべてのものに打ち勝つ強さというものに異常なほどに執着する。例え四肢を砕いても死に物狂いで噛み付いてきそうな、もの狂おしい飢えがすべての眼の奥にあった。
意識をともかく刈り取ってしまおう。
カイは脳震盪という手段を思いついたものの、この瞬間地面に背中をつけてしまっている大男の『頭を揺らす』ことが難しいのを理解する。ならば致命打を与えるかと拳骨を固めた。
人体の急所は大体が身体の中心線に沿っている。顎や鳩尾、股間なんかもそのひとつである。体術を習うときにいの一番に教えられるのがそれだった。
すぐに目に入ったのは無防備に晒された鳩尾だった。そこへ拳を振り落とそうとした一連の流れのなかで、カイはふと灰猿人の王城で相対した『悪神』のことを思い出した。
やつは少しでもおのれに触れたものを失神させる。相手の『神石』のなかに蓄えられていた経験知的な何かを一瞬にして奪い去り、そのショックで座所にある神さえも昏倒させてしまう。
すばやく大男の『神石』の位置を確認する。
そしておのれの手に力を集めていく。打撃そのものを強化するわけではないので、カイの拳は霊力をそこまで溢れさせていない。
拳を打ち込む体裁で、打撃面が密着した瞬間に『神石』のなかの土地神に向かって直接に攻撃性の強い霊波を放出する。
打撃自体はたいしたもののようには見えなかったろう。現に馬乗りを解いて距離をとったカイに、大男はすぐさま立ち上がろうとして……そこで盛大に嘔吐した。
(『悪神』みたいにはいかないか)
一瞬だけ力をこめて霊光の世界を垣間見ると、大男の身体を覆う薄赤い光が胸元の辺りだけ明るさを失っているのが分かった。
霊力が滞っているということは、いまその箇所が神の護りから外れていると言うことでもある。ただの人間の肉が露出しているのだ。
手をついて苦悶する大男の背中側にも、光を失っている場所がはっきりとしている。その箇所が急速にふさがっていっているのを確認して、カイは容赦なく再び拳を打ち下ろした。それがとどめとなった。
ガンド・ヨンナと名乗った大男が完全に沈むと、待ちわびていた順番待ちの『加護持ち』どもが色めきたって近づいてこようとする。観衆の内からも好き勝手吠えたてて名乗り出ようとする者たちもいる。
カイは見た。
僧たちの集団から抜け出して、こちらへと駆け出してくる頭巾姿の高僧の姿を。
そしていま一方、もうひとつ強く感じていた眼差しの出どこをついに見極めて、それが誰なのかをその目に焼き付けた。
(…鳥?)
草試合の広場を一望にする、三宮の遥かに高い屋根の上…。
そそり立つ屋根の先端に、なにものかが坐っているのが見えた。ほとんど一瞬の出来事で、瞬きするうちにその姿は消えてしまった。
「…逃げ……らんないよな、やっぱ」
四方を物狂いな『加護持ち』らに囲まれ、カイは諦めと同時に覚悟を決めた。その物騒な者たちのなかにあの高僧も含まれている。
やってやるよ、かかってこいよ。
もうここからは一切手の内は見せない。そう心に決めていた。
いろいろと忙しいところに風邪ひいてしまいまして…
活動報告に第2巻のカバーイラストをアップいたしました。
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