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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
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 父が名誉ある『奉納試合』の指名を受けた。

 それも最終日最終取組、まさに『冬至の宴』を前に重要な神事のトリを任されたわけであり、辺土領主にとってこれ以上もない誉れであった。

 父親の晴れ舞台を聞いて、オルハはもとより側仕えの女たちに囲まれていたジョゼも報せに来た儀典官の促しで、一ノ宮前の試合会場に急いで足を運んだのだった。『なりかけ』は帰ってこないので置いていった。

 州都到着後のあくる日、父ヴェジンは早くから辺土伯様に呼び出されて、婚約前の大切な娘を残して不在が続いていた。その出先から直接試合会場に向かった父は、会場に駆けつけたわが子らを見つけたものの、わずかに一瞥したのみであった。

 厳しい表情を緩めることなく清めの水で口をすすぎ、辺土二百余柱の神々に拝礼を済ますと、ただ一点、一ノ宮城館の楼門の上から観戦している辺土伯様をひたすらに見上げているのだった。

 儀典官の進行によって対戦相手もまた父と並び立ち、潔斎の手順を踏んで来るべき戦いに心を高ぶらせているのが見える。父の相手は辺土西方で名の高い『尖石頭(ゼペイドラ)』エンテス侯という、頭頂の形が少し尖って見える禿頭の大男だった。


 (父上はなにをしている…)


 オルハは父の様子がおかしいのに気づいた。

 目の前にこれから戦うべき好敵手がいるというのに、そちらにほとんど関心を示してもいないのだ。腕試しを三度の食事よりも好む『鉄の牡牛(トール)』らしくない様子であった。

 父の目線の先には、楼門上の貴賓席があり、そこには辺土伯本人のほか、『冬至の宴』に招かれた中央貴族の姿もいくつかあり、案の定その視線の向う先は中央付近に腰を下ろしているバルター辺土伯本人のようであった。

 辺土伯に呼び出され、何の話をしていたのかと興味は抱いていたオルハである。先の灰猿人(マカク)族の大侵攻を食い止めた戦功に報いるという先の報せもあったので、その流れで生じた懇談であると彼は思っていた。


 (なんだ……なぜ父上は腹を立てている)


 長くともに暮らしている家族だからこそ分かる機微というものがある。モロク・ヴェジンという男は、底の浅い怒りに直情的にあらぶることがある一方、領主貴族が持たねばならない十分以上の思慮を持ち合わせ、怒りを腹の底に深く沈みこませるときに、反動でひどく無表情になることがあるのだ。そういうときの父にはあまり近づかないほうがいい……モロク家の子弟がすぐに覚えねばならない身の処し方のひとつであった。

 そうして対戦者同士が互いに名乗りを上げ、互いの手首を空中で合わせることで戦端が開かれる。先の大いくさで武名を高めた父ヴェジンに、対戦を所望した領主は30を超えていたという。そのなかから人格、武量の面からふさわしいと選ばれたのがエンテス侯だった。挑戦者であることから気持ちも高ぶらせており、すでにして《四齢(クワート)》たるその隈取を露わにしていた。

 繰り出された拳が空気を割いた。

 そして拳を受け止めたヴェジンの掌からは、どしんっ、と地面を大槌で叩きつけたような腹の底を震わすような音が鳴ったのだった。ただの拳の一撃が、観衆らの雑音をひと息に消し飛ばしてしまった。


 「さあ、やろうぜ鉄牛」

 「……歯ぁ食いしばれ、石頭の」


 『本奉納』の試合では、両者は寸鉄も帯びてはいけない。互いが武器とするのは、ただおのれの肉体のみ。

 今度はヴェジンが拳を繰り出し、それを同じようにエンテスが掌で受けた。

 そしてそのまま両者で力比べとなり、鍛え上げられたその筋肉が盛り上がり、骨が軋みを上げる。両者の発する常識外の力をすべて受け止めねばならなくなった足元の石畳が、一部で明らかに沈み込み、押された部分が割れながら隆起する。

 力で圧倒したのはヴェジンのほうであった。徐々に押し込まれ、エンテスは歯をむき出しながら頭突きを放った。それを首のひねりで交わしたヴェジンであったが、さっそくかすめたこめかみから血がしぶいた。

 まさに『神事』であった。

 そのまま強引に押し切ったヴェジンの足元が、石畳を粉砕した。

 そして踏み出した一歩が、どんっ、とさらに穴をうがつ。力任せに叩きつけられたエンテスの巨体が地面に跳ねると、追撃とばかりにヴェジンの足蹴りがその側頭部へと炸裂する。

 繰り出される応手のすべてが、殺人的威力を孕んでいた。

 エンテスが血を撒き散らしながらもんどりうって倒れると、我に返った観衆が一気に叫び出した。

 やれ、鉄牛!

 負けるな石頭!

 興奮が会場を包んだ。

 その喧騒のさなかにオルハはただただ父親の横顔を見続けた。同じ神格である《四齢(クワート)》同士であるならば、普段の父ならば舌なめずりしてその対戦を味わおうとしただろう。現にそんな狂気の一端が、その目につかの間は表れたのだから。

 が、息子であるからこそ分かる父親の様子のおかしさは依然としてあった。

 ズーラ流の歩法があらわれて、立ち上がろうとするエンテスを間断なく崩して立ち上がらせない隙のなさは、鍛錬に明け暮れる父の武技の深みを感じた。

 そして傾きすぎた形勢を嫌って、相手に立ち上がる猶予を与えるべく少しだけ引き下がった様子も、常の父らしくはあった。

 しかし戦いを心の底から楽しんでいない父は、やはりおかしかった。


 「お父さまは」


 ジョゼもまた、父ヴェジンの様子のおかしさに気付いたようだった。側仕えたちを押しやってオルハの側にまで歩み寄って来る。

 純白の真新しい頭巾を目深にした、明らかに普通の格好でないジョゼの姿に、周囲の者たちも気付いたようで、


 「もしやあれが」

 「モロク家の例の『美姫』か」


 そんな会話が近くからちらりと聞こえてくる。

 大切な婚約を前にしている妹を、むさくるしい男たちの視線に晒したくないオルハは、側仕えの女たちに妹を部屋に連れ帰るよう言った。この『奉納試合』が終ってしばらくもせぬうちに、妹は婚約相手である辺土伯様の第6子、アーシェナ様との対面式が予定されているのだ。

 だがジョゼは兄の言うことを聞かなかった。ただ口を手で覆いながら身を震わせて、「なぜあんなに怒っていらっしゃるの?」と聞いてきた。


 「…知るものか。話し合いで何かあったのだろう」

 「あんなにつらそうなお父さまは初めてよ」

 「……そうだな」


 『加護持ち』同士の人外の肉弾戦が続いている。殴り殴られ、掴んでは投げ、血と汗が周囲に撒き散らされる。エンテス侯はその戦いを明らかに楽しんでいたが、父ヴェジンの表情はけっして晴れない。

 そうして数限りない応手の果てに、エンテスが腰砕けに膝をついたとき、牽制で放ったのだろうヴェジンの膝が偶然に人体の急所である鳩尾(みぞおち)に突き刺さった。

 前のめりに倒れ伏すエンテスを見て、儀典官たちが試合の終了を宣した。どっと沸き返る歓声に打ち消されぬように激しく木鐸が連打される。

 会場から数人掛かりで運び出される対戦相手に声掛けしてから、ヴェジンは楼門上から贈られる拍手に一礼した。

 『本奉納』のトリをつとめた勝者は、通例としてその場に居合わせた最高位の貴賓から、ねぎらいの言葉がかけられるものであった。今年は辺土伯本人が観戦していたため、伯からの声がけとなった。

 奇しくも辺土伯家と新たな縁を結ぶことになったモロク家当主が、その栄えある勝者として会場にある。辺土伯本人からのねぎらいのみでなく、同席した中央貴族からの口添えで余禄となる『懸賞』まで与えられることとなった。

 珍しいこともあるものだと観衆からざわめきが起こる中、「望みを申せ」と告げられたヴェジンが、しからばと言上した『望み』であったが…。


 「ち、父上…」


 オルハは父ヴェジンが所望した内容を理解するや、絶句してしまった。

 ヴェジンは娘の婚約者となるアーシェナと、この場で手合わせしたいと申し出たのであった。

 金銭を所望するのは無粋である。ヴェジンの要求は辺土領主らにとって非常に好ましいものとして映ったに違いない。

 誰しもおのれの可愛い娘を嫁に出すとなれば、その相手の男の『力量』を試したくなろうというもの。しかも相手は寄り親である辺土伯家の令息である。このような機会にでもかこつけなければ、そんな手合わせなどけっして実現できはしなかったろう。

 しかし、父としての気持ちはどうあれ、この場に第6子アーシェナを連れ出すとなると、それは夫を出す辺土伯家側に恥を掻かせることにもなりかねなかった。夫となるアーシェナがはっきりと格上であれば問題はなかったが、伝え聞くところ第6子アーシェナの持つ神格は《四齢(クワート)》であり、ヴェジンと同格であることから対戦を断り難いという絶妙な按配……しかも加護を受けてまだ年も浅いという『殻つき』であるという。

 武技に長ずるヴェジンに遅れをとるような要素はなく、戦えば負けることは必定であった。これは第6子アーシェナに、公衆の面前で恥を掻かすがよいか、というヴェジンからの申し出であるのだ。

 むろん辺土伯本人が負けるわけではないのだ、『加護持ち』が経験を積む上で敗北を重ねることなど当たり前のことであるので、観衆たちはヴェジンの望みがふたつ返事でかなえられ、この場に美しい嫁を手に入れる運のよい貴公子が、確定している敗北に苦い顔をしながら連れ出されることになるのだろうと見守っていた。

 しかし楼門上の貴賓席からは、しばしの中央貴族とのやり取りのあと、アーシェナの出戦は拒絶する旨が伝えられた。

 父の望みを聞いて驚いていたオルハであったが、その対戦拒否の流れにさらに驚いた。この拒絶は、戦わないことよりもさらに不名誉な『惰弱』という悪評を息子に与えかねないからだった。

 むろん貴賓席にある辺土伯は、そのような結果を招いてしまったヴェジンの要求に、はらわたを煮えくり返らせていることだろう。まずい流れであるのに、会場にたたずむ父の横顔に、まったく揺らぎが見られないのもおかしなことであった。


 (第6子アーシェナ……何か含むところでもあったのですか、父上)


 ようやくにして父の気持ちのありように近づくことができたオルハは、それでもこの後に起こるだろうモロク家にとっての悪い流れを思って、苦しい顔をした。辺土領主すべての寄り親たる辺土伯家と折り合いが悪くなっても、よいことなど何もないのだ。

 そのとき袖を取られてオルハは瞬きした。

 何かを予感しているように、妹の白い指が袖口に絡んでいた。ぎゅっと握り締められたその力強さが、妹の不安の強さを示していた。


 「…代わりは、あたしが務めようじゃないか」


 場を取り持つように、奉納会場に進み出た人影があった。

 引き締まった身体に皮鎧をまとった女傑が、名乗りを上げた。


 「パバルス塞市領主、ルフト・ガラだ。《五齢(シンクエスタ)》だ、あたしで満足して矛は収めとくれ」


 辺土伯家《五剣》がひとり、『紅玉剣』の登場であった。


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