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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
冬の宴
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 「さあ、これから裏で存分にやりあうぞ」

 「オレは用事がある」

 「一緒に……って、おい」


 カイは厨房の下働きから渡された湯を張ったたらいと拭き布を手に取ると、肩を掴んでいるガンド・ヨンナのことなど気にもせずに踵を返し、歩き出した。その小さな身体からは想像も付かぬ恐るべき力に押し込まれ、たたらを踏みつつそのあとを追う大男。

 はたから見ていたなら力関係が転倒してしまっていたことだろう。「おいっ」と追いすがるヨンナが廊下へと出たところで、そこを通りかかった複数の男たちが笑いの形に歯をのぞかせて、カイとヨンナの前に立ちはだかった。

 いや、正確にはヨンナのみが彼らの目当てであったのだろう。


 「ガンド村の」

 「もうひと手合い、自分と頼む」

 「いやいや、先手はわれぞ」


 なんとも暑苦しいその肉達磨たちは、意気込みが過ぎて全員が顔に『隈取』を顕している。3人ともが『加護持ち』のようだった。

 それらの視線を受け止めて、カイを追う大男……ガンド・ヨンナは大きく鼻を鳴らすと、「後だ、後」とまるで子供の遣いでも追い払うように手を振って見せたものだから、とたんに男たちがいきり立った。


 「勝ち逃げはゆるさねえぞ!」

 「構うな! 3人がかりで裏につれて行くぞ!」

 「その余裕ぶった面、へこましてやらぁ!」


 全員がのっけから『加護持ち』たる者の全力で襲い掛かったのだから、《三齢》のヨンナとて逃れられるわけもない。そしてその前に立っていたカイはまさに肉の壁に挟まれた葉物野菜のようなものだった。

 カイひとりがただ避けるだけならば、それでも何とかなっていたであろう。しかしそのとき彼の手には身体と同じくらいの大きさのたらいがあり、湯がなみなみと張られている。しかも片手は拭き布を抱え込んでいて、急な身動きに対応などできる状況ではまったくなかった。たらいをすぐさま床に置き、蹴って滑らせたまでは上出来だっただろう。しかしそのすぐ後には分厚い筋肉に完全に押しつぶされて、そのがちがちの硬さとえもいわれぬ男臭さに顔色を失った。


 「邪魔だ」


 密着した状態であってもカイの剛力は発揮しうる。左腕を強引に畳んで肘を突き出すと、もう一方の手でこぶしを包むようにして、身体のひねりを加えつつ後方にあるヨンナの下っ腹に叩き込んだ。


 「ごっ」


 カイの頭越しに腕を伸ばし、迫りくる3人の圧力に抗しようとしていたヨンナが、胃液を吐き出しつつ身体をくの字に折った。

 そうして力尽くで空けさせた空間をカイは我が物とし、今度は密着していた別の男の顎を下から振り抜くように頭突きで痛打する。身長差から顎をかすめるような形となって、脳を揺すられたその男が白目を剥いて倒れていく。

 カイの目は間近で推移していく物体の動きをつぶさにとらえている。その恐るべき動体視力は、やはり谷の神様の特別な恩典であったのか。

 ゆっくりと動き続ける世界の中で、ただひとり常のすばやさを保ち続けているカイは冷静に攻撃の形を組み上げていく。

 顎をかすめた頭突きが相手の『脳震盪』を誘ったことは瞬時に理解していた。『加護持ち』であっても、その身体の動きを支配しているのは頭蓋骨に収まった脳髄であり、その中枢器官の働きを刈り取ってしまえば、どんな頑強な身体の持ち主だろうと瞬時に陥落させることができる。徒手格闘を習う者はそうした『原理』を踏まえた技をいくつも習い覚えるものだが、この世界でその『原理』をちゃんと理解したうえで技を振るっている者がはたしてどれだけいたことだろう。

 『脳震盪』という闘いにおける核心的勝利条件のひとつが、その瞬間、前世知識と融合してカイのなかで定着した。体得という言葉のとおりに身体で理解してしまった。


 (…これ、いいな)


 もしかしたらあの鎧武者との戦いでもこの技を知っていたなら、少しはまともに殴り合えたのだろうか……戦いのさなかであるというのにそんな暢気な物思いにまで浸っている。

 ただ『脳震盪』というのは首を鍛え上げればたぶん弱点とはなりえないものだろうということも、他人の知識ゆえに避けがたく理解してしまっている。

 いくら目の前のやつらが巨体であるとはいえ、理屈が理屈通りに通用するのは人族という狭い範疇においてのことであり、種族特性的に格段に肉体性能の高い亜人たち……あの鎧武者のような隔絶した頑強さで(よろ)われている者たち相手には通用すまい。そう思う。

 瞬く間にヨンナに尻餅をつかせ、仲間ひとりの意識を頭突きだけで刈り取った少年に、その場を見ていた者たちから小さな嘆声が漏れた。


 「やりたきゃ勝手にやれ。オレは関係ない」


 言い置いて、投げ出したたらいを回収しようとしたカイであったが。

 片手で腹を押さえながらしぶとくよろめき出たヨンナに行く手を遮られ、その眉が苛立ちにピクリと跳ねた。


 「…いいぜ、腹に響いた」

 「邪魔だ」

 「おまえ、どこ村よ?」

 「………」

 「……領主じゃねぇのか、やっぱり」


 相変わらず顔に『隈取』を浮かべないカイの様子に、「ほんとに『なりかけ』かよ」とつぶやいて、ヨンナは渋い顔をした後に満面の喜色をのぼらせた。

 そうしてカイがなにを気にしているのかを見て取ったヨンナは、足元近くにあったたらいを蹴りつけて、お湯を盛大にぶちまけてしまう。


 「…ほら、時間ができたじゃねえか。裏まで付き合えよ」

 「……また貰えばいい」

 「そのたんびにぶちまけてやらぁ」

 「………」


 3人組の残ったふたりも、カイとヨンナのやり取りを唖然として眺めている。そしてヨンナの執着の理由を察して、「あれが『噂』のか」とつぶやいている。

 そのほかのたまたま居合わせた者たちも、「バカ強い荷物持ちだ」などと囁きあっている。昨晩の乱闘騒ぎが、実はもう水面下で三ノ宮近辺に広がってしまっていたのだ。

 出所定かならぬ噂であっても、おのれの神の優れたるを試さずにはいられない若い『加護持ち』らにとって、それは至高の美味が放つ芳香に等しい。誰もがその存在を心の隅に置き、不意の邂逅(かいこう)を心待ちにしていたのだ。

 ヨンナだけではない。

 カイは廊下に膨らんだえもいわれぬ熱気に気付き、オルハに命じられたことごとを一時放棄する決断を下す。戦うは容易いが、谷の神の力を見せびらかすつもりなど微塵もないいま、その選択に迷うことなどなかった。

 素早く四方をうかがい見たカイは、敵となりうる者たちを目算する。


 (…8…9人くらいか)


 そのすべてが『加護持ち』であるとしたなら、足並みをそろえて一斉に襲い掛かられれば谷の神の加護を持つカイであっても、あるいは手数で圧倒され、息の根を止められるかもしれない。

 側仕えのつもりで部屋にこもっていることがほとんどであったカイは、三ノ宮の全体構造もあまり把握していなかった。そうして直感的に向った先は、この建物を初めて訪れたときに通った入口とは真逆の方向だった。

 左右から挑みかかろうとする『加護持ち(のうきん)』どもをきれいにかわして、廊下を駆け抜けるカイの目に、いままさにこちらへと近付こうとしていた異質な集団が飛び込んでくる。

 僧侶の集団だった。

 烏色の僧衣に山吹色のたっぷりした布地を袈裟掛けにした男を先頭に、4人がそれに付き従うように歩いていた。

 頭巾によって口元を隠したその高僧はいままさに脇を駆け抜けようとしているカイを見、糸のように細かった目をうっすらと広げた。

 なんでこんなところに坊さんが……カイは一瞬思うものの、辺土のはずれにあるラグ村にさえ渡り僧は定期的に訪れることを思い出して、州都(ここ)ほど栄えているのならいて当たり前かとあっさりと思考を放棄する。

 『冬至の宴』は辺土伯家あげての大きな祭祀であり、そこで行われるであろう諸々の古めかしい儀式に、僧侶の存在が欠かせないことは考えるまでもないことだったろう。

 この廊下の先は、多分外に繋がっている。

 そして追跡を振り切った後に素早く力を解放し、方向を転換して雲隠れする……そうもくろんでいたカイであったが。

 その裏口を出た先に『草試合(・・・)』の大会場がいきなり広がっているとは微塵も思ってもいなかったのだった。

 勢いのままに外の広場の中ほどにまで飛び出して、そこでようやく過ちに気付いた。役立たずな直感にぼやきつつも、なおも逃げ道を探ったカイであったが、後ろから飛び込んできた男の叫びによって、行動を封じられてしまった。


 「…オレが! オレがそいつに挑む! ガンド村領主、ガンド・ヨンナだ!」


 想像もしていなかった無数の目にさらされ、後背は遅れてやってきた追跡組の『加護持ち』らに押さえられてしまっている。

 ここまできて逃げ出すことなどあるまいと信じ切った足取りで近付く大男と、振り返る子供に毛の生えたような小柄な少年。


 「そいつが例の『荷物持ち』だ!」


 後に続くやつの口からその叫びが発されて、会場はどよめいたのだった。




 「…あれは」


 権僧都は来た道を戻った。

 もはや見るものもないと見定めた三ノ宮の『草試合』の会場…。

 何事かと尋ねてくる随行たちの声を聞き流して、気忙しく繰った足はすぐに小走りになる。そうしてその視界は開けた。

 三ノ宮の裏手には城壁と城館との間に、兵の訓練用の広場がある。その真ん中に、ぽつんとたたずんでいる小さな背中を見つけて、なぜだか急に気持ちがさざ波立つのを感じたのだった。

 突然踵を返して歩き出した権僧都の後に続いたほかの僧侶たちは、この会場とは別のところで起こっている遠い歓声を耳にして、『本奉納』がそろそろ始まりますと、口々に注意を喚起した。見逃していた遅参の領主らが顔を出すだろうと、一ノ宮での『本奉納』への移動を命じたのは権僧都なのだ。

 しかしその目は、立ち尽くす少年の背中から離れない。

 手にしていた錫丈(・・)が、チリンとわずかな音を立てた。


 (すさまじい…)


 権僧都の目は、少年から立ち上る青色の霊光の柱をとらえていたのである。


更新遅れました。

コミっく第4話公開されました。

http://comicpash.jp/teogonia/04/

よろしくお願いいたします。


次回更新は少し間が空きます。

6月頭までは次巻作業に集中します。


感想お待ちしています(^^)


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