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灰猿人族の歓待は2昼夜に渡って続いた。
何もなければおそらくはうわばみ揃いのこと、3日目にすら平然と突入していただろう。宴をお開きにしたのは酒宴の席にぞろぞろとやってきたメスの一団で、いい気分で酔っ払っていたオスが勢いよくぶっ飛ばされたのを皮切りに、数人が血祭りにあげられるに及んでようやく大首領による〆の一言が発されたのだった。
「…芋が美味かった」
「いくつか、包ませる。…アレどもの許す、範囲内、申し訳ない」
大首領さえも恐れさせるメスの一団は、ラグ村で言えば《女会》のようなものだったのだろう。
短い夏の収穫時に頻発したいくさと、先の『悪神』騒ぎのせいで、灰猿人族の越冬のための備蓄が相当にまずいことになっているらしい。
能天気なオスたちは委細構わず戦勝の祝宴にうつつを抜かし、とうとう現実主義者のメスたちの逆鱗に触れたというわけだ。
にこやかに笑みつつ「早く帰ってくれ」と迫るメスたちは相当な迫力だった。本当なら土産の芋も荷車いっぱい差し出したいくらいだったらしいのだが、実際にカイに渡されたのは麻袋ひと袋分にしか過ぎなかった。
「今後10年、芋を贈る」
朝貢、というやつであった。
今年はもう厳しいので申し訳ないが、明くる年には種族自慢の瘤芋を荷車いっぱいに贈ると約束された。
土地の食べ慣れた食料が供給されると知って、連れて行かれるツェンドルは喜色をあらわにした。よほど灰猿人に愛される食材であるのだろう。
やもめのメスも多いので、妾に連れて行くかとも言われたが、こればかりは迷う余地もなく断った。アルゥェやニルンだけでも持て余しているというのに、手を広げるべき動機など皆無だった。むろん、嗜好的にもカイの許容範囲を大きく逸脱していたのは言うまでもない。交尾できないといったら殴られそうな女傑を大勢見てしまったし。
お互いの体毛を毛繕いする振りをするという交歓が行われ、カイたちは灰猿人族の領域を発ったのだった。
カイたちが谷に帰着したのは、出発してから7日目のことだった。
連れ帰ったツェンドルは谷の縁で住まわせることにし、ポレックが世話人となりハチャル村の小人族でその住居も用意することになった。『王神』を継いだツェンドルはかなり体格も大きく、彼が要望した『樹上の家』は、縁でも特に大きいバレン杉の古木上に造られることになった。
カイも少しだけ手伝い、ツェンドルに運ばせた材木を適当にカットして板材にして積み上げてやった。大のこぎりでの重作業を覚悟していた小人族たちは、カイが大木を粘土のように簡単に切り裂くのを見て相当に目を丸めていた。カイもまた、灰猿人族から多くの帰依を得たことで出力の上がったおのれの霊力に驚いた。5、6回も切ればくたくたであったのが、7、8回までひと息にいけるようになっていた。
単純に、5割増しほどの感覚だった。
これは一度、おのれの振るい得る力をしっかりと計って見なくてはと心に決めるカイである。そうして主人の帰着に気付いた『同居人』たちが、谷の下から盛んに呼んできたので、そこで折りよしとカイは集団から抜けたのだった。
谷の底に下りると、アルゥエとニルンから熱烈な挨拶を受けた。まあ左右から力いっぱいにしがみつかれただけなのだが、谷上からその様子を眺めていた小人族らから冷やかすような声がして、カイはなんだか気恥ずかしくて中央の小屋へとふたりをしがみつかせたままずんずんと歩いた。
小屋に着くと、準備万端というように料理が並び、すかさず湯気の立つ茶まで用意された。
「ど、どうぞ!」
「さあさあ、いっぱい飲むです!」
ぐいぐいと来るふたりに気圧されながらも、喉は渇いていたので茶を口にした。アルゥエはいろいろな香草茶のレシピを持っているので、また疲労回復か何かの調合なのだろうと普段と少し匂いの違う茶であったが迷わず嚥下した。
その瞬間浮かべたふたりのかすかな笑みに気付いたときには時すでに遅しであったのだが。
まだ村に戻る期日まで数日余裕がある。それまでは谷の生活を満喫してやろうとカイは決めていた。
アルゥエの用意した料理はとても美味く、思う様にがつがつと腹に入れた。そして飲んだ。途中から茶が酒に変わっていたが、酔わないカイは委細気にしなかった。
したたかに食欲を満たしたあと、なぜか酩酊したような気分になり、ふらふらと小屋の中へと入った。そこにいつもと変わらず眠り続けるエルサがいて、そのすっかりと余分な肉の落ちてしまった……しかし代わりに透き通るような美しさを感じるようになった寝顔に、なんだか急にもやもやとした気持ちが湧き上がってきた。
頬をなでて、もどかしい思いに突き動かされて頬を擦り合わせるように添えた。彼女のぬくもりと柔らかさを感じて、なぜか高ぶってくる感情に心が震わされる。場違いな獣欲に、カイは慌てたように腰を引いた。そうして腰が抜けたように尻餅をついたそこには、なぜか藁のベッドが準備されていた。
呆然とする暇もなく、タックルするようにニルンがしがみついてきた。ぐりぐりと胸元に顔をこすりつけ ながら、伺うような上目遣いを向けてくる。
そのあたりでようやくカイはおのれがふたりの策に嵌ったのだということを悟った。
「…じ、時間はあるです」
カイが谷で過ごそうとしていた『余暇』のぶんまで、彼女たちは計算尽くだった。動転したカイが身動き取れないでいることを、了解と受け取ったのか。
「そ、そうです。主様は谷でゆっくりとされるべきなのです!」
指先でおのれの髪をくるくると巻きながら、アルゥエが真っ赤に茹で上がってもじもじとしている。恥ずかしいのなら無理をするなと突っ込みたいカイであった。
ふたりにまとわりつかれながら、それでもカイが理性を失わなかったのは、視界にエルサの寝姿が常にあったからだろう。薬に酔った振りをしてその効果が続く時間をアルゥエから盗み出し、何とかそれまではと寝技の応酬をかいくぐり続けたカイであったが……腰の帯を解かれて下を引っ張られだしたあたりで態勢が圧倒的不利へと傾いた。
「…子作りを!」
「いいからさせろ、です!」
種族は違えど、乙女が口にしていい言葉ではなかった。
いつもと主客が逆転してしまい、悔しくてたまらなくなったカイは、とうとう大人ぶった冷静さをかなぐり捨てて、『魔法』勝負に打って出た。
この状況で魔法? カイのなかで見知らぬ誰かが必死に制止しようとしていたが、躊躇をなくしたカイは魔法をおのれの右手に発動した。
火魔法? いやいや。
これはすべからく人を瞬間に冷静にさせる魔法である。
(『冷却魔法』……冷たい手!)
すっかりとろんとしているアルゥエの目が、カイのおさわり……首筋へのひと撫でで身をすくませて転がった。「きゃうん」と子羊みたいな鳴き声をあげてアルゥエが身を引くと、そこにすかさずニルンが飛び込んできた。
首筋から背中にかけて、薄く体毛で覆われている彼女には、責めどころが若干少ない。やたらとアピールしてくる胸元が目に付いたので、遠慮なく鷲掴みにしてやった。
「つべっ、ひゃあっ」
あまりの冷たさにニルンが悲鳴を上げて、ベッドから転がり落ちた。
「主様…」
「すごい手が冷たいです!」
「もう冬だからな」
「谷は暖かいです!」
「主様! 絶対に何かしてるです!」
そうしてうっすらと白い冷気をまとっている右手を差し出しながら、カイは後ずさって小屋から出た。そうして外に出た瞬間に、一気に踵を返した。
必死になって森を突っ切り、ツェンドルの家を建設中の小人族のもとまで脱出を果たしたカイは、そこで奇異の目が集まっていることに気付いて、「気が変わった。最後まで手伝うぞ」と思わず口にしたのだった。
その後カイの怪力もありかなり早くに作業が終わると、カイはなぜか谷へは帰ろうとせず、ポレックの屋敷までついていった。カイとしては察してほしい一心であったのだが、ポレックは屋敷の前までやってきてからようやくあることを口にしたのだった。
「なるほど、主様は例の人族が気になっておられたのでございますか」
すっかり忘れていたカイであったが、さも当たり前だというふうに頷いて、ポレックを促した。そういえばいたな、あの女が。
カイの長期外泊を可能たらしめた、領主家のバカ娘。
ポレックが示したのは、その屋敷の『別棟』然として建っている建物だった。
バレン杉の巨大な幹がそのままくりぬかれている小人族の家屋は、彼らにとって見ればそれなりに大きく、人族から見れば少々手狭な感じだった。
『別棟』の入り口には閂が外からかけられており、しつらえられた小さな窓からはその中がぼんやりと覗き見えた。
小人族なら、もしかしたら潜り抜けられたかもしれないその小さな窓の向こうには、おっかなびっくりこちらの様子を伺っている顔があった。
カイはやや慌ててはずしていた仮面を付け直し、その窓からこちらを見ている少女に相対した。そばかすの目立つその娘は、美人というには足りず、かといって人後に落ちるかというとそうでもない、そんな中庸な容姿をしていた。むろん女日照りのひどい村の男たちならば、半分以上が有無もなく飛びついたであろうが。
その目の前に、小人族戦士としての姿でカイは立った。
「…あなたは……誰?」
つぶやく声が聞こえた。
そしてカイの目には、薬の効き目のせいか5割増しくらいに色っぽい娘が、おのれを上目遣いしているように見えていたのだった。
更新してる余裕があるのかと自問しつつ投下。
少し砕けすぎな感じもするので、苦情が多ければ削除いたします。
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