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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
ラグ村の少年
8/187

08

残酷な描写があります。

耐性のない方は1回休みということでよろしくお願いいたします。






 その垂直に切り立った崖は、目測で数十ユルの高さがあったろう。

 普通に落ちればそれだけで命を落す危険な場所であったが……鬱蒼と生い茂る崖下の木々の下には、意外なほどの水量の湖があり、少年は奇跡的にその水に身体を受け止められることで、冥府の死神の目を逃れることができたのだった。

 カイが目を覚ましたのは、それからしばらくもせぬうちだった。冷たい水面を漂うおのれを感じて、彼は本格的に覚醒した。


 (…水)


 とても澄んだ水をたたえた湖だった。

 最初は雨期の水がたまった池かとも思ったが、それにしては水の量も多く、湧き水独特の冷たさがある。雨期の水溜りはたいてい(ぬる)く濁っている。

 しばらくは綺麗な景色だなと、水に浮かびながらぼんやりと崖に切り取られた空を見上げていた。

 視野にそそり立つ険しい断崖は丸く円を描くように周囲をめぐっていて、『カルデラ』っぽい地形だな、とぼんやりと感想をのぼらせる。

 呆然としたまま水面を漂い、そうしてゆっくりとおのれが死にかけている事実に意識が届き始める。四肢はもうすっかりと体温を奪われてしまっていて、脇腹の傷の痛みさえ麻痺して他人事のように感じた。


 (やべぇ……早く上がらないと、血が抜けちまう)


 もはやあまり定まらない頭の隅でそう思って、カイはあがき出した。

 半ば沈みながら頭をめぐらせて、陸地がある方向を見定める。そして手さぐって触った何かを掴み、おのれの身体をその岸辺に寄せるべくその何かを反対側に押しやった。すぐには気付かなかったが、その何かは豚人(オーグ)兵の死体だった。

 なんとか岸辺へと漂い着いたカイは、おのれの身体を池のなかから引き上げて、岸辺の木の根方に背中をずるようにして預けた。

 ぼんやりとした頭で、カイは生存への道筋を考える。


 (傷を早く閉じないと、たぶんじきに死ぬ……それにこの怪我じゃ、険しい崖を這い上がれない)


 このままでは基本脱出は不可能。亜人たちの支配領域内と思われるので仲間の助けを期待するのもどうかと思う。

 ではどうやって脇腹の傷を治すのか。

 それについての解答は検討するまでもなくひとつしかない。


 (『治癒魔法』で何とかするしかない…)


 骨折を治した要領を思い出すように、目を閉じる。『神石』に意識を持っていくと、ほとんど自動的におのれの霊力の回収作業が始まる。

 が、カイはそれをすぐにやめた。


 (やべぇ……ほとんど残ってねえわ)


 すでに生死の際にいるおのれに、生命力と同義の霊力が平時ほど残っているはずもなかった。体力の回復を図らねば頼みの綱の魔法さえ発動できない。

 かといって、じっとしていれば体力回復どころかそのまま失血で死んでしまいそうだ。

 辺土生まれには必須の知識、野草での止血を思い立って周りを見回して、薬草よりも先に岸辺に浮いている豚人(オーグ)兵の死体に目が留まった。

 へ、ざまぁみやがれとちらりと思って……そして重要な可能性の存在に気付いた。

 カイは腰の辺りを探って、ナイフを失ってしまっていることに気付く。舌打ちしつつも、その目は豚人(オーグ)兵が握ったままの柄の長い手斧をとらえている。

 なければ拝借すればいい。

 這うようにして豚人(オーグ)兵の死体に取り付き、カイはその手斧を奪い、渾身の力でそれを死体の胸の辺りに振り下ろした。生き物の皮というのはけっこう丈夫で、切れ目が入らないと意外と割くこともできない。

 カイは斧で作った皮膚の切れ込みに躊躇なく手を突っ込み、ぐちょぐちょした中身をかき回した。そうしてしばらくして、肺腑の下あたりに潜り込んでいた土笛(オカリナ)のような形をした豚人(オーグ)兵の『神石』を発見した。

 手早くそれを池の水で洗い、近くに頭を出していた岩に叩きつける。

 何度か叩くと一部が割れたので、カイはそこから指で髄をほじくって、必死に舐め取った。髄のうまみがその作業をさらに忙しくさせた。


 (来た…)


 そうしてやってきたおのれの『神石』の発熱……そして体感として分かるはっきりとした自己成長。生き物としての存在レベルが上書きされていくのを感じる。

 まだ残っている髄を必死に舐めながら、カイは再び『治癒魔法』の発現にトライしていた。


 (細胞よ、血管をふさげ)


 やや増大したおのれの霊力を掻き集め、脇腹の傷口へと持っていく。そして部分の細胞に活性化を働きかける。

 数日間の試行錯誤でなんとなく判明したことなのだが……魔法は基本何でもありだが、具体的なイメージと、その瞬間消費できる霊力量が釣り合っていなければ発動しないものであるらしい。手持ちがマッチ棒1本分の可燃物しかないのに、火炎放射器をイメージしても無理だという例えで合っていると思う。

 傷を治せとイメージしても発動しない理由は、単純にそれが細胞の集合体……肉体に対しての漠然としたイメージであり、傷口だけで何億もあるだろう細胞すべてに同時に働きかけてしまうからだと推測される。ゆえにカイはその希望レベルを可能な限り割り引いて意識することで、『治癒魔法』としての実効を得るに至っていた。

 骨折ならば、全体が治るなどと大雑把には考えない。

 骨細胞数個が癒着してくれることをひたすら願う。点付けの仮溶接を無数に行って、矮小な到達目標を無数に束ねて結果強度を得るという思考である。

 今回は、緊急を要するのは出血量だと判断、血管をふさぐことに特化して治癒を願った。


 (…出血は気持ち減ったかな……いまはわかんねーし効いてるんだと信じよう)


 湿った水辺で寝込んでしまわないように、カイはまた這うように移動した。

 岸辺から少し離れたところに、雨も避けられそうな立派な大木が生えていたので、その根方に転がり込んだ。

 屋根のように枝振りを伸ばした、見上げるような大木だった。


 (やべ……意識が)


 出血を完全に止められたのかどうかも確認してない。

 初夏の暖かい季節だからマシなものの、それでも服がずぶ濡れだから体温が戻らない。寒い。

 ごつごつした大木の根のひとつに身を預けるようにして、カイは再び意識を手放してしまう。傷を押さえていた手がぱたりと落ちて、じわりと新たな出血に染まっていく服から血が滴った。

 少年の命の血が、刻々と失われていく。

 巨大な岩を無数の根で包むようにして立ち上がるその大木が、そのときわずかに風を受けたように葉を揺らした。

 谷は、彼以外の生き物の気配もなく、ただ静かに眠りに着いていた。




***




 「…なんでこんなことになった」


 大勢の仲間を失い、慟哭する人々。

 半減した村の守り手をいかにすべきかと頭を掻き毟る領主たち。

 近来まれに見る大敗に、敗残の領主連合軍の戦意は地に落ち、ほとんど無気力な烏合の衆と化していた。


 「われらはたばかられたのだ…」


 大敗の原因はそもそも戦いに不利な森にこちらから踏み入ったことであり、あると報告されていた豚人(オーグ)族の陣がどこにも見つけられなかったことであった。女たちを助けたいからとせっついたのも、敵陣がどこそこにあるのは監視しているから間違いないと吹聴したのも、被害者であると見做されていたバーニャ村の人間だった。

 当然のごとく疑念が彼らに向けられ、そして彼らが恐るべき告解とともに「仕方がなかったんだ」と開き直りともとれる発言をしたものだから、人族の陣営は上を下への大騒動となったのだった。

 緊急で開かれた領主会合でつるし上げられたバーニャ村の領主、ピニェロイ・バルクは一部の村人が勝手にやったことで自身のあずかり知らぬところだったと冤罪を主張したが、貴重な兵を多く失った小領主たちの怒りは静まるどころか油を注いだように激しく燃え上がった。


 「貴様の事情などもはや知ったことか!」

 「攫われた女の人質を解放してもらえる約束だった? ふざけるな、ではそれと引き換えに他村の人間が大量に殺されても構わないと貴様は言うのだな!」

 「汚らわしい裏切り者め!」

 「われわれは騙されていた! 騙したやつには相応の報いが必要だ!」


 このままでは有無も言えずに殺されると悟ったピニェロイは、おのが加護の力を解放して抗おうとしたが、会合に集まる小領主たちすべてが同じ『加護持ち』だったためにあっけなく取り押さえられてしまった。

 連合軍の大将であるバルター伯が『有罪』である旨を宣告すると、手空きの者たちが建物の外へと走っていった。そうして呼ばれてきたのは、バーニャ村領主、ピニェロイの一人娘で、突き飛ばされるように父の横に額づかされたあと、「ピニェロイ殿は引退される」と見守る小領主たちから告げられたのだった。

 真っ青になった赤毛の娘は信じられぬと言うように父のほうを見、そして這い蹲らんばかりにその助命を願いだした。

 しかしそんな娘の願いなど誰も聞こうとはしない。

 『加護』は一定以上の集落にしか根付かない神霊、土地神の恩寵ことであり、その所有者である人間がその『土地神』の加護を得ることで、正式に領主として認定されるのが昔からの慣わしだった。

 この世界の『引退』とは、『加護の所持権』の移譲が必ず伴わねばならないので、言葉上での家督相続などはありえなかった。


 「…バルク家の存続を認めるのは、長く頼もしい僚友であり続けた貴家の父祖に対する我等の温情である。深い罪を負った現当主をその手で裁き、加護を引き継ぐがいい」

 「…お許しを! …どうか、どうか」

 「一族後継の手によって裁くのだ」


 辺土最大の加護を持つバルター伯の顔にも、はっきりと隈取りが現れている。その紋様が他領主とは比較にならぬほど緻密であり、その内圧が漏れ出るように青灰色の双眸が光を放っている。

 加護を宿した瞬間、超人たる加護持ちらは領民の罪を裁く判官ともなる。

 小領主のひとりから、短剣が手渡される。


 「おのが手で引き継がれよ」


 領主権と同義である加護の移譲は、普通当主の天寿のまっとうを()って、その加護の回帰した墓所を改めて祭ることで行われる。

 が、当主の生前に行われる『引退』とは、この世界では『死刑』に相当した。

加護は現所有者が死なない限り、他者に移ると言うことがないからだ。


 「…出来ぬようだな」

 「お許しください……お許しを」

 「誰か『介錯』してやるがいい」

 「…おやめくださいッ」


 小領主の一人が躊躇なく剣を振り下ろした。

 その領主もまた判官たるべく加護の力を宿している。バーニャ村領主ピニャロイの首はあっけなく地に転がった。

 その瞬間、娘は絶叫した。


 「さぁ! はやくなさい! 御霊が還ってしまわぬうちに!」

 「…いや、いや」

 「このようにするのだ!」


 焦れた別の領主が、娘の腕をつかんで無理やりに短剣を握らせ、力任せに父親の死体に突き立てさせた。そうして胃のなかのものを吐き出し始めた娘を引き摺るようにして、その手を父親の身体の中へと突き入れさせた。

 加護が宿っている間に『神石』を取り出し、その髄をすすることで加護の継承は済まされる。まだ熱い親の身体に手を入れさせられた瞬間に、娘はついに失神した。

 ぱたりと動かなくなった娘に、心底興味もなさそうにバルター伯は指示を出した。


 「…引継ぎが不調に終わった。いましばらくしたら神霊の還御(かんぎょ)が始まるだろう。誰ぞ走ってバルク家の『墓所』を封鎖せよ。不心得者が加護の簒奪を計るやもしれん」


 バーニャ村領主ピニェロイの断罪が済み、領主会合はいくつかの取り決めを行った後に散会した。

 豚人(オーグ)族の軍勢が余勢を駆って村へと迫っている。ともかくその攻勢をしのぎ切り、人族の土地を守りきった後に連合軍は解体する。バーニャ村の次代の後継祭を守りするのは隣村の領主とし、後継がしかるべき歳になるまで後見をバルター伯が行うこと。

 名代であり最も歳の若かったラグ村のオルハは、特に発言する機会を得ることもなく、領主会合を終えた。そして失神したまま放置されている娘を見て、暗い眼差しをすがめたのだった。

 領主の後継はこうした過酷な面があることを彼も知っていた。


 「弱い領主は、害悪だな」


 オルハははき捨てるようにつぶやいて、そして去っていった。




 その日の夜、村の石壁の内側に豚人(オーグ)族が何かを投げ込んで去っていった。

翌朝、それが『約束を守れば返す』と言われていた村の女たちの首であることが判明し、村人たちは豚人(オーグ)族の酷薄に怨嗟の声を上げ、慟哭した。

 その半刻後に、人族と豚人(オーグ)族との間で、血みどろの殺し合いが始まったのであった。


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[一言] オルハさんの一言、「害悪」という言葉は、もしかするともしかするかもしれません。 現代日本ぽいかも。とりあえず見守ることにします。
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