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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
鼎の守護者
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 冬が到来したとはいえ、木々の枝葉が傘を成す森にまだそれほどの積雪はない。案内役のポレックが雪に隠されつつある亜人種たちの道を示し、カイと小人族の兵士たち10人が続く。

 人族が知り得ることではないが、大森林には亜人たちの行き来で道が形成されており、それらには人族の国でもそうであるようにおおよそ名がつけられていた。カイらがいま歩いているのは『竜の背骨』という道で、大森林の中央を岩場や丘陵の尾根を伝うように東西に伸びたかなり有名なものであるらしい。

 起伏が激しいものの厄介な雪だまりにぶつかることのないその道は、主に冬場に活用されることが多いという。逆に暖かい時期に多用される道に『くちなわの寝床』という川沿いや谷底を進む起伏の少ないグネグネの道もあり、その他にも『風精の通り道』という風穴をいくつも抜ける特殊な隠れ道などもあるらしい。

 以前森の深部まで行ったときも感じたことだが、大森林はその住人の影が薄い場所ほど、季節天候を問わずよく霧が立ち込めている。ポレックいわく、土地神の恩寵が薄い土地は、よく霧に覆われることがあるらしい。

 当然のことながら『竜の背骨』も視界の利かぬ霧のなかを抜けることがあり、どうやって道を選んでいるのだと聞くと、指差された樹上に古ぼけた赤い布切れが結ばれていて、それを目印に進んでいるようだ。赤い目印は大体50ユルぐらいの間隔で白くけぶる頭上に続いている。

 言われるまでその自覚はなかったが、カイたちはもうとっくに灰猿人(マカク)族の領域へと足を踏み込んでいる。大森林の東部はおおよそが灰猿人族の支配領域であり、いきおい頭上の目印なんかの『インフラ』は彼らの保守努力の賜物であるのだろう。

 その大領には緩やかな従属関係にある中小諸族の領域も含まれていて、その『自治領』のような場所に入り込むたびに、必ず誰何(すいか)を受けてわずかな食料の提供を要求された。食糧不足に悩む冬場の慣わしのようなもので、『通行税』感覚である。

 むろん小人族と折り合いの悪い種族とかもあり、『穴熊(ウーン)族』の領域で行く道に立ちはだかられたときは、小人族のほうも急に興奮気味になってしまい、カイを困惑させた。前に豚人族に追われて逃げていたポレックらハチャル氏族は、弱り目のところをここの穴熊族に襲われ、恨みが残っていたらしい。

 このときはカイがげんなりしつつも間に入り、バレン杉の大木を殴りつけてまっぷたつにしてみせると、簡単に通過が許された。強者には徹底的に従順になるのが穴熊族の特長であるらしい。ポレックたちのドヤ顔もカイを嘆息させた。

 全行程でおよそ100ユルド、同行の兵士たちの足に合わせたので、時間にして丸々2日がかかった。

カイたちは、最後の丘の上から湖を見ていた。

 灰猿人族の都、主邑(ヘジュ)の暮らしを支えるソマ湖が、ちらつく雪のベールの向うにわずかに(にび)色の水面を広げていた。

 さぞや大きな集落だろうと思っていた主邑(ヘジュ)の町並みはまったくといって見えなかった。なぜならば、主邑(ヘジュ)は白く濃い霧に覆われていたからだ。土地神の恩寵が薄れた土地として、沈みかかっているのだとすぐに理解できた。


 「…灰猿人たちの王城、『大営巣』はあのあたりになります。上がり続けている黒煙が見えますでしょうか」

 「…あれはまだ『燃えて』いるってことか」

 「内部がじわじわと燃え続けているそうです。彼らには申せませんが、ある意味いい『目印』になっております」

 「…なんだか臭うな」

 「いろいろと物が燃え、湖の水も腐っていますおりますゆえ」


 風向きのこともあるのだろうが、数ユルド先からすでに臭ってくるとなると、現場には相当な悪臭が立ち込めているのだろうと想像できる。

 『竜の背骨』はそのまま主邑(ヘジュ)に繋がっているのだが、ポレックはそこから枝道へと入った。その先にある集落に、灰猿人(マカク)族の王、大首領が陣を張っているのだという。

 灰猿人(マカク)族がラグ村攻略の手を引っ込めてでもカイを招請しようとしたのも頷ける有様だった。

主邑(ヘジュ)に背を向けたカイの耳に、そのとき遠く、何者かの遠吠えが聞こえたような気がした。




 灰猿人たちの集落を間近で見たことのなかったカイは、目の前に現れた異様な『村』に好奇心を大いに刺激され、きょろきょろしっぱなしであった。

 灰猿人の巣はたいていの場合バレン杉の樹上に築かれている。その巨大な木あってこその巨大な巣であり、枝と枝のあいだに板を差しかけて、よくしなる長い葉つきの若木をドーム上に組んだ半球状の構造に、出入りの穴が一箇所だけある。杉の幹は何度も上り下りされて樹皮がはがれかけており、木そのものにはあまりやさしくない生活様態であった。

 ひとつの巣に何匹棲んでいるのだろうと目を輝かせていたカイであったが、すぐに集落で一番大きい古木の前に着いてしまい、そこで集落……ネネム氏族の長だというオスに出迎えられた。

 『加護持ち』として神紋を顕した長は、同じく神紋を顕すことで賓客の有資格者であることを示したカイとポレックに一礼すると、「大首領様、お待ち」と片言で告げて先を歩き出した。

 その古木はとても大きかった。その太くたくましい枝ぶりにあわせて、樹上の巣も大きなものとなっている。見ればその古木の奥の森には主邑(ヘジュ)から逃げてきたのだろう兵士や族人たちの急造の巣が、足の踏み場もないくらいに地面に作られていた。地面のぬかるみに体温を奪われるのだろう、そこここで焚き火が煙を上げていた。

 ひとを頼って呼びつけたのなら、出迎えるぐらいしないのかと不満を覚えたカイであったが、案内の長の真似をして古木の幹を上ると、巣の中で身を横たえる大首領らしき病人の姿が眼に入り、表情を改める。


 「…守護者様、迎える。失礼、申し訳ない」


 長がまず頭を下げ、病人に付き添っていた者たちも相次いで平伏してきた。

 家人あるいは側近たちなのだろう。何匹かからはやはり『加護持ち』の気配を感じた。

 立ち上がればこの大きな巣だとて天井を低く感じただろう……床に伏せているのはそんな体格をした巨大なオスだった。看護の者に助け起こされ、上体だけを持ち上げた大首領は、おのれを見守っているカイに息を喘がせながら「この体たらくだ、許されよ」と力のない声音で詫びを入れた。

 土地が汚され、灰猿人(マカク)族という大族の(かなめ)となるこの『王』には、領内の穢れが呪いとなって集められているのかもしれない。いくさのさなかに呪いを打ち込まれて倒れた、オルハとジョゼの苦しみようがそこに重なって見えた。

 他の土地神から帰依されるとわずかばかりだが力が湧く。カイも経験していることなので、その帰依する土地神が増えた状況というのもなんとなく想像することができた。

 多くの土地神から帰依される『王』とは、その力の一部を吸い上げて束ね合わせ、神の中でも一頭地抜けた力を持つに至るのだろう。むろん強くなれるというよい意味での恩恵ばかりではなく、こうした土地を荒らされるような事態に陥った場合の呪詛も当然のように引き受けねばならなくなる。


 「…このようなことになる、いままでに一度も、経験なかった」


 大首領の恐るべき体重を支える寝床が、ぎしぎしと悲鳴を上げている。掛けられていた毛布がめくれて、白黒の縞が鮮やかに浮き出た腹の毛が、左わき腹から腹部に掛けて無残に脱毛してしまっているのが見えてしまう。肌色も紫色に鬱血して、わずかに腐臭さえ漂ってきたような気がした。


 「態勢、整えて挑むつもり、だった。…が、われはまことに知恵のない、愚か者だった。時間、置けば置くほど、われは、病んで力失った」


 やるのならば即座に、おのれがまだまともな力を振るい得る間に敢行すべきだったのだと、大首領は握ったこぶしをわなわなと震わせた。『悪神(ディアボ)』が力を蓄えるほどにおのれは既得の力を失っていってしまった。気づかぬうちに、同じ鍋の中の食い物を奪い合っていたのだ。大首領が退いた分だけ、『悪神(ディアボ)』が土地の恩寵を奪い力を増した。

 そしていまもなお『悪神(ディアボ)』は土地の力をむさぼり食らい続けている。時間を与えるほどに灰猿人(マカク)族は力を失い、いずれは取り返しのつかぬ事態にも陥ることだろう。

 灰猿人(マカク)族の一部がラグ村に襲い掛かったのも、身に迫ってくる族滅の恐怖から、種族を守らんと暴走したためだった。強力な神々が参集する人族の土地に食い込むことができれば、『悪神(ディアボ)』も人族の神を恐れて近づかぬのではないかと彼らは考えたらしい。

 まあたしかに、辺土には大勢の小領主がいてそれを強力な辺土伯の加護神が束ねている。辺土で足らなければ、中央からも伝承に聞く大軍がやってきたかもしれない。

 それらが『悪神(ディアボ)』と一緒に、侵略した灰猿人たちも滅ぼそうとするだろうことまでは彼らも考えなかったのだろうか。頭がよいのか悪いのか、よく分からない種族であった。

 ともかく今わかっていることは、時間を与えると『悪神(ディアボ)』はさらに力をつけていってしまうこと。ゆえに迅速に滅ぼさねばならないということだった。


 「守護者様に、われ、願い奉ります」


 看護の者たちの制止を振り切って寝床からずり落ちるように降りると、大首領は額をこすり付けてカイに願った。種族を守り導く者として、おのれひとりの恥や外聞などどうでもよいと考えたのだろう。

 見事な毛並みであったのだろう体毛を醜く失い、衆目の前で他族の者に叩頭するおのれたちの『王』を見て、灰猿人たちは心を激しく揺さぶられたように食いしばった歯の間から唸り声を漏らした。地団太を踏むように足踏みしだす者もあった。

 『守護者』と言われて、違和感を抱かぬわけもない。

 そう呼ばれるに至る理由さえもカイは知らないのだ、この叩頭が自分に向けてのものなのだということも完全には受け入れられないでいた。


 (殺せ!)


 谷の神様はただ『悪神(ディアボ)』への深甚な憎しみにたぎり狂い、戦いが始まるのをいまかいまかと待ち構えている。

 もしかしたら先代の『古き民』も、『悪神(ディアボ)』が原因で滅んだのかもしれないと少しだけ想像力が働いた。種族が滅び、ただひとりだけ生き残ってしまった先代が、長い年月を谷で孤独に過ごし続けた光景が、まるでおのれのことのように脳裏によぎった。


 「『悪神(ディアボ)』は、オレが殺そう」


 カイはそう静かに応えたのだった。


神統記(テオゴニア)』第1巻のカバーイメージが解禁されました。

活動報告で画像を公開いたしましたので、ご興味ある方は是非ご覧になってくださいませ。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/349613/blogkey/1979213/

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