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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
鼎の守護者
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 領主家の姫が攫われた。

 後追いでやってきた兵士らも交えての捜索が、日が暮れるまで骨惜しみなく続けられた。

 そしてはかばかしくない結果の中で貴重な手がかりとなった、馬の発見された場所から続いていた複数の怪しげな足跡……ただその一点を以って「ラーナ様は亜人に(さら)われたに違いない」という結論に至ったのだった。

 先行していたカイが戻り、すでに一帯に姫様の姿がない旨も併せて報告されている。増援合流後に指揮を取ったバスコから報告を受けて、ヴェジンは一瞬だけ激しい怒気を発して壁を殴りつけたという。

 亜人に攫われた女がどのような扱いを受けるか、辺土に生きる者ならば常識としてわきまえている。そしてそれを取り返そうと無益な足掻きを続ければ、ただでさえ数が少なくなる一方のその他大勢の命も危険に晒すことになる。

 計数が人並みにできる支配者であるならば、リスクに結果が見合わないことをすぐに悟ったことだろう。本来的に手空きである冬なればこそ、捜索に人手を出すことは難しくはなかったが、我が子のためとはいえ死のリスクが生ずる危険な森のなかまでは決して入らせられない……そんな中途半端な処置を気休め程度に行うのが関の山なのであった。

 わずかののちに荒ぶる感情を飲み込んでしまった物分りのよすぎる当主の態度に、ラーナの実の母親であるファルダとその弟妹たちが泣き縋り、ラーナの不満を刺激した自覚のあるジョゼもまた、『加護持ち』たる自らが捜索隊を率いて森のなかを捜すと言い出した。

 危険な森のなかであっても、『加護持ち』が帯同すれば、危険を排除しつつかなりの深部まで行けるだろうとジョゼは言い、実際に身支度を整え始めたところで父親から叱り付けられた。


 「《二齢神紋(ドイ)》というにも怪しいおまえごときを、獰猛な亜人どもが恐れると思うか! それに婚約を控えた娘の肌に傷を残すようなことになったらどうするのだ!」


 命に対する諦めの早さは、辺土に生きる者たちの半ば習い性のようなものなのかもしれない。ジョゼが叱り付けられるのを見て、母親のファルダもおのれの分別のない懇願を取り下げて、当主たるヴェジンの決断にゆだねると宣言した。オルハは愚かな異母妹の行く末に聖印を切り、ジョゼはおのれの恩寵の無力さに打ちのめされた。

 『冬至の宴』を前に本来ならば華やいだであろう領主家の団欒は、冷や水を浴びせられたように言葉少ななものになった。

 そうしてヴェジンが父親として悩み抜き、我が娘のために示したえた決断は、個として相応の武力を有し生存能力に長けた者を選抜しての、短期に限定した大森林内での捜索活動だった。端的には、『加護持ち』による捜索だった。

 当初はオルハをその任に当てる算段であったようなのだが、寸前で考えを変えたヴェジンは、改めていまひとりの者に白羽の矢を立てた。

 むろんその人物とはカイのことであった。




 目論見どおりに事が進んだことで、カイはおのれの『智謀』に内心鼻高々であった。

 最初の捜索から村に帰るなり、仲間に不審がられつつもすぐに旅立ちのための準備を始めていたりする。その準備がさっそく実を結び、聡いマンソですら「よく予想していたな」と手放しで誉めてくれたものだから、もはや伸びた鼻は天にも届く勢いだった。

 もっとも、あとからいろいろと選抜の経緯を聞かされて、かなりの部分偶然が重なっていたことを知った後は、すぐに平常運転に戻ったようであったが。

 当初、ヴェジンは捜索そのものを放棄しようとしていたのだ。それをまず翻意させたのがジョゼで、おのれが影響力を行使し得る《女会》経由で粘り強く食い下がったのだという。

 そして捜索を担うものと最初に期待されたオルハが、「殻つきにやらせればいい」と面倒ごとを嫌ったために、お鉢がやっとこカイに回ってきたというのが真相であったらしい。

 まあともかく、予定通り。

 カイは食料庫でアデリアから大量の糧食と干し芋を確保し、雪中の長期行動のためのテントや多めの衣類などもすべて借り受けた背嚢に詰めると、それを軽々と背負って立ち上がった。背嚢は収穫の時などに使う背負子(しょいこ)付きの特別製なので、パンパンに詰めるとカイ自身が数人入れるくらいの大きさにまで膨らむ。


 「…そんなもん背負って、雪ん中とか……まあおまえならできんのか」

 「大丈夫だ、ほら」

 「って、おい、飛び跳ねんな! こぼれてるぞ!」

 「カイよ、遊びにいくんじゃねえんだぞ」


 単独で森に入り込み、何日にもわたって人を捜し続けるという任務の厳しさを班の仲間たちも分かっている。干し芋調達の時は一緒になって女傑(アデリア)に談判してくれた。マンソはカイのナイフを夜のうちに磨いでくれていた。

 そしてラーナが行方知れずとなってから2日後、カイはラグ村を出発した。見送りにはかなり大勢が出てくれた。それらに手を振りながら真っ白な雪原を歩き出したカイは、村の姿が見えなくなるのを待って、一気に駆け出した。

 向うのはむろん谷である。ラーナの失踪した土地がそちらのほうでもあるので、なんとも都合が良かった。

 『村』というコミュニティからたった数日とはいえ個人行動できる自由を勝ち取るというのは奇跡に近い。思う様雪の中を駆け、弾んだ呼吸が白い煙になってたなびいていくのを見上げるカイは弾けるように笑っていた。

 意味もなくぐるぐると回ってみたり、ちょっとした助走からジャンプしてみたり、本当に子供のように無邪気に遊んだ。

 姿を隠す必要もなかったのでバーニャ村のそばもそのまま駆け抜けていくと、村の兵士に見られたのだろう、物見が遠くから誰何してきてちょっとした騒ぎにもなった。男手が極端に少なくなったバーニャ村は、今では兵士の真似事まで女たちの仕事になっているようで、女性の甲高い声で「止まれ!」と叫ばれたときには、申し訳ないがほんとに大丈夫なのかと心配さえしてしまった。

 カイはいちおうモロク家の許可を得て移動しているので、こういうときのために一旒の小ぶりな紋章旗を持たされている。モロク家の紋を染めた手長旗を左手に持って広げると、確認したバーニャ村の兵士たちが手を振ってきた。

 人の数が減り続けている辺土の暮らしは年々寂しいものとなっている。とくにいくさで男があらかた死んでしまったバーニャ村では、人恋しさが相当に募っているのだろう。カイの良く利く耳は、その女兵士の「死なないで!」という声を聞き分けていた。

 そうしてカイは森のなかへと分け入り、それほどの手間もなく我が谷へとたどり着いたのだった。

 ポレックに声をかけて準備を促したあと、谷底へと降りて小屋を訪れる。

 もう冬だというのにまったく雪の気配もない谷は、息が白くならないくらいに空気が暖んでいる。木々も葉を落とさず青々と日に輝いて、まるでいまだに夏の終わりが続いているような景色であった。

 カイが灰猿人たちの国に行くことを知っていたアルゥエは、ひと一倍食いしん坊の主人が道中腹を空かせないように、いろいろな食料を用意してくれていた。小屋から運び出してきたそのおびただしい量の干し果物と芋を蒸して練った餅、それに魚の干物などが、荷造りされて親子の亀のようにもとの背嚢の上に乗せられる。よくこんなに作れたなとカイが感心すると、アルゥエは「谷はいつも食べ物がいっぱいだからです」とにこにこ応えた。まあその通りではあるのだろう。

 「だーれだ」と小屋の物陰から飛びついてこようとしたニルンの顔面を手で掴み、アルゥエの隣に降ろしてやると、真顔で「もっと愛が欲しいのです」と真顔で泣かれた。闇討ちしようとしておいて、なにが言いたいのか意味が分からない。

 そうして小屋の中で眠り続けているエルサを見、すっかりと肉が落ちてしまったその顔を何度も撫でた。途中でもいできた山林檎をゆっくりと握りつぶしてその汁を乾いたその唇に落としていくと、無意識なのだろうが喉が動いて、その目覚めがもう間もなくだということをカイに教えてくれた。

 エルサが目を覚ましたら、新しい小屋を建ててやろうと思った。ふたりは夫婦になるのだから、いろいろとあれやこれやするには、ひと目に触れないちゃんとした家が必要になると思ったのだ。

 なんだか無性に楽しい気分になってきて、笑みがこぼれてしまう。


 「…今日はこちらでゆっくりしていかれますか?」


 アルゥエがもじもじしながらそのようなことを言ってきたので、「いや、すぐ行く」と応えると、とたんに落ち込んで悲しげな様子になってしまった。

 ニルンも頬をぷくっと膨らませて不満を表明してくる。


 「…アルゥエ、そんなに魅力ないですか」

 「心の準備は常に万端なのです」

 「………」


 鹿娘にしなを作られても、ピクリともこないカイである。

 健気に仕えてくれているアルゥエが落ち込んでしまったのにはいささかうろたえたものの、まだそちらの向きには鈍感なカイは頭を掻くしかなかった。

 ニルンがまたぞろ『煎じ薬』がどうのと言い出し、アルゥエが悲愴な面持ちでそれに頷き始めたので、カイは面倒なことになる前に谷を出発することにした。

 走り出したカイの後ろから、「帰ったら話し合うです!」「主様ご武運を!」と声が追ってくる。ちらりと振り返ると、ふたりが手を振っていた。

 族人があらかた集まったらしいニルンも谷の小屋に入り浸るようになった。氏族の求めで、彼女たちもまたカイと確実な縁を結びたがっているのは理屈では分かっていた。気持ちはうれしく思うものの、まだ思春期に入ったばかりの少年に手広く異性を受け入れる度量はまだ備わってはいなかった。

 谷から上がり、小人族の集落へと赴くと、すでに準備万端のポレックが待っていた。兵士の格好をした族人も10人ほど待機している。灰猿人の国を訪れるに当たって、谷の神が軽んぜられることのないよう(とも)させるのだという。

 まるで従者が主人を出迎えるようにポレックに片膝をつかれ、その他族人たちにいっせいに平伏されると、おのれが偉くなったような錯覚にとらわれて、いやいやと振り払うように首を振った。

 そうして例の『仮面』を着け、服も小人族のものに着替えた。人族の中でも小柄な部類に入るカイは、格好を変えると本当に『大柄な小人族戦士』に見える。


 「…主邑(ヘジュ)はどっちだ」

 「彼の地はここから東北東の方角、あの背の高いバレン杉を目安にしていただければよろしいかと」

 「…それじゃ、行こうか」

 「お供仕ります」


 谷の神による『悪神(ディアボ)』討伐の始まりだった。


更新遅くなりました。いろいろと不意打ちのようにミッションが発動しておりまして、けっして遊んでいたわけではないのでお許しくださいませ。

作者名が変更されております。活動報告にも上げましたので、一読していただけましたら助かります。

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/349613/blogkey/1977376/

そういえば書籍発売日を告知しておりませんでしたが、3/30です。もうすぐ正式版の表装イメージも載りますので、よろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
バカ姫は何処で保護してるんだろ。 緊縛か監禁してるんだろうけど、結局それが彼女の命を守ってるっていうね。
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