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冬至の宴。
それは辺土最大の領主であるバルター辺土伯が、寄り子たちを集めてその紐帯を確かめ合うという趣旨のもと、州都で開催される定例の催し物である。
厳しい冬季を選んでそれが行われるのは、辺土が雪に覆われ、外敵の侵入が途絶えるこの季節のみが、領主にして守護者たる『加護持ち』たちをその義務から解放するからである。領地を空けられる数少ない機会を満喫すべく、辺土領主たちは寄り親たるバルター辺土伯の招きに快く応じ、郎党を率いて州都に参上する。『冬至の宴』の名も、そうしたことから自然発生的に定着したものであるらしい。
むろん場所によっては相当に深く雪が積もるので、冬季の馬車移動は至難である。よって、各地の領主たちは、雪中を踏破しうるものだけを随行させるのが一般的である。
近隣であるならば、あるいは頑健な兵士であれば連れて行くことも可能であったろう。しかし遠方の場合はその旅程が生半可なものではなくなるため、たいていは『加護持ち』本人か、よほど人並みはずれた力を持つに至った一握りの精兵のみにしか厳冬の州都の土を踏むことはかなわない。
モロク家はその宴に、正客として3人が参加することになった。いわずと知れたモロク家の『加護持ち』3柱で、ヴェジン、オルハ、ジョゼの3人である。ジョゼは今年が初めての参加であった。
そして州都から距離のあるモロク家では異例なことであったが、ひとりの少年兵が護衛として随行することが決まっていた。
「御姉さまだけずるい!」
同じ血を分けた弟妹であれど、加護を持つか持たないかでその扱いは大きく変わる。
『冬至の宴』という社交の舞台に立つことを許されるのは『加護持ち』とごくわずかな『招待客』のみであり、村でどれほど特別扱いされていようと、領主家の子であるというだけではけっしてその催し物には参加が許されない。裏返せば、辺土で貴族として遇するべきは『加護持ち』のみ、と上流社会がみなしているとも取れる。ただ血縁者であるというだけでは、社交界で顔がないにも等しいのだ。
オルハとジョゼ、兄妹のふたりは第一夫人カタリナの子であり、第二夫人ファルダの子らからは加護持ちは出ていない。隣村の領主、ボフォイ家から嫁いだカタリナに対して、第二夫人のファルダは側仕えから手をつけられた口であり、出自はただの村女であった。
当主ヴェジンはふたりに資質を見出したゆえに継承者に選んだと公言しているが、暗黙のうちに第一夫人の血筋を優先したのではないか、ボフォイ家が手を回したのではないかと憶測する者たちも少なからず存在した。
第二夫人の長女であるラーナは、ジョゼのひとつ下になる。母親譲りの亜麻色の髪は美しいものの、その少しばかり低い鼻にはそばかすが目立ち、彼女は姉のジョゼの染みひとつない白い肌をいつも羨んでばかりいた。
その日も『冬至の宴』にジョゼが同行を命じられたのを耳にして、それからずっと「ずるい!」を連呼し続けている。母親のファルダはおとなしいひととなりで、家内に不和を起こさないように腐心し続けているような女性であったが、そんな控えめな母親の態度が、よりいっそうラーナを苛立たせているのだった。
どんどんと機嫌を急降下させているヴェジンの様子に気づいているほかの弟妹たちは、自分たちまで怒られてはかなわないと俯いて小さくなってしまっている。
「ラーナ」
「御母様は黙ってて! ねぇ御父さま! ラーナも行きたい!」
「…ラーナ、お願い」
「御姉さまだけずるい! 御姉さまだけずるい! 御姉さまだけずるいッ!」
さすがに青くなった母親のファルダが腕をつかんで部屋の外に連れ出そうとするが、女に対して直接手を上げたりしない父親の優しさを見透かしているがゆえに、ラーナは母親の手も暴れるように振りほどいて、子供のように地団太を踏んだ。
そして心底うんざりした様子のオルハが、「なら連れて行けばいい」と言い出したものだから、領主家の団欒はいよいよ収拾がつかなくなっていった。
「…このまま駄々を聞き続けるのも面倒です。冬の『外』がどれだけ厳しいものなのか、自分の身で体験させてやればよいではないですか」
「…御兄さま!」
援護されたものと勘違いしたラーナは喜色を現すものの、オルハの口から出た酷薄な物言いに、すぐにまた不機嫌な顔になる。
「…もっとも、疲れたからといって誰かが負ぶってくれるなどとはけっして思わないことだ。その2本の足で、雪中をバルタヴィアまで誰の力も借りずに歩くのだ。この村から州都まで1000ユルドの長旅だ。おまえの足ならば、そうだな、100日も歩けばどうにか州都ぐらいにはたどり着けるだろう」
『冬至の宴』は開催がひと月後に迫っている。その計算だといまから出発しても間に合わない勘定であり、計算が苦手のラーナにもすぐにからかわれたのだと分かったようである。
実際問題、『加護持ち』であるからこその無理押しの雪中行軍であり、経験者のオルハは、昨年州都までの1000ユルドを明るい昼間に駆け通して、およそ5日でその長大な距離を移動している。『加護持ち』であるオルハですらかなりきつい行軍であったのだ。
ラーナが『冬至の宴』に行くためには、実際父か兄に負ぶってもらうぐらいしか手はないのだ。まがりなりにも『加護持ち』であるジョゼさえ、初めてのことであるので最後まで自分の足で駆け通すことは難しかろうと、こんな話になる前に背負う分担などが話し合われていたぐらいだった。モロク家の『美姫』としてバルター伯自らが彼女を招いている事情もあり、そちらの論議はまた同列に論じるべきものではむろんなかった。
しかし二の姫、ラーナの中ではそうはならないようだった。
同じ負ぶわれるなら、自分だって行ってみたい……ラーナにとってジョゼはただひとつだけ年上の、彼女の主観ではただの姉にしか過ぎなかったから、その扱いの差をえこひいきとしか解釈できないのだった。
「…おまえを負ぶってくれそうなのは……例の『殻付きトンビ』ぐらいだろう。どうしてもと言うならやつに泣きついてみたらどうだ」
「やめよ、オルハ」
とうとう苛立ちを含んだ声をヴェジンが吐いた。
『殻付きトンビ』とは、大きな力を得たのにその振るい方を知らない未熟者を、孵化したばかりのトンビの雛に見立てた揶揄の言葉である。むろん『冬至の宴』への随行が決まった少年兵とは、カイのことであった。
そしてまっすぐに見つめられたラーナは、じわりと涙をあふれさせたかと思うと、父のまなざしから逃げ出すように部屋を飛び出していった。その背中を追おうとした者たちを、ヴェジンの一言が縫い止めた。
「しばらく放っておけ。あれは少し甘やかし過ぎたようだ」
第一夫人と第二夫人との間にある目に見えない『扱いの差』に、ファルダの最初の子であるラーナは鬱屈を溜め込んでいる。辺土貴族の貴重な社交の場である『冬至の宴』に出るか出ないかで、ジョゼとラーナふたりの姉妹の貴族としての価値は大きく隔てられていくだろう。
おのれが騒ぎの原因のひとつとなっていたために沈黙を保っていたジョゼは、気遣わしげに妹の出て行った入り口のほうを見、ひそとため息をついた。
墓所の支配を奪われ、呪いまでかけられる経験を経たジョゼにとって、この力を失いかけている中途半端な加護など、まさに重荷でしかなくなっている。汚された墓所を清めるために向かった彼女は、そこで地中部分まで掘り返され、碑文を削り取られた上に血で真っ赤に汚された成れ果てを見て、怖気を震わされていた。まるでむき出しになったおのれの心臓が、見も知らぬ他者に握られているようなおぞましさは、彼女の心を激しく揺さぶっていた。
ラグ村の住民の数は年々減り続けている。このままではとてもではないが、失われたエダ村の支配を取り戻し、墓所の安全を確保する成り行きなど期待できない。
『冬至の宴』に行くといっても、それは半ば婚約をなすためのものに過ぎず、そのお相手の辺土伯の第6子という男に、この捨てられた村を守ってもらえるだけの器量があることを願うしかないのだ。
(…渡せるものなら、すぐにでも渡してあげるのに)
そうしてジョゼは、出て行ったラーナの事など忘れたように始まった『冬至の宴』関連の家族会議に聞き耳を立てつつ、州都にともに向かうことが決まっている『殻付きトンビ』の少年、カイのことを思う。
ヴェジンは1000ユルドにも及ぶ冬の旅路を、あれならば易々と踏破するだろうと太鼓判を押している。そのことをうれしそうに言った父は、兄が声を詰まらせていたのに気づいたのだろうか。同じく支配権を失った土地の神を受け入れさせられた兄が、いまおのれと同じような危惧を抱いていることは想像に難くない。現に兄は、新たな春が来たら、旧エルグ村に集落を築きたいと父に願い出ていた。少なくなった領民を分けるわけにはいかないと突っぱねられていたが、ジョゼとて気持ちは似たようなものだった。
もしもおのれが旧エダ村に新たな村を築くとしたら、ほどほどの村人と、村を守ってくれる強い伴侶が必要なのだなと思う。強い伴侶という想像に、ふいにあの少年の姿が浮かんで、我知らず頬の辺りが熱くなった。根無しの『なりかけ』ならば、そういう役柄にはまさにうってつけなのだ。
(…御父様はあの子をモロク家に取り込むつもりだもの。そういうことになる可能性は、実際のところ意外になくはないのね…)
あの少年とはいろいろとすでに行きがかりがある。ぶっきらぼうだが驚くほど腕が立つし、意外と思いやりのある優しい男だというのは分かっている。
そういうことになったとしても、嫌ではない自分にジョゼは気づいていた。
半月ほど後に4人して『冬至の宴』の行われる州都へと向かう。その旅路の間に、カイという少年のいろいろと面が見えるのかもしれないと考えると、ジョゼは酷寒の中の長旅も悪くはないのかもしれないと思った。
家族会議はそれから半刻ほども続いたことであろうか。その間もまったく戻ってくる気配のないラーナを案じて、母親のファルダが側仕えたちを走らせた。
そうして自室にも城館内にもその姿を見つけることができず、慌てた様子で女たちが戻ってきた。
家族はそれでもどこかぽかんとしていて、危機感を抱けないでいた。
そしてややしてひとりの側仕えが、部屋に駆け込んできた。
「…馬が!」
走りに走ってきたのだろう、息を喘がせながら女が叫んだ。
季節柄、よそから馬が来るはずもない。
「馬が1頭いなくなっていました!」
ラーナが部屋に戻ってくることはなかった。
それどころかその晩、城館にすら戻ってくることはなかったのである。
村は鍋をひっくり返したような大騒ぎになった。
いろいろと溜まっていたミッションが終了いたしましたので、更新をがんばろうと思います。
追加キャライメージを活動報告にアップいたしました。
興味ある方は是非是非……興味の薄い方もそこは察して見に行っていただけるものと信じております(笑)
どうアクセスしてよいか分からない方も前回おられたようなので、
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/1971162/
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