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神統記(テオゴニア)  作者: るうるう/谷舞司
仮面の守護者
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 夜が無情にも明け染めていくのを、多くの兵士たちが息を押し殺しながら見上げていた。疲れ切った彼らから漏らされるため息が、かすかな煙となって風にたなびいていく。

 最初の攻防となった昨日のひと当てを、亜人たちに『試された』のだと皆肌で感じていたのだろう。次の朝がやってくれば前にも増した凄惨な殺し合いが始まり、今度こそおのれが命を落すかもしれないという覚悟が、それぞれの目にはあった。敵する者たちの姿が昨日と変わらずそこにあるのを見て、手に手に武器を取り、兵士たちが戦いの準備を済ませていく。

 そうして夜が明けてしばらく後のことだった。

 兵士たちの目を覚まさせようと女たちが白湯を配り始めた頃合にそれは起こった。

 灰猿人たちの陣地から、ややして毛色の違う『加護持ち』と思しき1匹が近付いてきた。村から放たれた矢をうるさそうに素早く手で払い、その1匹がはっきりと人族語で口上を述べ立て始めたのだ。

 そもそも亜人が人族の言葉を操るなどと知らなかった多くの村人たちはまずそのことに仰天し、それから口上の内容についてさらに驚かされることとなった。


 「我ラ森ノ民、約束守ル……鼎ノ守護者、争イ、止メロ言ッタ!」


 その灰猿人の『加護持ち』は、明らかに不満を表しつつも口上し、手にしていた石斧の柄をその恐るべき腕力で二つ折りにすると、恭しく足元に置いた。

 それは古より伝わる亜人たちの間で行われてきた『休戦の儀』であったが、人族にそれを理解する者がなく、散発的に矢が射ち込まれる。


 「守護者サマ、殺スナ、言ッタ。我慢スル、今ダケ!」


 そうしてその1匹は、空中で掴んだ矢を握力だけで折り、地面に叩きつけてから自陣へと引き返していった。

 そうして合図するように、彼らの遠吠えが次々に広がり出したのであった。




 「…退ま始めた? やつらが?」


 報せを受けたラグ村領主、モロク・ヴェジンは、聞いただけでは信じられなかったのだろう、すぐさま城館を出て北の防壁へと上ると、そこで見物していた兵士らを押しのけるようにそこから見える敵の本陣を眺め見た。

 村の四囲を包んでいた数百匹もすでに本陣のほうに集結しつつあり、灰色の毛玉が群れ集まって盛んに何かをしている様子がはっきりと見えた。その作業は人族に対しての宣言が真実であることを証明するように、簡易に設置された防御柵などの陣地の撤去のようだった。

 あるいはそれが欺瞞行動であったのなら、すっかりと油断して北面に集まってしまっているラグ村の防備を裏から簡単に抜けたであろう。他の守りがおろそかになってしまうほど、村人たちは灰猿人たちの動向に夢中になってしまっていた。

 そうして日が中天に差し掛かる前に、本当に軍勢が撤退していくのを見て、ようやくのこと村人たちの喜びの声がはじけたのだった。


 「…オレら、勝ったのか」

 「やった! やつらほんとに帰ってくぞ!」

 「生き残った!」

 「あたしら、死ななかったよ!」

 「助かったんだよ!」


 お互いに手を叩き合い、抱き合った。

 中にはヴェジンに間違って抱きついて、そのまま悪ふざけした村最強の『加護持ち』に片手で背骨を折られそうになったやつまでいた。ヴェジンが腹の底から大笑し、バスコやセッタら命懸けで防壁の上に張り付いていた兵士たちが武器を放り出して踊りだした。喜びはすぐに村の中へと伝染し、女たちのかしましい歓声が後追いで防壁の内側に広がっていく。

 城館の窓という窓が開け放たれ、そこから身を乗り出していた女たちも、喜びを爆発させて窓枠をこぶしで叩いたあと、慌てたように内側へと駆けて行く。領主一家に報せを届けに行ったのだろう。

 そこからはもはやお祭りのような騒ぎだった。


 「姫様!」


 顔を真っ赤にして駆け込んできた女が、中にいた年かさの女に無作法をたしなめられつつも、それでもこらえきれぬ喜びに声を張り上げた。


 「敵が逃げていきました! 村が……助かったんです!」


 ベッドの上で上半身を起こしてその報せを迎えることとなったジョゼは、昨晩の体調不良から完全には復調していなかったが、青白かったその頬に血の気を上らせて、「ほんとうなのですか」と小さく聞き返した。勢いよく頷いてみせるその女ににこりと笑みを返して、そのままベッドから降りようとする。

 お付きの女たちが慌てて止めようとするものの、それを振り払うようにジョゼは部屋の外へと漂い出る。そうしてそこで、おのれよりかは幾分ましな様子の、それでもまだ顔色の良くない兄オルハと顔を合わせ、兄妹して同時に床に臥せった運のなさを苦い眼差しで共感し合う。


 「…共に恥をかいたな」

 「…ええ、ほんとに」


 気位の高さはやはり血を分けた兄妹であるのだろう。

 ややおぼつかない足取りで村人たちの慰撫に向おうとする兄の背中に、妹もお付き女に肩を貸されて歩き始める。人の上に立つ領主家の家人としての振る舞い方を兄妹は幼少のころから叩き込まれている。

 肝心要(かんじんかなめ)の防衛戦に期待されただろう『加護持ち』としてのおのれたちが姿を現さず、ただでさえ必死の領民たちに余計な負荷を掛けてしまったことはもう覆しようのない起こってしまった現実だった。目覚めてからそれを遠回しに知らされた兄妹に焦りが生まれたのは言うまでもない。

 たとえおのれたちがそのとき運悪く病床に伏せていたのだとしても、そのような事情を汲み取ってくれる領民などほんの一部であり、大多数の者たちは見たまま聞いたままのことしか信じてくれないことを知っている。

 命懸けの攻防を乗り切った者たちに、せめて慰撫だけでも行わねばと兄妹は無意識に家内に父親の姿を探し、その姿を見つけられなかったことでおのれたちがすでにして乗り遅れていることを悟った。

 お付きの者たちを従えながら城館を出た兄妹は、目一杯喜んだあとにへたり込んでいる大勢の村人たちに声を掛けつつ、騒ぎの中心にいるだろう父親を探した。領主家の一員として、父親の隣に並んで立つ普段のおのれたちの姿を思ってのことだ。

 しかしややして防壁の上で兵士らに囲まれて笑っている父親を見つけ、そこへと足を踏み出しかけたふたりは、父に手招きされて、仲間たちに背中を押されながら近付いていくひとりの少年兵の姿を目にした。

 村人たちの目は、父とその少年兵へと惜しみなく送られている。

 そして父に頭をかき回すように撫でられた少年兵が、次の瞬間には抱え上げられ、兄妹が幼い頃にそうされたように……わが子をお披露目するように軽々と肩に担がれたのを見た。


 「ご当主様!」

 「ヴェジン様!」


 父親が歓呼され、同じように少年兵の名前も叫ばれた。


 「カイッ」

 「カイー!」

 「おまえはオレらの誇りだ!」


 ひと目で、その少年兵……カイが村の防衛戦で重要な役割を演じたのだと分かった。『なりかけ』のカイの怪力無双をまだしも知っていたジョゼは、さもありなんと得心する部分もあったのだが、オルハはまるで本来おのれがいるべき居場所を見も知らない雑草のような出自の子供に奪われたと感じたのだろう。

 目を見開いて立ち止まってしまった兄に、ジョゼは軽く促すつもりで「兄さま」と言った。

 しかし妹に追い越されても立ち尽くしたままのオルハは、動かない。

 そうしてジョゼは見てしまった。歯を食いしばりつつ立ち尽くしているオルハの面に、感情の高ぶりのままに神紋が浮かび上がっているのを。

 兄と妹の目が合った。懸念を浮かべる妹の眼差しに気づいて、兄は振り切るように踵を返すと、父へ向けていた足を別の方向へと変え、そこここで防壁上を見上げている者たちへと近付いていった。

 ジョゼはそうしたオルハの態度の変化を見て、小さくため息をついたのみだった。プライドの高い兄は、幼い頃から気に入らないことがあるたびにすぐにへそを曲げて、周囲の心配させることが多かった。たいていはまわりの大人たちを振り回すことでその自尊心は充足して、しばらくもせぬうちに機嫌は治ってしまうものだった。

 体調がまだ思わしくないこともあり、ジョゼは兄の心配をすることをやめた。もういい大人なのだからと思ってもいたし、いまは他にかまけている気持ちのゆとりも彼女は持ち合わせてはいなかった。

 兄は父に背を向け、妹は躊躇せず歩み寄った。

 お付きの者に肩を貸されてもつらい段々も何とか登りきり、父と新しい英雄(カイ)との関わりの輪に、おのれも混ざった。病み上がりの弱々しさは、彼女の生来の見目麗しさを損なうようなものではなく、可憐な姫君は輝かしい領主(モロク)家の輝かしい一枚絵の一部となりえた。

 近付いてきたジョゼを見たヴェジンの肩の上にあったカイは、しきりと恥ずかしがって頭を掻いた。それを見て、ジョゼはこれまでの彼との行き掛かりを思い返したのだろう、白い面差しに花が開くようにあでやかな笑みを向けたのだった。



***



 モロク家、単独にて灰猿人族の大攻勢を撃退す。

 ラグ村勝利の噂は白頭鷲での州都への勝報と、近隣村落への人づての拡散により、天馬が天駆けるがごとき速さで辺土一帯に広がった。

 兵力の取りまとめに苦心していたバルター辺土伯はその報に触れて、一時はなにをばかなと虚報を発したモロク家に激怒したが、その後に真実の追証を得て、書き綴っていた命令書を丸めて暖炉に放り込んだという。そうして呵々と笑って、『鉄の牡牛(トール)』が猿どもを角で突き殺したらしいとモロク侯ヴェジンの武威と領民らの奮戦を称揚した。

 一時は中止まで囁かれた『冬至の宴』は例年通り開かれることとされ、その正式な招待状が各領主家へと発された。ラグ村への戦勝祝いの書状は、その招待状とともに届けられた。軍勢を集めて出征することを思えば相当に安上がりであったのだろう、後ほど与えると褒賞の目録までが添えられており、モロク家は辺土東部の有力土侯としての面目を大いに施すこととなった。

 助力を拒んで傍観していた近隣小領主たちも間を置かず祝いの使者をラグ村へと送り、集落復興の一助にと些少ながらも金品を付け届けてきた。その手のひらを返すような態度の変わりようは、むろん灰猿人族1000の攻勢を跳ね返したラグ村の戦力を自村への引き込むための皮算用が作用した結果であったが、モロク家は小言ひとつ言わずに送られてきたものをすべて余すところなく受け取った。貰えるものは躊躇なく全部貰っておこうというあたり、現金なのはお互い様であった。

 それから間もなくして、辺土一帯に本格的な冬の到来を迎えたのだった。

 寸前までの血なまぐさい争いなど最初から存在さえしなかったというように、真っ白な雪が大地を覆い尽くした。


仮更新した後に、改稿版をアップしかけたまま寝落ちしてしまいました(笑)

ご迷惑おかけしました。感想お待ちしています(^^;)

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[気になる点] > 「…退ま始めた? やつらが?」 退き始めた? でしょうか 別の読みがある?
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