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当たり前のことだが、カイは説明を求めた。急に取りすがられて、わけの分からぬままに灰猿人たちの集落に連れて行かれるような流れにされても、カイにだって都合というものがあるし、そもそもその行動に付き合うか否かの根本的な判断だってあった。
むろん理解できないような理由に依拠した願いなど、聞く気はサラサラない。本来自族内の問題であるなら、自助努力で何とかするのが筋というものではなかろうかと思う。彼らはカイを小人族のひとりと完全に思い込んでいるし、そうであるならばこれは灰猿人族から小人族に対しての対外救援要請だと取ってもおかしなことではないのだ。
しかも小人族……カイが所属すると見做せるハチャル氏族は、根拠地を逐われた流浪の者たちであり、それに東の森の大族たる灰猿人族が与力を求めるなど、本来ありえないことでもあるのだ。第一、ハチャル氏族は近隣の付き合いある諸族の助けを得られず、村と大切な墓所を奪われねばならなかった。その悲劇を傍観しただろう『諸族』に、灰猿人族が含まれないなどとはとてもではないが思われない。
他族の危機は捨て置いて、おのれたちだけは助けてくれと、そんな身勝手極まりない構図になっている可能性も十分にあるのだ。
なので説明を受ける以前に、灰猿人族とハチャル村の関係、お互いの立ち位置についての確認も済ませた。
そこで族長は特に悪びれるでもなくカイの予想の範疇にある関係性を口にして……灰猿人たちは当然のように手工芸品を産するハチャル村の小人族とはたしかに付き合いがあり、彼らがその根拠地を豚人族に奪われたことも了解していた。いま少し踏み込んで問うと、何度かしっかりと略奪行為までやっていたらしい。奪っても逆らえない弱者に、『見逃してやるのが対価だ』と傲然と言い放てるほどの力関係に両族があったことは間違いないようだった。
豚どもと変わらねーじゃんか。
呆れつつも、そのことで議論を投げ出さなかったのはむろん谷の神様が『見極める』ことを望んでいたからだ。過去に自族が行ったハチャル村の小人族に対しての『薄情』が、いままさにおのれたちに返って来るかもしれない危険を察したのだろう、灰猿人たちははっきりと不安を顔に出し、族長がまあまあ落ち着いてと手振りでなだめ始めると、立ち会っていた全員が真似するように同じそぶりを見せ始めて、これにはかなり苛立たされた。種族的に鈍感なのか、はたまた面の皮が厚いだけなのかはわからない。族長の脇に並んでいたメスらしき2匹が横から毛づくろいを始めたのにも驚いたが、後ろにいたやつがカイの頭の毛をいじろうと手を伸ばしてきて、気配を察したカイの反射行動で手刀で叩き落される。
「《地腐レ》ガ起コッタ」
族長がそれでもカイの全面的な協力が仰げると確信しているかのように、自族内で起こりつつある危機について語り始めた。
灰猿人族が支配する大森林の東で、土地が腐り、短期間に木々が立ち枯れ始めたのだという。そしてそれは、大森林のさらに北、北限に住まう諸族の混乱に端を発していて、その乱れがついに彼らの支配領域にまで届いたのだと族長はカイを見据えて言った。
むろん聞いているカイは絶賛大混乱中である。いきなりそんな壮大な規模の話をされても、予備知識が足らな過ぎて理解が追いつかない。宿主を放り出してひとり得心している谷の神様の落ち着きが、かろうじてカイをじっとさせていた。
カイが辛抱強く聞き取り、脳内でどうにか整理した灰猿人たちの理屈はざっくりとこのようなものだった。
(…森の向うにあった豚人どもも住む未知の平原、『北限』にまだいくつか亜人種族の領域があって、そこが外敵に侵されつつあり、大量の土地神が奪われることで領域が不安定化して、ついに大森林にまでその影響が出始めた、と)
土地神を根幹としたこの世界の『仕様』についてはまだ理解し難いことが多くあるカイである。他種族の土地神があまた奪われて、勢力図に大きな変動があったというのは理解できる……しかしそれがどうして直接関係のない灰猿人族の土地に悪影響として現れるのか。その辺の理屈が本当に理解できない。
族長はカイがそれらを理解していて当然という様子で、得々と話し続ける。
カイがその長広舌に付き合っていられたのは、単純に亜人世界の情勢が知れ、土地神の秘密に繋がる知識をいくつか拾い上げることができたからだ。
「『北限』ノ地ニハ、我等ノ飛ビ地、イクツカアッタ。ソレ、一緒ニ飲ミ込マレタ。ソコカラ呪イ、広ガッタ」
いまここでも人族の土地神を奪おうとしているように、『北限』の他の亜人種相手にも同様のことをしていたのだろう。強欲に奪った土地神が、その『外敵』の侵攻に合ってひどく破壊されてしまった。そのせいで帰依か何かの形で繋がった彼らのほかの土地で深刻な悪影響が現れた、と。
そのときカイの頭に浮かんだのは、エルグ村、エダ村で密かに行われていたオルハらに向けられた『呪詛』の儀式であった。墓所が汚されればその寄り親となる上位の神も神の苦鳴が……まさしく呪いのごときものが伝染するという理屈なのだろうか。
ともかく、その土地が呪われて、木々や作物まで枯れ果て始めるほどに深刻化するのを、《地腐れ》というらしい。
そしてその『北限』に侵入しつつある外敵というのが、《雪原から這い寄るもの》と呼ばれる、長く亜人種族たちを脅かし続けるおぞましい姿の化け物でなのだという。
あまりにも馴染みのない話であったので、眉に唾して聞いていたカイであったが、そこでふと、谷を訪れていた猫人族の男が語っていた、最近の亜人種界隈の情報の一部にそれらしきものがあったのを思い出した。
(…そういえば、豚人どもがいま注力してる主戦場が、たしか北からの外敵相手だったな)
その予想もしていなかった2方向からの情報の符合が、カイの関心を呼び起こした。亜人世界でかなりの強勢を誇る豚人たちが、出入り商人に吹っかけられるのも承知で物資を買いあさらねぱならないほどに、国力を傾けてでも対抗せねばならない強敵が北から攻め寄せているという。
その『外敵』が同じものなのかどうかは分からなかったが、カイは直感的に根を同じくするものと感じた。
そしてその後に続いた族長の言葉が、カイに決断を促したのだった。
「…神変、起こった。『悪神』に主邑、奪われた」
その瞬間、谷の神様が狂ったように叫び出した。
割れ鐘のようにくぐもった呪いをこめた叫びだった。
(悪神!)
それは谷の神様にとっても深い因縁のある言葉であったのか。
(悪神!)
(悪神!)
ただ事ではないと、それだけははっきりと分かった。
***
灰猿人族の本陣を離れ、いったん森の中で変装を解いたカイは、朝焼けに薄紫に染まる空を見上げて、一瞬だけ谷に行くことを迷った後に、思い直して村へと引き返した。
いろいろポレックと相談したいことがあった。
が、いったん話が始まればかなり長引きそうだとも思った。ゆえに相談は次の夜にしようと考えた。
まだ明け切らぬ薄暗がりの中をすばやく移動して、物見の兵士らの隙を突いて物陰の多い薬草園のほうから壁を越えた。防壁の上でいったん身を伏せ、村の中の様子をうかがってから、園の大木を伝って下へと降りた。
そうして何食わぬ顔で村の暮らしへと復帰しようとしたカイであったが、そのもくろみを阻む相手が不意討ちのように姿を現した。
「…どこ行ってたの」
迂闊にも、カイは伝って下りた大木の裏側を確認し忘れていた。
そういえば、村を抜け出したときもここからだった。そのときからつけられていたのだと直感が告げていた。
エルサの妹、リリサがカイを睨むようにして立っていた。彼女はカイが村を抜け出した後もずっと、この場所で待ち伏せしていたのだ。
秘密の現場を捉えるために。
「おねえに逢ってたんでしょ? そうなんでしょ?」
「………」
「何で黙ってるの? リリに見つかって焦ってるんでしょ」
「何の話だ」
カイはそれどころではなかったし、そもそも昨日から働き尽くめで気持ちからして疲れ切っていた。さすがに相手する気持ちの余裕もなく、表情を消してさっさと歩き出す。
リリサは慌ててカイの服を捉え、そのまま引き摺られた。
「待って、止まって!」
「なんだ、なんか用なのか」
「…だ、か、ら、おねえはどこなんだって聞いてんの!」
「…エルサは死んだ」
「もうそんな嘘はリリには通用しないんだから! いいから教えて! 逢わせてよ!」
「………」
いろいろな言葉がカイの中に浮かび上がった。
しかし敢えて言うほどに気持ちは高まらずに、その口はむっつりとふさがったままだ。
いろいろとものを見、聞いてしまったこのときのカイは、心に渇きを覚えていた。あまりにも取るに足らないことを言い立てる少女に、ぽっかりとなにものも込められていないうつろな眼差しを向けていた。
その目を見たとたんに、リリサはカイの服を離していた。
そうしてじんわりと浮かんだ涙を目尻からこぼした。
それからまた歩き出したカイを、リリサはただ見送るばかりだった。
更新優先で。改稿するかもです。
いろいろと世界像が浮き彫りになってきて、情報量の多さが読みにくさに繋がらないかとかなり不安。
ご意見、ご感想あればよろしくお願いします。