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たくさんの目がカイの姿を追ってくる。
カイが身につける小人族の服は、種族伝来とおぼしき紋様がきれいに染め抜かれ、ところどころに施されている手間のかかる刺繍もあいまって、そうとうに仕立ての良いものに見える。
毛皮や布切れを肩から吊っただけの粗末な身なりが普通の灰猿人たちの中では、明らかに浮き上がってしまっている。体温を逃がさないための優れた体毛があるから、灰猿人たちに衣服はあまり必要ではなかった……種族特性に応じて積み上げられていく文化風習というのは、こうしてその違いをはっきりと感じたときにおかしみを感じるものである。そしてそれを面白いと感じられる者は、世界のありようを高みから俯瞰しうる一定以上の知性の持ち主であることがほとんどである。
仮面の奥に見えるカイの眼差しを幾匹が見たことであろう。その瞳がおのれたちを面白そうに観察している光をたたえていることに、皆怪訝そうな顔をするばかりだった。
むろん族長のもとまですぐに通されたわけではない。
本陣を囲っている急造の防御柵のところで『加護持ち』たちに止められ、案内のモヒカンがひと揉めする場面があった。連れられてきた仮面の小人族が強力な『加護持ち』であることが伝えられると、何匹かは明らかに殺気立って、カイのほうへと詰め寄ってこようとした。
モヒカンは止めようとしたのだけれども、そのときは他の『加護持ち』の対応で手が離せなかった。まったくもって不幸な事故であった。
カイが『加護持ち』であると分かっているので、詰め寄ってきた灰猿人の『加護持ち』たちもすでに『隈取り』を顕している。もうだいぶんとその神紋の値踏みには慣れているカイが、一見して判定する。
(…両方とも《二齢》か)
《一齢》の『加護持ち』という者はまだ見たことがない。
むろんカイの知るところではないのだが、王国中央で学者たちによってまとめられている『神学論』では、神格を眉間部分に顕れる神紋の縦筋の総数で推し量ることを提唱している。そして初期の神紋がまず両目の周りを中心に円状に顕れることがほとんどであるため、眉間部分通過紋は最低で2本……ゆえに齢数判断も《二齢》から始まるものと本学論では結論付けられている。
あの恩寵の衰えた白姫様ですら顕す紋である《二齢神紋》とは、辺土では数十人規模の住人を養うのがせいぜいの、痩せた土地の神が示すことの多い神紋であった。むろんそんな齢数判断だけで強さを計るわけにはいかないので、カイにはまったく油断はない。
威圧するように近づいてきた2匹は、苛立ちは示しているものすぐに突っかかってくるようなことはなく、小人族と灰猿人族との間にある体格差を誇示するようにカイの周りをうろうろとして、これでもかというほどに上から視線を落としてきた。
カイの反応の薄さを怯えの表れだと取ったのか、勝ち誇ったように一匹は無遠慮に顔を近づけてきて鼻をスンスンとさせ、もう一匹は石斧の先でカイを嬲るように小突いてくる。
「強イ小人族、ナイ」
「イマ族長、機嫌悪イ。帰レ!」
まあ領主族の肉体性能の差を考えれば、侮られるのは致し方ない。
モヒカンのほうも小人族相手にびびりやがって的に何匹かから小突かれて、顔を真っ赤にしている。
それまではおとなしくしていたカイであったが、夜明けまでには村に戻らねばならないという縛りもある。いい加減付き合いきれないと思い切って、勝手に歩き出した。
そうして奥にいるモヒカンに向かって「連レテケ」と促した。
すると顔を近づけてきていた一匹が嘲るように立ちふさがり、「小人族、弱イ」などと、おつむの弱そうなことを言い立ててくる。完全にバカにしていたのだろう、また顔を近づけて臭い息を吐きかけてきたので、構わずその鼻先に頭突きを食らわせてやった。仮面は額辺りが露出しているので、頭突きするに支障はなかった。
その一撃でそいつがもんどりうって倒れ、そのわずかばかりの後に掴み掛かってきたもう一匹には豪快に足払いを掛け、仰向けに倒れたところをわざと踏んづけて乗り越えた。《二齢》の『加護持ち』など全くの子供扱いであった。
その光景に『加護持ち』たちは唖然としたものの、次の瞬間には総がかりでこちらに向ってこようとした。それを「待テ!」と一喝して止めたやつがいた。
「ソノ小人族ノ戦士、強イ」
彼らの背後からまた一匹が姿を現した。
すぐには分からなかったが、ややして思い出した。あらわにされた『隈取り』の様態を見、それがあの巡察使殺害のおりに100匹ほどの群れを率いていた指揮官だと分かった。
それから聞き取りづらい灰猿人語に切り替わって、少々語り聞かせるような言葉が続くと、次第に《二齢》たちの顔から興奮の色が消えていった。
カイも極力灰猿人になったつもりでその言葉のリスニングを行っていたのだが、どうやら先日の戦いでカイがラグ村に突入した事例を取り上げて、敵を同じくしている盟友みたいなものだと説明しているらしい。そしてたったひとりで人族の『加護持ち』を引きずり出してきて、見事討ち果たしたつわものだと言うに及んで、一気にこちらを見る目の意味合いが変わった。
同じ敵を相手に戦ったという一点で、灰猿人たちに共感のようなものが生まれたのだろう、その厄介な敵相手に見事大物を討ち果たしたカイは彼らに一目置かれることになったようだ。そのあとはすんなりと通ることを許され、モヒカンを先導する格好であの指揮官も案内に立ってくれた。
指揮官の神紋は《三齢》ぐらいに見える。100匹の群れを率いる程度には序列が高いのだろう。
本陣の中は、灰色の毛玉だらけだった。防御柵の中に例の樹皮を張り合わせた大盾を何層も並べており、それぞれの持ち手たちが手足を寒さから守るために丸くなっているためにそうした毛玉に見えるのだ。
そうした厳重な守りの中に、皮を縫い合わせたような大きなテントが張られており、どうやらそこにこの大部隊の大将、おそらくは氏族の族長あたりがこもっているらしい。
少し待ってくれ、と言って指揮官がテントの中に入っていった。そして何か言い合いの声が漏れ聞こえたと思った直後に、招じ入れられた。モヒカンはテントの中には入らないらしく、入り口で見送られた。
テントに一歩足を踏み込むと、癖のある獣脂の焦げた臭いと人肌ぐらいの熱気がカイを包んだ。
(…鞣した皮に油を塗ったのか……丈夫そうなテントだな)
テントは二重構造になっていて、内側のもう一つの入り口を潜ると驚くほどに温かい空間が中にあった。足の裏にも柔らかい感触があり、それが毛皮の敷物だと気付く。
「何用デアルカ、小人族ノ」
うっそりと、気だるげな声がした。
毛皮を敷いた大きなクッションのようなものに腰を下ろす、恐ろしく毛の長い灰猿人がカイを見ていた。相当に歳を重ねているのだろう、声はしわがれて消え入りそうなほどに小さい。
間違いなく『加護持ち』だった。カイが小人族の強力な戦士だと説明されたからか、その族長の顔にも次第に『隈取り』が顕れてくる。
(ご当主様よりも細かい……《五齢神紋》かな…)
カイもまた、それが礼儀なのだろうと自然と理解して、おのれの神紋を明らかにした。仮面に隠されていないカイの額に、谷の神様の特徴ともいえる《象形紋》が顕れるのを見て、灰猿人の族長は厚ぼったく下がり気味であった瞼を見開いた。
《象形紋》は、一部の強力な『加護持ち』にしか現れないものである。それを灰猿人たちも知っているのだろう、寸前までの小人族に分相応を弁えさせようという先入観からくる侮りが、一瞬にして霧散した。
「おまえがこの群れの長か」
カイは声を発しながらも次の言葉を考えている。
見極めよ、と谷の神様は言う。その『見極める』べきものとはなんなのか、そんな根本的なところからカイは考えねばならないのだ。
だが、カイが思い悩む必要さえなく、事態は転がり出したのだった。
灰猿人族の族長がよろよろと立ち上がろうとし、足弱であったのかそのまま前かがみに崩れたと思ったときには、額を地に擦りつけんばかりに平伏していたのだ。
「*****!」
相手が小人族であるということすら失念したように自族語で叫び、その後にようやくカイにも聞き取れる小人族の言葉になった。
「鼎ノ大神ヨ!」
またカイの知らない言葉が飛び出してきた。
谷の神様をポレックは『調停神』と呼んだし、豚人族の鎧武者は『谷の神』とぞんざいに言い放った。有名だった先代の憑代に対して、おそらくは灰猿人族にも独特の根付いた呼び名でもあるのだろう。
その場に居合わせた灰猿人の『加護持ち』たちが、族長の取り乱しように慌てて介添えしようとしたが、本人に手で追い払われて気の毒なぐらいに困惑している。
そのまま族長がにじり寄ってきたので、カイは思わず少しだけ後退した。しかし後ずさった分だけ族長もじりじりと進んでくる。少し嫌だが我慢すると、やっぱり足に取りすがられた。
「祖霊ノオ導キニ感謝ヲ! 鼎ノ大神ヲ我ガ封土ニオ迎エセン…」
「…!?」
体重で数倍するだろう族長がすがっても、加護の力を解放したカイは小揺るぎもしない。それ自体は言ってはなんだが大したことではなかった。
灰猿人の針金のような体毛がチクチクと痛いのもまあこの際は目をつむってもよかった。
「我ラ一族ヲオ救イ下サル守護者ガ使ワサレタ!」
言っている意味が分からないのが一番厄介だった。
最近は書き上げてもすぐにはアップしなくなりました。冷静になるまでのクールダウンを心がけています。
感想ありがとうございます。ルートの取捨選択の折には参考にさせていただいております。なろうならでは、チラシの裏的な試行錯誤の場なので、今後もよろしくお願いいたしますm(-_-)m